十章:半身−4

神には神の、私は私の考えがある。傀儡になる気はないからせいぜい悪あがきを続けてやろう。



 今からやろうかと問うアオに首を振り、アルノーはすぐに奇跡を受け取らなかった。
 ちらりとシリルを見てから、もう少し大人になってからお願いしますと。
 思い切り含みのある言葉を残して仕事に戻った。なにこれ、修羅場?
 私を愛していると言った神は楽しそうに笑って了解、と片手を上げた。楽しんでいる。
 もの凄く人が困っているってのに喜んでいる。お前は本当に私を大事に思っているのかと胸ぐらを揺さぶりたくなった。


「……守護者(マーシェ)が二人ねぇ。またアルノーもすっごい事考えるわ」
「思い詰めた人間は怖いねぇ」
 しみじみ呟くマーユに何か気まずげなボドウィン。火種でも植え付けた覚えがあるのか。
 まあこうなっては足掻いても仕方がない。前も似たような事があった気もするし。
 大人しく冷めたお茶を啜って喉の渇きを潤す。
 横の視線がかなり痛いけれど。シリルが見つめているというより睨んでいる。
 アオの腕から解放されているのに動かない私から目を離さない。抗議の視線を感じる。
 いや、下手に刺激したら何されるか分からないから大人しくして居るんですが。怖いですシリルさん。
 視線を落とすと鈍く光るナイフの柄が見えた。さっき取り落とした奴か。神相手に無茶をする。
「なかなか楽しい意見だと思うけどね。そう言う考え方は大好きだ」
 私の頭を撫でて、アオが微笑む。あー、大好きなんだろうな。あれだけ罵詈雑言浴びせた人間好きになる程だし。
 神に嫁入りするつもりはさらさらないが、多少聞きたい事はある。
「花嫁修業の事ですが」
「ん?」
 嬉しそうに首を傾けるアオ。別になりたいとは言ってないぞ。
「ある程度経験を積んで死んだら花嫁で間違ってませんね」
「そうだね」
 不思議そうに瞳を瞬いて彼が頷く。
「経験を積む前に例えば人に殺されたり、自分で命を絶てばどうなるんでしょう」
 静かな私の台詞に辺りが僅かに波打つ。
 アオが薄く微笑んだ。まるで予想していたという顔で。
「――死なないよ」
 頬に少し冷たい指先が滑る。
 澄んだ泉のような色のはずなのに、細めた瞳の中にチラチラと黒い影が見えた気がした。
「何しろ、それは僕が許さない。自分で命を絶ったとしても、君の命は拾い上げて元に戻す」
 歌うような声に息をつく。傍若無人や非常識を地で行く神だ。
 素直に死なせてくれないらしい。
「また随分私に入れ込んでますね。たかだか人間一人にそこまでしますか。
 輪廻の輪から弾くなんて生やさしい感じではないでしょうそれは」
 強い神とは言え自由すぎる。
 一目置かれていたとしてもここまで出来るなんておかしい。自然の摂理を完全に無視している。
 他の神に頼みでもしない限りこんな事は許されないだろう。微かにアオの眉が寄る。
「…………分かってる。だから手間取った、だけどお膳立ては全て整ったと言ったろう」
 頼み込んできたのか。アオの事だから随分葛藤したに違いない。
 でもこれほどに自信満々と言う事は交渉成立か。恨むぞ他の神。
「これだから神って奴は」
 勝手なものだ。力、権力、容姿、優れたものを持つモノは手に負えない。
 神なら尚更厄介だ。
「それに君はただのヒトではない。マナは数える事すら忘れるほどに長く存在した僕の心を奪った。
 僕が半身と決めた。その事実があれば充分。時も生も死も歪める理由になる」
 なんつー神だ。そう言う重要な事柄は躊躇えよ。
 世界がビリヤードの台だとする。人や事柄は玉。順序よく並べられたそれはあるべき場所に落ちる。
 ポケットという名の運命へ。アオはその玉を躊躇いなく消してみせる。一つではなく二つ三つ。
 そうしたらどれほど世界は狂うだろう。生まれ出てくる人は幾ら消えるだろう。
 ……私一人の命を掬い上げる為だけに、アオは世界も人も犠牲にしてしまう。
 あらゆる意味で恐ろしい神だ。まさしく、死神。
 人が世界がどうなろうと構わない。優しさの欠片もない冷酷な神だ。
 女冥利に尽きると言われればそうだけど、これはやりすぎだ。
「じゃあ自殺なんて無理なんですね。今からそこの崖に飛び降りに行っても無駄ですか」
 教会のそう遠くない位置に自殺の名所で名を馳せられそうな見事な崖っぷちがある。
 ご丁寧な事に下は激流。落ちれば即死か運良くて溺死。
 アオが微笑ましそうに私の頭をもう一度撫でて頷く。
「無駄だよ。なにしろ僕が許さない」
「そうですね」
 お茶にまた口を付ける。アオの言葉に嘘はないだろう。
 しかし、今までの言動で嘘の色がある。神は全知全能ではない。
 悪魔の駆け引きに慣れた私の思考を全て見通す事までは無理か。
 カップを置いて小さく息をつく。
 瞳を伏せ、僅かに視線をゆらす。
 オーブリー神父とボドウィンは窓の側。マーユとセルマは私から随分離れている。
 シリルは多分追いつかない。アオは気が付いていない。
 ――出来る。
 確信と共に素早く滑り落ち、目に付いていたそれを掴んでアオの上に飛び乗った。銀髪がふわりと広がる。
『な!?』
 それまでに掛かった時間は片手ほどの秒数。辺りの動揺を無視してひたりと白い首筋にそれを押し付けた。
 悪魔との駆け引きで得た感情のコントロール。動揺も恐怖も喜怒哀楽も塞いで相手を騙す。
 それは神にも通用した。
「……ここで神殺しをしたらどうなるでしょう」
 ナイフをアオの首筋に当てたまま静かに尋ねる。
 半ばから折れ飛んだとしても使用する分に問題はない。首を掻き切る事も可能。
 首を絞めた時の反応からすると、アオの体は人間に近い。殺す事も出来るはずだ。
「別にどうにも。君は罰されない。……神は死なないからね」
 澄んだ眼差しが私を貫く。刃に恐怖を感じている様子はない。
 殺しても死なない。暗にそう告げてくる。
 なるほど。やっぱりそう返してくるか。じゃあ、この質問はどう答える?
「では、あなたを殺して崖から飛び降りてきます」
 それまで余裕の表情を貫いていたアオの顔が僅かに青ざめる。

 予想通りだ。

 大体初めからおかしかった。本当に花嫁にしたいのなら寿命なんて延ばさない方がアオの望みは早く叶う。
 だけど、そうした。理由は簡単。私にすぐに死なれては困る≠フだ。
 可愛いとか愛しているとか、そう言うのではなく。アオの計画が崩れる可能性があったから。
 前聞いた話からすると彼は綿密な計画を立てるのを好む。穴を塞いで崩れないように調整する。
 しかし私の時は全てが急で、いつものように上手く計画が立てられなかった。それか、無理だった。
 私がアオに好意を示していない時点で、このはかりごとは無茶なものだったんだろう。
 だから、苦肉の策を使用した。
 寿命の延長と私の体の成長速度を遅らせる。これは、必要な事だった。
 何故、どうして。考えるまでもない。
 アオは時間が欲しかった。自分に万が一の事があった場合の保険を掛けたのだ。
 神は確かに死なないんだろう。だけど、完全に消滅させられると恐らく再生に長く掛かる。
 十年か、それよりもっと。まだ長いかもしれない。
「意味はない」
 咎める声がか細い。
 今までどんなに脅しても動じなかった彼が恐れている。
 自分が死んですぐには元に戻れない。その時に私が死んだらどうなるだろう。
 幾らアオでも全ての神に根回しは出来ていないはず。
 運悪くそんな神が私の魂を拾えば、死んだ私の魂はクリアにされて輪廻の輪に流される。それは、アオが最も恐れる事態なのだ。
 何しろ彼が私に執着するのは今の人格と魂。外見ではない。魂だけでも物足りないだろう。
 本来なら姿と共に従順な性格にも出来たのに、しなかった。
 アオは私という人格があってこそ好意を寄せた。だから、頭の中をそこまでいじらなかった。
 今生の死は彼にとってどうでも良く。私の魂が奪われ浄化される事が彼にとって私の死に等しい。
 ……私には逃げ道が残っていた。

 神の花嫁にならない道。神を殺し自分も死ぬ道。

 私はアオに触れる。他の人は無理でも私だけは例外だった。
 恐らくこうやって撫でたり触ったり抱き上げたいからの行動。
 それが仇だ。心の中で少しだけ笑う。
 まあ、随分な収穫か。今のところはこれで満足しておこう。
「冗談ですよ」
 ナイフをテーブルに載せてもう一度アオの膝に座り込む。ふ、と吐息が首筋に掛かる。
 表情は変えていないが安堵したらしい。
「悪質すぎるよ。肝が冷える」
「神にも肝があるとは驚きです」
 今のところ死ぬ気もないので最終手段としてだけ残しておく。
 最強であり最凶でもある切り札として。

 

 

 

 

 

 

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