十章:半身−3

アオの笑顔は危険だ。絶対絶対ロクでもない事を考えているに違いない。



 こうべを垂れるアルノーに、アオが微笑む。
「お願い。ふふ、良いよ。僕は今は機嫌が良いからちょっとしたものならかまわない」
 嘘付け。確かにアオは今機嫌が良い。だけど頼みを聞くのはアルノーが今から願う内容に察しが付いているからだ。
 とは思うものの、何をお願いするかまでは分からない。このアホ神に頼むくらいだから結構な願いだとは思うけれど。
 なんでこんなのが、と思いたくなるが、アオは強大な力を持つらしい。自分の娯楽で世界を好きなようにするほどに。
 その位はちゃんと本にも載っている。アルノーだって聖書を読んだりもしていた。
 神の怒りを買うかもしれないお願いごと。
 自分のやっている事の危険性位分かっているはず。
「寿命を、時の流れる早さを姫さまと同じにして下さい!」
 グリーンの瞳が私を軽く眺めた後、きっぱりと言い切った。
「なっ」
 思わず絶句する。
 なにいぃ!?
 なんてことを頼むんだこの子は! 私と一緒って、永久に近い生。
 つまり普通の人間である事を捨てるという行為に他ならない。正気ではない。
「お、思い直しましょう。気の迷いだとしてもちょっと洒落になりません!」
 崇拝されているのは理解していたが、ここまでとは。幾ら何でも突拍子が無さ過ぎる。
 生物の枠を越える。そんなことすればアルノーは普通の人生を送れなくなる上に、村や両親ともある程度したら離れないといけなくなる。
 何しろ、数十年は経たないと年を取らない。童顔で通したとしても数年で気が付かれて怪しまれる。
 彼にはお世話になったし、逃亡人生みたいなものを歩ませたくはない。
「姫さま、これは本気です」
 貫く新緑色の双眸は、恐ろしいほどに澄み切っている。困った事に本気だ。
 迷いの色すら見えない。
 僅かにアルノーの視線がシリルを向いた気がした。
「ふふふっ。君は守護者(マーシェ)を目指すの? 守護者は居るのに」
 だから、守護者じゃないというのに。明らかにシリルの事を示しているアオに不快感を表した様子も見せず、礼儀正しく膝をついたアルノーが口を開く。
異空渡しの旅人(フィムフリィソワ)様」
「待って、その名前長くて嫌いだ。アオで良い」
 深い蒼の瞳を気怠げに細め、パタパタと片手を振る。
 まあ確かに長いけど、そこで話の腰を折るなよ。
 気を取り直すようにアルノーが微かに顔を上げた。
「では、アオ様に一つお聞きします。守護者とは一人ではないといけないのでしょうか」
 真剣だが首筋を殴られるような台詞に、アオを含め、全員が黙する。
 なん、て、言った。ぱっくりと自分の口が開くのが分かった。
「くっ。あはははははは。良いねそう言う考え。
 つまり守護者は数が決まっていないと言いたいんだ」
 しばし間を置いて、お腹が捩れる程に受けたらしいアオの馬鹿笑いが弾けた。
 元々通る声だけに尚更辺りに響き渡った。
「はい。別に二人でも三人でも……姫さまが守れるなら多い方が良いのではないのでしょうか」
 こくんと頷くアルノーの灰色の髪が揺れる。
「なっ、なっ、なっ」
 対する私はもう声すらまともに上げられない。ア、アルノーそう来るか。
 確かに守護者と姫の物語はあった。守護者は姫の剣と盾。
 厳密に人数までは決められていない。
 彼はそこに目を付けた。実にとんでもない発想である。普通騎士とか一人だろうに。
「それに姫さまのお側でお仕え出来るのが一人だけなんて不公平です。そうは思いませんか」
 首を僅かに傾けて細める瞳に悪戯っぽい色が伺えた。
 何故だろうアオにかしずいて居るはずなのに対等に話しているように見える。
 私と同じように考えたのか、蒼い瞳と口元を楽しげに歪め唇に指を当てた。
「なーるほど。それはもっとも、立ち位置が違うのが不満だと」 
 首筋に特徴的な濃淡のある冷ややかな髪が当たってくすぐったい。
「姫さまと対等になれるなんて思っては居ません。せめて他の人と同じ地点に居たい、それだけです」
 真正面からの台詞に、アオの笑みが深くなる。……聞きたいのですが、あのおろおろオタオタしていたアルノーは何処に。
 神様相手に啖呵切ってるのは同一人物なのか疑いたくなってくる。
「……良い度胸だ。良いよ、確かに守護者が一人。そんな規則もない」
 そして、アオは正直者よりひねくれ者や反抗的な人間がお好みだ。二つ返事で承諾した。
「なっ。とめて下さいよ!」
 聞きはしないだろうが、一応止める。可能性がミリではなくミクロン単位で儚い抵抗だとしても制止する。
 私は無理だから、アルノーに位は並の人生を送って欲しい。わざわざ捨ててくれなくて良い。
「姫さまは、邪魔ですか」
 よかれと思って反論したが、塩を掛けられた青菜の如くしゅんとアルノーが落ち込んだ。
 あああ。いつもの彼だ良かった、じゃなくて。
「いやそういう問題でなくてね、アルノー。一生私に縛られるよ。
 あと、同じ場所にも住めなくなるし、石投げられる可能性だってあるんだよ!?
 私の側に居るだけで下手すれば死ぬかもしれないし!」
 相手がいつものアルノーだと認識して、必死に説得を開始した。
 今は良くてもいつ何が起きても不思議ではない。この神は愛してくれている。
 寵愛と言うより狂愛だとしても愛は愛。全く嬉しくないけれど。凄い不安になるけれど。
 神は私の敵にはならない。悪魔も私の敵ではない。だけど魔物や人間はどうだ。
 特に人間は、何をしてくるか分からない。下手に抵抗すると何をされるか分かったもんじゃない。
 平和に生きていた人間が味わってはいけない世界だ。
「既に覚悟の上です」
 物騒な単語を出しても、全くもって動じない。
 のれんに腕押し、ぬかに釘。そんな言葉を思い出した。
 なんか、何言っても無駄な気がしてくる。
 普通の村の少年だと思っていたのに、意外と大物だったのか彼。
 そんなあっさり命賭けられても私は困るんだけど聞く耳持たない感じだし。
 大物の上に頑固。手が付けられない。
 どうして私の周りには掌に収まりきれない位面倒なのが集まるのだろう。
 悩む私の心中はどうでも良いとばかりにまた髪が掬われて落とされる。
「守護者は一人ではない、か。楽しくなりそうだ」
 含み笑うアオの隣で、シリルが拳を握って唇を強く噛んでいた。

 心の中で思いきり溜息を吐き出す。
 謀らずとも、アオの逆ハーレムの口実はこうして出来上がった。

 

 

 

 

 

 

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