十三章:思わぬ包囲網−3

背に腹は替えられない。後悔はするだろうけど恐怖は不思議と沸かなかった。


 外から見れば規則的に見える揺れ、だが体は不規則に揺れる。
 私達は、地獄にいた。
「き、きぼちわる」
 口元を抑えるとますます吐き気がする。再びの馬車酔い地獄である。
 思ったより舞い戻ったのは早かった。
「うう……」
 馬車の中で二人、苦悶のうめきを漏らした。
 早く、三半規管鍛えないと酔いで死んでしまう。
 柔らかい椅子に爪を立て、揺れる馬車の中、身を丸めた。

 上手く動かない指先で代金を渡して馬車を見送る。
「相変わらず、何度か死ねそうな揺れでした」
 去りゆく馬車を眺め、一息つく。口元を抑えたシリルが隣にいる。
 最初よりはマシになったとは思うが、やはり酔うのはキツイ。
 現在私達は二人っきり。諸々の事情があるのだが、一番の理由は私の我が侭。
「じゃあ、さっさとギルドに行きましょう」
「……はい」
 のろりと頷き歩む彼の足取りが重いのは、馬車酔いだけのせいでは無さそうだった。


 大分お馴染みとなった悪魔祓い受付に足を踏み入れる。
 まだ、気持ちが悪い。
「おお、いらっしゃいませ。どうかされましたかな」
 絨毯を敷き、喜色満面の笑みで迎えてくれたロベールさんの顔が曇る。
 シリルや私の反応というか、空気が少し違う事に気が付いたのだろう。
「ちょっと、馬車に弱いもので」
「馬車には余り乗らないので?」
 尋ねられ、口元を覆ったまま静かに答える。
「余り、出歩きませんもので」
 ここでは吸血鬼一族(ヴァンピリーム)の末裔モードである。
「他の方は?」
「そう、大した用でもありませんから二人で来ました。
 この間の謝礼を早く取りに来いと言われてしまったので、ユハの所に参ろうと思うのです。
 よく考えると場所が分かりませんもので、教えて頂けないでしょうか」
 そう、緊急避難場所として思いついたのはあのお坊ちゃんの所である。
 ユハが訪問してきてから随分経った。そろそろ行かないと突撃して来そうでもあるし、報酬代わりに泊めて貰う手がある。
 当然ながら反対された。滅茶苦茶反対されまくった。
 狼の中に突っ込むようなものだと諭されたり、泣き落とされたり(勿論シスターから)、なだめすかされたりしたが私は意見を曲げなかった。
 多少ズレはある気もするが、ユハ自体は悪い子ではないと思う。
 完全に安心は出来ないのは理解していた。
 絶対付いて来るであろうシリルに「シリルも来るから大丈夫でしょう」と尋ねたのは、我ながら卑怯だった気もする。
 恒例行事となった音速並のソファと机の並び替え。それが終わった頃合いにイアンが大分慣れた調子でトレイを持ってきた。
 お茶菓子とカップが二つ。
 相変わらず高そうではあるが、麻痺してきたのか危なげなくそれを置き、私達の方を見て首を傾ける。
「お茶をお持ち致しました。大丈夫ですか?」
「何とか」
 苦笑を漏らして軽く頭を下げると慌てたようにイアンが背筋を伸ばす。
 やや顔色の良くなったシリルがありがとうございますと礼を言って口を付けた。
「そう言えば、あの、場所の……本が一冊無くなっているそうなんですが知りません?」
 何個買ってるんだよ。
 この間とはまた違う細工の施されたティーカップを見つめ、半眼になっているとイアンが声を掛けてきた。
「本、ですか。中が白紙というのではなく。現物が無くなっているんですか」
 カップを睨むのをやめてお茶を啜る。
 白紙にした覚えはあるが本ごと消し飛ばしてはいなかったはず。
「あ、はい。怖いので確かめには行ってないんですが地下の本が一冊消えているらしく」
 頭を掻く彼に頷いて見せた。それが賢明な判断だ。
 大方消したとはいえ、ここは悪魔祓い専用ギルド。また新しい悪魔が運び込まれている可能性がある。
 受付の隙間から黒い霧は漏れていない。が、視えない人間にとっては黒い筋自体分からないから判断出来ないだろう。
 タイルのような結界を思い返してカップを受け皿に戻す。
「人為的に結界をずらされた跡はありましたからね。盗まれたんでしょう。
 何が目的なのか……そんなに大切な物でした?」
 悪魔を盗むなど、私的には酔狂を通り越して正気の沙汰ではないが消えたというのなら盗まれたんだろう。
「大切というか厄介なのが無くなってましてね」
「あら、アマデオさん。お久しぶりですね、ご機嫌はいかがですか」
「おかげさまで、前より好調ですよ」
 受付の奥からふらりと姿を現した彼の姿に少しだけ眉を寄せ、一応挨拶を返す。
「厄介、ですか。イアンはこちらに座って、アマデオさんは向かいの席にどうぞ」
「いえ、あの。……はい」
 おろおろとイアンが迷った後、こくんと首を縦に振る。どうせいつも最後は私の言う通りになってしまうのだから諦めたのかもしれない。
「おお、すいませんね。失礼します」
 慣れた様子で礼をして、どっかとソファに沈み込むアマデオ。軋んだ音が聞こえた気がした。
「その本というのは、国の書物に載るような物騒なものでも仕込んであるのでしょうか」
 適当に雑談を組み込む事も出来るが、遠回しな事はせずに率直に尋ねる。
 確かユハがそう言うものがあると言っていた気がする。悪魔信仰者でもいれば欲しがる奴が居るかもしれない。
「いえ、それはありません。アレは分かりにくいところに仕舞ってありますから。
 とは言いましても実のところ私共も場所は知らされていないのです」
「そうですか」
 恥ずかしそうに頬を掻く彼に相槌を打ち、瞳を細める。ふむ。
 あの時悪魔の気配は根こそぎと言って良いほど断った。
 余程厳重な結界が張られているか――もしくは悪魔の話自体がオオボラか。
 嘘だとしても都ではなく何故この辺境ギルドなのだという疑問も出るが。
 隔離する為、なんて理由も付けられるけどそれは悪魔が封印されている前提の話であるし。
 うっかり消してしまった本の中にその伝説が居たら笑えるなぁ。あははは。
 それはそれで平和になって良いかと考え、お茶を含んだ。

 

 

 

 

 

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