五章:教会の姫−3

やりたい事と言われても。一つしかない。


 丁重にアルノーを送り返した後初めてパナナムの実を眺める事が出来た。
 見た目は少し小さな黄色のヤシの実だったが、驚くほど皮の部分は柔らかくあっさりナイフが通っていた。
 中央に実と同じ形をした大きめの茶色い種が一つ。それを避けて切り分けられた実を勧められるままに口に入れる。
 ふわりと酸味が口内に広がり、まろやかな甘味が舌を包む。
 マンゴーとオレンジの中間のような味だ。たっぷりと汁気があり、甘くて美味しい。
「美味しい」
 呆けそうになる意識をたぐり寄せて、何とか言葉を絞り出す。
 すごい美味。なんだこの美味しすぎる食べ物は。
 同じようにパナナムの実を囓ってナーシャが微笑む。
「でしょでしょ。セルマのお茶と一緒に食べると格別なのよ」
「うわぁ、それ良すぎる」
 あの美味なお茶とこの果物。
 なんという至福。考えるだけで幸せになる。
「なら、後でお茶を淹れますね。余ったパナナムはジャムにでもしてしまいましょう、保存が利くんですよ」
 シスターセルマの一言にコクコク頷く。満面の笑みを堪えて喜びを表す。
「うわーパナナムの楽園ー」
「贅沢ぅっ。パンに付けて食べるのも良いよね!」
 マーユとナーシャがきゃあきゃあと手を合わせて喜んでいた。
 かなり希有(けう)な光景らしい。果樹園の人と持ってきてくれたアルノーに感謝だ。
「俺はいつまでこのままで居りゃ良いんだよ」
 地面に額を付けた神父が情けない声を上げた。
 神父様にはパナナムの実はもうちょっとお預けですとセルマにも言われている。
 曖昧な表情の男性陣とは違い、主に女性陣の心が合わさった。

『もう少し反省してなさい』

 お灸はもう少し据えておこう。



「まあそろそろオリーブ神父も混ぜましょうよ」
 許してあげようと告げると、何故かその神父に睨まれる。
 ええと、ああ。また間違えた。
「……オーブリー……神父? もそろそろ食べたいでしょうし」
「なんでもの凄く言いにくそうになるんだ」
 起きあがり、籠に盛られたパナナムの実を皮のまま囓る。うわあ、豪快。
 オレンジ色の汁が僧服の袖を濡らし、清めたテーブルに服からぽたぽたと雫が落ちる。セルマが迷惑そうな顔をしていた。ベタベタしそう。
 テーブルもだけど僧服を汚すな神父。洗うの大変そうなのに。
「いえ、ちょっと元の世界で似たような名前がありまして」
 調理用の油が似たような名前ですよ。もういっそオリーブに改名してくれませんかとか考えてみる。
「油じゃあるまいし」
 渋面が口にした実の旨みに僅かに和らぐ。……油?
「まさにその通りな。あるんですかオリーブオイル!?」
「っておい俺はそれと間違えられてるのかよ」
 悲痛な声に私はただただ驚きの声しか出ない。あるのかーここ、オリーブの実もそれを搾り出して作った油も。
「いえ、その。まあ、そうですね」
 曖昧に否定しようかとも思ったが、隠すだけ疲れる気もしてきた。
「俺はオーブリーだ。断じてオリーブじゃねぇっ」
 悲鳴じみてきた台詞になんだか罪悪感を感じ、覚える事にする。
 よし、何度も呟けば覚えるだろう。えーとオーブリー神父。オーブリー。
「オーブリーオーブリーオーブーリーオーリブーオリーブ。よし、覚えました」
 完璧だ。
「最終的にオリーブになってるじゃねえかよ!」
 オリーブ神父が切れ気味に言う。
「まあ、落ち着けよオリーブ」
 肩を震わせるボドヴィッド。なんかまた私は間違えたのか。
「そうだよオリーブ神父様」
「そうですわオリーブ神父様」
 嬉しそうなナーシャにセルマさんも続く。何か楽しそうだ。
「てっめぇらぁ」
 震える拳と怒気含ませる目をぼんやり眺めて閃く物があった。
「あ、オーブリーでした」
 うっかりまたまた間違えた事に気が付いて、側にいたシリルに苦笑された。


 それなりにお腹が膨れたところで伸びをする。
 んー、満腹満腹。しかしである、ここ数日私は全く役に立っていない。
 たまにお礼とかでこうしてアルノーが代わりに持ってきてくれるのだが、実際の所私自身の稼いだお金という物はない。
 看板とはいえ、どうした物か。人形扱いは嫌だけど、この状態もなんとかせねば。
 その辺りに立っておく? 提案してみたところセルマとシリルに猛反論された。
 攫われたらどうするんですかとか、うっかり盗まれたらどうするんですかと。
 いや、私一応人間なんですけど。
「でも困りましたわね。今月も余り貯蓄が芳しくないですもの」
 お仕事をねだる私に困った顔をしていたセルマの顔が暗くなる。
「セルマさん、どの位あるんですか」
 あんまり聞いて良い物ではないけど、嫌な予感というか確定した予感らしい物が背筋を突き抜け、溜息を吐いている彼女に尋ねた。
「二十五、いえ……なんとか三十ベクム程はありますけれど。これでは修繕もままなりませんわ」
 考え込むセルマの台詞に衝撃を受ける。
 さんじゅ……あの時二十人位いたのにそれだけ。やっぱり一か二ベクムしか入れられてなかったのか。
「チッ、いつもより少ねぇな」
 オーブリー神父が険しい顔をした。
「仕方ありませんわ、この間はあんな事があって途中で打ちきりになりましたもの」
 そう慰めるセルマも落ち込んでいる。悪魔の乱入さえなければ酔いに任せてもう少し奮発して貰えたのかも知れない。
「お金ないとご飯食べられないし教会立て直せないね」
 ナーシャが俯く。数日ここで暮らして分かったが、ナーシャはここで神父達と暮らしているらしい。
 本人はそのままで楽しそうなので深いところまでは聞いていない。
 教会が建て直せないか、確かにそれはちょっと以上に困るな。
 補強案を出したいけれど先立つものがないとそれも無理、か。
「よし、なんか仕事するぞ仕事! 寄付金もこの調子じゃまともにこねぇだろ」
 人自体来ない上に、この面々だ。寄付金を入れるのを躊躇う人も多いはず。

「マナ、シリル!」
『は、はい』
 いきなり呼ばれて二人同時に慌てて顔を向ける。

 指を突きつけ、神父はニヤリと笑った。
「テメェらの寝床の確保と生活用品全て揃いで五千ベクム。貧乏教会なんで返せないなら月々二千ベクムを上乗せする!」
 はぁ? 余りの寝言に頭痛を覚える。ごせんベクムって。
「何処の悪徳商法な高利貸しですか」
 破格の金額に呻きしか出ない。何故いきなり話がそこまでぶっ飛ぶのか。
 寝床ってあの板の上の毛布の事か。生活用品ってキノコとかだろうか。
「返せないならなら一日目標千ベクム稼げ!」
「ちょっと不良――」
 天井を指さすオーブリー神父にマーユが突っ込みを入れるより先に、
「だから非現実すぎるってんじゃ!」
 私の突っ込みが炸裂した。呆然と辺りが固まる。
 はっ、つい地が。
「とにかくですね、百ベクムだってきっついというか無理なのに千とか五千は高望みです」
 こほんと咳をして空気をかき混ぜ告げる。
「やっぱああいうのって……いや、じゃあどうするよ」
「そうですわね、そうですわ。マナ様は何がやりたいのです」
 シスターセルマがいきなり振ってくる。うえ? 何ですかその無茶な振り。
「ええ、と」
「何でも良いんだぞ。考えられる事なら、洗濯、掃除――はお嬢ちゃん苦手だな」
 ボドヴィッドがタールで黄ばんだ歯を覗かせる。ほっといて下さい。
「私に出来る事ですか」
 出来る事。というかしたい事ならあるけれど。
「じゃあやりたい事を一つだけ」
「何だ。金になるなら言ってみな」
 お金には、なると思うけど。少しだけ首を傾けた後辺りを見回して口を開く。

「私、悪魔が沢山居るところに行きたいです!」

 セルマの持っていたお盆が滑り落ち、シリルの立ち上がった音と交錯した。
 私の望みはただ一つ。悪魔撲滅なのである。

 

 

 

 

 

 

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