Kamihara detective office

     

一章 /お役に立ちます! 北倉春菜


 


「ん……」
 まぶたの奥にカーテンから漏れた光が射し込み、直斗は顔をしかめ、うめき声を上げた。
「眩しい……」
 寝返りを打ち、
「うー……あれ? ここは……」
 半身を起こして辺りを見回す。
 いつもの書斎ではなくベットの上だ。
「僕の……部屋……か、分かんなかった」
 頭を振り、呻く。
 彼はいつも、書斎にいることがほとんどなので、自分のベットで眠ることは滅多にない。
 部屋によりつくことがないので、たまにドコにいるのか分からないときもある。
「そうか……昨日何故かやたらと眠くなって」
 徐々におぼろげだった昨日の記憶が鮮明になる。
 たしか、夕食を食べてしばらくしてから眠気が襲ってきた。
 春菜に「きっと疲れてるんですよ」と言われるままに、ベットに入ったのだったが。
「なるほど……」
 一言つぶやき、直斗はめんどくさそうに頭を掻き、のそりと布団から這い出る。
 のたのたとチェックのパジャマを脱ぎ、ゆっくりシャツに袖を通す。
 まだ寝ぼけているのか、たまにまぶたが閉じかける。
 睡魔と格闘しながら何とか着替えをすまし、部屋に立てかけてあった鏡を覗く。
「うー。眠い」
 とりあえず、てきとーにクシで髪をとかし、鏡を見つめる。
 鏡の中には、一五、六程の少女のような少年が眠たげに佇んでいる。
「こんな服でも着ないと、女の子と間違えられるんだよな」
 直斗はぼやく。
 カーテンを広げ、まぶしさに目を瞑る。
「もう十時か……」
 枕元に置いてあった時計を持ち上げて、首をくきくきと鳴らす。
 どんどん!
 玄関から、扉を叩く音が響く。
「おや?」
 どんどんどんっ!
 さらに激しく扉が叩かれる。
「お客さんかな? 春菜さんは出かけてるのかな……」
 伸びをして、慌てて玄関に向かう。
 鍵を開け、ゆっくりと押し開ける。
 ぎぎぃぃぃっ。
「ここは『神原探偵事務所』か?」
「はい。神原探偵事務所ですが? ご依頼ですか?」
 直斗は首を傾げ、目の前の二人組に声を掛けた。
 二人とも三十過ぎぐらいで、片方の男はスーツを着込み、ずっと難しい顔をしている。
 もう片方の男は薄汚れたシャツを着込み、どこかおちつかないようにあたりを見回していた。
「ああ、そうだ。神原直斗先生は何処だ」
 スーツの男が口を開く。直斗は少々ひき気味に、
「せ、先生……ですか?」
 さすがに今まで、先生と言われたことはない。
「ああ、早く出してくれ」
 隣の男がいらついたように言う。
「まあ、とにかく中に入ってください。詳しい話は中で伺います」
 とりあえず何も言わないで入ることを勧める。
 以前同じ様に聞いてきた人に正直に自分のことだと告げたら帰ってしまったことがあった。
 それ以来、その事は中で教えることにしている。そうでもしないと、話すら聞けない。
「ああ」
 スーツの男は抑揚のない調子で頷き、隣の男は渋面で渋々と言った調子で頷く。


「まず自己紹介をさせていただきます。僕は神原直斗。探偵です」
 二人組がソファーに座ったことを確認し、直斗は話を切り出す。
「……若いとは聞いていたんだが、まさかここまでとは」「だいじょうぶかよ」
 驚愕を隠しきれない様子で、二人は交互に呟く。
「えーと。お茶でもお出ししましょう」
 二人を尻目に直斗は席を立ち、しばし棚を眺めてソファーにもどり、座る。
「と、思ったんですが……お茶が何処にあるのか分かりませんね……困ったなぁ」 
 …………………気まずい沈黙が部屋を支配した。「おい、ここは先生のうちだろ?」
 心底困ったように頬を掻く直斗に向かって、シャツを着た男がなんとか言葉を絞り出す。
「ええ、そうなんですけど……この間来た助手に家事は任せっぱなしでして……」
 頭を掻き、笑う。
「ホントに大丈夫かよ」
 男は彼を見て不安そうに溜め息を付いた。
 ―――その時玄関の方でがたり、と扉の開く音と、少女の声が響いた。
「ただいまーっ! あ、すいません金城さんここまで運んでもらって。
 今度何かお礼をしますね」
「いやー。いいんですよ。じゃあこれで」
 その後に続いて男の声。
「じゃあさようなら。ホントにすみませんでした」
 すまなそうな少女の声と共に扉の閉まる音がした。
 直斗はしばし沈黙し、頭を振りつつ、
「どうやら帰ってきたみたいですね。ちょっと失礼します」
 そう言って頭を下げ、玄関に向かった。


 後ろを向いた少女は流れるような黒髪を後ろで束ね、春物の柔らかなブラウスに、フレアスカート。
 足下には木箱が二箱ほど積んである。ラベルには「ふじりんご」と書いてあった。
「春菜さん」
「あ、あら? 直斗さん。どうしたんですか?」
 後ろから掛かった声に慌てて振り向き、微笑みながら春菜は答える。
「えーと。お茶の葉は何処だったっけ」
「お茶の葉なら、棚から二番目の右の方です」
 頭を掻きながら聞く直斗の問いに、淀みなく答える。直斗はしばし沈黙し、
急須(きゅうす)は何処だったかな……」
「……急須は、洗って置いたのが厨房にあります」
 すらすらと答える春菜に直斗は言いにくそうに、笑いながら、
「えっと……湯飲みは何処に……」
「…………」
 春菜はさすがに沈黙し、頭を抑え、
「いいです。私が入れますから」
 溜め息混じりに呟く。
「あははは。ところで、その箱は?」
 彼の言葉に、気がついたように春菜は視線を箱に移す。
「ああ、これですか? この間の依頼料だって、高橋さんから戴いたんです。
 出来れば現金の方が良かったんですがねぇ」
 そう言って春菜はウンザリしたように溜め息を付く。
「ぼやかないぼやかない。しょうがないですよ、田舎なんだから。それより重かったでしょう?」
「いえ、金城(かなしろ)さんがここまで運んでくれたんです」
 春菜は微笑み、手を振る。
「金城 真人(まさと)さんが?」
 春菜とは違い直斗は険しい顔で呟く。
 金城 真人といえば、ここら辺では有名な遊び人で、泣かされた女性も鰻登りだとか。
 親切心が皆無。と言うわけではないが、進んで人の喜ぶようなことをする性格ではなかったはずだ。
「だ、大丈夫でした?」
 思わずオロオロしながら尋ねる。春菜は不思議そうに、
「ええ、いい人ですね。今度お礼を持ってお宅に伺おうと思ってるんですけど」
「それより! うちに食事に招待したらどうかな?」
 彼女の言葉を遮るように、直斗は春菜に言う。
「わぁ! それはいいですね。腕がなります」
 春菜は嬉しそうに頷く。それを見て、直斗は溜め息を付き、
「ギ、ギリギリセーフ」
 胸をなで下ろす。春菜はポンッと手を打ち、
「近所に住んでいるウメヨおばあさんが、三毛猫を捜して欲しいって言ってましたよ」
 思わず彼女の声に身を引き、
「え、ああ、ウメヨおばあさんが……何日ほど前から?」
「えーと。三日ほど前からいなくなったそうですけど……心当たりでも?」
「ああ、うん。たぶんうちの裏庭にいると思うんだけど」
 春菜の言葉に、頭を掻きつつ答える。春菜は首を傾げ、
「うちにですか?」
「うん。三日ほど前からそれらしき猫を見かけるし……声もするし」
「さすがですねぇ。もう見つけたんですか」
 春菜は感心したように大きく頷く。
 それを見ながら直斗は微笑み、
「で、ですね。春菜さん?」
 何かを感じ取り、春菜は心持ち身を引き、
「は、はい?」
「何か弁解はないですか?」
「べ、弁解……で、ですか?」
 眼を泳がせ、春菜はしどろもどろに呟く。
「一服盛ったでしょう?料理に」
 しぃぃぃぃぃん。
 直斗の言葉に、しばし重苦しい沈黙が流れる。
「ち、ちちちちちち違いますよ。な、なな何を根拠に」
 春菜は良く回らない舌で、慌てて言う。
 嘘はつけない性格らしい。
「舌が良く回ってませんし、眼が泳いでます」
 直斗の言葉に春菜は蒼白になり、がっくりと肩を落とす。
「ご、ごめんなさい」
 目を潤ませ、俯く。
「その……悪気はなかったんです」
「じゃあ何で睡眠薬なんか盛ったんです?」
 彼は溜め息を付きながら言う。
「なんか、いつも遅くまで起きてるから、体壊したらいけないと思って」
「……分かりました。今度からもう少し早く寝るように心がけますから、薬は盛らないでください」
 髪を掻き、溜め息を付く。悪気はないだけに強くも怒れない。
「ごめんなさいっ!」
 それを聞き、パッと顔を明るくし、もう一度謝って、
「あの、お茶入れるんでしたっけ?」
 その言葉を聞いた瞬間、直斗は顔をサッと青ざめさせ、
「しまった! お客さんが来てるんだった」
「な、何でそれを早く言わないんですかっ!」
 それを聞いた春菜はそう言うと、慌てて客間まで駆けていき、直斗もその後に慌てて続いた。

「本当にすみません」
 春菜はそう言いながら、お茶を二名の客と、直斗に差し出す。
 二人は無言でそれを受け取ると、すする。
「えーと。一体どんなご依頼でいらしたんです?」
 直斗は二人を見つめ、開口一番そう言った。
 スーツの男が胸ポケットからおもむろに四つ折りの紙を取り出し、直斗にさし出す。
「私の名前は田中 庄司(しょうじ)。隣にいるのは、田中 圭吾(けいご)だ。
 まず、この紙を見て欲しいんだが」
「……ええ、じゃあ拝見させていただきます」
 直斗は紙を受け取り、慎重に開く。
 紙は古いものなのか、所々虫が食い、茶色く変色しており丁寧に開かないと破けそうだった。
 ガサガサと広げると、大きさはノート程か。
 中身は……白紙だった。直斗は眉間にしわを寄せ、
「白紙……みたいですけど、これが何か?」
 彼の言葉に庄司と名乗った人物は、元から険しい顔をさらに険しくし、
「ああ、これはうちの親父が死んで、遺言の手紙を開けてみれば『遺産の場所をこの紙に書き残した。欲しければ見つけてみろ』……だ。分かるとは思うが、親父の遺産を見つけて欲しい」
「はあ……そりゃまた変わった遺言ですね。隣の方は弟さんですか?」
 直斗は頭を掻きながら、尋ねる。隣では、彼と同じ様に呆れた表情で春菜が佇んでいる。
「ああ、そうだ。うちの親父はどうも、こういう悪戯が好きだったんだが、まさか死んでまでこういうことをするとは思わなかったよ」
「そう!はやくみつけてくれよ! 何のためにこんな山奥まで東京から出向いたのか……」
 噛み付くような圭吾の言葉に直斗は眉をひそめた。
「東京から? わざわざこんな田舎まで出向かなくてもそちらの方に有能な探偵がいるでしょう?」
 それを聞き、圭吾は慌てたように、
「いや、あいつらはぜんぜんあてになりやせん!
 ちっとも分からないとか言って、金だけ踏んだくりやがる!」
「……そう言うものなんですか?」
 春菜は不思議そうに首を傾げた。
「じゃあ、僕のことはどちらからお聞きになったんですか?」
「うちの方に、情報通の奴がいてね、先生結構切れ者だって裏の方で評判ですよ?
 こないだも大きい事件を解決したそうじゃないですか?」
「大きい事件……? ああ、あれか」
 直斗は首を傾げていたが、思い出したように手を打つ。
「偶然です。偶然」
「へへっ、謙遜しないこった。偶然で殺人犯をとらえられる奴はいませんぜ」
 そう言って、圭吾は揉み手をする。
「殺人犯ッ?」
 春菜は素っ頓狂な声を上げ、まじまじと直斗を眺める。眺められた直斗は居心地悪そうに体を動かし、
「ただ単に、依頼者の家に入った空き巣が殺人犯だっただけです。
 僕はほんのちょっと証拠を見つけただけにすぎませんから。後は警察のお手柄です」
 事も無げにそう言ってお茶をすする。
「おい、圭吾。その辺でやめておけ」
 庄司は相変わらず険しい顔をして、弟をたしなめる。
 圭吾はつまらなそうに舌打ちをし、大人しく黙り込む。それを見て庄司は口を開き、
「期間は二週間。前金で五万、二週間後、正否関わらず後金で五万。合計で十万。
 ……もし見つけたら、後二十万は出すが、受けてくれるか?」
 彼の提示した金額に、直斗は眉を寄せる。
 決して十万が安いなどとは言わないが、ちょっと標準より安い。
 たしかに、見付かるかどうか分からないものを捜してもらうんだから、安く済ませたいというのは分かるが……。しかし、仕事の正否に関わらず、十万をもらえるのは魅力的だった。
 彼の考えを見越したように、春菜が直斗を肘でつついた。
《この依頼受けて下さい。お願いですから》
《どうして?》
 二人はボソボソと小声で話し合う。
《何でって……うちの事務所の財政事情、かなり逼迫してるんですよっ!》
《……そ、そんなに酷いんですか?》
 はらはらと涙さえこぼしながら言う春菜に向かって、困惑気味に直斗は聞き返す。
《火の車どころじゃありません……もう大火事ですよぅ!》
 どうやら自分が考えているより事態は深刻らしい。春菜の様子を見て、直斗は冷や汗を流した。
「わ、分かりました。引き受けます。引き受けますけど、もうちょっと依頼料に上乗せしていただけませんか?」
「ふむ、足りませんかな?」
「うちの財政事情もかなり逼迫しているみたいですので、お願いできません?」
「……そこのお嬢さんに、給金が支払えない位なのか?」
 怪訝そうに言う庄司に、春菜は沈痛な面もちで、
「それどころか明日のお米も危うい状況です」
 春菜以外の全員が、沈黙した。
「……そんなにひどかったんですか?」
「だ・か・ら・何度もいってるじゃないですかぁっ!」
 ぼけた直斗の返事に、春菜は声を荒らげる。
「わ、分かった。そちらにも事情があるようだし、後二万上乗せしよう」
「そうだな、頼む前に飢え死にされたら本末転倒だし」
 呆れたように、庄司と、圭吾は交互に呟いた。


「……コホン。他に、遺言には何もかかれていなかったんですか?」
 直斗は気を取り直したように咳払いをし、尋ねる。
「ああ、そうだ」
 二人は同時に頷いた。春菜は、直斗の隣に座り、横から紙を覗こうとしている。
「んー。私にも見せてくださいぃ」
 身を乗り出し、テーブルに手をつく。直斗は慌てたようにそちらを向き、
「見せますから、落ち着いてください」
「きゃっ!」
 声に驚いたのか、バランスが悪かったのか、彼女はぐらりと体勢を崩し、机に倒れ込む。
 慌てて何とか机に手をつき、頭を打つのは逃れたが、衝撃で湯飲みが倒れ、お茶がこぼれる。
 その近くには直斗の手から滑り落ちた例の紙が。
『あ』
 全員の声がハモった。
「ご、ごめんなさいっ!」
 春菜は慌てて紙を拾い上げ、直斗に手渡し、湯飲みを片付け始める。
「おい!紙は?」
 圭吾は心配そうに尋ねる。
「ええ、紙は無事ですよ」
 そう言いながら紙を眺める。所々にお茶が染み込んでいたが、紙そのものには何の異常も―――
「ん?」
 直斗は眉を跳ね上げる。何かおかしい。
 よく見ると、水のかかった部分に文字の断片のようなものがうっすらと浮かび上がっている。
「……そっか」
 呟くと、直斗は湯飲みを春菜から素早く取り上げ、台所から水をくんできて床が濡れるのも気にせずに、紙に湯飲みに入った水を掛ける。
「きゃっ!な、何をしてるんですっ!」
「お、おいっ!なんて事を」
「一体どういうつもりだよっ!」
 春菜、庄司、圭吾が、それぞけに悲鳴を上げる。
 しかし、その言葉も長くは続かなかった。直斗が水を掛けた部分から、細かな文字が浮き出て来たからだ。
 文字だけではない、細かな線や、何やら地図のようなものまで徐々に現れ始めている。
「どうやら、水を掛けると文字が浮き出てくる仕掛けみたいですね。初歩的なものだけど」
 全ての部分に水が浸透してから、直斗は溜め息を一つ付き、呟いた。
 春菜は眉を寄せ、
「本当に東京の探偵さん……気がつかなかったんでしょうか?」
 心底不思議そうに呟いた。
「いやーさすがだ! これならあんたに任せても無事だな! なあ、兄貴!」
「うむ、じゃあ見つけたらここに連絡してくれ。私達が泊まっている民宿だ。それと、前金で六万」
 そう言って厳かに茶色い封筒と、メモを直斗に渡す。
「え、あの。ちょっと」
 半分無理矢理押しつけられた形で直斗は固まったまま、言葉を絞り出す。
「じゃ、俺達は帰るんで」
「よろしくたのむ」
 それだけ言うと、さっさと身を翻し、帰っていった。
 春菜は玄関まで慌てて走り、慌てて戻ってきて、
「直斗さん! 大変です!」
「今度は何ですか?」
 直斗はうんざりと、春菜の方に首を向ける。
「ウメヨさんのところの猫さん、四匹増えてました!」
 春菜はそう言って、箱に入れた四匹の三毛の子猫を直斗の目の前に突きつけた。直斗は倒れそうになるのをなんとか堪え、
「ウメヨさんにお届けしてください。僕……ちょっと頭痛がしてきたんで」
 そう言い捨て、おぼつかない足取りで、自分の部屋によろよろと入っていく。
「え、ちょっと! 直斗さーんっ。私が届けるんですかぁっ? 五匹抱えて?」
 春菜は困惑した表情のまま、子猫を抱えオロオロと叫ぶが、直斗は答えてはくれなかった。


 あれから三時間後、直斗はあくびをしながらクッションに座り込んでいた。
 例によって例のごとく春菜にたたき起こされたのである。
「直斗さん、依頼が来たのに寝てどうするんですかっ!」
 春菜はそう言いながら、昼食を並べる。
「空が青いから……うん」
「訳が分かりませんよ……さては、まだ寝ぼけてますね」
 クッションに座り、春菜は呆れたように溜め息を付く。
「まあ、冗談は置いといて」
 打って変わって真剣な面もちで、直斗は例の紙を開く。変化についていけず、春菜はクッションから豪快にずり落ちた。
「い、いきなり。真顔にならないでくださいっ!」
「まあまあ、気にしない気にしない」
 立ち上がって涙目で抗議する春菜を宥めながら、紙を眺める。
 どこかの地図に、意味不明の文字の羅列……。日本語ではなさそうだ。直斗は眉をひそめる。これは片っ端から辞典を眺めなければならない。
 彼の知らない文字だった。暗号か、それとも外国の言葉か……。
「うーん」
「どれどれー」
 悩む直斗の後ろから、いつの間にいたのか、春菜がひょいっと覗き込んできた。
(……絶対春菜さんには無理だよ)
 直斗はそう思いながら、後ろにいる少女の顔を横目で見る。
「……これは」
 それに気づかず春菜は顔を険しくし、呟く。
(だから無理だってば)
 直斗は再度心の中でツッコミを入れる。
「これ……私読めますよ?」
「やっぱり無理……って、えぇっ!」
 彼女の言葉に頷きかけ、驚いて振り向く。
 春菜は真剣な表情で、地図に指を置きながら、ゆっくり読み進める。
「……ヶ…原。松……羅。羽木場……所々虫が食ってて」
 春菜は溜め息を付き、首を振る。
「ちょっと待った! 何で春菜さんが読めるんですか」
 直斗はしごくもっともな質問をする。春菜は意外そうに彼を眺め、
「はれ? 聞いてないんですかうちの母親から。
 私って結構外国に小さいころから行ってるんで、結構色々な国の言葉がわかるって……」
 聞いてません! と言い掛けて、直斗は止まる。
(うちの子は色々役に立つわよ? すぐに分かると思うけど)
「や、やられた。こ、これのことか……」
 直斗は栗色の髪を掻きむしり、呻く。春菜は不思議そうに首を捻り、
「何がです?」
「いや、別に……それで、何処の国の言葉なんですか?」
 微笑んで首を振り、何事もなかったように聞く。
「直斗さん。これを見て何か気づいたことありません?」
 春菜は質問に答えず、逆に聞いてくる。
「気づいたこと……」
 春菜に言われ、中の文字を眺める。
 やはり分からない文字の羅列が並んでいる。
 ふと―――直斗は何か違和感を感じた。これは何か変だ。よく見るとその文字は、右半分と左半分で形や、書き方が違っている。
 よく見ないと気がつかないぐらい自然に書き込まれていた。
「右半分と左半分の文字が……違う?」
 「さすがです。そう、右は『スペイン語』左は『イタリア語』です。若干スペイン語が多いですけど」
 彼の言葉を聞くと満足そうに頷いて、そう告げる。
「どうやら、穴だらけのようですけど、ここら辺の地図みたいですね」
「ここらへん?」
「ええ、穴はあいてますけど、骨ヶ原、松羅山、羽木場町って読めますから」
「あの二人、これは読めないっていってましたよね」
「ええ」
「おかしい……偶然にしては出来過ぎてるような気が……」
「確かに、あの二人妖しいですよね」
 直斗の言葉に春菜も唸る。
「……とりあえず唸っていてもしょうがないですから」
 そう言って、直斗は紙を指す。そこは、意味ありげに線で印がしてある。
「地図と照らし合わせてみると……松羅山の……廃鉱か」
「もしかして、い、行くんですか?」
 決然とした口調で言う直斗に、不安そうに春菜は聞く。
「もちろん」
「えぇーーーーっ」
 春菜は悲鳴を上げる。直斗は頬を掻き、
「何なら、お留守番してます? 僕だけ行ってきますから」
「ダ、ダメですっ!わ、私も行きます、一応助手ですから!」
 首をぶんぶん振って慌てて言う。
「無理しなくても」
「嫌ですっ! 置いていかないでくださいっ! ホントにここで一人でいるの嫌なんです! 何かでそうでッ!」
 思わず春菜の口から本音がこぼれる。しばし、二人の間に気まずい沈黙が漂った。
「えーと。じゃあお昼でも食べましょうか」
 直斗は気まずい空気を打ち払うように、目の前にあった昼食に手をつけた。
 ―――当たり前だが、お昼ご飯はすっかり冷めていた。

  

 

 

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