三章:白い歓迎−5

嫌な思い出って、意外と色濃く浮かび上がってくる。消しゴムで消せればいいのに。


 仲間が刺されたことに逆上したのか、敵だと認識したのか明らかな敵意を持ってインプ達が彼らに襲いかかる。
 亜麻色の髪のシスターが聖水を投げつけて怯ませ、一匹を消滅する。
 
 うん、こんな感じだったな。開始の切っ掛けを思い出して瞳を開く。
 また、クリームが首筋を滑り落ちる嫌な感触がした。 


 
 インプが羽音を立てずに群れる。
 聖書で軽くそれらをたたき落としてから、不良神父様は紅い髪のシスターに顔を向けた。
 もう突っ込みどころが多すぎる為に口には出さない。しかしこれだけは言いたい。神父が聖書で悪魔を叩くな。
「相変わらず耳障りだな。やっちまえマーユ」
 足下に落下したインプにダバダバと景気よく聖水を振り掛けてとどめを刺す。
「ちゃんと仕事しなさいよ。一応ここの主でしょ」
 マーユと呼ばれた少女と女性の中間位の年齢の彼女がまなじりを釣り上げる。
 うわあ、あの人がリーダーなのか。大変だなこの教会。ただでさえ地盤から傾いているのに。
「面倒だろう。かるーくやれよ」
「あいっかわらず薄給でコキ使うわね。この不良神父」
 髪の毛すら逆立てて、マーユと呼ばれたシスターがふて腐れたように腕を組んだ。
「後で何か奢ってやるからよ」
「了解!」
 気怠げな声が終わるか否か、マーユがシュバッと敬礼する。
 釣られるの早っ! 
「我らが主よ、その大いなる慈悲をもって」
 十字を切り、祈るように手を合わせる。
 見た目は神への祈りだけど、彼女の周りに薄い光が集まっていた。
 おお、魔法? 異世界で目にする不思議な術に私は胸をときめかせた。
 そうだよ、こういう世界はやはりファンタジックだったり神秘的だったりしないと格好が付かない。
 その考えは、シスターの次の一言で無理矢理崩壊させられた。
「邪悪なる者を――ゴメン神様あとは略!」
 祈る姿そのままで、紅の髪をした彼女は口早に終わらせる。ふわりと白い光が広がり、纏まっていたインプ達が眩しさに悲鳴を上げながら消滅した。
 もう呪文とも祈りとも言えない言葉だったが、確実に術は発動したようだった。
 略するなよ。というか良いのか神様あの適当なので。
「マーユお前何時まで経っても祈りが大雑把だな。だから悪魔祓いでしか食えねぇんだよお前」
「神様の懐の広さに感謝!」
 呆れたような不良神父様の言葉にシスターが大げさに組んだ手を掲げ、微笑む。
 うん、どうやらここの神様は信仰心が薄そうでも、酒や煙草に浸っても、服装がだらしなくても、たとえ適当に頼まれたとしても力を貸してくれるらしい。
 あー、なんか、前の世界で必死に祈りの勉強していた自分が悲しくなってくる。様々な意味で涙が出そうだ。きっとお人好しなのであろう、この世界の神様。
 それが良いのか悪いのかは分からないが。感謝はしたくなっても、有り難みが消え失せそうな気がする。
 マーユちゃん最高ーと辺りから歓声が聞こえた。先程の祈りらしきものでインプは全滅してしまっている。ナーシャが強いと言っていたシスターは彼女のことだろう。
「掃討完了しました! 悪魔祓い完了っと。みんなありがとー」
 ブンブン手を振って観客に応える様は、シスターというよりアイドルだ。
「あの」
 隣の少年から何か言いたげな声が掛けられたが、首を振って告げる。
「言いたいことは分かるけど、諦めましょう」
 諦めるしかない。多分この世界はこういうところで、この教会は特にそう言うものなんだろう。
 納得いかなそうな顔をしていたが、彼は渋々頷く。適当すぎる祈りでも、確かに奇跡の浄化は行われたのだから納得するしかない。
 だが、アレでも良いというのなら私にも希望が持てる。頑張れば心の広そうなこの世界の神様は手を貸すことを惜しまないはずだ。
 でも、不信心者の私すらあの光景を見てこうなのだ。何処かに居るはずの信心深い別の教会の人間がこの光景を見たら卒倒ものだろう。
「さて、仕事が終わったぞ。さ、もう飲んで良いだろ。喉が渇いてしゃあねぇのよ」
 煙草が無くなったボドが口寂しそうに近くに積まれている酒瓶を見つめる。
 この様子だと、終わったら飲めや歌えの大騒ぎが常なのか。
「それにはこちらも賛成だが、大分暗くなったな。先に灯りだ灯り」
 マーユが術を使ったのを皮切りに急激に日が傾いたようだった。
 確かに暗いが包むほどの闇ではない。輪郭で誰か位は確認できる。
 不思議に思ってナーシャを見る。彼女はキョロキョロと辺りを見回していた。
「ナーシャ。どうかした」
「わ、そこにいるのお姉ちゃん。もう真っ暗だよー」
「暗すぎてよく見えませんね」
 声を掛けると二人は身体を跳ねさせて驚いたようだった。
 もしかして見えているのは私だけなのだろうか。
 金色の目のせいか?
 悩んでいるとボッと炎が蝋燭に灯され辺りが少し明るくなる。
 二人にはそれでようやくこちらの姿が輪郭程度には目視出来るようになったか、ほっとしたような表情になる。
 やっぱり顔まで見えているのは私だけか。こっそり外れ掛けていたクリームを顔に戻す。
 あの二人でこの大騒ぎ。顔を露出したらどんなことになるのか想像に難くない。

 …………まだ見えていないしケーキに顔突っ込もうかな。

 私の邪心に反応したように辺りが一気に明るくなる。一足遅かったか。
 めんどくさそうな顔をしたボドがランプを傾けて火を移しているのが見えた。
「お姉ちゃん。ジュースくらいならあるよ。食べ物はそんなに無いけれど」
「いや、いいわ」
 飲みものに口を付けるのは良いけれど、顔のクリームがこれ以上落ちるような行動は避けたい。
「ナーシャと一緒に飲んだら。疲れたでしょ」
 隣にいる彼に声を掛ける。かなり疲れているのは言われずとも分かる。
 今日は色々あり過ぎた。私も疲れてはいるが、悪魔自体は見慣れているのでインプを見た位ではそう大した疲労はない。
「ええ、では。頂きます」
「うん、お兄ちゃんちょっと待ってて!」
 一人で飲むのが寂しかったのだろう、嬉しそうに椅子から飛び降りてパタパタと行ってしまう。
 ナーシャの明るい声を聞きながら、ようやく私はあることに気が付いた。
 そういや、名前教えてないや。
 あまりにも人なつっこいせいでもう随分前から側にいる気すらしていたが、こちらは名前すら教えていない。
 名乗って貰っておいて失礼だが、残念なことに持ち合わせた名前がないのだから名乗ろうにも名乗れない。
 
 やっぱり不便だ。
 絶対に名前はいるな。
 教会に着く前に感じた事を、私は再度心に誓った。

 
「ちょっとこっそりそこのケーキとってくれない」
 誰も見ていないことを確認してぽそりと隣にだけ聞こえるように頼む。
「何でですか。あれは儀式用ですよ」
「顔にね、ちょっと」
 溶け始めたクリームは気持ち悪いが、顔を隠したいので気にしないでおく。まずは仮面だ。
 美容に悪かろうと、私にはクリームが必要だ。
「ああ、確かにずいぶん……」
 そこで彼が言葉を止めた。何だろう、そんなに酷い顔なのか。
 いや、クリームまみれになってる時点でそれは当たり前なんだけど。
「やっぱり拭いませんか」
 決死の表情での提案に仰天する。拭えとは、クリームを?
 あり得ない。あり得ないから、そんな事をすれば明かりの灯ったこの場所では確実に目立つ。
「何で」
「いえ、勿体ないなぁ、と。本当に」
 しみじみ言われて思わず天井を見上げそうになる。一応顔が美少女の自覚はあるのだ。だから尚更顔を隠したい。
 彼が言う事はそれはそれでもっともでもある。美少女が顔をクリームでわざと汚している。確かにかなり勿体ない。
 だが、少々の美少女ならまだしも目が特殊で銀髪もふざけたように長い、見るだけで圧倒される顔なのだ。私の現在の顔は。
 残念だが、彼の期待に添える事は出来ない。何となく察してはくれているらしく、目立たないように滑らせてきたケーキからクリームを掬って重たさの消えかけた場所に載せていく。
 その度に溜息が聞こえるが気にしない。大方載せ終わってからくるりと反転させる。タイミング良く彼がケーキを元の場所に――酒瓶の側に戻した。
 コレならば誰からも気が付かれる事はない。手を軽く拭って小細工を済ませ、満足しているとパタパタとせわしない音がして、両手に木製のカップを抱えたナーシャが椅子の間から顔を出す。
「お兄ちゃん。ジュースだよ、このパナナムのジュース甘くて美味しいんだよ。
 滅多に飲めないからこういう時に沢山飲むのよ」
 カップから香る甘い芳香は南国の果実に似た香りで確かに喉の渇きを促す。飲めないのが残念だ。
 マンゴーのような匂いがするからきっとそんな味なんだろう。飲みたかった。ナーシャの腕の状態を見て頼まなくて良かったとも思う。あの細腕にマグカップほどの器を三つ抱える事は出来ない。
「あれ、お姉ちゃんまだクリーム溶けてないの。やっぱり拭おうか?」
「いや、全然気にしてないから気にしないで」
 折角載せたクリームを拭われてはたまらない。慌てて手を振って否定する。
 有り難うと微笑みながら受け取った彼にナーシャが顔を赤らめた。その笑みがこんな子供にすら効果的だとは。うん、美少年強し。
 おいしいと告げて更に相手の顔を赤らめさせている。悪気はないんだろう。ナーシャが慌てて椅子に戻ってきた。顔が微妙に横を向いている。
 惚れられても知らないよ、少年。
 軽い青春劇にふう、と溜息を漏らし掛け。背筋が粟立った。
 寒気がする。生臭い匂いが鼻を突く。
 談笑の合間に冷たい空気が私の身体を刺す。
 何故誰も気が付かない。隣の身体が微かに強張っている。
 彼も、私ほどではなくても異変に気が付いたらしい。今度はクリームではなく、冷たい汗が首筋を伝う。
 なにかが来る、確実に。不良神父達の顔が僅かに曇り。マーユと呼ばれているシスターの顔が強張った。
 いけない、身体がすくんで動けていない。幸いにも私は悪魔慣れしている。場数は嫌と言うほど踏んでも居た。
 場所、場所は――この教会の祭壇。丁度生贄の袋がある場所。そこには亜麻色の髪のシスターと、不良神父が居る。不穏な気配を感じてはいるようだが場所まで気が付いていない。
 彼を見る。大丈夫だ。多分、私よりは早く動ける。
「早くあの不良神父と大人しそうなシスターを右側に突き飛ばしてそのまま走って」
「え、あ。はい!」
 名称に何か言う事もなく立ち上がり、カップを置くのすら忘れて彼が走る。早い、これなら間に合う。
 ナーシャが不思議そうに私を見ていた。ゆっくり立ち上がって、少女の手を引く。
 子供の本能的な感か、小さく頷いて私の後に付いてきた。
 危険は来ないかも知れないけれど念のため、舞台から離れよう。
「ごめんなさい!」「きゃ!?」「なにしやがるんだテメェっ!」
 辺りから悲鳴のような声と、ざわめきが聞こえた。
 だから、謝らなくても良いのに。いちいち律儀な少年に苦笑する。
 舞台には突き飛ばされて壁際まで連れて行かれた二人の聖職者。それに遅れる形で少年が祭壇から離れ。
 ぐちゃりと嫌な音が響いた。壁から畳まれた黒い羽が覗き、少しずつ広がっていく。
 ゆったりとした動作で顔を壁から突きだし、器用に黒い爪先で生贄の釣り下げられた袋を口に入れ、ソイツは笑う。
 前菜にはまあまあだなとでも言いたげに。
「なっ、なんで正悪魔がここに!?」
 不良神父様の顔が引きつった。声に絶望が混ざっている。
 下級よりも強い悪魔は正式な悪魔と見なされるらしい。あれがインプと同類なんて言われたらそれこそ笑うしかないが。
 
 ああ、あいつだ。
 
 あの時見た黒い爪。あの時感じた恐怖が再来する。
 血にまみれた袋を吐き出して、奴が楽しそうに笑った。黒光りする爪は獲物を切り刻みたがっている。
 ひっ、とナーシャが悲鳴を喉で上げた。ああ、怖いね。昔見た時も、今も怖い。
 ランドセルを投げ捨てて必死で逃げたあの悪魔が正悪魔と分類される事に、異世界に来る事で初めて知った。

 昔見た人型の悪魔は、記憶と違わぬ凶悪な爪を舐めて、濁った黄色い瞳を喜悦に歪ませていた。

 

 

 

 

 

 

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