Kamihara detective office

     

エピローグ/ やっぱり極貧、神原探偵事務所


 



「まったく……銀行強盗には蹴られるわ、春菜には打たれるは、散々だったよ」
 直斗は車に揺られながら、赤く腫れあがった左頬をさする。
「いや、その……手が勝手に」
 春菜は恥ずかしそうに俯いて、ボソボソと呟く。
 前の席では、唐橋警部が大笑いをしていた。
「はっははははははは」
「何がおかしーんだよ、警部」
 左頬に手を置いて直斗は唸る。
「いや。このお嬢ちゃんがそんなに行動力があるとは以外だったんでな」
「僕も以外でしたよ。犯人を色仕掛けで倒すとは思いませんでしたから」
 ばき!
 鈍い音が車内に響く。春菜が真っ赤になって直斗に拳を振り下ろした格好で止まっている。
「いったいなぁ! 何するんだよ!」
 直斗は春菜に噛み付く。春菜は睨み、
「大声でそんな事言わないでくださいっ!」
「いやー、しかし。お手柄だぞふたりとも!盗まれた金の在処も分かったしな!」
 助手席から身を乗り出し、直斗をバンバン叩く。
「あだぁっ! か、唐橋警部。一応僕、怪我人なんですけど」
「いやー、スマンスマン。あの地蔵の下を掘れば、たぶん金が出て来るんだろ?」
 唐橋の言葉を聞き、直斗は左右に首を振る。
「いえ、あれは引っかけですよ」
「なに? ちがうのか?」
「ええ、《崇拝すべき神》は、地蔵ではなく、あそこの近くにある一番大きなご神木。
 牙の中に子は眠る……は、たぶん隠し金庫か何かの鍵が、像か何かの牙の中に埋め込んであるんだと思います」
 直斗の言葉に唐橋は渋面で、
「で、その肝心の金庫は何処に行ったんだ?」
「んー。たぶん、金庫は捕まえた人達が知ってるんじゃないですか?」
「……どちらにしろ聞き出さないといけないからな」
 頷いて、顔を前に戻す。春菜はそっぽを向いたままだったが、不意に顔を前に戻し、
「警部。あの……明日の午後開けられます?」
「んー? まあ、できんことはないが、デートのお誘いか?」
 笑いながらいう言葉に春菜は頷きつつ、
「ちょっと違うけど、夕食のお誘いです。良かったら来てください」
「おお、行く行く」
「春菜、僕聞いてないよそれ……」
 直斗は困惑した表情で春菜を眺める。
「忘れたんですか、金城さんを夕食に招待するの。食べる人が一人増えても変わらないと思いますけど」
「………忘れてた」
 呻き声を上げ、車のシートにズルズルともたれる。春菜は呆れたように溜め息を付いて、微笑んだ。


 次の日の夕刻――春菜はぱんっと手を打って、唐橋警部に頭を下げて拝んでいた。
「をーい。もう一回説明してくれ」
 唐橋警部の弱り切った声に春菜は顔を上げ、
「余った人が食事で呼んで困った他にです!」
 オロオロと手をバタつかせて喋る。
「訳わからん。もーちょっと、落ち着いて喋ってくれ。ほら、深呼吸して」
「すーはーすーはー」
 促されるままに、素直に深呼吸をする。
「……ああ、ごめんなさい。食事が一人分余ってて誰か他に呼んでもらおうと思いまして」
 落ち着いたのか、今度は普通に喋った。
「余ったのか? 足りないんじゃ無くって」
 春菜は頷きながら、溜め息混じりに、
「はい。直斗さんに買い物を頼んだんですけど、材料が一人分多くて。
 私……気づかずにそのまま作っちゃったんです」
 「またあいつは……こーいう事にはトコトン役に立たないな。あー、分かった。暇な奴誰か連れてくるから待ってろ」
 唐橋警部は頭を掻くと、そう言って連れてくるためだろう、来た道を引き返した。


「警部まだかな?」
 直斗は首を捻って玄関をのぞきに来た。春菜はさっきからずっと玄関で待っている。
 春菜は外傷なし。直斗は腹に痣は出来ていたものの、骨折はしていなかった。
 医師に言わせると、信じられないぐらい頑丈とのこと。
 しかし、顔は少し怪我をしていたため口元の部分に絆創膏を貼っている。
 春菜が張り倒した部分ではなく、庄司が殴った部分が切れていたのだ。
「まだみたいですねぇ」
 春菜はそう言いながら、直斗の方を向く。直斗のネクタイが曲がっているのに目がついた。
 それを直しながら、
「ほら、まがってる」
 溜め息を付いて見上げる。直斗は頭を掻き、
「あははは」
 照れくさそうに笑った。
(これってなんか……若奥……)
 春菜はそこまで考えて、慌てて手を離す。顔が熱い。
「……あ」
 相手も気がついたのか、頬を赤くして慌てて離れた。
 二人で俯いて押し黙る。しかし、それも長くは続かなかった。
 ぎぃぃぃぃぃっ!
「おーっ! 遅くなって悪い。早く食事にしよう」
 大きな音を立てて扉を押し開け、唐橋警部が入ってきた。
「失礼しますー」
 その後ろにおずおずと、若い男性が続く。彼が警部の連れてきた人らしい。
「いらっしゃいませ! ようこそ神原探偵事務所へ!」
 春菜は満面の笑みを浮かべ、ぺこりと二人に頭を下げる。
「おお、おじゃまする……って、なんじゃこりゃぁっ!」
 玄関から中に入り、唐橋警部は驚愕の叫び声をあげる。
「おい! 神原、あの本のお化け屋敷は何処に行った? ……無茶苦茶綺麗なんだが」
 ……どうやら、以前ここに来たことがあるらしい。
「彼女が全部片付けてくれたんです」
 直斗は頭を掻きながら話す。
「ほぉ……あの量をねぇ。ふむふむ」
 感心したように頷く警部に、春菜は首を傾げ、
「そちらの方は?」
 彼の後ろの方に視線を注ぐ。
「はっ! じ、自分は田神(たがみ) (あきら)と申します!」
 二十代前半ぐらいの男性は、がちがちに固まったまま、直立不動でそう告げた。
「……あの、田神さん。そんなに畏まらなくても良いんですけど。ねえ、直斗さん」
「うん。そんながちがちにならなくても。楽にしてていいですよ」
 田神はその言葉を聞くと、少し力を抜いた。
「おお、コイツのことは彰って呼び捨てにして良いぞ」
 唐橋警部はそう言いながら、田神の背中をばしばし叩く。
「はっ! はい! 呼び捨てにしていただいて構いませんっ!」
 田神はまたがちがちになった。春菜は困ったように、
「あの、彰さん。力を抜いていて良いですよ」
 それを見ながら直斗は肩をすくめ、
「僕は神原直斗。で、こっちは助手の……」
「北倉春菜です」
 彼の紹介にあわせ、頭を下げる。まだがちがちに硬直した田神が驚いたように、
「六十過ぎの老婆だと警部から聞きましたが、まだお若く見えます!」
 春菜はそれを聞き、しばし硬直し―――
 唐橋警部の方を向き直り、やたらとニコニコ微笑んで、彼を軽くぱんぱん叩き、
「ふふふ、唐橋警部? 一体どういう話を署内でされてるのかしら……詳しく聞かせてください?」
 端から見ると上機嫌のように見えるが、言葉には怒気が込められている。唐橋警部は薄ら寒いものを感じ、
「いや、それはだな、たぶん尾ひれなんかが付いているんだと……おいっ! このお嬢さんはまだ十五歳だ」
「こ、これは失礼しました!」
 慌てて謝る。幸か不幸か、緊張は取れたようだ。
「……まあ、いいです。さあ、食事にしましょう」
 春菜は大きく息をつき、笑みを浮かべて元気良く歩き出す。
「ふぅ……なんか凄く怖かったな今」
 警部は溜め息を付いて脂汗を拭う。直斗は笑って、
「あちこちに言いふらすからですよ」
「今度から他の奴らに言うのは控えよう」
 警部は身震いをし、そう呟いた。
「控えるんじゃなくて、もう言わないでください」
 春菜は振り向き、にっこりと微笑む。
「あ、ああ。はい」
 警部は素直に頷いた。


 食堂では、春菜と田神が忙しそうに動き回っている。
 田神は、自分から手伝いを進み出た。(……警部の手伝ってやれ、の言葉のせいもあったのだろうが)田神が運び、春菜が手早く並べていく。あっ、という間にテーブルは、料理で埋め尽くされる。
 辺りに、食欲をそそる香りが立ちこめた。
「おお、うまそうだな」
「はい。春菜の料理の腕は僕が保証しますよ」
 直斗は唐橋警部の言葉に頷く。警部は直斗をちらっとみて、
「お前の舌は信用せんが、お嬢ちゃんの料理の腕は信用する」
「……どーゆー意味です?」
 直斗はジト目で睨む。警部は溜め息を付き、
「お前の前の食生活を知ってるからな」
「……はははははは」
 警部の言葉に、直斗は横を向いてから笑いをあげた。向いた先では春菜と田神は料理を運び終え、お茶を配っている。
「はい、どうぞ。金城さん」
「ああ、ありがとう春菜ちゃん」
 金城は笑って受け取る。《春菜ちゃん》の部分で直斗の顔が一瞬引きつった。
「どうした、神原。そんなにピリピリした空気を発して」
「いえいえ、何でもないんです。何でも……」
 微笑みながら、答える。
「ところで春菜ちゃん。今度の日曜日、遊びに行かない?」
「いえ、日曜はちょっと忙しくて……それより早く食べないと冷めますよ」
 聞きたくないのだが、春菜と金城の会話がハッキリと耳に入ってくる。
「おい、神原。隠していても分かるぞ。なんかすごくイライラしてるだろ」
「そんなことはないですっ! ええ、ちっとも!」
 据わった目で睨み、語尾を強くしながら言う。
「やっぱり平静じゃないな。あのお嬢ちゃんのやりとりが気になるか?」
「…………」
「そりゃそうか、金城 真人といえば、ここらじゃ有名だもんな」
(悪い意味でね)
 溜め息を付いて視線を元に戻そうとしたとき、何かが目の前に突き出された。
 灰色で、ゴツゴツしており、丸みを帯びた長方形の器が湯気を立てている。
(――湯飲み?)
 視線を上のほうにゆっくり移動させる。そこには満面の笑みを浮かべた春菜が立っていた。
「はい、直斗さん」
 春菜から湯飲みを受け取り、直斗はこわごわと口を開く。
「あの、金城さんと何を話してたんだい?」
「ああ、日曜日に遊びに行かないかって言われました」
 直斗は上目使いに相手をみながら、
「いくの?」
「行きませんよ! 何いってんですか? 私は忙しい身なんです!」
 春菜は頬を膨らませ、言う。直斗は首を傾げ、
「でも、日曜日は一応……休みのハズだけど? 忙しいって」
 春菜は直斗の鼻先に指を突きつけ、
「私は直斗のお世話で忙しいんです! 分かりました?」
 そう言って、またお茶運びに戻っていく。
 直斗はしばしポカンとしていたが、誤魔化すようにお茶に口を付ける。唐橋警部が茶化すように、
「ふーん。良かったなぁ」
「何がですか」
「別に……」
 警部はそう言ってそっぽを向いた。


 食事が終わった後、春菜以外全員は席に座ったままぼけっとしていた。
「うーん、美味かったなぁ。満腹満腹」
 唐橋警部は腹をさすりながら、幸せそうに呟く。
「はい、もう無いですか? 洗い物」
 春菜はテーブルを眺め、厨房に戻っていく。それを見届けて、
「金の件だがな、お前の言った通りだったよ。神木の下に鍵が埋まってた。
 で金庫には、隠した宝の場所が記されてたよ」
「……やっぱり、防弾防火仕様でした?」
「ああ、鍵がないと開けることもできないぐらい丈夫に出来てたよ」
 警部は渋面で頷く。直斗は真剣な表情で、
「それで、聞いておきたいんですけど、その盗まれたお金っていくらぐらいだったんです?」
「うーん。十八億ぐらいかな」
 頭を掻き、警部は答える。
「十八億……」
 直斗はテーブルに肘をつき、手に顎を乗せ呟く。
「ところで、お前、この依頼っていくらで引き受けたんだ?」
「前金で六万、後金で六万……のハズだったんだけど。二人が捕まって、六万だけ」
 直斗の言葉にその場にいた全員が沈黙する。
「命がけで十八億取り返して、儲けはたった六万か……」
 渋い顔で唐橋警部は呟く。直斗は微笑み、
「世の中って、不条理ですよねぇ」
 どこか爽やかに言う。唐橋は、ポンッと彼の肩に手を置き、
「警察で、感謝状ぐらいはもらえるそうだ。喜べ」
「あんまり嬉しくないです」
 ふてくされた表情で呟く。
「僕はこれでも精一杯社会貢献してるつもりなんですけどね」
 溜め息を付く直斗に金城は手を置き、
「贅沢もの」
 と、一言言った。
「え?」
 意味が分からず、直斗は目をぱちくりさせる。
「あんな娘が家事をしてくれているのに、贅沢だ!」
 そう言って、調理場の方を指さす。
「それもそうだな、たぶん金運がないのはそのせいだろ」
「うらやましいですね」
「いや、あの」
 みんなの視線が険悪になり、直斗は冷や汗を流す。
「直斗ーっ! どうしたのー?」
 間の悪いことに、春菜から声がかかった。反射的に返事を返す。
「何でもないよーっ! 春菜ッ!」
 言ってしまってから慌てて口を押さえる。
「春菜? 前はさん付けだったよな? 言葉遣いも砕けてるし」
「なるほど、ここ数日で仲が進展したか……早いな」
 金城と、唐橋警部は交互に言って、同時に指をばきばき鳴らす。
「ちょっ、落ち着いて……」
 直斗は椅子から立ち上がり、後退しつつ必死に説得を試みる。
『この幸せもんがぁぁぁぁぁぁッ!』
「いだだだだだだだだっ!」
 直斗は全員に小突き回され、悲鳴を上げる。
 たこ殴りは、春菜が異変に気づく五分間続いたのだった。


 全員を送り終え、春菜と直斗はいつもの場所で、直斗はクッションに座っていた。
 いや、ぐったりとしていたという方が正しいか……春菜は薬箱を開け、薬を取り出し、直斗の擦り傷につける。「いてっ!」
「……がまんがまん。もぅ、部屋の中でおしくら饅頭なんかするからですよ!」
 春菜はそう言いながら、口を尖らせる。
(唐橋警部に言われたんだな)
 別に、本当のことを言う必要もなかったので言わなかった。
「んん?」
 春菜は眉根を寄せ、直斗にぐいっと顔を近づける。
 彼女の顔が、間近まで迫り直斗は顔を赤らめた。春菜はそれに気づかず、薬を彼の鼻先に付けた。
「痛い、痛いっ! もうちょっとお手柔らかに……」
「優しくやってます! まったく……」
 ムッとした顔で春菜はそう呟き、絆創膏を鼻先に貼り付けた。
「ぶっ!」
「はーい、可愛くできました。直斗ちゃーん」
 春菜は笑って、手鏡をポケットから取り出し、直斗に見せる。
「うわ、かっこ悪」
 鏡を見た途端、直斗は泣きそうな顔で呟いた。
「はい、次は服を脱ぐ!」
 そう言いながら、春菜は直斗のシャツを脱がそうとする。
「わっ! ちょっと!」
「脱がないと薬が付けられませんっ!」
 赤くなった直斗に、同じ様に顔を赤らめた春菜が言う。
「う……じ、自分で後から」
「ダメです! 忘れるに決まってます!」
 直斗は言葉に詰まり、渋々シャツを脱ぎ始める。
 少女と見間違えそうなほど白い肌に、華奢な体。
 腹部の部分に赤黒い痣が出来ている。それを見て、春菜は顔をゆがめ、
「相変わらず酷いですけど……よかった。昨日より腫れが引いてます」
 そう言って丁寧に患部に薬を塗り込んでいく。
「痛くないですか?」
「う、うん」
 直斗は慌てて頷く。春菜は全ての部分に薬を付け、包帯でそこを巻き始める。
「かってに包帯を取ったらダメですって、あれほど言ったじゃないですか。何で外したんです?」
 怒ったように春菜は睨む。直斗は横を向き、
「う……気持ちが悪かったもんで……つい」
「気持ちは分かりますけど、大人しくしといてもらわないと困ります! 治りが遅くなるんですよ!」
 頬を膨らませ、直斗に言い聞かせるように言う。
「春菜って……なんかお母さんみたい」
「……ほっといてください」
 直斗の一言に、春菜は憮然と呟いた。直斗は彼女を見つめ、
「春菜、ありがとう」
 照れくさそうに微笑んで、小さく言う。春菜は微笑み、
「なにいってるの? 当たり前!」
「……当たり前?」
「そう、当たり前です!」
 直斗は少し意地悪な質問をしてみた。。
「僕の助手……だから?」
 春菜は戸惑ったように、
「それもありますけど……直斗は……」
「僕は?」
 直斗は身を乗り出し、聞く。
「……私の」
「君の?」
 直斗が聞くと、春菜はしばし沈黙し、
「まあ、どーでもいいじゃないですか!」
 直斗は肩をコケさせて、
「どーでもいいって。教えてよ!」
「えーっ」
「教えてよっ! 気になるから」
 せがむ直斗をみて、春菜は仕方なさそうに、
「私の大切なパートナーです!」
 直斗の頭に一気に血が上る。
「え、どういう意味の?」
 春菜は悪戯っぽく微笑み、
「自分で考えてくださーい!」
 そういって、自分の部屋に走っていった。
「か、からかわれてるのかな?」
 一人残された直斗は赤くなった頬を掻き、呟く。
 ……まあ、こういうのも幸せかな? なんとなく幸福感に満たされて、直斗は自分の部屋に入っていく。
「大切な…パートナーか……」
 ベットに潜り込み、微睡みながら呟く。
「そういうのも……いいかな……一人よりは」
 言葉が終わらぬうちに、直斗は夢の世界へと誘われていった。


「私ってやっぱり、事件を呼び寄せる体質なのかなぁ」
 春菜はベットに座り、呟く。
 探偵事務所にいれば、役には立つだろう。そう思ってココにきたものの、春菜は少し後悔していた。
 自分の体質のせいだったら、間接的にでも直斗を傷つけたことになる。
「はぁっ……明日は普通の一日だと良いな」春菜は溜め息を付いて、窓をみる。満天の星空が輝いていた。
(明日は良いことがありますように)
 なんとなく願い事をする。キラリと星の一つが輝いた気がした。
 ベットに潜り込み、目を瞑るとそう経たないうちに眠ることが出来た。


 ―――翌日
 春菜と直斗は同時に跳ね起きた。玄関のドアが、もの凄い勢いで叩かれている。
「なに?」
「なんだ?」
 慌てて部屋から飛び出す。二人で頷き合い、玄関に向かう。
 意を決し、ドアを開く。汗だくの青年が中に飛び込んできた。
「こ、ここは、神原探偵事務所か?」
「ええ、そうですけど。どうしたんです?」
 直斗は怪訝そうに尋ねる。青年は直斗の肩を掴み、
「たのむっ! 助けてくれっ! 殺されちまう」
「殺される? それはまた穏やかじゃないですね。中にどうぞ、詳しい話を聞かせてください」
 直斗はそういって、相手を中にいれる。春菜は棒立ちになったまま、
「いいことって……これ?」
 呆然と呟くが、それに答えるものはいなかった。
 どうやら、安息の日々は当分お預けらしい。
 そして、儲けになりそうな仕事も―――
 なにせ、ここは《神原探偵事務所》なのだから。春菜は大きく溜め息を付き、扉に向かっていく。
 隙間から、真夏のような日差しが飛び込んでくる。
 ―――もうすぐ夏ね―――
 そう思いながら扉を閉めた。
 かたん……。
 外側の扉の側に掛かった木のプレートが衝撃で小さく揺れる。
 『神原探偵事務所』の下に小さく『春菜』と、直斗の美麗な字で書き込まれていた。

                                           

《終》  

 

 

 

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