十章:半身−5

グツグツぐりぐり。鍋をかき回す黒い魔法使いアオ。考えなくても頭に浮かんでくる。



 冷えたお茶を啜り、アオが私と周囲を見回して頷く。
「……国に告げ口しちゃおうかと思ったけど、やめとくかな」
 軽く言うなぁ。やりかねないところが恐ろしい。
「さっきの少年と言い君達と言い。
 いやまたアクが強いのが集まってるから面白いね。うん」
 この神の全ての基準は面白さ。それに尽きる。
 世界すら弄ぶ究極の快楽主義者とも言えよう。
 ……そんなのに惚れられるって、どうなんだ。我ながら悲しくなってくる。
「はぁ。もーどうでも良いですけど。それより飲食出来たんですね」
 国に告げ口するなと言っても聞かない奴だ。言うだけ無駄。
 懇願すれば聞いてくれるかもしれないけど、そのうち見つかる私にとってはそれこそアオに頭を下げるほどの事ではない。
「出来るよ? ご飯も食べられるけど、正直マナの手料理は、ねぇ」
 なんのことはない、とでも言いたげにカップを置いた後、顔を微かにしかめる。
 そりゃ確かに不器用だけど不器用だけど。そんな顔しなくたって。
 待て、それ以前に――
「うううう。って何で知っている!?」
「いかにも苦手そうだよ。その反応からすると間違っても居ないんだろう」
 首を傾けて微笑むアオ。
 くうぅぅぅぅ、言い返せない自分が憎い!
 どうして私は家事音痴なんだ。うわ、もう、むかつくー。
「そんな事言うのだったら出来るんですね、料理!」
 ヤケになってよく分からない事を尋ねた。冷静に考えろ私。神が料理するか。
 僅かに瞠目して、首を微かに捻りつつアオが口を開く。
「えーと、した事はある気がするよ。まあ料理かは知らないけど」
 したんか。
 でもなんだそれ。
 アオにしては随分と曖昧な表現だ。
「どうせアオが作るんですし、竜でもぐつぐつ煮込んだんでしょう」
 茶化すべく、肩をすくめて首を振ってみせる。
 前に考えた黒い魔法使いなアオ。よく似合う。
 怒りも眉をひそめる事もせず、ぱちぱちとアオが拍手する。
「そうそう。ちょっと趣向を変えて隠し味に魔王も入れたんだよ」
『魔王!?』
 トンデモ発言に全員の声がハモる。竜はともかく魔王って。
 竜だけでも充分おおごとだけど。
「あ、僕は倒してないよ。本人達の為にならないから。
 仕留められた奴を適当に刻んで鍋に入れて煮込んだんだけど、相性が悪かったかな、なんかペースト状になっちゃってさ」
 ペースト。
 本人達というのは何処かの英雄だろうか、戦いが終わるのを見届け、勿体ないから思わず料理に使ったという流れなんだろうか。
 呪いに使うんじゃなくて、戦う事を料理というのでもなくて、本当に火にかける辺りがこのアホ神らしい。
「……食べたんですかそんなの」
 魔王と竜のペースト煮込み。想像してぞっとする。
 幾ら珍しくても食べたくない。アオが思い出すようにこめかみに指先を当て、分かりやすい位渋い表情になる。
「うん、まあ。ひとさじだけ。味は思い出したくない」
 口調は苦々しい。舌触りでも思い出したのか、気持ち悪そうに口元を抑えている。
「よく食べますねそんなゲテモノ」
 一口だけでも口にした辺りも凄いが、魔王と竜を食べる神ってどうなんだよ。
「好奇心が疼いて。魔王や竜って案外崩れやすいんだよね」
 深々と頷いて溜息一つ。普通魔王と竜を手に入れられないし、入手しても煮込むという発想はない。
 楽しい事が好きだと言っても限度があるだろアオ。
「どんな竜だそれは」
 流石に我慢しきれなくなったか、オーブリー神父の突っ込みが飛ぶ。
 鉄より固い鱗を持つ竜が崩れやすいって。魔王すらペースト状って。
 どれだけ力を入れればそんな事になるんだよ。
 むー、とアオがうめいてぽんと手を打った。
「結構上位の竜だったけれど。やっぱ煮込むなら伝説級にするべきだった」
 機会があればまた試す気だ。なんかもう、放っておこう。好きにしてくれ。
「もう突っ込みどころ多すぎるから突っ込みませんね」
「…………」
 溜息混じりに伝えると、悲しそうに蒼い視線が注がれる。
 哀愁を帯びている。シリルやアルノーならまだしも、アオのこの顔で同情やらはわかない。
「そんな目をしてもしません」
「つれないそんな君が好き」
 ぎゅうう、と抱きしめられた。
 苦しい。というか、何かにつけて抱きつこうとするのを止めてくれ。
 視線とかが痛いから。主にシリルが怖いから。
「じゃあ……」
 愛してると言えば落ち着くかと思って舌先にのぼらせようとして、思い直す。
 嘘だとしても私の心が拒絶反応を引き起こす。それに、アオの目が何か期待するように煌めいている。
 嫌いでも好きでも嬉しいのか。どうやったらそれとなく嫌われるだろうか。
「何でもないです」
 目に見えて残念そうな顔になるアオ。やっぱり待ってたか。
 言わなくて良かった。迂闊に言えば『これで両思いだね』とか喜ばれるところだった。恐ろしい。
「ああ、そうだ。マナはまだ分かってないみたいだけど君は確かに姫巫女だから忘れないようにね」
 気軽な声に反論しようと刹那考え。別の言葉に直す。重要そうな事を言われている気がする。
「……どういう事です」
「君には間違いなく神の祝福がある。神に愛されし乙女だ」
「それで」
 既に耳がすり切れるほど聞き飽きた単語にげんなりしつつ、続きを促す。
 こんなどうでもいい話をしたいわけでもないだろう。私の顔をのぞき込んで、アオがニヤリと笑った。
「神に愛されし乙女の接吻は全てに聖なる祝福を、乙女の囁き水にワインに溶け込む。
 それが姫巫女の証だ。君は間違いなく聖女、僕が保証する」
 すぐに意味をかみ砕けずに訝しげな表情になったと思う。喉に単語の破片が幾つも引っかかっている。
「……そりゃいろんな本に書かれてるが。まさか」
 煙草をゆらし、渋面で腕を組むボドウィンの唇からくわえていた煙草がぽとりと落ちた。火がついていなくて良かった。
 壁際にいたマーユがテーブルに身を乗り出して私を見る。
「もしかしてマナの触れたものは神の加護がつくの!? おとぎ話みたいに」
「へ」
 溜息みたいな声が漏れる。
 カミのカゴ? 何でしょうそれ。すごい不吉な響きだ。
 アオは楽しそうに笑って私の頭を撫でた。
「そうだよ。まあ、無意識に触れただけじゃ駄目だけど。
 自らの意志で唇を付けるか、思いを込めて囁いたり触れれば。聖遺物の出来上がりだ。
 水も息を吹きかけるだけで並の聖水なんて足元にも及ばない聖水が生み出される」
 世間話のような口調でさらりととんでもない事を告げてくる。
『な!?』
 衝撃的な内容に、私を含め全員が引きつった声を漏らす。
「そ、そんなこと出来るわけ。いや――その」
 無い。と言いかけて口ごもる。
 困った事に、心当たりがないわけではない。
 初めてこの教会に足を踏み入れて、口を付けたものがある。
 ケーキ。
 どうせ食べないからと唇を触った手でクリームを何度も掬った。
 他のケーキを受けてもびくともしなかった正悪魔は、私が触ったケーキにだけ酷く手傷を受けていた。
 それが、祝福なのだとしたら。
 祝福なんだろうな。やっぱり。偶然にしてもアレは出来すぎていた。
 ……でもよく考えれば便利な能力。銀を纏った矢や剣でさえ正悪魔に傷はつけられない。
 教会内のみんなの武器に祝福らしきものを授ければ随分安心出来る。
 聖水作成という室内での私の仕事も出来るし。私の頭の中を読んだようにアオが付け足してくる。
「溜めた水の中に入るだけでも良いよ」
「いやそれはちょっと」
 確かに手っ取り早いけど抵抗がある。
『駄目です!』
 シスターセルマとシリルも同時に怒っているし。はしたないですね、うん。
「そう言うわけだから気をつけて」
「はあ、面倒ごとが増えるわけですね」
 聖遺物自体数が少ない。それが私の口づけ一つ、囁き一つで無尽蔵に出来上がる。
 我ながらとても便利な存在だ。剣にキスすれば聖剣が出来、杯のワインに口を触れさせれば聖なるワインが生成される。
 盾、コイン、本、水。全て。
 便利は便利だけど、有り難みがない。
 滅多に見られないから珍重されるのであってぽろぽろ出来上がるなんて興ざめも良いところだ。
 大量生産したら値崩れも気になるし。
「これでますます人前で姿は見せられなくなりましたね」
 ここまで出来る便利な存在は攫うしかない。というか攫わないと損だ。
 姿を見られたとしてもこの能力は隠したほうが良い。便利だけど身の危険も付随する。
 聖遺物は珍重されているだけではなく売り買いされる。恐らく相当な高値で。
 前に何気ない会話でこの単語を耳にした。重鎮や貴族を守る為に聖人の一部かもしれない聖遺物がそうそう持ち込まれるものだろうか。
 恐らく王族でもないと無理だ。だけどそれは確実に持ち込まれた。ならばその聖遺物はどの経路で入手されたか。
 合法でも非合法でも、、聖遺物は売り買いされる。そう考えた方が辻褄が合う。
 相手の身分関係なくお金を積めば手に入れられるのだ。どの位の高値かは知らないが、神の加護や聖人自体少ないのでそうとう吹っ掛けられるだろう。
 聖女の姿と力だけでも危ないってのに聖遺物まで創れるなら命がけで攫われる。これ以上の面倒ごとはゴメンだ。
「危ないと感じたら城に保護して貰えばいい」
「城の人間が信用出来ると?」
 髪を掬い取るアオに半眼で尋ねると、苦笑された。
「聖女に迂闊な真似はしないよ。多少窮屈だけどね」
 彼自身、城の人間自体安全だとは考えていないらしい。まあ、お城だし。
 何かにつけて牢に入れたり人を断罪する場所だから。政略結婚当たり前な感じな所だろう、期待はしていない。
 んー。そうだ、能力があるならこう言うのも出来るだろうか。
 アオの隣に座るシリルの側により、彼の腕を取る。
「……あ、あの……」
 瞬時に赤くなるシリル。初々しい。
 そして羨ましい。ここは私も一緒にドキドキしないといけないのに。
 右手首に指を当て、軽く押すと彼の顔が僅かに歪む。ここか。
 少し腫れている。軽傷だと言っていたけど本当か怪しい。
 静かに指を滑らせて思念を軽く送りつける。ふ、と息を吹き付けるとびくりとシリルの体が震えますます顔が朱に染まる。
 う、駄目か。
「アオ。姫巫女なのに癒すとかは出来ないんですか」
「出来ないよ。悪魔退治が姫巫女の領分だから」
 聖女って普通癒しの力があったりするのに。
 むう、と頬を膨らませてから手をゆっくり放す。
「ごめんなさい、治せなくて」
「い、いいい。いえ……構いません。ありがとうございます」
 サッと手を引っ込め、シリルが首を振る。
 そんなに恥ずかしがらなくても。
「アオ、じゃあ魔法とか出来ないんですか、私」
「出来る事は出来るけど意味無いよ」
 膝の上に座り直すと、カップを取り上げて唇を付けようとしていた腕が止まる。
「どうして」
「君が出来る魔法は聖属性。なり手の少ない術ではあるけど――効くのは悪魔にだけ」
 なんか大仰そうな術だな。また聖、か。
「魔物には全然効かないんですか」
 僅かにでも効くのなら覚えたい。援護くらいは出来ないと。
「詠唱も必要だから、覚えるだけ時間の無駄だろうね。
 君の場合は無詠唱で神聖魔法の強力なものを使っているようなものだから。
 まあ、神聖魔法も目ではない威力だけれど」
「う。確かにそれは覚えるだけ意味はない、か。じゃあ他には!?」
「んー……君の場合そう言う能力で選ばれた訳じゃないから」
 意気込んで胸ぐらを掴むとアオが困ったような顔になる。
「つまり余り見込みはないと」
「その通り」
 アオの死刑宣告に、私はがっくりと項垂れた。
 ずるずると前面に倒れる体が抑え留められる。
 伸びた服も気にせずにぽんぽんと背が宥めるように叩かれた。

 ……絶対、いつか役に立つ魔法見つけてやる。
 勿論魔物向けに! 私は心の中で拳を握り、硬く誓った。

 

 

 

 

 

 

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