暗い。その場所に放り込まれた時少女が感じたのは三文字の言葉。
暗幕を何枚も垂らしたかのように光すら差さない。普段ならば闇にすくむ足も今は平気だった。
―― 一人じゃない。
それだけが心の支えになる。手に軽く力を込めて、相手の存在を確かめる。少し間を置いて握り返され安堵した。
何処に向かっているかは分からなくても、ひとりぼっちではない。彼がいる。
柔らかくも固くもない、足音すら吸収する土とは違う踏み慣れない地面に足をつけて真っ直ぐ進む。やっぱり何処に向かっているのかは分からない。
でも、行く場所は決まっている気がした。同じ歩幅で進む隣の歩みも揺れる事はなく迷いがない。
光が見える様子はない。しばらく目的地に着く事はないのだろうと思う。
数拍の沈黙の後、少女は心の中で白旗を振った。
……暇だ。
もう一度繋がれた掌を確認するようにゆっくり握る。安心させるような優しい力が加わった。
嫌われてはいないらしい。まあ、嫌悪感があるならとっくに振り払われているだろうとも思う。
そう言えば相手はどんな顔で、どんな姿をしていて、声をしていたんだろう。
瞳を閉じて思い出そうと試みる。どちらにしろここまで暗ければ視力はアテにならない。
彼は、どんな人だったか。
確か、肩まで伸ばされた金髪だった。それで――目を奪われる程に綺麗なスミレ色の瞳をしていた。
陽の光の元で、あの瞳をもう一度見たい。
ほとんど言葉を交わしていない上に、一見に過ぎない自分の腕を払わないのだ。とても優しいんだろう。
会話がないのは、いきなりここに連れてこられてこの空間だ。仕方ない。
年はどの位だったか、見た目は少年と言っていい声と姿だった。赤い血潮にまみれても、綺麗な姿をしていると思った。
そこまで黙考して少女は闇の中である重要な事に気が付いた。自分の手を握ってくれている相手の名前は、何だったんだろうと。
初めてあった時にその位聞けば良かった。とも思うが、それどころではない状況だったので仕方がないかなとも思う。
あの人なら知っているのだろうか。答えてくれるのだろうか。
海や空にも似た髪を持つ、あの不思議な青年なら。
ふう、と暗闇に放り込まれて初めて溜息が出た。不安にさせてしまったのか、手を強く握られた。
不毛な事に思いを馳せたせいで心配を掛けてしまった。この人は、優しい人だ。
絶対そうに違いない、確信に近い思いで握り返す。今自分たちは二人だけ。そしてここに連れ込んだ人の思惑を考えたところで意味がない。
ふと、疑問が掠めた。少女自身多少の違和感を感じていたが、こんな単純な事だと思わなかった。
単純かつ最大の疑問。
私の名前って、何だったっけ?
何となく思う。名前が思い出せない。酷く衝撃的な事実だったが、意外と冷静に考えていた。
そして、まあ今のところは良いかとも楽観的に頷く。幸いな事に自分は一人ではなかったのだから。
人がこんなに近くにいるなんてどの位ぶりかな、と思い出しながら暗闇の中を軽い足取りで進んだ。
でも少年の名前が呼べないのは不便だなぁ、とも思う。どうせ昔から名前なんて余り呼ばれた事はないから自分が名無しでも気にならない。
それに薄々感づいていた。自分の名前が思い出せないのは、あの不可思議な青年のせいだろう。
『荷物はいらない。いるのは君の身体一つ。
この世界の物は全て置いて、君は向こうの世界で生き延びなければならない。それが決まり』
告げられたあの時、少女自身が頷いたせいだと。
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