十一章:若気の至り−1

たまに世界でひとりぼっちになった気分に陥る。昔よりはマシなのに。



 頭の中身を空にしたくて、ぽつぽつと歩く。
 姿を変えられた時もショックだったが、今回のはそれと同程度か上回る位の衝撃があった。
 何となく、暗闇の中を思い出す。大分見慣れた自分の掌を広げた。
 小さな手。軽く指を折っても空気を掻くだけ。
 
 なんとなく、虚しい。
 
 みんな優しい。だけど、あの時のような人のぬくもりを感じる事は余り無い。
 シリルも私の事を気遣ってくれたりはするけれど、手を握る事はしなくなった。
 闇の中で手を引かれたのが最初で最後なのかもなぁ。自分の顔を両手で包み込む。
 この顔がもう少し平凡であれば、敬遠されないのかもしれない。
 頭を撫でられたりはするけれど。基本的にはガラスみたいに扱われてしまう。
 子供の上、華奢な姿のせいだろう。まあ確かに強くはないしスタミナもないんだけど。
 時折、孤独を感じるのはきっと気のせいじゃない。
 やっぱり、私の容貌は普通に接するには難しいのだ。分かってはいるけれど、切なくなる。
 頑張ってくれているのも知っている。普通なら寄るだけでも気後れする姿なんだから。
 教会内で唯一余り気にしてないのはナーシャ位。子供の順応性とは恐ろしくも頼もしい。
 マーユも遠慮はしないけど、やっぱり多少一線は引かれている。
 悪魔は来ない。平和である。寂しくなってしまうのは、静かに考える時間が出来たせいだろう。 
 アオの言葉に真実を見て、理解出来ないのも影響している。
 愛してる。焦がれている。
 ……どんな感じだろう。アオの感覚が少しだけ、知りたい気がした。
 もうすぐ、教会の裏。溜息混じりに空を見上げようとして、金属音にハッとなる。
「あーもうやめだ。今日はやめろ。腕痛めてるだろが」
「嫌です」
 苛立ったようなボドウィンの声に冷たく返すのは、多分シリルなんだろうけど。
 誰にでも礼儀正しい彼の言葉とは信じられなくて恐る恐る顔だけ覗かせる。
 やっぱり声の通りで、二人対峙するように並んでいる。いつもと違うのは声だけではなく手に持ったモノだ。
 銀光。金属音がしたからまさかとは思ったけど、ナイフの練習?
 利き手でナイフを構えるシリルに鞭のような叱責が飛んだ。
「気持ちは分かるが落ち着いて行動しろ。
 あん時あの神さんが防がなかったらどうなってたと思うんだ」
「え……」
 動き出そうとしていた彼が止まる。
 どうって。あの時はよく考えもしなかったけれど、どうなっていたんだろう。
 どんなときでも動揺しないように最悪の想像を幾つも並べるのは得意だ。
 軽く予想図が描かれる。シリルのナイフが向けられたアオ、それに乗っかる私。
 わざわざ防いだのはシリルが守護者だからだと思っていたけど。理由があるとすれば。
「万一に傷が付いたとして、手元が狂ったら嬢ちゃんはどうなる!
 すり抜けたら神じゃなくてマナに当たっていた可能性もあったぞ!?」
「……すみま、せん……」
 怒声に脅えたわけではなく、内容に彼が立ち竦む。
 候補を幾らか上げればその線が有力だ。アオは防がなくても良かったのかもしれない。
 けど、アオの膝には私が居た。だから、最悪の結果を招かぬように防いだ。
 私にナイフが刺さらないように。なんというか、我ながら結構物騒な位置にいた。
 瞬時にその危険を察して動けたアオも凄い。少しだけ見直す。
 時折道化のような行動を取ってもやはり神は神なのか。
「はぁ。頭を冷やせ」
 深い溜息がやけに響いて聞こえる。
 距離的にはかなり側だ。腕一本分の距離。
 でも良く聞き取りたくて、もう少し。寄ってみようと思ったら体がずれた。
 あ。と思う間もない。
 久々の感覚である。お約束な事に、私は自分の髪を踏んで二人の前に転げ出た。


 不測の事態に二人は呆然と佇み、そこに放り投げられるように飛び出た私はパニックに陥りかけた。
「え、あーと。ご、ごめんなさい盗み聞きとかじゃなくてですね!」
 僅かに言い訳を並べた後冷静になった。
 あ、いけない。聞いてた事がばれる。
「聞いて、ましたね」
 シリルの声が低い。ちょっとは離れていたと思っていたけどそうではなかったらしい。
 ほとんど目の前に彼らがいる。
「あああ、あの。それは、ええと」
 思わず視線を泳がせる。悪魔の絡め手や口車をかわすのは慣れているけれど人とのこうしたやり取りはあまりした事がない。
 とっさに上手い言葉が浮かばずに我ながら分かりやすい態度を取ってしまう。
「見て聞いてました。隠れててすみません」
 出にくかったのもあるし。口の中で小さくそう言葉を転がして頭を下げる。
 はあ、と珍しくシリルの唇から大きな溜息が零れた。うう、怒っているのかもしれない。
 いやけれど、尾行したわけでもないし。ああ、しかしちゃんと「頭冷やしてきます」と聞いていたからここに居る可能性を考えなかったのも悪い訳で。
 場を和ませる話も見つからずに暗くなりかけた頭でぐるぐると言葉が渦を巻く。
「そ、そうだ。いつも居なくなるのってこの為だったんですね!」
 適当に見つけた質問に、まだ呆然と佇んでいたボドウィンの顔が僅かに苦いものに変わる。
 う。藪をつついたかもしれない。
「ああ、そうだ。男の秘密だったんだがなぁ」
「発見してしまって申し訳ありません」
 ポリポリと頬を掻かれ、もう一度頭を下げる。不可抗力だったんだけど、何となく悪い気がした。
「ま、いいさ。どうせもう気が付いてただろ。今日の事で」
「いえ、まあ……そう、ですけど」
 あの時のシリルの動きを思い出して口ごもる。初めであった時とは比べものにならない速さだった。
 目で追えたのが不思議な位。ナイフをいつ握ったのかも分からなかったし。
 一日二日であんな事が出来るようになるわけがない。
「あんまり危ない真似はしないで下さいね」
 余り危ない事はして欲しくない。上手く笑えなくてぎこちない笑みになった。
 スミレ色の瞳が見開かれ、ぽかんと口を開く。
「お、おいおい。嬢ちゃん」
 何故か慌てふためくボドウィン。
「いや魔物も相手にしないといけないのは分かるんですけど、怪我とかして欲しくなくて」
「自分、では……なく?」
 真っ直ぐに見つめられ、眉根を寄せる。
 気をつければそう怪我をする事態も起こらない。
「私ですか。まあ、上手く逃げればどうにかなりますよ」
 首を傾けて考えて答える。魔物にさえ会わなければどうとでも出来るから大丈夫だと思いたい。
「自力で、ですか」
 いつも白いと思っているシリルの頬が一層白く感じた。
 不思議に思いながら、強張った声に頷く。
「はい、自力で。これまでもそんな感じでしたから」
 出来るだけ感情を載せないように薄く微笑む。
 地面に向かう残像を視角が捉えた。刹那の出来事。
 ズ、と鈍い音が立って脳裏に疑問符が浮かび。シリルの足元を見て悲鳴を上げた。
「ひぃっ。あ、あ、あ、危な! 刺さってますよ、刃物を落としたら駄目です」
 地面に柄近くまで埋まったナイフ。彼の掲げていた掌が握った形で緩く開いている。
「いや、今のは嬢ちゃんのせいかと」
 私のせい?
 尋ねる前にシリルが腕を下ろして私を見た。
「……分かりました」
 何が、と問う気も起きないほどに柔らかな微笑み。
 どうしてだろうか。いつもと同じ優しい笑みに威圧感を感じるのは。
 自分の足下のナイフなんてどうでも良さそうな目だ。
 シリルはいつも穏和で、優しいけれど。怒ると妙なプレッシャーを身に纏う。
 今現在どうしてか、かなり濃厚な圧力を発しつつ笑っている。
 笑顔だけど笑顔じゃない。

 ……何かの地雷を踏んだらしい。
 よく分からないが、恐ろしい事が起きる気がして私は覗き込んだ事を後悔した。

 

 

 

 

 

 

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