二章:スミレ色の瞳−4

捨てるにも限度がある。


 生きる為、私は世界を捨てた。異界の地を踏んでそこに住まう事を良しとした。
 神から全てが予定調和だと言われても、納得できない事はある。
 主に現在とか! 名前を抜くのはともかく誰が美少女にしろと頼んだか。
 水分を吸って重たくなった髪を軽く絞る。
 文句は沢山あれども、肝心の変えた本人が元に戻す気が無い。欠片も無い。むしろすっごく楽しそうである。
 この位の年齢が好きなのか、アオ。美少女なんだか美幼女なんだかよく分からない中途半端な自分の身体を考える。
 兎にも角にも髪が重たくてしょうがない。地面に着いた後もしばらく続くほどに伸びている。
 引きずる程に長いのはウエディングドレスと十二単で充分だ。重いし、引っかかるし、あげくに自分の髪を踏んで転ぶという芸人も真っ青な間抜けぶりだ。
 半泣きになって起きあがったらアオに頭を撫でられた。よしよしすんな。
「一生この姿のまま。はぁ」
 この無駄に美形な姿で生活。異世界でなくてもあらゆる意味で人生が変わりそうだ。
「うん、泣きそうな顔も綺麗だね」
「嫌がらせか!」
「いや、最初から言っていただろう。君は綺麗で可愛いって」
 そうだけど。そうだけど! その言った本人が変えたんだから褒められたって嬉しくない。
 生まれた時からの姿ではないのだから、余計借り物感が強い。
「いやいや、良い感じに仕上がった」
「アオさん。一つ頼みがあるんですが」
 満足げな溜息を付いているのを邪魔するべく声を掛ける。
「何、顔を変えるっていうのは断るよ」
「それは諦めました。せめて髪を切って下さい、前くらいに」
 びくりとアオの肩が跳ねる。信じられないという眼で私を見た。
 そこまで驚かなくても。
 水を吸ってるのもあるけど重いんだよこの髪。しかも長すぎるし。
「あの、肩にも届かない程の長さにしろと」
 何故声を震わせる。私の髪なんだから切っても構わないだろうに。
「…………」
 悲痛な顔で黙したままのアオの両手が肩に掛けられる。ジッと私をしばらく見つめ。
 手を離してふうと息を吐き、これで良しとか呟いた。嫌な予感。

「今、何した。何やったそこの番人」
 口元がひくつくのが抑えられない。

 重い怒りが込められた私の声に、彼は笑顔で地面に流れ落ちている銀髪を示す。
「絶対に切れないおまじないを一つ。あと、キューティクルが失われないようにと。
 これでどんなに粗雑に扱っても痛まないよ」
 なんつー余計な事をしやがるのですか。しかも善意だと言わんばかりの顔をして。ものすっごい余計なお世話だ。
 このぞろびく髪を抱えたまま歩くのか、これから先。憂鬱すぎる。
「ナイフで切ってやる」
「無駄」
 断言された。こんな呑気そうにしてても相手は神、生半可な術は掛けられてないだろう。
「命を助けてあげるんだからこの位は我慢して貰わないと。特に君は姿が違いすぎる」
 告げられて、うめきを飲み込む。アオの隣で少年が黙り込んでいた。
 黒い髪に瞳。自分の世界では当たり前の色。
 でも連れてこられた異世界にとっては、不吉な悪魔を連想させるものなのかもしれない。
「顔立ちだって少し違う。なら一部より全て作り替えた方が早い」
 つらつらと述べられるが、何となく引っかかりを覚える。
「こんな目立つ顔にしなくても」
 そう、作り替えるのはともかくとしてだ。誰が見ても声を無くすほどの美少女にする必要はない。
 というか困る。こんな姿だと普通の生活自体が難しいんじゃないか。攫われたりしないだろうか。
「神秘的だろう」
「まさか永遠にこの姿とかは流石にない、よね」
 にっこにっこしているアオに不安を覚える。永遠の若さは女の永遠の憧れとは言えども、ちとこの姿は若すぎる。
 せめて後数年ほど成長してから止めるなら止めて貰いたい。
「大丈夫、まあ一歳位成長するのに十年かかる程度だから。寿命も延びているしね」
 おい。
「待てぇっ!」
 あまりにもふざけた台詞に反射的に声が出た。一歳成長するまでに十年かかるって、それ生物的にどうなのか。
 というか私何十年か子供のままってこと!?
「奮発して十五位の年齢から二十年位かかるようにしたからそう怒らない」
「更に遅らせるな。と言う事は何! 私数十年はこのお子様な姿!?」
「うん」
 素直に頷かないでくれ。アオの台詞に彼なんて呆然としてるし。
 神の祝福と言われれば聞こえは良いけど、髪といい年といい、ほとんど呪いじゃないか。
「あ、そこの彼は少し髪の色がこの世界では濃い方だから薄くしておいたよ」
 気軽に人の髪を脱色するな。傍若無人にも程がある。
 言われてみれば、金髪が家の中で見ていたより若干薄い気もする。暗い室内で良く見えなかったせいか、気が付かなかった。
 薄い色素の金髪は、風に吹かれてさらさら揺れている。絵になるなぁ。
 そう考える私の姿も相当なものだろう。地面にウエーブのかかった長い銀髪を広げて佇んでいるのだから。
 ……二人揃ったら私達凄い目立つんだろうな。きっと。
 この先がとても不安だ。
 心の中で溜息をついている私の前にいた少年がはっと顔を上げた。ようやく現実に戻ってきたらしい。
 そしてアオの側に静かに近寄って、声を発した。
「あの……アオ、様。少しお願いがあるんですけど」
 様!? 思わず驚愕してしまうが、よく考えればアオは神様らしき人物。普通はああいう態度に出るべきなんだろう。
 さん付けで神様にため口を使う人間なんて私ぐらいか。もしかしなくても私もの凄い無礼な人間では。
「髪の色かえたい?」
 現在神様は美容師になっている。なんか、ああいうのを見ると……様なんて付けるだけ馬鹿らしい気になってくる。
「いえ、そうではなく」
 少年は首を軽く振って、何かぽそぽそとアオに告げた。また内緒の話だろうか。
 しばしアオが黙して、真剣な顔で見つめている少年を見、微かに口元を釣り上げた。
 なんだ、何を頼んだんだ。とてもアオが嬉しそうだ。なんか不安になってくる。
「その位ならお安いご用。その方が何かと都合が良いだろう」
「あ、ありがとうございます」
「それで、君と彼は不死ではないけれど不老に近い身体になった訳だね」
 成る程、少年は私と同じく年をとるのを遅らせて貰ったのか。
 私は一切そんな事頼んだ覚えはないけど。さり気なく不老とか言ってるのも気になるが、もう気にしない事にする。
 百歳以上まで生きられれば元の世界では立派に長寿だ。しかも私は子供の姿でそれを迎えるのだろうから、その時点で充分異常である。
 あの子もゆっくり年をとるのかな。彼がどんな風に成長するのか見てみたかった。素材が良いから、多分格好良くなるんだろうなぁ。まあ、じっくり待つか。
「気が付いてないようだけど、服も替えておいた」
 ええっ!?
 慌てて視線を腕、胸元、足に走らせる。
 金の刺繍に、手首を飾るようなレース。白く広がるスカートは足首すら覆っている。
 何というか、軽いドレスじゃないかこれ。動きにくいと思ったら、こんなもの着せられていたのか。
 指先でつまんで肌触りを確かめる。滑らかで気持ちが良い。これ、シルク?
 明らかに高価なものを着せられている。元の世界では絶対着られないよこんな品。
 あの子はどんなのに変わったんだろう。眼にばかり気をとられていて服まで目が行かなかった。
 何しろ姿が変えられていたせいで自分の着ているものが変わってる事すら気が付かなかった位だし。
 じーっと見る。基本は白で統一してあって、緑色の袖がない服というか、法衣のようなものを上から重ね着している。
 前は植物で今は多分絹とかそう言う感じだからずいぶん高いものに変わったと思う。
 不躾な視線に気まずい思いでもさせてしまったらしく、彼が眼をせわしなく逸らしてもじもじしている。急いで目線を逸らした。
 なんか、僧侶という言葉がしっくりする服だな、あの格好。穏やかな彼の顔には、新緑に染められたそれはよく似合っていた。
 でも、私とずいぶん違いがないだろうか。値段もだけど、格好が。
「これってこの世界では普通の格好なの?」
 自分の服のスカート部分をつまんで尋ねる。幾重にも重ねられているせいで軽くつまんだ程度で足が露出する事はない。
 無言のまま、アオが明らかに目を逸らした。やっぱり普通じゃないのかこれ。通りで高そうだと思ったよ。
「ほら、似合うから。それが良いかと」

 お前の趣味か。

「私、すぐ汚しますよ」
 数歩で転ぶし。
「まあ、服なんてそう言うものだから」
 汚すと言えば替えるかと思ったら、開き直った。まあ、お金請求されないから良いけれど。
 宝石とかは付いていないからありがたく貰う事にする。着るものもこれしか無い。
 というか、制服に鞄もなくなってるからお金も無いし。学生のお小遣いで買える品とも思えない。
「はい、まずは百ベクム。それから君にはこの本を、困った時に開いてくれればいいから」
 ちゃり、と音の立つ革製の袋が少年の手に押し付けられた。そして、私には薄い本。

 開いてみると紙が一枚だけ挟まっていて、中は白紙。
「何も書いてないようですが」
「困った時に読めるんだよ」
 神様め。
 
 本当に困った時に開ける理性が残っているかは不安だったが、手の平サイズの本を握って落とさないようにする。
「ひゃくべくむ?」
 アオの言葉に彼が首を捻る。渡された時の音と単語を考えるとお金なんだろうか。
「それで二人しばらく宿を取っても一週間は食いつなげる位ある」
 おお、そうなのかー。結構大金なんじゃないだろうか。二人分の食費と旅費一週間分って。
 顔に考えが透けていたらしく、アオがクスリと笑う。
「何処かの誰かさんと違って、障害物と流れを曲がる駒を配置して後は放っておく事はしない。
 新しい地を踏む二人へ、僕からのせめてもの餞別(せんべつ)だよ」
 ……その台詞聞いたら何処かの誰かさんが激しく怒って今すぐにでも雷が落ちてくるんじゃないのか。
「ここからずっと真っ直ぐ行ったところに人の居る場所がある。後は何とかすると良い」
 サービスの良さに不気味さすら感じる。
「言葉は伝わるの?」
「大丈夫、そこの彼とも喋れただろう。意識すれば君は二つの言語が操れるよ」
 言われてみればあの子は異世界の人間だった。でも問題なく喋れている。
 意識すればと言う事は。意識しなければこちらの言葉で喋ってるのか私。
 便利だけど違和感あるな。

 ここでずっとアオと喋る訳にも行かず、私達は人家を目指す事に決めた。
 重いだろうという事で、髪の毛は乾かして貰えた。気のせいか濡れる前より綺麗になった気がする。
「何から何までありがとうございました」
 深々とアオにお辞儀する彼。
「どうもありがとう」
 素直にお礼を言うのも癪なのでつっけんどんに言ってやる。
「あー。可愛くない。それがまた良い」
 マゾなのかお前は。何故か喜ぶアオを放っておいて言われた通りの道を進んだ。
 我ながら神様に凄い態度をとっていると思うが、なんか、アオの態度がいちいち私の苦手意識を誘うのだから仕方がない。
 まともに接してくれれば凄い美形なのに勿体ない。
「さようなら」
「うん、また」
 不吉な台詞を背に返され、思わず肩を抱く。冗談きつい。
 二度とゴメンだ。
 言葉に出さず歩みを早める事で教えてやろうとして、私は転んだ。

 

 

 

 

 

 

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