十三章:思わぬ包囲網−1

転んでも怪我をしないのはある種の能力な気もする。転ばないのが一番だけど。


 気が付いたアルノーのご両親を宥めるのには苦労した。
 何しろ起きて第一声が「姫巫女様とは知らずご無礼を!」である。それだけではなくナイフで自分の喉をかっ捌こうとした。
 それが両方共だから始末に負えない。必死になって説得し、納得して貰えた頃には私を含め教会の皆さん疲労困憊状態。
 お泊まりの件は二つ返事で了承で、アルノーの従者のくだりは涙を流していた。
 この世界では聖女に仕えると言うのは神に属する事に近いらしい。二つ返事どころか息子で良ければ幾らでも、のノリである。
 両親の反対を僅かに期待していたが、無理らしい。アルノーが大丈夫だと言っていた意味が分かった。
 姫巫女は名前通り城で囲われる。そして、神に近い存在。だから、実質的には王に仕えるよりも名誉な事なんだろう。
 年齢がずれると言っても姫巫女さまの為ならば、という勢いだ。
 にしても、困った。ぽり、と頬を掻き口を開く。
「あの、ですね。姫とか巫女とかは目立つので止めて下さい。私の事はマナで良いです」
 素性を明かして泊まれる事になったは良いが、堅苦しくて仕方がない。
 こんな呼ばれ方では肩が凝るし、聞き耳を立てている人間でも居たら大騒ぎになってしまう。
「そんな無礼な事は」
「良いんです。僅かな期間だけでも地味に過ごしたいんです。
 アルノーもマナって呼び捨てて良いですから」
 ひっ、と悲鳴を飲み込む彼らに手を振ると意外そうな顔をされた。
 まあ、姫やら巫女にしては口調も態度も神々しさの欠片もないし。
「うっ。呼び捨て……って」
 今度はアルノーが声を詰まらせた。
 口調を戻すのは楽だったらしいが、呼び捨てには抵抗があるらしい。
「なんの為に黒い服着てると思ってるんですか。
 姫なんて呼ばれたら明らかにおかしいでしょう。それともお前とかで通します?」
 溜息混じりに片手を上げるとぶんぶんと首を振られる。
「じゃあ、マナ。黒い服の時もマナで通してますからそう呼んで下さい」
「わ、わかっ、た」
 不承不承頷かれたが、目は泳いでいる。
「で、ご両親も呼び捨て敬語無しでお願いします。私はただのお泊まりに来た人間という事で」
「そ、そんな事言われましても」
 口ごもられてもそうして貰わないと面倒な事になる。
 じーっと見つめ続けて説得したら、ようやく納得して貰えた。
 この顔だと脅しに近かった気もするが。
「ただ転がり込むのは悪いですし、ちゃんと宿代も持ってきたんですよ」
 脱いだマントを探る。礼儀作法は上手くできなくても宿代とかはちゃんと渡すのが人の道である。
 奥に仕舞いすぎたのか、なかなか出てこない宿代。
「んー、えいっ」
 面倒くさくなって上下に強く振ったら、ころりとそれが転がり出た。
『げ』
 オーブリー神父とボドウィンがうめき、マーユが私を指さす。呆然と眺めるご両親に用意しておいた宿代を差し出した。
「色々迷ったんですけど、現金は重くて。宝石なので換金して使って下さい」
 掌で転がる指輪についているものより二回りほど大きな赤い宝石。色々あったが、綺麗だったのでこれを持ってきた。
「ちょ、マナ。金銭感覚おかしいから!」
 今から崖に突き落とされる人間のような表情でマーユが悲痛な声を上げる。大げさな。
「でもみんなよく食べるじゃないですか。
 それにこれは私が倒した奴の中からちょっと貰ったお小遣いですよ。
 教会にとって損にはなりませんし」
 多めに倒した悪魔の依頼料をなんとなく少し頂いた。その分埋め合わせに倒すので文句も言われない。
「そ、そんな大それたものを頂くわけには」
 ころころと掌で転がす宝石を突き出す。
 透けた赤に扉から差し込んだ陽の光が突き抜け乱反射し赤く輝く。純度は良いと思う。
「ひ、……じゃなくてマナ様それは流石に」
 青ざめているアルノーに視線を向ける。
「様無しで宜しくお願いします。この位でしたら悪魔祓いに行けば数個は手に入りますから気にしないで下さい」
「で、ですが」
 悪魔の単語にビクリと肩を震わせたご両親に更に宝石を近づける。
 側によるだけで燃えるとでも思っているのか彼らは後退っていく。
「息子さんの命と一生頂くんですよ、もう少し持ってきても良い位ですし」
「あ、じゃあ!」
 宝石ではなく私の単語にアルノーを含めご両親が瞳を輝かせる。
「断っても来る上にご両親の承諾もアオの承諾も得て、これ以上否定材料見つけろと言うのが無理な話です。
 好きなだけ守護者(マーシェ)なり従者なりやって下さい。と言うわけで、これはアルノーの人生を歪めてしまうお詫びなんです」
 ね、と首を傾け僅かに微笑むと空気が緩和される。
 この顔を活用するのは抵抗があるが、押し問答もそろそろ終わりにしたい。
 やってる事は押しつけだが、気分的には婿養子を頂く嫁だ。絶対に並の人生を歩ませられない事が確定しているのが申し訳ない。
「まあ、気持ち程度に考えて下さい。宝石を売り飛ばしたくないならオーブリー神父も幾らか持ってますから請求して頂いて結構です」
「で、でも。お金は持ってこられなかったって」
「これは私の独断、つまり気持ちなんです。教会とかは関係ないという事です。
 別にお金でご子息を買い取るという意味でもありませんよ。今までもお世話になっていて、更にこれからもお世話になりますという心積もりですから」
 金で人を買う趣味はない。この宝石は、私の出来る範囲の礼儀なのだ。
「わかり、ました。家宝に致します」
 やっぱり売ってくれないのか。渡したものだから、別に良いけれど。
 多めにお金を持ってきておいて良かった。
 こんな宝石用意している時点で私はアルノーを説得出来ないという予感を抱いていたんだろう。
 なんだか負けた気がして悔しい。
「あ、一つ言い忘れてました。注意点」
 言い忘れていた事を思い出した。
「は、はい。お嫌いなものとかがありましたでしょうか」
「いえ。私、良く転ぶのでそれは言っておこうと思って」
 びくびくと私を伺うアルノーの母親にぴっと指を立て告げた。
「は、はぁ」
 不思議そうな声にぐっと拳を握る。
「どれだけ転んでも怪我はしないので気にしないで下さい」
 宣言したその日から、やっぱり私は慣れない場所なので転びまくった。
 気にせずに、と言ったのに。アルノー、ご両親共に激しく心配されたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

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