二章:スミレ色の瞳−5

沈黙は凶器に等しい。だから喋って下さい。


 てくてくてく。暗闇と同じ状況で二人歩く。違うのは、彼が私の手を握っていない事だけだった。
 腕一本分の距離をとって私の横に居る。どうも近寄りがたいらしい。
 分かるよ。私だって、人外に近い美形が側にいればどうしても離れるだろうし。
 アオは美形だったけど、言葉が砕けているせいかそこまで近寄りがたくはなかった。
 ただ、私の場合。話そうにも話題がない。いや、共通点どころか名前も無いから声も掛けられない。
 私と同じく彼も名前を無くしているのだろう。名乗ってくる事もない。
 はあー、と息を付いて。「ふぎゃ」びたんとまたしても地面に叩きつけられた。
 前方不注意ではなく足下に注意していなかった。
 自分を地面に叩きつけた元凶である銀髪をつまむ。アオめ、今度本当に会う事があれば一言もの申してやる。
 何度となく地面に擦りつけた白いドレスはもうずいぶん土で汚れてしまった。異世界に来てまで何して居るんだか、自分。
 酷く滑稽で自嘲の笑みを浮かべようとして――
「大丈夫ですか!?」
 慌てた声に顔を上げる。スミレ色の瞳が揺れて、今にも泣き出しそうだ。
 前には年下で、今は年上の彼が半泣きになっている。
「大丈夫。また髪を踏んだだけ」
 髪を踏んだだけだが、もう十回はくだらない。いい加減どうにかしないと日が暮れる。
 座り込んで自分の髪の毛を束ね、引き寄せた。
「何しているんですか」
「束ねようかと思って」
 多少時間がかかっても束ねて纏めるとかしないと歩けもしない。
 何とか銀髪を一纏めにし、簡単だろう三つ編みに挑戦する。三つに分けた髪を編むだけだ、そう難しい事ではない。
 難しい、事ではない、のだが。出来上がった代物は三つ編みと呼ぶのすらはばかられる形状をしていた。
 もう一度編み直すが、更に酷くなった。
『…………』
 二人して沈黙する。相手は驚きで、私は絶望で。
 分かっていた事だ。どうせこんな事になるだろうと、昔から私は髪を結んだり編んだりするのが苦手だった。
 苦手というか、もの凄い不器用なのだ。家庭科でも針で刺すのは主に指という悲惨さだ。だから、髪を纏める必要がない位に切っていた。
 いっそ潔い位に切ってしまわないと恐怖の『伸びてきたから丁度良いし伸ばしたら』という台詞が来る。
 これだから、長い髪は嫌だと言ったのに。この無駄に長い髪と一生お付き合いしなくてはいけないのだから梅雨時の体育館の中より湿っぽくなる。
 涙目になっている私を見かねたらしく、彼が声を掛けてくれた。
「あの、僕が編みましょうか。あまり上手くないですけど」
 上手くないと言ってるけれど、私より下手な人なんて滅多にいないのでは無かろうか。
「お願いします」
 猫でも何でも良い。私以外の人に編んで欲しかった。



「出来ました!」
「ありがとうございます」
 疲労と達成感の混じった声に深々とお礼をする。疲れるのも無理はない。
 私の髪の長さは尋常ではない。現代なら正気かと尋ねたくなるような、生活が困難になりそうなほどの長さなのだ。
 それを三つ編み。得意ではないとか言っていた割に綺麗に編み込んでくれて立派な三つ編みが私の腕でとぐろになっている。
 蛇みたいにとぐろ巻く時点でおかしいとは分かっていたが、あえて気にしない事にする。
 多少重い荷物だが、引きずっている時より大分歩きやすい。
「名前がないって、こんなに不便なんですね」
 幸か不幸か髪のおかげで緊張感が取れたらしく、彼が苦笑してそんな事を言ってくる。
「名前無くても良いとは思っていたけれど、相手を呼ぶ時は困るね」
 しばらく考えてから発した言葉に、名前無くても気にしないんですか、と酷く驚かれた。
 じゃあ自分たちで付けるとか、という提案を貰えたが、首を振って却下した。
 この世界の名前がどういうものか分からない状態で下手に付けたら、男が女の名前をと言う事になりかねない。
 最悪ペットによく使う名前になってしまうかもしれない。洒落にならない。その事を相手に告げると眉をひそめてそれは確かにと頷かれた。

 無くても良いと思った名前は、話し相手が居る時は無いと困る。
 早急に付けなければ。

 その後やはり会話が続かなくなり、静かな道を歩く。辺りに木々が茂っていて視界は余り効かない。
 転ばなかった事が幸いしたか、そう経たずに建物が見えた。
 元は白いレンガで組まれていたのだろう。僅かに黄ばみがかって所々が欠けているのが風情がある。
「教会、でしょうけど。人、居るんでしょうか」
 赤い屋根には見紛う事なき十字架。まず間違いなく教会なんだろう。
 問題があるとすればその外観か、風化しかけているらしきレンガが風に吹かれるたびに時折パラパラと欠片を零す。
 地盤沈下でも起こっているのか僅かという表現が控えめすぎるほどに建物が斜めに傾いていた。
「今すぐにでも崩れ落ちそう」
「ええ」
 不吉な私の言葉に、彼は迷わず同意した。この外観ではいえそれはどうでしょう、なんて曖昧な表現すらも儚き抵抗だ。地震が起きればこの教会は一発で瓦解する。
 築何年なんだ。見事なまでのオンボロ教会。
 扉の側に看板があって、何事か書かれて居るようだが、生憎と私はそれを読む事が出来なかった。言葉は喋れても文字は別らしい。
 横を見て眼で尋ねると、困ったように首を振られる。二人とも読めないという事か。
 あの看板に『売り家です』とか『レストランです』とか『人食い教会です』とか書かれていても不思議ではない訳だ。リボンで妙に飾り付けしてある看板を軽く一瞥した後、私はドアに手を掛けた。
「入るんですか」
「確かめるだけ確かめなきゃ。居ないなら勝手に泊まればいいでしょ。森で野宿よりずっとマシ」
 何か言いたそうな顔をしているが、否定の言葉は出ない。無断侵入は気が引けるが、夜の森で一晩過ごすのは流石に嫌なのだろう。
「開くよ」 
 意を決して、扉を開けた。視界に白い何かがよぎる。
「あ」
 教会の中からうめき声が聞こえた。おおよそ教会に似つかわしくない、微かな煙草と酒の匂い。
 真正面に白いクリームとスポンジが見え。次の瞬間には顔に冷たい感触と、口に入った甘さの欠片もないクリームの舌触り。
 
 この世界ではケーキが飛ぶらしい。
 
 もしくはこれは歓迎方法なんだろうか。
 破片が濡れた音を立てて落ちるのを聞きながら、私はいきなり起こった出来事に扉を開いた形で硬直した。
 後ろで息を飲む気配がする。多分彼にはぶつからなかっただろう。開いたら彼もケーキの洗礼を浴びるのだろうか。
 肌に付いたクリームは、お世辞にも美容効果があるとは到底思えなかった。

 

 

 

 

 

 

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