七章:天使の歌−1

何度も同じ台詞を聞くと念仏のように感じてくる。頭の中で文字が回ってる。


 ひんやりとした石の壁に階段。下っていく最中聞こえるのは靴音だけではない。
「お前達、オレをこんな所に連れ出してどうするつもりだ。いや、こんな事をしてただで済むと思っているのか!? 由緒正しい――」
 まーこのお坊ちゃんの喧しい事喧しい事。オーブリー神父のこめかみが引きつっているのが見える。
 というかその台詞五回くらい聞きました。
 黙々と歩く得体の知れない黒ずくめの人間(私)両腕を掴む人相の悪い男達(一応神父)。
 この上なく楽しそうにスキップしそうな足取りで後をついてくる女(シスター)。黒ずくめの人間を全面肯定している眼の色の変わった少年。
 これだけ不審人物に囲まれれば誰だって怖かろう。だが、諦めて貰う。
 彼自身の器の狭さが原因なのだ。背後からいきなり突き飛ばしてきそうな相手を放っておく程甘い人生歩んでいない。
 溜息を飲み込んで階段をもう一段下りた。かん、と反響音が僅かに変わる。む、とする気持ち悪さが増した。
「酷いですね」
 辺りの悪魔を取り除いたせいか今まであまり反応していなかったシリルが顔を曇らせる。
 酷い、というか暗い。金色に変えられた目は闇夜に強い。
 だけど先がよく見えない。
 つまりこれはただの暗闇ではないと言う事だ。
 入り込む空気の生ぬるさの中に苦みと生臭さを感じる。吐き気を覚えるほどではないが良い気分にはならない。
「何か扇ぐもの、ありますか」
 口元を抑えてマーユを見る。
「暑いの? 承諾書はあげられないけど封筒ならどうぞ」
「ありがとう」
 簡素な封筒を布越しに受け取る。別にうちわの代わりにする訳ではない。
 問題の闇に直接触れるのが躊躇われたからだ。微かに蠢き揺れるそれらはなんだか腐肉にハエがたかっている様な感じがして近寄るのが嫌だ。
 本当に生肉があってハエがたかっているという落ちかも知れない。
 落とさない様に封筒を握り、そっと風を送る。
 闇が晴れ、ボタボタとそれらが落ちた。いたよハエ。ちょっと大きめだけど。
「イ、インプが何故ここに」
 ユハが悲鳴を上げる。こちらが聞きたい。
 落下してきたのは変哲もないインプだが、量が半端ではない。
 十はいる。マーユが持ってきていた聖水を振りまいてさっさとそれらを消した。
「つーことは何か。あの黒いの全部インプの群れとか言うのか」
 げんなりとした顔のオーブリー神父。うわぁ、それ嫌だなぁ。
 地下室の広さはよく分からないが、図書室くらいはありそうだ。闇は空気にとけ込む様に広がっている。
 全てがインプだとしたら……何百匹居るんだよ。本当にハエなのかお前ら。
 耐えられなくなったかユハが逃げようと身体を反転させ、見かけよりもがっしりした神父の腕に首を挟まれる。
「は、放せ!」
「迂闊に動く方が危険だろうが」
 甲高い非難にオーブリー神父が気怠げに呻く。
 観念したのか目を逸らしてユハが俯く。布の向こうから切れ切れに見えた光景に苦笑を堪える。
 父親と反抗期を迎えた息子の様なやり取りだ。私のそんな気配を察したか、闇で黒にも見える灰色の双眸が凶悪な色をたたえた。
 おお、こわ。
 震える素振りをちょっとしてみせてから辺りの漆黒を見る。
 どう考えても全部を吹き散らすのは無理だ。まず腕が保たない。背が足りない。疲れる。
 確か結界がどうとか言っていた。ファンタジーな感じにあるのかもしれない。
 それとも魔よけか。どちらにしろそれが破られているのは一目瞭然。
「結界、どのようなモノかご存じですか」
 声を抑え気味に問うと、
「お前そんな事も知らないのか!? 神に祝福を受けた石を部屋の四方に配置してあるんだ。
 悪魔祓いのギルドならば当たり前の態勢だろう。その様な事すら分からないで悪魔祓いをしているのか」
 思い切り見下して貰えた。長年の悪魔との攻防戦でこのくらいの罵りは嫌みにすらならない。
 見えないのを承知で微笑んで。
「そうですか」
 とだけ告げてやってから結界を確認しに行く。オイとか待てとか聞こえたが知らんぷりを決め込む。
 取り敢えず順に回ってみるか……シリルとマーユに支えて貰いながら歩き回る。
「四方ねー。広いけど大丈夫?」
「終わったら休憩を取りたいところです」
 はあーと溜息を隠さないマーユに笑って答える。
「そうですね。少し疲れましたし、終わったら休憩にしましょう」
 私の為とは言わずに頷いて提案してくれるシリル。なんて良い子。
 感動の余り泣いてしまいそうだ。あー、いや今は私が年下なのか。
「異常なし、と」
 紅い瞳でじーっと辺りを見つめマーユが呟く。
 神に祝福されたらしい石は純白の六角形で、床にピタリとはめ込まれている。
 平らになっている為に違和感が無く、飾りと間違えてしまいそうだ。
 辺りを見回すが、特にめぼしい代物はない。
 二つ目、三つ目も異常なし。と言う事は四つ目が必然的に異常ありという事になるか。
 ……さっさと終わらせよう。
 体温上昇が著しい服の中で、私は誓いつつ足を速めた。

 最後の一カ所。異変発見。
 ピタリとはまっているはずの石が浮いて斜めになっている。
「ずれていますね」
「これが原因って奴かしらね」
 マーユが自分の結んだ髪を軽くいじって眉を寄せた。
 彼女の言いたい事は分かる。
 原因、にしては腑に落ちない。
 結界が壊れているとしても、インプがあまりにも多いのだ。
 確かこの付近のインプの出現量は多くても十匹。
 地下室のこの気配だと優に数百匹。その時点で異常。
 他にも原因があると見る方が辻褄が合う。
「取り敢えず戻しておきましょう」
「穢れた吸血鬼一族(ヴァンピリーム)の末裔が触れられるものか!」
 戻して置いたほうが良いと思って発した発言に、弾かれた様にユハが叫ぶ。
 穢れてるのかその一族。というか触ったら駄目? シナリオというか流れ的に。
 オーブリー神父を見つめると困り顔をしている。私に戻して欲しいがどうしたものか、と言った感じだ。
「そのような記述でもあるのですか?」
 やんわりと諭すみたいに問いかける。必殺、ハッタリ攻撃。
 相手によっては危険だがこの坊ちゃん相手には有効だろう。
「そ、そんな事は……知らない。お前達の事なんて興味ないからな!」
 予想通りの反応。ドモってるよ。
「まあ、そちらがどう思おうと構いませんが」
 決めつけは良くないと言う空気を醸しだし、当然の如く私は石に触った。無機質な固まりなのに僅かに暖かい気がする。
 誰もが止める間もなかっただろう。さり気なくすっと元の位置に置く。
 ふっ、と白い石がほのかに光る。
 眩しいほどではない。じんわりとしみ通る様に純白の光が辺りを包んだ。
 シリルが目をぱちくりさせ、マーユが恍惚の溜息を漏らす。
 確かに綺麗だ。残念なのは見えるのは一部と言うところか。
「おお、こりゃ絶景」
「キレーになってくな。楽でいいわなぁ部屋の掃除もこう出来りゃ良いんだがよ」
 祓われる闇を眺めながら煙草を揺らし楽しそうに笑う。
「何の……話だ?」
 オーブリー神父はギリギリ良いとしてボドヴィッドも見えているらしいのに見えてないのか、坊ちゃん。
 どんだけ黒いものに手を付けたのだか。置いてけぼりにされて不満そうな気配だ。
「これで結界は修復されたようですね」
 辺りでじゅうじゅう聞こえる。火種が飛び散り水に落ちる様な音。
 下卑た笑い声が悲鳴に変わる。流石結界だ、神の名は意地でも讃えない。
「お、お前神を汚し触ったな!」
 悪魔に取り憑かれていた人が何を言ってるんですか。
 溜息を深ーく吐いてやろうとして。濃い闇が目に入った。今まで薄い、幾重にも重ねられた漆黒が目隠しとなっていて気が付けなかった。
 それ自体には余り気配を感じない。目をこらす。
 強固に見える漆黒に近い箱の隙間からそれが漏れだしている。……金庫?
 側に近寄り、背伸びして隙間に指を差し入れた。ざわりと体中の毛が波立つ。
 ……明らかにヤバイもの入ってるぞここ。
 だとしてもこのままにしておくのもいけない。
 主な感染源がここだとしたら被害はまた拡大する。
 重たい扉を開くのを手伝おうとする皆を退けて、自力で開く。
 これは少しマズイ。私だけなら開いても移らないだろうけど、他の人に触らせるのは絶対良くない。
 警鐘が何処かで鳴り響いている。心臓が早鐘を打つ。
 なんだ、この中の。言いしれぬ寒気。
 こくりと息を飲み込んで扉にもう一度強く指先をかけた。

 

 

 

 

 

 

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