六章:はじめてのお仕事−3

を取り外せば手品の種明かし。


 でっぷり太った中年男性が悲鳴を上げながら床でのたうち回っている。
 先程までだったら私以外には信じられない異様な光景。
 脳髄にまで達しそうな爪が頭部を貫き、身体を縫いながらも黒い尻尾が巻き付いている。
 ケタケタと喜悦を貼り付けている顔は醜悪そのもの。引きはがすのに必死になるのは当たり前。
 私的にはあの状態で談笑していた神経を疑いたいのだが、見えていなかったのだからしょうがない。
「なっ、なっ、なんだこれはっ」
 カウンターから飛び出てひとしきり転がった後、お偉い様は悲痛な叫びをあげた。
 なんだと言われましても、悪魔としか言えない。しかもかなり情熱的な奴です。
 ねっとり絡み付いた肢体はあれだけの抵抗を受けても一ミリたりとて動いた様子がない。
「うっおー、これまた」
「こりゃ面白れぇ。偉い陰湿だなぁ」
 オーブリー、ボドヴィッド、やさぐれ神父二人が笑う。
「ぎゃー、気持ち悪っ。なんつーのに取り憑かれているのよ」
 マーユが悲鳴を上げた。うん、とても気持ち悪い。出来る事なら近寄りたくない。
「と、ととと取ってくれぇぇっ」
 ぎゃーぎゃー悲鳴を上げるのを見つめつつ、オーブリー神父が笑った。
「幾らで?」
「い、いくら!?」
 こちらに注目している様子がないので少しだけ布の隙間をこじ開けて様子を見る。
 不良神父が親指と人差し指を合わせ、丸を作っていた。
 聖職者のクセして底意地悪い笑顔がとても似合う。悪人万歳。まさしく高利貸し。
「おー、確かに悪魔祓いなんだから金はもらわねぇとねぇ」
 自粛していた煙草に火を灯し、ボドヴィッドが口角を上げた。
「で、出来損ないの屑共の癖して何を一人前の事を!」
 ねちりとした二人のいたぶりに僅かながら可哀想とも思っていたものの、もう少し眺める事に決めた。
 あの人には反省が必要らしい。人生振り返る位は絶望して貰おう。
 一応私もその教会の人間なんですよ。誰が屑だ。
「わ」
 ガザ、と暗幕が引き上げられて一瞬光がかなりの量入り込んで少し驚く。
「あ、すみませんちょっと聞きたくて」
 漆黒がまた私……いや、私達を包んだ。
「どうしたの?」
 膝をついてシリルがいきなり潜り込んできた。普段大人しいので何かしら理由があるのだろう。
 微かに俯き、スミレ色の瞳が揺らめいている。なんか深刻だ。
「その……僕もあんな感じ、だったんでしょうか」
 とても言いにくそうに尋ねる様は、泣きそうだ。心の中でああ、と呻いてしまう。
 確かに彼も悪魔に憑かれていたが、抵抗しているのもあってその姿を見る事は自分では出来なかったのだろう。
 実際他の悪魔を目にしていてもあの取り憑きっぷりは気持ち悪いのだ。
 あの人の姿を見て不安に駆られる気持ちはよく分かる。だから、励ます様に首を横に振ってあげる。
「大丈夫。あんなにエグくなかったから。背中から羽が少し出てたぐらいであそこまで酷くなかった」
 かたやインプらしき悪魔の絡み付きと、かたや不釣り合いな黒い両翼だけ。かなりの差だ。
「そ、そうですか。良かった……あ、失礼しました」
 少しだけ羽の部分で眉根を寄せたものの、ほっとした様な顔になり。
 そう礼を告げて僅かに光が瞬いて彼の姿が消える。
 大分慣れた漆黒、だが布越しというのは結構距離感を感じたのでいきなり側に寄られるとどきりとする。
 まだ悲鳴が上がっている。まあ、あの二人はからかい半分と言ったところだろう。
 オーブリー神父やマーユはともかくボドヴィッドが悪魔を祓えそうな感じはないし。
 あの粘着質な感じからすると、頼まれても引きはがせないというのが本音か。
 いきなり暗幕がずり落ちそうになって掴んで止める。
「あ、貴方なら。ど、どうにか出来るんでしょう!? いや出来るはずだろうっ」
 粘着質だった声がだみ声に変わっていた。
 被っていた猫は捨ててきたらしく、語尾も荒い。
 這いずり寄ってきた事にぎょっとしつつも、毅然とした態度を取るべく背筋を伸ばす。
 まだこの余裕、この人もう少し放っておいても大丈夫じゃないか?
 二人の神父を悪魔だなんやと罵っているが、祓わないのは私の意志。
 なら、私が悪魔的思考って事で良いよね。うん。
 布の向こう側の同じく暗幕を被った指先を口元に当て、声を発する。
「――それは人に頼む態度ですか」
 変声が僅かにでも出来ればと思ったが意外にくぐもった声が出た。
「す、すみませんっ」
 謝ってはいるが、根本的な部分は治っていない。彼は恐怖で謝っているだけだ。
「汝、禁を犯す愚かなる者。その身に黒き呪縛を与えたもう。お似合いですよ、とても」
 優しく諭す様にクスリと笑ってやる。良くは見えないが、相手の表情は絶望に染まっているのだろう。
「は、はは……意外とキツイのね」
 後ろからずり落ちた暗幕を被せるマーユの声。当然、これは相手の自業自得。
 見るだけで不愉快なのに、更に気分を落とすようなことばかり言うのが悪い。
「ひっ、し、しません。もうしませんっ。金目のものを探ろうなんて考えません!」
 引きつった声に悠然と頷いてみせる。成る程、封印された品にはお金になるものが入っているのか。
 悪魔に憑かれるリスクを冒してでも欲しいものが。金貨も入ってたりするのかも知れない。
 そのたびにこんな目に遭っていたのなら、祓う為だけで手に入れた宝が吹っ飛びそうだ。
 悪魔と目があった気がして、うげと心の中で呻いた。

 

 

 

 

 

 

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