十二章:ただいま工事中−1

パスタム教会は今日も傾くだけで留まっている。忍耐強い教会に感謝する。


「そりゃどうにもならんという事かよ」
 傾いた教会を建て直す事は今までの目標だった。今現在、ちょっとした問題が起こっている。
 オーブリー神父が工事をする業者の人と打ち合わせ……いや問答を繰り返している。
「ええ、まあ。ここまで地盤が、ですと。一旦どこかに居て頂かないと」
 死角から眺めると、しきりにタオルで自分の額を拭う中年男性の姿が見えた。
 教会内は隙間が多く比較的涼しい。汗の出る原因は暑さではないだろう。
 詰問じみたオーブリー神父の勢いに押されてか、口調がかなり弱い。
「端も駄目なのか」
「今まで潰れなかったのが不思議なごほげほっ。ああいえここまで沈下していますと地盤から建て直しになってしまいますので」
 恐ろしいまでのストレートな意見を告げかけた唇から不自然な咳を出し、視線を逸らす。
 潰れそうなとかボロいとかはオーブリー神父には禁句です。ここからでも彼の黒いオーラが見える。
 アァ、なんっつったかコラ。と言う空気が。
「やっぱり一旦引っ越すしかないわね」
「……どこにですか」
 私の髪を三つ編みにしながらマーユが呟く。暇な時長い髪はオモチャ代わりにされている。
「ああ、どこにでしょう。困りましたわね」
 おっとりと微笑んで首を傾けるシスターセルマ。
 私達は重大な問題にぶつかっていた。宿がない。
 教会はどうも本当に地盤からイッてしまっていたらしく、修繕工事は建てかえ工事と変わった。
 お金は渋らなかったので信頼出来そうな専門家をギルドの人達に紹介して貰い、見立てて貰ったら本当に良く今まで生きて、というお言葉である。
 潰れそうではなく潰れなかった教会に感謝する。
 多少資金が必要になったが、正位悪魔四、五匹か中位悪魔一匹仕留めれば事足りた。
 問題は仮の住居。オーブリー神父達だけなら良いんだけれど私が居る。
 聖女の姿でご近所さんにお邪魔しまーす、と言う事も出来ず困り果てていた。
 工事中出入りが出来ないのもあるが、専門家の人に念を押されて言われてしまったのだ。
 早くここから出て避難していろ、と。それ程までに脆くなっていては渋るわけにもいかない。
 まあ、私はこっそり聞き耳を立てていただけだけど、切羽詰まった声に思わず天井を眺めてしまったのを覚えている。
「付け直す品がありましたら取っておきます。崩れそうなものは無理ですが」
「ステンドグラスは無理そうか」
 住居の事で揉めるのは諦めたのかオーブリー神父がそう答えた。
「いえ、大丈夫です」
「じゃあそれは確保してどこか付けてくれ」
 昔良く眺めていたと聞いたステンドグラスを見つめる。
 言われなければ気が付かれない場所にぽつんと置かれたそれは抽象画に似たタッチだと思った。
 絵本の中の聖女の絵。それと一緒。オーブリー神父にとって大切な思い出でもある品なのだろう。
 ぼんやりと、今の自分とステンドグラスを重ね合わせて苦笑する。似てない。
 私を見てそれと合わせられたのはどういう目をしていたのか。
 同じなのはやっぱり金の瞳の銀髪、髪は私の方が長い。
「それで仮住居はどちらに」
「……俺一人で住んでるわけでもないからな。他の奴らとも相談しないといけない、もう少し待ってろ」
 急かすような口ぶりにウンザリとうめく。気持ちは分かる、ここ数日同じ会話が繰り返されている。
「分かりました。お早めにお願いします」
「わーってるよ」
 気怠げに頭を掻いた神父の声は、心底面倒くさそうだった。

 
 休憩所の椅子に座り込み、ちょっぴりへこんだテーブルにオーブリー神父が沈み込む。
「うーあーどうするかー」
 倒れ伏す彼の錆色の頭髪にチョップを入れてみたくなったが我慢する。
 子供っぽい真似は止めよう。姿は子供だけど。
「お疲れ様です。お茶とお茶菓子のご用意出来てますからどうぞ」
 くすくすと笑ってから、シリルがトレイに人数分のお茶と菓子を載せテーブルに置いていく。
「ありがとさん。お、菓子は珍しいな」
 綺麗に並べられた菓子をつまみ、オーブリー神父が口に放り込む。
 頂きます位言えよ。毎回見てて思うが食べ物に手を伸ばすのは早い。
 甘いものが大嫌いというわけでもないらしく、それとも今までの生活で好き嫌いがないのか食べられる物は何でもつまむ。
 つまみ食いしすぎてシスターセルマからお説教喰らう姿も日常行事だ。基本的に性格が子供に近いのかもしれない。
「わぁっ、お菓子!」
 手を合わせて喜ぶナーシャ。手が早いだけではなく結構食べる神父から死守するべく広げたハンカチにせっせと菓子を載せていく。
 清潔にするためもあるが、この手の菓子で神父と争奪戦を繰り広げられるようにハンカチを携帯しているらしい。
 子供レベルの戦いだが、一応一つは手元に持っておく。そうしないと食欲旺盛な二人に負けて瞬く間に食べ物がなくなる。
 口に入れると香ばしい香りがした。何だろう、多分……アーモンドとかそういうのなんだろうけど。
 歯を立てるとさくりとした音が立つ。パイとクッキーの中間のような感じだ。
 炒ったアーモンドに似た木の実とほんのりとした甘さが混ざり合って口の中でほろりと溶ける。
 甘いものが苦手な人でも食べられるような絶妙の糖分量。お茶との相性も抜群で、頬が緩むのを自覚する。
「あら、どなたかの頂き物ですか?」
 頬に手を当ててまったりしている私をにこやかに見つめていたシリルに、菓子を手に持ったままシスターセルマが尋ねる。
 ボドウィンもちゃっかり持っている。ある意味この戦場は日常茶飯事でみんな慣れっこ。流石に手の中の菓子を奪うほどオーブリー神父も子供ではない。
「いえ、ちょっと前にいた場所と似た材料があって。つい作ってしまって……お口に合いませんか」
 ぽて。と取り落とし掛けた菓子を側にいたナーシャが受け止めた。ナイスキャッチ。
「シ、シリルが作ったんですか!?」
「え、あ。はい、その……このお菓子は良く作っていたので。思わず手が」
 シリルは恥ずかしそうに告げてはにかんだ。甘いものを作れるというのが少し照れくさかったのかもしれない。
 台所に大方慣れたとも聞いていたし、火の調節も一人で出来るとは聞いていたが。
 負けている。完全に負けている。
 女としてどうなんだ。でも最近は料理出来るのが女とは限られてないけれどけど、料理が男より出来ないなんて。
 あのオーブリー神父でさえ多少出来るというのに。私は包丁すら扱えない。
 ナーシャは皮むきが出来るからナーシャ以下。泣ける。
「あの、不味かったですか」
 不安そうな顔をされて首を振る。
「いえ。凄い、美味しいです。気分が複雑なだけで」
 ナーシャから渡して貰った自分の菓子をもう一度口に入れた。美味しいものは美味しいのである。
 悔しさとかあってもそればかりは否定出来ない。
「マナは気にしたら駄目よ。アンタには他にたっくさん取り柄があるんだから」
 紅い髪を跳ねさせ、ぴっとひとさし指を立てるシスター。
 それは料理自体を諦めろと言う最終宣告なのでしょうかマーユさん。
「せめてスープは作れるように精進します」
 むう、と唇を尖らせて反抗する。
「駄目ですわ。マナ様にそんな仕事させられません」
 シスターセルマにすら止められた。
「うんうん。火事が怖いのよねー」
 深々と頷かれて心というか首を絞められたニワトリの気分に陥る。
「ホント泣きますよ」
 言葉で死ねるなら、私は二十回は死んでいると思う。ショックだ。
「あ、そんな。僕なんて習っただけでそんな大したものは作れませんし。
 これから包丁だって覚えればいい事ですから」
 シリルの慰めに笑みではなくじっとりとした視線を向けてしまう。
「と言いつつ包丁すら取り上げられるのですが」
「う。それは、見ていたら……つい」
 私の抗議に彼が目を泳がせた。最近では秒速で取り上げられるので包丁を持つのすら難しい。
「気持ち凄く分かる! マナの手つき危なっかしくてつい奪っちゃうのよね」
「あは、はは」
 ぱん、と手を打つマーユの声に苦笑いし続ける彼。本当の事だろうけど、私の機嫌は斜めに落ちている。
「幾らか指を切っても良いんですよ。上達出来ないじゃないですか」
「いや、マナの場合切ると言うより指切り落としそうで、怖いわよ」
 断言された。そこまで力入れないのに。
 このままだと何千年経っても料理下手なままだ。悪魔退治以外の取り柄も欲しいのにそれすらさせてくれない。
 ……自分があり得ないほどに不器用だというのは重々承知して居るんだけど。
「でもお口に合ったようで良かったです」
「シリルは甘いの好きなんですか」
 尋ね、もうひと囓り。
「いえ、ちょっと良く頼まれて作って居ただけで。
 甘いのは嫌いじゃないんですけど、これだけ妙に上手くなっちゃって」
 微笑まれ、口の中の菓子が急に砂に変わったような気がした。サクサクとした歯触りがザリザリと気持ち悪く感じる。
 シリルが敬語を忘れている。む、とした血臭を思い出す。
 懐かしそうな声に誰が頼んだのか何となく気が付く。

 ――僕の両親と姉。知りませんか。

 あの時の台詞を思い返した。お姉さんの、好物。
 美味しいはずのお菓子の味は、もうほとんど分からなかった。

 

 

 

 

 

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