十二章:ただいま工事中−2

私の敵は悪魔だけと思っていたが、本日天敵リストにひとつ名前が加わった。うう。


 宿選びは難航を極めた。私の姿が姿である、マントを羽織れば問題ないが覆面マント付きでずっと暮らすかと思うと憂鬱になる。
 普通の宿に泊まれば一発で四六時中顔を見せない不審者決定だ。
 唸りすぎて獣の集団のようになっている私達を眺めオーブリー神父がめんどくさそうに口を開いた。
 その提案に全員が腰を抜かしかけたものだった。
 何しろ「じゃ、アルノーんトコにでも転がるか」だ。あの騒ぎから時間が経ってないのに行こう、とはある種面の皮が厚いというか、無神経というか。
 まあ結局私だってそれは考えたのだし言えた義理ではない。寧ろオーブリー神父言ってくれてありがとうという心境だ。
 まごつくみんなが何か言うよりも早く私は良いんじゃないですか、と軽い笑みを付けて頷いた。
 早めに色々何とかしたいので、アルノーには会っておきたかった。今ならまだ引き返せる。
 守護者(マーシェ)という永遠の檻から。


 世界が回る。ぐるんぐるんと回転してる。
 体の中も何度か裏返って居るんじゃないのかと思う不快感によろめく。
「あーうーー」
「い、意外と揺れますね」
 うめく私の隣でシリルが口元を抑え、青ざめた顔で無理に笑う。
 詰めるように押し込められていた車内から這いずり出ても、足下が地面なのか空気なのか分からない。平衡感覚がどこかに消えた。
「だ、大丈夫かよ」
 オーブリー神父の声にのろのろと首を振る。些細な動作だけでも吐き気を催す。
「馬車酔いだな、そう言えば二人共馬車初めてだったか」
 口寂しそうに顎を撫でつけるボドウィンの台詞が辛うじて聞こえた。
 たかが馬車、されど馬車。人生初の馬車がこんなすさまじいものだったとは。
 そんなに安い馬車を頼んだわけでもないのに三半規管が悲鳴を上げている。
 揺れないと言われる馬車でこれだ。安馬車頼まなくて本当に良かった。
「がったんがったん体が上下左右に揺れて……うう」
 そこまで言って口を閉じる。
 気持ちが悪い。田舎で悪路だとは聞いていたが、馬車の車輪が石を蹴るごとに派手にシェイクされ意識も混濁しそうになった。
 狭いのに何故みんながくっついているのかそこで理解した。こうすれば確かに吹っ飛ばない。
 が、無理に押さえつけられているせいで更に衝撃が体に掛かって責め苦のようだった。
 真面目に天国に行くところだった。私の魂がそこまで清らかなのかというのは別の話として。
「まあ、大丈夫ですか。お水を持ってきていますからそれを飲んで下さい」
 ふわりと馬車から優雅に舞い降りたセルマさんが私達の姿を見て慌てて駆け寄ってくる。
 用意が良いシスターセルマ、大好きです。心の中で拍手しつつも体は動かない。
 乗り物酔いはそんなにしないタチだと思っていたけど、馬車酔いはしてしまった。
 馬車初めて組の私とシリル以外の面々は平気そうだ。
 マーユはちょっと顔が蒼いけれど吐き気がするって程ではないらしい。
 同じく初乗車のはずのナーシャなんかは馬車凄い揺れたね、楽しかった! と大はしゃぎである。お子様、恐るべし。
 悪魔祓い用のギルドが教会から遠くなかった事を感謝する。教会がド辺境だからこそ寂れ気味のギルドと近かったのか。
 毎回こんな目に遭っていては身が保たない。我が侭言ってでも歩いてくるんだった。
 ずるずると馬車の扉にもたれつつ滑る私を引き寄せて、セルマさんが水筒代わりの筒を渡してくれた。
 前にも見た竹に似た素材。名前は教えて貰ったけれど長すぎて覚えきれなかった。
 香りも触感も竹とほぼ同じ。栓代わりのコルクを外して水を口に入れる。少し生ぬるいが、優しい草の匂いが胸のむかつきを抑えてくれる。
 私と同じように筒を持たされ飲んだシリルもほっとしたような息をついた。
 というかセルマさん、人数分抱えてきたんですか。
 用意周到というか、どこに入れてきたんだそんな量。
 修道女服のスカートの下とか? しとやかに微笑む彼女の姿からは想像出来なくて反射的に頭を振り、猛烈な吐き気に襲われて地面にへたり込んだ。
 何をやってるんだろう私。背中を往復する暖かい感触にせり上がり掛けた胃のものが元に戻る。
 シリルが背を優しく撫でてくれていた。
「お連れさん、大丈夫ですかね」
「大丈夫に見えるか、アレが」
 初めて聞いた御者さんの声と、オーブリー神父のぼやきを聞きながら心の中で謝った。
 ホント、お手数掛けます。


 気分が落ち着く頃には筒の中は空っぽになっていた。
 香りが良いのでポプリ代わりに握ったまま歩く。
 道々聞いた話では、側に村があり、近くの畑でアルノーは働いているとの事。
 馬車でも結構あった道のりだが、彼はもしかして野菜抱えてあの距離を往復してくれてたんだろうか。
 申し訳なさと感謝と共に、その足腰の強さに恐怖する。実はものすっごい健脚ですか。
 野菜や果物の箱も重くて私ではずらす事が出来なかったし、見かけより力があるんだろう。
 村の中に入って視線を感じたが動じずに受け流す。現在私の姿は黒いフリル状のマントと黒覆面。
 見るなと言って誰が目を逸らそうか。いっそ堂々としている方が潔い。
 畑は一応目の前にあったが、アルノーらしき人物は居ない。豊作なのかさわさわと様々な野菜の葉がそよいでいる。
 大半は緑なのだが、やはり異世界。たまに紫やオレンジ、はては赤い斑点模様の蛍光ピンクがあったりするが、心の健康の為見なかった事にした。
 畑の状態を確認しているらしい男性に声を掛ける事に決めた。どうか姿を見て逃げられませんように。
「あの、この辺に他に畑は無いでしょうか」
「いんや、この辺だけだがって、なんだその格好」
 答えながら振り返って彼が仰天した。日に良く焼けた浅黒い肌、首にタオルを巻いている。
 緑色の作業着には泥や葉がこびり付いていた。靴は足首まで覆う編み込み靴。なんとなく雨靴に似ていると思った。
「お気になさらず」
 黒ずくめ姿で怪しまないで下さいとは言えず、無茶な注文を付けてみる。
 怪しまないで、と同レベルに難しい事だとは分かっているけど。
「そんな事言われたっておめぇ」
 後ろにいるオーブリー神父と目があって少し唸る。流石不良神父信用無しか。
「いよっ、しょ。やっと抜けたーーー! これちょっと根が張りすぎ……って、なにしてんです親方ー! 大将ー!」
「大将は止めろ!」
 明るい少年の声に怒声を返す親方と呼ばれた人物。なんか聞き覚えがあるので顔を向ける。
 わさわさっ、と葉を揺らし少年が顔を出す。居たのか、全然気が付かなかった。
 野菜と格闘していて葉の中に隠れていたらしい。
 葉っぱがまだ邪魔していて今もよく見えないけど。
「じゃあ親分」
「それも止めろ!」
「あははは。大量大収穫ーっ、今日も良い感じに取れたから怒らない怒らない。ほら、傷物もないし」
 からかうような台詞と共に数本の野菜が葉の隙間から見える。
 聞き覚えのある声音に眉を寄せる。
 確かに声自体は知っているんだけれど、このやり取りに違和感を感じた。
 がさがさと葉を揺らして両手一杯に野菜を抱え少年がこちらに近寄ってくる。
「だからそんなカッカしない。ってお客さん?」
「客というか不審者一行だ」
 直球過ぎていっそ感動しかける。普通少しは躊躇うものだろうにその手の台詞は。
「フシンシャって、親方ー。もすこし歯に衣着せましょうよ」
 その通りだ。心の中で同意する。
「ああ、確かに不審者って。あれ神父様にシスター」
 オーブリー神父を見て納得してからようやく相手に気が付いたか彼がうめいた。
 私じゃなくてどうしてオーブリー神父に行くんだろうか。もしやわざとか。
 首を傾けて畑の側にある箱の中に黄色い大根に似た野菜を詰め、私の方を見た。
「なんで教会のみんな…………」
 ぎゅっと握った手の中で暖まった水筒代わりの筒の感触。
 新緑色の瞳に驚きが広がる。探し求めていた人物は頭に野菜の葉を付け、泥の付いた指で私を示し。
「ってひ――」
 反射的に『姫さま』と呼びそうになったアルノーの頭に筒をスコォーン、と音が立つほど思いきり投げ放った。

 

 

 

 

 

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