三章:白い歓迎−8

神に縋る位なら自力で何とかしてくれる


 まずは暴走しているナーシャを止める事にした。
 投げる物を探している彼女の腕を強引に掴み、後ろに引きずってから投げ飛ばす。
 「きゃぁっ」と悲鳴が聞こえたが無視。足もすくんでいるはずだし、これでしばらくは動けまい。
 マーユが顔を赤くして「なにすんのよ!?」と切れているがそれも放っておく。
 さて、私の間には何もない。距離の空いた場所に大嫌いな悪魔が一匹。役目を終えた本は青白い炎を上げて燃え始めている。
 悪魔が羽ばたき、室内に大きな風が吹いた。左手が緩んでいたせいで髪がはじき飛ばされて折角纏めて貰った髪が解けて広がる。
 奴は動かない、ジッと私を見ている。いや、私の眼を見ていると言った方が正しい。
 ぽたりと風に散らされたクリームが落ちた。床に白い液体が散らばっている。
 ここまでされてはクリームまみれも格好が付かない。仕方がないので側のワイン瓶を掴み、手を清める。
 粘度はない、飲みものを粗末にするのは気が引けたが、他に洗い流せるものがなかった。
 手に痛みを感じる事もないので無害と判断し、一気に顔へぶちまける。紅い滴が顔から首筋へ滴り落ちて、服を染めていく。
 まるで血のようだね。心の中で苦笑する。確か、血を葡萄酒に身体をパンにだっけ?
 聖水の混じったケーキをパンだというなら、ここには全てが揃っている。
 私の行動に、全員がぽかんと口を開いてこちらを見ている。まあいきなり酒を被れば驚くか。
 顎に落ちたクリームを手の甲で拭い、少しだけワインを口に含んで吐き出した。渋いが、これで唇の乾きも少しマシになる。
 床の汚れは今更だろう。頭に乗っていたケーキの破片を軽く払い落とす。ワインの水溜まりに落としても本は燃え続けていた。
 ボドが呆然と私を見ていた。その目が少年に見えたのは気のせいだろうか。
 準備は整った。後は私が覚悟を決めるだけ。
 アオ、そっちも覚悟を決めてね。あんな文章くれるんだから、そりゃもう死ぬ覚悟で書いてくれているに違いない。
 私には力があるとアオは言っていた。ただし、私の居た世界では使えない力。
 なら、この世界では使える可能性がある。だけど使い方が分からない。
 ヘルプでも書いてあるのかと思ってみた紙には『思いの丈をぶつけろ』と書いてあった。
 良い度胸だ。覚えてろアオ。
 好意的に状況も含め考えて、力の使い方を簡単に訳した一文なのだろう。
 よし、信じてやる。信じるからねアオ。冗談だったとしても採用するからな!
 何も起きなくてあっさり殺されたら天国行く前にお前の首根っこ掴んで引きずって蹴り倒してやるからな!
 そのお偉いさんとやらにも土下座させてやるからな。つくづく人を馬鹿にしやがって下さって泣けるよ!

 強く願う。強く思う。何を願えばいい、神に助けを請う? 
 ふざけんな。

 教会に行かなくても何度も神に祈った、この世界の神とは違ったのだろうけど。悪魔を祓うという願いを叶えてくれたのならば、私は生涯神に仕えても良いとすら思った。
 なのに神は手を貸さなかった。何度も何度も必死で願い、頼んだのに。それを今更やれと。冗談じゃない。そんなもの踏みつけて投げ捨ててやる。
 要は強く思えばいい。奴らを消すと考えればいい。神の助けなんて知るものか。
 あのクソッタレ共の手なんぞ借りてたまるか。
 負の感情を好む悪魔でも強い感情は毒となる事もあるだろう。喜ばしい事にその手の感情には事欠かない。
 蓋をしているだけで蓄積している怒りとすら呼ぶ事の出来ぬ、憤り。悲しみを通り越した冷たい感情。憎しみを凝縮した愛憎にも似たどろりとした気持ち。
 好きなものを選び放題だ。
 
 私があの悪魔に願い、告げる事があるのはただ一つ。
 静かに腕を持ち上げて指を相手に突きつける。この方が目標が定めやすいだろう。

 言うべき事は一つだけ。
 憎らしいなんて言葉で足りない。切り刻むなどと生ぬるい。

「失せろ」

 全て消えてしまえ。私の前に二度と顔を出すな。
 私の言葉を代弁するかのように指先を中心に空気が膨張するような錯覚を感じる。
 広げられた羽がデタラメな方向に折れ曲がっていく。ばきりばきりと生木をへし折っていく感触。
 頭の中でそれを柔らかく握りつぶす。ぐしゃりと、奴が自分の噛み潰した袋と同じ末路をたどる。
 いい気味だ。
 
 そして、悲鳴すら残さずに黒い固まりは消えてしまった。意外と呆気ない幕切れにつまらなさを感じる。
 貰えた恐怖よりも与えた苦痛が少なすぎる気がした。しかし、初めて振るった力にしてはまあまあの威力。

 神には縋らなかった。どちらかというと私の怒りだけで消した気がする。
 多分、あれ自力でやったな。
 アオの力も他の神の力も頼らなかった。どうだみたか、私だってやれば出来る!
 かき消えたモヤにこちらに手を伸ばそうとしていたボドの姿が見える。
 何故か彼とヤクザな神父以外みんな座り込んでしまっていた。
 あーもう、耐えられない。こんな言葉は言うに限る。溜めるだけ後々響くんだから。
「ざまみろクソッタレの神共が!」
 拳を掲げ、私はにやりと笑って叫んだ。

 
 みんなの目が点になる。


 あ、そうだ。肝心な事を頼むの忘れていた。
 これであの胸糞悪い悪魔も居なくなってスッキリした。のちの憂いを取り除かねば。
 身体の埃を払ってから、私はペコリとお辞儀をした。
「あの、今晩泊めて貰えないでしょうか! 雑魚寝でも物置でも良いのでっ」
「はあああ!?」
 精一杯礼儀を尽くしたつもりだったが、何故か盛大にハモられた。

 何かおかしな事を言ったかな。彼を見ると、他のみんなと同じようにぱかりと口を開いていた。
 飴玉入れようと思えば入れられそうだな。固まっている空気を余所に、そんな取り留めもない事を考えた。 

 

 

 

 

 

 

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