十一章:若気の至り−3

姫にも聖女にもなりたくない私だ。それでも後悔しないのなら相手の意思を尊重する。


 経験した事もないから、恋も愛も分からない。
 悪魔憑きと言うだけで他人どころか肉親にすら眉をひそめられていたのだし。
 シリルの事は嫌いではなく、好きな方だと思う。
 彼は意地でも守護者になると鋼どころか金剛石の如き決意を口にしてくれた。
 ただぬくぬくと守られるなんて好みじゃない。けれど――
 彼の掌を腕から外して、手を繋ぐ。あの時と同じ少しだけ強い力で。
「あ、えっと」
 私の突然の行動に戸惑ったような声。彼の頬がほんのりと朱に染まる。
 こうなった原因は自分の配慮の足り無さもあるし、大嫌いと言えるほど彼を無視する事も出来ない。
 なら、もうこうするしかない。
「聖人じゃなくても悪魔でも、後悔しませんね」
「そんなのとっくに、貴女と初めて話した時から覚悟してます。
 貴女が悪魔でも神でも人間でも構わない」
 ぐ、と思わず手を振り解きたくなったが我慢する。よくもまあ、真顔でそんな言葉がスラスラ出てくるものだ。
 本人はその恥ずかしさに気が付いていないんだろうけど、告げられているこっちはいろんな意味で死にかける。
 血液が灼熱の龍のごとく蠢いて濁流のように流れている気がした。
 幾らアオに摩耗された感覚とはいえ、ここまではっきり言われれば羞恥が来るらしい。
 自分の熱が全身に回っているのは気が付いていたけど隠す事も出来ない。もう開き直る。
「じゃあ、守って下さい」
 掌に力が込められ、頷かれる。全然間を置かない答えだ。
 アオに告げたのは嘘ではなく、シリルには平和に暮らして欲しいから一人で歩いても良いと思っていた。
 孤独に耐えられるかどうかは別の話で。心の隅ではなく中心から喜んでしまう自分が居る。
「ひとりぼっちを覚悟してました。
 同じ時間、生きてくれるだけで嬉しいです。
 ほんとに、それが嬉しいんです」
 ちょっとだけ息を吸って、相手の掌の感触を確かめる。
 先程まで訓練していたせいか、暖かい。人肌に触れてほっと息をつく。安心する。
 一人取り残されたような気持ちが薄れていくのが分かった。我ながら現金だ。
「ありがとう」
 思わず零れた本音と笑顔。
 続けざまに思わぬ告白をぶつけられ、気が動転していたのもあった。
 気をつけようと誓っていたのに。
 ついうっかり、私は普通に微笑んでしまった。
 ぼ、とシリルの顔が紅潮し。へたり込むのと同時繋いだ手のせいで一緒に座り込む。
 しまったと思った時には手遅れ。燃え尽きたらしき彼を揺すっても動かなくて途方に暮れる。
「ボドウィンさんー」
 助けを請おうと目線を動かしたら、煙草をくわえ「若いっていいねぇ」と空を見つめていた。
 同じく私の素の笑顔をまともに見て現実逃避をしている人を正気に戻すのに一刻も掛かった。
 

 闇夜の中でも戻ってこない私達を心配したらしいオーブリー神父が来てくれて。ボドウィンと共に硬直しているシリルを運ぶのを手伝って貰い、なんとか教会に帰った。
 休憩所のいつもの席、朝は爽やかな風が吹き込み、昼はポカポカと暖かく、夜中は月がよく見えるお気に入りポイントに座り込む。
「あー、なんだ。それで元鞘に収まったのか結局」
 着席したのを見計らったように神父に言われて眉を寄せてしまう。
「表現が微妙におかしいですけど、まあ。悪い方には転がってないと信じたいです」
 問題は山積み。私の事も周りの事も沢山ある。関係は多少なりとも変わったけれど、別に召使いにするつもりもないからそうおかしくなったわけではない。
「ふーん、そなの。シリルが部屋に駆け込んだからてっきり玉砕したのかと」
 ぎょ、玉砕って。
 シリルは教会に着いた頃には気を取り戻したのだけど。
 私を見るなり赤くなったり青ざめたりした後、マーユの言うように凄い勢いで逃げ出して部屋に閉じこもった。
 押しても引いても出てきそうにない。
 気を取り直すと同時に私に告げた自分の台詞の大胆さに気が付いたのだろう。
 扉の隙間から悲鳴に似た声が聞こえたのでそっとしておいた。
「若気の至りで今頃落ち込んでるんだろうよ」
 疲れと呆れの混ざった顔で煙草に火を付けるボドウィン。この世界では煙草をボドクとか言ったっけ。
「若気の至り? 何、マナまた襲われたの!?」
「いえ、違いますが」
 そう頻繁に襲われていては身が保たん。
 なんか目が輝いてますが、特別期待するような事はない。
「素っ気ない反応ー」
 ぶうたれても起こってないものは仕方がない。
「シリルは守護者になるんだと」
「ああそう。まあ、今までそんな感じだったものね」
 煙を揺らすボドウィンの声に、テーブルにお行儀悪く片肘をついたマーユが半眼で応じる。
 辺りに動揺はない。……皆さん気が付いていたんですね。
 どれだけ自分が鈍いのか突きつけられた気がして目を天井に向けた。
「で、マナは了承したぞ」
『嘘!?』
 煙ごとぽつりと零された言葉に、その場にいたマーユ、オーブリー神父、シスターセルマまで声を上げて驚く。
 守護者より私の反応の方がそんなに驚きなんですか。
「どういう風の吹き回し! 熱でもあった!? セルマお茶淹れてあげてっ」
「えっ、ええ。分かりましたわ」
 普段なら失礼と叱咤するであろうマーユの台詞に頷き、シスターセルマが立ち上がる。
 あなたまでそう言う反応するか。
「私が普段どんな風に思われているのか気になってくる反応ありがとうございます」
 お茶は欲しいのでむす、とした表情を隠さずに机に腕を載せて半身を預ける。
 テーブルの表面はやっぱり少しへこんだまま。
「いや、お前なら絶対嫌がるし断るだろ」
 ごろりと転がって神父の顔を見る。言いたい事は分かるけれど、あそこまで誓われたらもう関係自体を断ち切るしかない。
 私には、そこまでする勇気も覚悟も持てなかった。
「断りましたよ。断っても突き放しても切り捨てても駄目だったから諦めただけです」
 お茶の香りに溜息を零して起きあがる。
「あぁ。根負けしたのね、良いの?」
 全員分のお茶が並べられるのを眺め、苦笑して見せた。
「その人の人生は――その人の人生です」
 シリルが望むなら、それはシリルの道。本人もそう言っていたしあれほどの覚悟を私は止められない。
 自分の生は私の生。もしもそれも本気だったら、尚更。命を絶ったら追ってきそうで怖い。
 アオに出した切り札。今回の事で使うのにかなりの決断が必要な品になった。
「その台詞は何回か聞いたけど、そんなに疲れた顔で言われたのは初めてだわ」
「人間諦めが肝要です」
 置かれた木製のカップに口を付けてふと思った。
 これも聖遺物になってるんだろうか。
「マ、マナ様」
 呑気な事を考える耳に慌てたようなセルマさんの声。
 人生を投げている私の発言に恐れでも抱いたらしい。
 それか聖女の言う台詞ではないというのか、視線に僅かな抗議がこもっている。
「シリルがなりたいって言ってましたから。
 あれ以上否定すると関係を全て見知らぬ他人にするしかないですし」
 というか自殺の勢いになりそうで怖かった。あれが刃傷沙汰間際。
 多分シリルは私に傷はつけないんだろうけど。色々巻き込んだから刺されても恨みはしない。
「うーわー。頑固者って大変だわ」
「私の事が好きで守ろうなんて物好き多くて困ります」
 姿は聖女でもこんなに可愛げが無いのに。
 マーユの紅い瞳を軽く見つめた後、肩をすくめてお茶を一口。
 視線を感じてカップから口を離す。
 正論を言ったつもりだったのに、何故か全員が複雑そうな眼で私を見ていた。

 

 

 

 

 

 

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