十四章:救世主は星使い−5

馬車は移動用の便利な乗り物ではなく、拷問器具なのではないかと強く思う。




 心頭滅却火もまた涼し、という言葉がある。
 そんな気持ちで目を閉じていても火に飛び込めば燃えるし、極寒の地に放り込まれれば凍り付く。
 自分を騙し続けても現実は襲ってくるのだ。
「ちょっと、大丈夫二人とも」
 吐き気を堪える横でスーニャが気遣わしげな声を出す。
 壁に身体を預け、揺られたままになっている私達は屍のようにも見えるだろう。
 悟りを開くつもりで揺れを無視していたが、確実に三半規管はやられたらしくこの有様だ。
「馬車、弱いのね。そんなに弱くて良くこの辺までこれたわね」
「途中、休憩を何度か挟んで来ましたから……うう」
 呆れ半分感心半分と言った風情の彼女に答えつつ口元を押さえる。
 声を誤魔化す為ではなく吐き気を堪える為だ。一分経たずに酔うとは、情けないを通り越して恥ずかしい。
 シリルも気持ち悪そうだが私よりは大丈夫そうだし。
 身体の大きさも関係あるんだったら、子供なのが恨めしい。
「あとちょっとの我慢。もう少しよ!」
 必死に励ましてくれるスーニャには悪いが、今の私には、もう少しが星の距離に思えた。


「はいはい到着ーっと!」
 長い長い間地獄と現実の狭間を漂っていた意識を明るい声が引き戻す。
 がた、と大きく車体が揺れ車輪が軋む音が聞こえた。
「ほら、止まったわよ。行きましょ」
 掌を差し出され、了承の言葉を飲み込む。スーニャの厚意はありがたい。
 確かに酔いのせいで足は上手く動かないし前後不覚気味だ。けれど、私は首を振った。
「いえ、お気遣い無く」
 僅かに彼女の顔が曇る。
「お前、信用出来ないとでも言うつもりか」
「いいえ、この位自力で立てますから」
 静かに嘘をつく。本当はふらふらしていて立てたとしても真っ直ぐ歩ける自信がない。
 しかし、私は知らない……いや、知っている人にでも腕を借りてはいけない。
 掴まれた部分から腕の細さも分かるだろうし、老人か若者か位は判別される。
 エイナルの疑念は当たっている。私は信じていない。信じてはいけない。
 この姿を気が付かれたら全てがお仕舞い。
 捕まる事も恐れられる事も崇められる事もある程度は覚悟出来ている。
 でも、そうなった時せめて教会のみんなに軽いお別れでも渡したい。
 これは、少しだけあの教会に長く留まりすぎた私が抱える我が侭の一つ。
 服の下で拳を握っていると横から腕をそっと掴まれる。振り払わなかったのは、その弱さに覚えがあったから。
 薄く微笑んでシリルが手を引いた。
「僕の方はそんなに酔いが酷くありませんから」
 支えますよ、と首を軽く傾ける。本当に、彼には甘えっぱなしで申し訳ない。
 全部背負わせるつもりはないのに、ついつい甘えてしまいたくなる。
 しっかりしないと。
 だけどこの場は甘える事にした。流石に振り払う気はないし、そこまで意固地になってもみっともなくよろけて転がって心配を掛けるだけだろうし。
 言い訳かもな、と自覚しながら分かるように大きく頷いた。
「はい、急に立つと気分が悪くなるでしょうから、ゆっくり行きましょう」
 無理矢理引っ張る事はなく支えとして居てくれるシリルの腕にしがみついて立ち上がる。
 世界に波紋が広がるような違和感。数拍ほど視界がグニャグニャになる。
 おお、凄まじい目眩だ。
 自分の事なのに思わずそんな感想を胸の内で漏らす。軽い頭痛はするが吐き気は催さなかった。
 助けて貰っていなければ立つ前にすっころぶどころか頭から落下していたかも知れない。
 そうなってまで拒む私はきっと不信感をもたれるだろう。まあ、既にもたれてるんだけど。
 神ではないが、不信は少ない方が良い。
 嫌われるより好かれる方が心地いい。限度はあるが。
 微かに青色の髪が脳裏をよぎり思わず半眼になる。
「着きましたけど、ちょっと良いですかエイナルにスーニャ」
 フラフラしそうになる足取りを意識的に押さえつけ、馬車から降りると御者役だったセザルが馬を操る席から声を落としてくる。
 浮つきそうな意識を鎮め、木の葉のクッションを踏みしめ見上げると困ったような顔が映る。
「なによ〜」
 早く火をおこさせろ、との不満の混じった答え。
 エイナルは先程の私の態度が気に入らなかったのか、黙したままだ。
「この人達を助けたんですよね。ここで」
 私が見えていないと思ってか、彼は渋面でよく分からない事を問いかけてくる。
 御者席からなら、よく見えるだろうに。
 スーニャが帽子を揺らし、ずれて目隠しになりかけた鍔を杖の先端で押し上げる。
 かちんと水晶の飾りが打ち合わさる音が涼やかに響いた。
「そうよ。あ、死体が気持ち悪いーとか言うのは我慢して。
 群れで黒こげにするには火力が足りなかったの」
 頬を膨らませて『悪い?』と杖を振り回す。
 彼女的に行使した魔法に何か不満点があったらしい。
「いえ、獣の屍じゃなくて。エイナル……夜盗を疑ってましたよね」
 こめかみを押さえセザルがもう一度私達の馬車の方を見た。
「そうだ。怪しいだろ」
 キッパリと答えられる。それには返す言葉も無い。
 だが、意外にも反論は私達からではなくエイナルの仲間から出た。
「あの、状況というか立場的に疑われるの私達じゃないんですか」
 とても困ったような口調で。
「はあぁ!?」
「なんでよ、正義の味方なのに!」
 当然反論と驚きを発する二名。
「二人とも、馬車見たんですよね」
 相当な勇気がこもっていそうな台詞を恐々と絞り出す。
 止まった馬車の上で言葉を落とすのは杖で叩かれるのが怖いからかも知れない。
「見たけど。暗かったからよく見えなかったし、今もよく見えないし」
 問われてピンクの帽子を跳ねさせて考え込む。確かに森である事も相まって随分暗い。
 夜目が利いたとしてもこの暗さはぼんやりとしか分からないだろう。
 なので私だけ見えるなんて絶対に言えない。
「月光がこちらからだと明かりとなり、助けになります。
 この席に座ってみて下さい。凄く失礼な事をしたと反省出来ますから」
「ん〜。よっく分かんないけどまあ良いわよ」
 不満を身体全体から表しつつも言われた通り席に向かう。エイナルは黙したままで続いた。
 指名はされなかったので大人しく酔いが収まりつつある身体を休ませる事にする。
 休みましょうかと呟こうとしたら、夜の静けさをつんざくどころか粉々にする悲鳴が側で上がった。
「っぎゃああ。なにあれなにあれ!?」
「み、みみが」
 鼓膜にモロに喰らった二人が耳を押さえて居る。
 スーニャの声が木霊して広がっていく。
「どうかしました?」
 尋ねながら、彼女の声が掌で挟め込めないかと手を合わせてみるがやはり声は形にはならない。
 肉体をすり抜けて遠くに消える。
「ど、どどど。どうもこうも、どうかしたも何も。あ、あの馬車」
 乗ってきた馬車がどうかしたのか。そう言えば、御者の人どこにいるんだろう。
「貴族かそれに類する方の使える馬車です。夜盗なんて逆ならともかく」
 苦いセザルの言葉にエイナルは絶句して固まっている。
 ああ、成る程。
 出来る限り良い馬車と言ってきたから適当に任せたが出来る限りどころか相当高価な馬車を選んでくれたらしい。
 ユハの所に行くからにしても貴族用使っても良かったんだろうか。今の口ぶりだとお金を積めば良さそうだから大丈夫か。
「まあ、気にせずに」
 私にはそんなランクというか階級なんてどうでも良い事だ。聖女もどうでも良いし。
 パタパタ手を振るとまた絶句された。
 やっぱり私はまだまだ勉強不足。どれだけ貴族が偉いのかも、あの馬車がどんな意味があるのかも分からない。
 だから、上手いフォローが見つからず場が自然と滑らかになるまで待つしかなかった。
 幾ら長生き出来ると言っても、早くに覚えておくに越した事はない。
 覚える事は沢山ある。国に捕まえられるまでに一杯覚えて神にも悪魔にも世界にも一泡吹かせるのだ。

 

 

 

 

 木々が風に撫でられ梢を揺らす。
 車輪を浮かせ、斜めに倒れた馬車。
 丈夫な幌は踏みつけられた程度では曲がっていない。
 獣の死体があることを除いては、逃げ出した時と同じ状態だった。
 スーニャが指を軽く数度振り、小さな炎を出してランプに火を灯す。
「いい加減明かり覚えて下さいよ。燃料代も馬鹿にならないんですから」
 セザルからそんな文句が聞こえた。
「地味じゃん。しかも慣れるまで維持が大変らしいし」
 唇を尖らせて彼女が小さな声で反論する。
 後の方でブツブツと『簡単に言うけど構築がむずいのよアレ』と口の中で転がす。
 ファンタジー満開な魔法もすぐ使えると言うわけではないようだ。
 ちょっと残念。まあ、アオから思い切り不向きだと言われたけど。
 私はまだ諦めていない。 
 ピンクの帽子の魔法使いが鈍色のランプを掲げる姿は少しシュール。
 微かに吹く風に揺らされ、マントに走った黄色い線が歪む。
 私は明かりなんて要らないが怪しまれないように明かりの届く範囲で歩いた。
 スーニャはランプを片手に馬車へ恐る恐る近寄っていく。
 オレンジの光に照らされる闇と違う漆黒。
 唾を飲み込み、肺から絞り出すような呻きが二人分。
「ふえぇ。この手の馬車にこんなに近寄ったの初めてだわ」
「う、げ。間近でみると凄いな」
 そう言えば黒い馬車だったかと、そんなに離れていなかったはずの馬車の外観を眺める。
 来る時は急いでいて、休憩時は酔いのせいで余り見ていなかった。
 木製ではなく鉄か、また別の鉱物を使用しているらしい馬車は叩けば音が響き渡りそうな光沢を放っている。
 ズッシリとした重みのある外見だが、馬一頭で引けるのだからそう重量はないのだろう。
 表面はハンマーで二桁ほど叩いてもへこみそうにもないが。
「……なんというか、良くこれ気が付かなかったですよね」
「いやちょっと魔法の手順とか組んだりとかしてたし」
 セザルとスーニャの会話を聞きつつ、観察を続ける。
 普段から手入れが良くされているのか、泥が跳ねて汚れている感じもしない。
 中の豪華さに負けず劣らず、外側も新品のように磨き抜かれている。
 炎に焼かれて巻き付けていたロープが切れたらしく、扉に蒼い幕が垂れ下がり、寂しげにゆらめく。
 高価だとすぐ分かる上質の赤い布の中央に金の紋章に文字が縁取られている。
 確かに、揺れない方が助かるとは言ったけれど……ランク低めにして貰えば良かったかも。
 馬車はよくよく眺めなくとも庶民には少し手が出せない空気を放っていた。明らかに私には分不相応である。
 姫巫女なら相応なんだろうか。金の文字を読み取ろうと頑張るが、眉間に皺が寄るだけの結果に終わる。
 簡単な文字程度なら覚えたけれど難しい文字や比喩は理解出来ない。多分馬車会社の名前なんだろうとは分かるけど。
 まあ、いいか。その手の話題を振られたら全力でぼかそう。
「座席の下に薪があります。食料、水、毛布もありますから必要でしたら取って下さい」
 荒らされた様子がないのでちょいちょいとタラップを指し示して告げる。
「それ助かるけど良いの?」
「使えるものは使いましょう」
 脅えたような彼女の台詞に肩をすくめてみせる。
 どんな身分を想像しているのか。
 貴族と勘違いされていそうだが、腫れ物に触るような扱いは苦手なので適度に誤魔化すか。
 こちらの一挙一動にびくりと震える三人の視線を感じつつ、心の中で嘆息した。

 


 道具は全く使わずにランプと同じように指を動かすだけで薪に火はつき、あっさりとたき火が出来上がった。
 私とシリル以外、それを囲んだ面々は黙したまま俯いている。
 気まずい。とても気まずい。
「……誤解を受けているようなので言っておきますが、特別身分が高いわけではありません」
 胃が痛くなりそうなので咳払いを交えて言葉を吐き出す。
「え、でもあんなの貴族かお金持ちじゃないと使えないし。
 それにあの馬車の所プライド高いから滅多な事じゃこんなトコまで来てくれないのよ。
 あたし達なんて近寄るだけで怒られるんだから。
 貴族とかそんなのでしょ。っていうかそうじゃないとおかしい」
 スーニャがぶんぶんと杖を振り回し大きな瞳を鋭く細める。
 ああ、ややこしい事になってる。
 悪魔祓いギルドからの直接指名だから来てくれたんだろう。
 貴族じゃないという言葉だけでは納得して貰えそうにない。
「手配は適当に頼んで貰ったのでよくは知りません」
 余り曖昧にせずに素直に答えた。
 覆面を外したりはしない方向で疑問を解凍する事に決める。
「手配? てきとーって。どういう意味よ」
「貴族やお金持ちで分類するなら後者と言うだけです。
 多少特殊な面もありますでしょうが」
 微かに眉を跳ね上げたスーニャにそう返し、半刻ほど前と同じように薪をたき火に放る。
 向かいから習うように数個薪が投げ入れられ、チリチリと火の粉が舞い上がり、一瞬だけ炎が視界を阻んだ。
 シリルは薪の位置を拾ってきた長めの枝で直しながら、私がどこまで話すのか耳をすませている。
「お金持ちだったらお嬢様とか……特殊ってなに?」
「有り体に言いますと、職業が変わり種でして」
 少し小腹が減ったのでスティック状の非常食を裂いて口の中に放る。
 干し肉のようだが塩辛い。
 食事を摂る時は覆面を脱ぐと思ったのだろう、残念そうな三人。
 スーニャがちっ、と舌打ちして『特殊加工か』と残念がるのが見えた。
 地理的に遭難だったら食料を温存するが、他三名の様子やこれまでの言動を考えるに町は近い。
「変わり種でお金持ち。と言うと城仕えの人とか」
「神官……は人によりけりか」
「占い師、かな」
 スーニャ、エイナル、セザル。三者三様の答えが返ってきた。
 外見で偏見を交えていそうな最後の答えがやや気になったものの首を振る。
「悪魔祓いをやっています」
 職業と言うよりも副職のような感じだが、しているのは確かなのでそう告げた。
 しばし沈黙が落ちる。
 風船から空気が抜けるように、緊張感と疑念が抜け出ていくのが見えた気がした。
 ぽかんと口を開けていた一同から跳ね飛んで、勢いよくスーニャが詰め寄ってくる。 
「……近場にギルドあるの知ってたけど悪魔祓いって実在したんだ! 見たの初めてっ」
 きらきら光る眼差しに邪気はない。が、迂闊に触られるのを避ける為、すっと移動してシリルを盾にする。
 少し恨めしげに見られたが我慢して貰う。顔が見られたら大パニックだ。
「あー、確かに。悪魔祓いしてる奴なら金持ちだわな」
「高額悪魔は一攫千金ですからね。でもそれなりの悪魔はそれなりの値段。
 こんな優遇される上にここまでお金を出し惜しみしないなんて相当――」
 そう言えば正悪魔は強いんだった。値段の上限が高いものばかり仕留めているので雑魚の賞金は知らない。
 この反応だとかなりのカスカスなのは分かる。 
 シリルを素通りし、視線が一気に私に突き刺さった。
 彼が悪魔を祓うなんて出来そうに見えなかったらしい。
 消去法で私、と言う訳か。当たってるけど。
 ……まずい。
 ちょっと話題選択間違えたか。
 集まった視線の熱気に冷や汗が流れる。
 勘違いされたままの方が良かったのかもしれないと後悔した。

 

 

 

 

 

 

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