Kamihara detective office

     

三章 /真相


 


 翌日の朝、珍しく食卓には直斗も座っていた。
 しかし、さっきから唸ってばかりで一向に手をつけようとはしない。
「うーん」
「直斗さん? 料理が冷めますよ」
 春菜は彼の体をゆらゆら揺すった。
「うーむ」
「なおとさん?」
 今度は少し強めに言う。
「う――――――ん?」
 春菜は大きく息を吸い込み、直斗の耳に唇を寄せ、
「な・お・と・さぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 春菜の声に驚き、直斗は悲鳴を上げて椅子からずり落ちた。
「な、なな何ですか?」
「何じゃないですよ! さっきからボーッとして、ご飯が冷めちゃいます」
 春菜は腰に手を当てて、膨れる。
「え、ああ、ご飯はご飯、ですね」
「……何言ってるんです? 当たり前です」
 椅子に座りながら珍答を繰り出す直斗に、春菜は憮然と突っ込みをいれる。
「はあっ。また考え事してたんですね。まったく、考え出すと止まらなくなるんですから」
「……はははは」
「なにを考えてたんです?」
「うーん、昨日見た外人さんに、妖しい依頼のこと」
 直斗の言葉に、春菜はしばし沈黙し、
「あの……言いそびれてたんですけど。私あの外人さんどこかで見た気がするんですよ」
 直斗を控えめに見ながら呟く。直斗は立ち上がり、興奮したように春菜の肩を掴む。
「それって何処! 何処で見たんだ!?」
「いや、その。何処だったかな? つい最近どこかで……」
「どこかって?」
「何処か……ドコでしょうね?」
 春菜は俯いて、考え込む。直斗は必死に、
「思い出せないかな?」
「ごめんなさい、なんか記憶がおぼろげ……と言うか曖昧で」
 春菜は役に立てなくて、落ち込みながら小さく言う。
「うーん。思い出したら教えてください」
 直斗は彼女の方から手を離し、残念そうに溜め息を付いてソファーに座り込む。
「はぅぅ。お役に立てなくてすみません。私ってダメな助手ですね」
 春菜は涙しながら呟く。直斗は慌てて、
「だ、大丈夫です、春菜さんはとても役に立ってますから心配しなくても」
「うう、でも私が出来ることと言ったらお掃除や家事ぐらいなものです」
 春菜は、はらはら涙をこぼしながら、俯く。
「掃除……掃除……。あ、書斎を掃除しないと!」
 春菜はそう言うとパッと顔を上げる。
「あの、まだ諦めてなかったんですか? この間犯罪のスクラップを見て悲鳴あげてたのに」
「何言ってるんですか! あそこが一番汚いんですよ! 本は散乱してるし、分類はきちんとしてないし。
 それに直斗さんが一番長くいる場所ですから、綺麗にしておかないと」
 ぱたぱた手を振る直斗に、春菜は噛み付くように叫ぶ。
「いや、僕はあのままでも……」
 直斗の言葉も、春菜の鋭い一瞥によって続かなかった。
「書斎……本? ……すくらっぷ」
 そのすぐ後に、ハッとしたように春菜はブツブツと呟き、頭を捻る。
「春菜さん?」
「思い出しそう……いや、やっぱダメ」
 片手で直斗の言葉を押しとどめながら、ブツブツと呟き続ける。
「やっぱり無理みたいです。もう少しなんですけど」
 春菜は頭を左右に振って悲しそうに言う。
 ぷるるるるるるるるるる。
 直斗が口を開き掛ける前に、電話のベルが鳴り響いた。
 春菜は慌てて電話のある部屋まで駆け込む。
「ええ、はい……直斗さーん! 山田様でーす!」
 春菜に呼ばれ、電話の受話器に耳を当てる。
「はい、神原直斗です」
「ああ、まだ見付からないか? 親父の遺産!」
 受話器の向こうから、焦るような圭吾の声が聞こえた。
「ええ、まだ手がかりらしきものは全然ありません」
 何かを言おうとする春菜を眼で押しとどめる。
「そうかい……じゃあ、手がかりが見付かったら教えてくれよ」
 相手は一方的にそう言って電話を切った。
「直斗さん? 手がかりが全然ないって……」
「嘘だよ。何か嫌な予感がするからね……もうちょっと様子を見よう。……それに春菜さんの言った、外人のことも気になる」
 直斗は平然とそう言って微笑む。春菜は言いにくそうに、
「……でも、私の気のせいかも知れませんし」
「うーん。そうかもしれないし、そうでないかもしれない……。一番手っ取り早いのは、松羅山の、『けいらい道』に行ってみることなんだけど」
 春菜の言葉に、直斗は頬を掻きながら言う。春菜の顔がひくっと引きつった。
「え」
「どうもこの依頼おかしいし、行ってみるかな……」
「ええっ?」
 春菜は迷子の子供のような表情で立ちすくむ。
「じゃあ、これ食べたら行くことにしましょうか」
 直斗はそう言いながら、食事に箸をつける。
「ええええっ?」
「あ、今日のご飯は、僕の好きなお魚ですね」
 泣きそうな顔の春菜を尻目に、のほほんと食事を取り始める。
「嘘ですよねぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ?」
「本気です。あ、おいしい」
 春菜に即答して、嬉しそうに魚の干物を頬張る。
「……悪夢です」
 「現実です」
 呻く春菜に、キッパリという。春菜はそれを聞き、諦めたように自分も食卓に着いた。しかし、暗い。
「あの、私も行くんですか?」
「……幽霊が出そうで、ここは怖いんじゃなかったんですか? 一人でお留守番します?」
 ぬるくなったみそ汁に口を付けつつ、にっこりと微笑んで静かに言う。
「……わ、私も行きます。置いてかないでください〜」
 静かな直斗の脅しに春菜は涙目になりながら、そう呟いた。


 鳥の鳴き声や、虫の音さえもしない。
 静寂。
 のし掛かるように茂る木々が、不気味に見える。
 《けいらい道》は、きちんとした道ではなく、獣道のような、ほとんど道とは言えない場所だった。
「警部に書いてもらった地図によると、ここみたいですね……」
 辺りを見回して、直斗は手帳を一瞥し、言う。
 彼のまわりには、十体ほどの地蔵が、乱雑に並んでいた。
 誰もお参りには来ないのだろう、あちこちは欠け、苔にまみれていた。
 首のない地蔵が二、三体はあった。春なのにやたらと辺りの気温が低い。
 いつ幽霊が出てきてもおかしくないような雰囲気ではあった。
 彼の背中に引っ付くように、春菜は無言でついてきている。
「………ん?」
 人の話し声のようなものが聞こえ、直斗は眉をひそめた。
「……あの人達……昨日の外人さんです」
 春菜は切れ切れに、直斗に引っ付いて呟く。
「あの探偵達は……アレを見つけられそうか?」
「いや、あんまり期待は出来ないな。やっと手がかりを掴んだのに」
 春菜の訳した言葉はこんな所だ。
「たんてい? アレ?」
 直斗は眉間にしわを寄せる。
「あっ! ……あの人達何処で見たか思い出しました」
 春菜は悲鳴を漏らしかけて両手で口を押さえ、呟く。
「あれはたしか、書斎の本棚の……そう! 新聞の見出しで二十年前の銀行強盗にのってた人達です」
「……!……」
 直斗は驚いたように目を見開き、
「アレ……って二十年前盗んだ銀行の金のことか?」
 春菜は困惑した表情で、
「でも、ここに埋まってるのは田中さんの遺産なんじゃ」
「一杯食わされたのかも知れないな、ここにいるのは危険だ。早く……」
 そう言って振り向いた直斗の顔が強張った。
 後ろにあの外人二人が佇んでいる。その手には、ナイフが握られている。
「しまった!」
 直斗は唇を噛み、自分の荷物を押しつけ、春菜を突き飛ばす。
「きゃっ!」
 春菜は荷物を抱えたまま、地面に尻餅をつく。
 それに構わず、直斗はポケットに手を突っ込み、何かを取り出す。
 彼の手に握られたものを見て、二人組は顔色を変えた。
「け、拳銃!?」
 春菜は思わず悲鳴を上げた。
 直斗の手に握られているのは、テレビや映画で見るような拳銃だった。
「僕、こう見えても、射撃は得意なんだ」
 そう言って、相手を見据え、直斗は引き金に手をかける。続いて二発の銃声。
 春菜の目には、二人がスローモーションのように倒れていくように見えた。
「………な」
 乾いた唇を必死に動かすが、恐怖で声が出ない。
 直斗は平然と春菜を見て、
「どーしたんです?」
「ど、どーしたって!」
 彼は春菜と、いま撃った外人を交互に眺め、
「ああ、僕が撃ち殺したって言いたいんですか? 大丈夫。生きてますよ、気絶してるだけです」
「で、でも。いま拳銃で」
 直斗は笑顔でぱたぱた手を振って、
「弾を変えてあるんで、脳しんとうぐらいですよ。命に別状ありません」
「よ、良かったぁ」
 春菜は安堵のため息をもらす。直斗は口をとがらせ、
「僕が人殺しをするように見えますか? 心外だなぁ」
 春菜は慌てて、
「あ、あの。早くなんとかしないと、いつ目を覚ますか分かりませんよ」
 春菜の言葉に、直斗は一瞬不満そうな顔をしたが、彼女からバックを受け取って中から太いロープを取り出す。
「準備良いですね」
「いつ何処で何があるか分かりませんから」
 感心したような春菜の言葉に、気絶した二人を縛り倒しながら微笑んで答える。
「そうそう、良い心がけだな坊主」
 聞き覚えのあるふざけた言葉と同時に、春菜の後頭部に、固くて冷たいものが押し当てられる。
 ―――拳銃。考える前に答えが出た。
「春菜!」
 直斗は拳銃を構え、一瞬躊躇した。
 男が春菜を盾にする可能性もあるし、仮に男に当てたとしても気絶したときの反動で引き金が引かれる。
「直斗!」
 春菜の悲鳴と同時に、顔に衝撃を受け、直斗の目の前一瞬が真っ暗になる。
「………っ」
「仲間がいないとは言ってないぜ俺は、なあ、先生」
 よろける直斗に、男は楽しそうに笑った。
「はなしてください! 圭吾さんに庄司さんっ!」
 春菜に銃を突きつけた圭吾はニヤリと笑い、直斗を一瞥する。
「さあ、金の在処を喋ってもらおうか」
 庄司は直斗の襟元を掴み、宙吊りにする。直斗は苦しそうに笑って、
「さ、さあ、僕は何も知らないけどね」
「嘘ついても無駄だ。力ずくでも聞き出す」
 圭吾の言葉と同時に、庄司は直斗の首から手を離し、少年が地面に落ちる前に腹に拳を叩き込む。
「げぼっ……っく」
 くぐもった呻き声を上げて、体をくの字に折り曲げ、地面に倒れ込む。
「これでも知らないって?」
 楽しげな圭吾の言葉と共に、庄司の蹴りが直斗の腹に、容赦なく続く。
「げほっ、げほっ……さあ、何のことだか……うぐっ」
 さらに蹴りを叩き込む。
「止めてくださいっ! 直斗が、死んじゃう!」
 春菜は振り向いて、涙目で圭吾を睨み付ける。拳銃が額に押し当てられる。
「俺もこんな事はしたくないんだがね、コイツが強情だから仕方ないんだ」
「でも話したら、私達を二人とも殺す気でしょう?」
 拳銃に怯まず、春菜は相手を睨み付けたままで言う。
 相手が引き金を引いただけで、自分はあっけなく死ぬだろう事は分かっていたが、黙っていられなかった。
「春菜……やめろ……っ」
 直斗は半身を起こし、呻く。
「ふふん、俺達がそんなことをするように見えるか?」
「見えます!」
 本当は言ってはならない言葉なのだろうが、春菜はキッパリと言い切った。
 しかし、圭吾は余裕の表情で、
「ふむ、そっちの方を痛めつけても強情で口を割りそうもないが」
 ちらりと直斗を一瞥する。
「この春菜って女の方を……そうだな、殺すのはつまらないから―――お前の目の前で犯すってのはどうだ? なかなか良い趣向だろ」
 春菜と、直斗の顔が一気に青ざめた。直斗は身を起こし、
「な……っ、わ、分かった! 教えるから」
 それを見ながら、圭吾は春菜のブラウスのボタンを一つ引きちぎり、
「くくくっ、早く言わないと―――」
「分かったから彼女から手を離せ! そうしないと教えない!」
 直斗は激痛の走る腹部を押さえ、叫ぶ。
 ぷちんっ!
 二つ目のボタンが飛ぶ。
「そんな条件はのめないね。そしたらお前拳銃を使うだろう? ……さて、次は」
 圭吾が三番目のボタンに手をかけるのを春菜が押しとどめた。
 拳銃を春菜に向け、その動きが止まる。
 なんと! 春菜は自分でボタンを外し始めたのだ。
「は、春菜?」
 直斗はなんとか起き上がり、彼女を驚愕の表情で見る。
「観念したか? いい子だ」
 圭吾の言葉にも、春菜は無言でゆっくりボタンを外していく。
「おお」
 しばらく経たないうちに圭吾の視線が、春菜の胸元に釘づけになった。
 雪のように白い、日焼け一つないきめ細かな肌。
 思わず彼は拳銃を降ろした。
 それを見計らっていたように、春菜は目を瞑り、彼の、いや、男性の急所を力一杯蹴り上げる。
 甲高い悲鳴を上げて転げ回る彼に、春菜は地面に転がっていた棒きれを掴んで力一杯振り下ろす。
 その手際の良さから察するに、前々から地面に落ちていた棒にに目星をつけていたのだろう。
「たぁっ!」
 鈍い音と共に、圭吾は失神する。春菜は彼の手から拳銃を取り上げ、肩で息をしながら庄司に拳銃を向ける。
「はあ、はあっ。お、大人しく捕まらないと撃ちますっ!」
 震えながら叫ぶ。庄司は小馬鹿にしたように春菜に歩み寄る。
 唇を噛みしめ、拳銃を構えようとするが、体のふるえが伝わってがくがく動く。
 彼が目の前まで迫ってくる。春菜は思わず目を閉じて、つぎに銃声が響いた。
「…………」
 思わず自分の手の中にある拳銃を見つめる。自分は撃ってないはずだ。
「僕の…事…忘れて…た…な。あい…つ」
 拳銃を構えた直斗は、肩で荒い息をしながら呟いた。
 春菜はそれを見て、へなへなと崩れ落ちる。
「な、直斗」
「はあっ、こいつら早く縛らないと」
 息を一つつき、直斗は顔をしかめ、荷物からロープを取り出して二人を縛った。


「はい、はい。ええ、二十年前の銀行強盗を四人捕縛しました」
「おい。そりゃホントか?」
 直斗の言葉に、相手は驚いたように返す。
「嘘ついてどうするんです。場所は、この間話した《けいらい道》怪我人もいるんで早く来てくださいよ」
「怪我人っ?」
「僕ですよ」
「喋れるくらいなら大丈夫だな」
「あと、春菜さんも。外傷は無いみたいですけど」
「さあ! すぐ行くからな!」
 直斗の一言に、態度を豹変させる。
「唐橋警部、僕の時とえらい違いですね」
「当たり前だろう! お前は男だ! よって……」
「はいはい、じゃあお願いしますね」
 みなまで言わせず、直斗は携帯電話をぷちっと切る。
「ふぅ……電波が届いて良かった」
 そう、幸運だったのは山奥なのに、人里に近いせいか電波が届いたこと。おかげで四人を引きずって行かなくてすんだ。
「…………」
 直斗はちらりと春菜の方を見る。今頃になって恐怖が押し寄せてきたのか震えたまま地面にうずくまっている。
「あの、春菜?」
 しゃがみ込みポンッと肩に手を置く。春菜はびくりと震え、
「…………」
 無言で直斗の方を見る。目には涙がたまっていた。直斗はかける言葉が見つけられずに硬直する。
 春菜はグルリと直斗の前に向き直り、がしっと抱きついてくる。
「わっわわわっ!」
 突然の不意打ちにより、直斗はバランスを崩し、後ろに倒れ込んだ。春菜はしがみついたまま一緒に倒れ込む。
 春菜が直斗の上のほうにのっかるような形だ。慌てて半身を起こし、
「ちょっと、春菜……いきなり」
 そこで言葉に詰まる。春菜はコアラのように抱きついたまま、無言で直斗の胸に顔を埋めている。
「わ……かった。怖かったよ」
 春菜は顔を埋めたまま呻く。
「…………」
 直斗は困ったように自分の頭を掻いた後、春菜の頭をそっと撫でた。
 しばらく、二人はそのまま動かなかった。


「ご、ごめんなさい。もう大丈夫」
 春菜は目を擦り、微笑む。
「う、うん」
 直斗はぼけーっと呟く。視線がドコかで止まっている。
「……?……」
 春菜は眉根を寄せ、彼の視線をたどってみる。地面をたどって……自分の足下、腕―――
 そこで春菜はハッと気がついた。さっきのことで、ブラウスがほぼ全開に近い。彼はそこを見ていたのだ。春菜の血の気が一気にザーッと引いていく。
「な…直斗のH―――――――ぃぃぃぃっ!」
 ぱ――――――んっ!
 春菜の叫び声と、乾いた音が森の中にこだました。




  

 

 

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