Kamihara detective office

     

プロローグ/ 初めまして


 

 がたんがたんがたん……。
「ふわぁ」
 流れる列車の風景に目をやりながら、春菜(はるな)はあくびを噛み殺す。
 小刻みな揺れが、揺りかごのように感じて来た。まぶたが重い。
 最初の一時間ほどは何とか我慢できたが、さすがに三時間ほど立つと、暇なことも相俟って睡魔が押し寄せてくる。
「うぅ、いけない、いけない。こんなとこで寝たりしたら」
 春菜は首を軽く振って、バチバチと頬を叩く。
「あの……都会の方から来なさったんですか?」
 すると、向かいの席にいたおじさんから声がかかった。
 四十ぐらいだろうか、どこかあか抜けない格好をしている。
「え、ええ? あ、はい。そうですけど。何で分かったんです?」
 彼女の言葉におじさんは、白い歯を見せ笑い、
「はっはっは。こんな所にそんな格好で来るのは都会の方か、帰郷した若者ぐらいだよ。
 言葉の訛りや、雰囲気からすると、こっちの者じゃないと思ってね」
 そう言われて、自分の格好を見下ろしてみる。
 春物の柔らかな白いワンピース。そして、革靴。
 ……言われてみれば、確かに田舎に住んでいる人はまず、着ないかも知れない。これで麦わら帽子でも被っていれば、深窓のお嬢様だ。網棚にある大きめの鞄に入っているが。
 雰囲気か、それとも昔からの性格のせいか、洋服はしっかりと彼女に馴染み、清楚な雰囲気を醸し出している。
 黒い瞳。腰まで届く柔らかな黒髪を服と同じ白いリボンで軽くまとめている。
 彼女が列車の窓辺を眺める光景は絵のように見える。
「そう言われればそうかも……はぁぁ。これから探偵事務所に雇われに行くのに……なんかさい先不安だわ」
 春菜は照れ笑いをし、深い溜め息を付いて落ち込む。
「探偵……その年でかい?」
「ええ、まだ一五ですけど、うちの親がそろそろ良い頃合いだって……。
 あの、『神原(かみはら)探偵事務所』って知ってます?」
「神原……神原。ああ、あそこかい。知ってるよ」
「知ってるんですか? 私そこでお世話になろうと思ってるんですけど。
 うちの母親が、『頭が切れて、とっても頼りになるいい人だから安心しろ』って言っていたんです。
 ……それって、本当なんですか?」
「ああ、私の聞いた限りでは若い割になかなか評判がいいよ」
「……若いんですか?」
 春菜は眼をぱちくり動かし、驚いたように言う。
 彼女の偏見もあったかも知れないが、探偵というと軽く三十歳は越えたおじさんだと思っていたのだが。
「ああ、若いらしい。私も聞いただけだがな」
「ふーん。二十五歳位なんでしょうか」
 春菜の言葉におじさんはしばし沈黙し、
「いや……」
 口を開き掛けて止まる。
 がくりと体が一瞬浮き、軽いブレーキの音が響きわたる。
「きゃっ」
 春菜は慌ててシートにしがみつき、倒れそうになる体を安定させた。
 横目で見ると、さっきのおじさんもシートにしがみついている。どうやらまわりにいる数名の乗客も無事なようだ。
 最初の揺れより小さな振動がしばらく続き、ゆっくりと列車は停止する。
 まわりの誰もがまわりを不安そうに見渡し、自分の無事を確認しあう。
「なにがあったのかしら?」
 春菜はシートに座って乱れた髪を掻き上げる。向かいに座ったおじさんは、渋い顔をし、首を振る。
「大変です!」
 まわりのざわめきが大きくなり始めたとき、中年の車掌が慌てて飛び込んできた。
「あの? 何か問題でもあったんですか?」
 春菜は一欠片の勇気を振り絞り、おずおずと尋ねた。
「ええ、実は列車が故障しましてどうやら動かないみたいなんです」
「ええっ!」
 春菜は思わず声を上げる。
 冗談ではない。まだ目的の場所までは遠いはずだ。
「あ、あのっ! どの程度かかるみたいなんです?」
 彼女の言葉に、車掌は申し訳なさそうに。
「すみません。なにしろ原因不明の故障でして何時になるか分からないんです」
「そ、そんなぁ」
「本当に済みません。後は歩いていってください」
 車掌はぺこりと頭を下げ、騒ぎ始めた他の乗客に説明を始めるため、彼女の前から去っていった。
「困ったなぁ、お嬢ちゃんはドコに行くんだい?」
「……骨ヶ原」
 春菜は地図をポケットから取り出して、指さしながら呟く。
「骨ヶ原か……いつ聞いても妖しい名前だな」
 おじさんは頷く。春菜は地図を畳み、
「はい。私、村の名前聞いたとき。本気で三日三晩行くの止めようかと迷いましたから」
「いかにも何か出てきそうな名前だからな。そこだとここから歩いて二時間はかかるかな」
「二時…間」
 彼女は絶望的な表情で呟いた。
「……これもきっと探偵になるための試練なんです。ええ、きっと」
 拳を握り、キッパリと言い切って網棚から重そうな荷物を苦労しながら降ろす。半分ヤケが入っているようにも見えたが。
「うーっ。よし、出発進行!」
 春菜は無理矢理自分を元気づけるように言い、よたよたと出入り口に向かって歩き出す。
 おじさんは慌てたようにぱたぱた手を振り、
「おーい。お嬢ちゃん。そっちは反対だよ」
 そう言って彼女の歩き出した方の反対を指さす。
「あ、本当だ。よいしょ。ありがとうございます」
 彼女はぺこりと頭を下げ、引きずるように歩き始める。
「……ありゃあ、三時間はかかるな」
おじさんは頭をかいて、心配そうに呟いた。

 春菜が骨ヶ原に着いたのはお昼を回ったころだった。朝早くに出発していなければとっくに真夜中になっていただろう。
「うーぅ……あ、足が重い〜」
 棒になった足を引きずりながら、春菜は凸凹の山道を歩く。
「よく考えたら、私あんまり寝てないのよね。何でこんなに山奥なのかしら」
 母親からもらった地図を見ながらブツブツと呟く。
 実際の所、春菜は昨日の夜中とも言える時刻に家を出て、バスに乗り、
 列車に揺られほとんど徹夜に近い状態でここまで来た。
「でもお母さんの言うとおりに出てきて良かったわ。普通に来てたら真夜中に森の中を歩くハメになったもの」
 呟いて、辺りを見回す。人影はおろか、鳥の姿も見えない。
「……………そ、それにしてもここ空気が美味しいわ。山だからかしら」
 静けさに耐えきれず、声を出してみる。肩に誰かの手が掛かった。
「あんたこんな所で何やッてんだ?」
「きゃぁぁぁぁぁっ!」
 肩に掛かった手を振り払い、半泣きになって悲鳴を上げる。
「お化けじゃないんで安心しなさい。人間人間。あんた裏道で何やってんだ?」
「人間……裏道?」
「そ、裏道だ。迷ったんなら村の中にまで案内してやろうか?」
 春菜はその言葉に、ようやく相手を眺める余裕が出てきた。
 なかなかがっしりした体躯に、土だらけの作業着に、片手にはスコップ。二十五ほどの男性だった。
「あの……お願いします。乗っていた列車が故障してしまって、ここまで歩いてきたんです」
「ここまでかい。そりゃ大変だったなあ。ほら、ついて来な。連れてってあげるよ」



「うわぁ。すごい。結構お店なんかあるんですね」
 彼女が想像していた。水以外には電気も通っていない――とは違い、雑貨屋さんや、食堂もある。
(人々の生活部分の想像はあえて説明しないが)
「ああ、一件ずつだけだがね」
 彼――林一郎と名乗った若者は笑顔で答えた。
「えっと、林さんでしたっけ? 私は北倉春菜です。よろしくおねがいします。あの、ここの村ってどのぐらいの人が住んでいるんですか?」
「村だからなあ、せいぜい二百人程度。いや、実際はもっと少ないかもな」
「なるほど」
 春菜は荷物を引きずりながら頷く。彼が持ってくれると言うのを「迷惑は掛けられません」と言って断固として断ったのだ。
 しかし、荷物のせいで、彼女の歩く速度は亀とタメを張れるくらい遅い。どちらかというと、こっちのほうが迷惑な気がする。
「……やっぱり持ってやろうか?引きずってるし」
「いーえ、いいです迷惑掛けられませんし」
 断固として首を振る。
「でも、鞄が破けるよ」
 彼の言葉に春菜は沈黙する。しばし、唸っていたが、肩を落とし、
「すみません。お願いします」
 鞄を差しだし、申し訳なさそうに呟いた。
 彼はそれを受け取ると、軽々と脇に抱えて持ち上げる。
「力持ちなんですねぇ」
 頬に手を置いて、感心したようにため息をもらす。
「いや、ははは」
 彼は照れたように頭をかき、笑う。
「あの、ここまでしてもらって悪いとは思うんですが。もう一つ聞いて良いですか?」
「ん? 遠慮なくどうぞ。宿か何かを捜してるのか?」
「あの、『神原探偵事務所』ってどこにあるか、御存じありませんか?」
 彼は驚いたように春菜を見て、
「……あんた、わざわざあそこに依頼を持ってきたのかい?」
 春菜は彼の言葉にぶんぶん手を振り、
「いえ、そう言うんじゃなくて。お世話になる……はずなんですけど」
 言葉の後半を自信なさげに呟く。
「はず?」
「……連絡したのはうちの母親なので私はどんな人かは知らないんです」
 春菜は俯いて、ため息をもらす。
「ふむ。ま、口で言うより会ってみた方が早いな。途中まで連れていってやるよ」
「え、そんな、そこまでしてもらったらホントに悪いです」
 突然の彼の申し出に春菜は慌てる。
 彼はカラカラ笑い、
「また迷ったら困るだろ? 遠慮しない」
 そう言い、有無を言わせないように彼女の背中を押す。
「は、はい」
 春菜は頷いて、彼の後ろをとたとたと追いかけた。



 まわりの木々が闇のように見える。
 奇妙な重圧感を感じながら、春菜は落ち葉のうっすらと積もった山道の真ん中で荷物と一緒に佇んでいた。
(えっと。ここを真っ直ぐ行けばすぐ……よね)
 彼女は、一郎の言葉を口の中で反芻する。
 頷いて、気を取り直し、荷物を引きずりながら薄暗い森の中を歩む。
 しばらくして―――
「あれかな?」
 木々の間から見える屋根を見つめ、歩みを早めた。
「…………」突如、開けた空間が目の前に飛び出し、彼女は息をのむ。
 その建物の白い外壁に、無数のツタが絡み付き、異様な空気を発している。
「……な、何コレ。洋館?」
 テレビや、ホラー映画で見るものより、一回りか、二回り程小さかったが紛れもない洋館だった。
「……道。間違えたのかな?」
 春菜は首を捻り、考え込む。しかし、ここまでは地元の人が案内してくれたのだ。
「しかたないわ……怖いけど中に住んでる人に聞いてみよう」
 ゴクリと唾を飲み込み、震える足取りで意を決して洋館に近づいていく。
「…………」
 扉の前に立ち、春菜は絶句した。
 扉から重圧感が発せられている、とか、血が付いている、とかではない。
 大きな物々しい扉の横に下げられた木の表札に、『神原探偵事務所』と手書きの墨で書いてあった。達筆である。
「……たんてーじむしょ?」
 春菜は木の表札を穴があくほど見つめ、呟く。
「こ、ここが?」
 もう一度建物を見上げる。お化け屋敷はともかく、探偵事務所と言った空気ではない。
「いえ、私の偏見ねきっと。別に洋館に住んでいてもおかしくないわ」
 彼女は頭を振り、勇気を振り絞って扉を叩く。
 やたらと重苦しい静寂だけが辺りに流れた。
 ここの洋館から出てくるのは、幽霊か、浮浪者なんかが似合いそうかも知れない。
 春菜は自分の頭の中の縁起でもない想像を追い出し、もう一度ノックをする。
 どん、どん。
「すみませーん」
 首を捻り、溜め息を付く。
「いないのかな?」
 何故か少し安堵しながら、春菜は呟く。
 ぎしっ。
 中で響いた物音に背筋を伸ばし、硬直する。
 続いて、どさどさ、という何かをひっくり返すような物音がする。
「…………」
 ――もしかして空き巣でも入っているんじゃあ。
 春菜は激しく頭を振る。どうも自分はマイナス思考のようだ。
 ぎぃぃぃぃぃぃっ。
 軋んだ音を立て、ゆっくりと扉が開く。どさっ、思わず彼女は荷物を落とした。
 春菜は、固唾をのみ、扉を見つめる。中は、昼間なのに真っ暗でよく見えない。
「す、すいません。あの……ここって神原探偵事務所です、よね」
 震える声音で言葉を紡ぎ出す。
「誰か。い、いませんか?」
 春菜はゆっくりと扉に近づき、まわりを見渡す。
「ふぁぃ。いますよぉ」
「きゃぁっ!」
 前から掛かった声に驚き、慌てて飛びずさる。
「ふわぁっ。すいません……脅かすつもりはなかったんですが」
 声の主は扉の影から、ゆっくりと歩み出てくる。
 まだ、十五、六ほどの淡い栗色の髪の毛をした少年だ。
 一見すると、少女のようにも見えるほど顔立ちが整っている。
 白シャツとスラックス、ネクタイ……大人びた格好をしているせいか、どこかあか抜けた感じがする。彼はしきりにあくびを噛み殺し、眠そうに目を擦る
「すいません僕、朝苦手でして」
彼はそう言ってまたあくびを一つする。
「……朝って、もうお昼回ってますけど」
「ふあぁ……本当だ。あ、立ち話も何ですし、中へどうぞ」
 彼は空を見上げ、驚いたように呟き。気がついたように春菜を中にはいるよう勧めた。
 軋んだ音を立てて、扉を押し広げ、春菜はしばし絶句した。
 回りの至る所に分厚い本が散乱し、積み上げられている。回りに散らばっているのは本の切れ端だろう。
 元は廊下らしいが、足下は本で埋め尽くされており、獣道のような所を通っていかないと先に行けない。
 思わず片付けたくなる衝動を堪え、少年の後に付いていく。
「あ、ちょっと待ってくださいね」
 少年はある一角で立ち止まり、春菜をソファーに座るよう薦めた。
 革張りで座り心地の良さそうな年季の入ったソファーだ。
 大きさは、二人で寝ても余裕がありそうなくらい。
 ソファーの前には、当たり前のように本が積んであった。
 少年は、ソファーの前に積んであった本をどかし、スペースを作る。どうやらこれはテーブルだったらしい。
「で、ですね。何かご依頼ですか?」
 少年は、春菜の向かいのソファーに座り、切り出した。
 お茶くらいは出して欲しかったが、この部屋がこんな有様ではお茶を出すどころではないだろうと思い、諦める。
「いえ、依頼じゃないんですけど……神原さんいらっしゃいます?」
 髪に着いたほこりを落とし、春菜は尋ねた。母親は何も言わなかったが彼は、助手か何かだろう。
 少年は眼をぱちくり動かし、眉をひそめる。
「神原は僕ですけど……依頼じゃないんですか?」
「あ、えーと。『神原(かみはら) 直斗(なおと)』さんいらっしゃいます? 探偵って聞いたんですけど」
 少年は、直斗さんの子供かも知れないと思い、彼女は言い直す。
「…………」
 少年は、春菜を凝視して黙り込む。
「あの、いないんだったらまた日を改めて……」
 ―――出直します。といい掛けた彼女の言葉より早く、少年の言葉が割って入った。
「僕が神原直斗ですけど」
「はい、ですから――――って、えぇっ!? あなたが? 知り合いに似たような名前の人が居るとかじゃなくて?」
「ええ、ここの家には僕―――神原直斗しかいませんよ」
「嘘」
「本当です。あなたは誰なんですか?」
 直斗は頭をかき、春菜を見つめる。
 そう言えば、自己紹介もしていないのを春菜は思いだし、口を開く。
「私は『北倉(きたくら) 春菜(はるな)』ここで雇ってもらうように母から言われたんです」
 そう言いながら、手を動かす。
「北倉さん――ってどこかで聞いたような。ところで……何をしてるんです?」
「片付けてるんですっ。私、もう我慢できません!」
 話しながら、春菜は本を手早くまとめ始める。
「私、ここまで散らかっているのを見るの好きじゃないんです!」
 そう言って、邪魔にならないところに積む。
「えーと。助かります……。でも、おかしいなぁ、そんな話聞いてないんですけど」
「ええっ! でもうちの母親はちゃんと話を付けてるって……」
 手を休め、悲しそうに直斗を見つめる。
「でもなぁ。ここに来るって聞いたのは、四十過ぎのおばさんだって……」
 彼は頬を掻き、呟く。
「あ、そういえば! うちの母親が直斗さんに見せなさいって。手紙を預かってたんだった」
 春菜はそう言って、鞄のポケットから封筒に入れられた手紙を取り出し、慌てて直斗に差し出す。
 彼は、それを受け取り、封を切って中身を取り出し、一枚目を少し眺め――――
 そのままの格好で硬直する。
「…………」
「あ、あの?」
「話が違う………」
 春菜の呼びかけに、彼は俯き、うわごとのように呟いた。
「え?」
「はぁ……計られたみたいです。それか、本当に間違えたのか」
「いや、あの、一体何の話を」
 直斗を揺すりながら、春菜は話しかける。彼は、はじかれたように上を向き、
「僕に送られてきた手紙の中のあなたの写真は……四十過ぎほどの女性だったんですけど。……失礼な質問だと思いますが、あえて聞きます。あなたは四十過ぎという事は……」
「違いますっ!」
 テーブルを叩き、即座に否定する。彼はポケットから写真を取り出し、彼女に見せた。
 彼の言うとおり、四十歳過ぎぐらいの女性が静かに微笑んでいる。
「誰?」
 春菜は首を傾げた。こんな女性は知り合いにいない。
 彼女の反応を見て、直斗は溜め息を付き、ポケットに写真をしまった。
「分かりました。その件はもういいです。で、雇ってもらえます?」
 春菜は頭を振り、尋ねる。
「ええ、そちらがかまわないなら。でもドコで寝泊まりするんですか?」
 彼の言葉に春菜は首を捻った。
「あれ? 宿舎があるって母に聞いてきたんですけど。無いんですか?」
「ええ、そんなものはなかったはず……もしかして」
 彼女と同じ様に首を捻っていた直斗の動きが止まる。
「ここの屋敷には、結構空き部屋があるんです。もしかしてそれのことを言ってるんじゃないかと思うんですけど」
「……一つ屋根の下で? 手紙にその事も書いてあるって言ってましたから早く確認してくださいっ!」
 春菜は半泣きになって直斗にすがりついて言う。
「は、はい」
 慌てて彼は手紙の一枚目に目を通し、次の二枚目に目を移して、溜め息を付く。
 彼の隣では春菜がすがるような眼で彼を見つめている。
「それで、どうなんです?」
 直斗は首を振り、
「ごめんなさい」
 何故か謝罪をし、頭を垂れる。
「何で謝るんですかっ!? ちょっと見せてくださいッ!」
慌てて立ち上がり、彼の後ろから手紙の中身を覗き込む。

『こんにちは、私のことを覚えてるかしら。
 娘の春菜をよろしくね? 泊まるところはそちらの空き部屋につくってもらえないかしら。
 それからあなたに送った写真―――実は知り合いの人なの。
 まあ、そっちについたうちの春菜を見て分かると思うけど別人よ。
 そうでもしないと了承してくれそうになかったからね。
 うちの娘は母親の私が言うのも何だけど、なかなかの器量よしでしょ?私に似て。
 まあ、冗談はともかく、気はつくし、料理の腕もいいから役に立つはず……
 こんなにおいしい条件、みすみす蹴らないわよね? あなたがうちの娘を捨てたら、春菜は路頭に迷うことになるの。そんなことは、しないわよね?
 一つ屋根の下になるけど……まあ、いいわ。間違いがあった時はあなたが責任とってね。私は直斗君を全面的に信頼してます。たぶん春菜もこれを見てるだろうし。
 春菜、直斗君はこう見えても、なかなか頼りになるのよ?
 というわけで直斗君。うちの可愛い娘をよろしく。
 今時こんな娘、なかなかいないわよ? アタックあるのみ! チャンスは逃さないこと!
 北倉 由利香(ゆりか)

 手紙の内容は、おおよそこんな事だった。
「お母さん……は、はめたわね」
 春菜は引きつった顔で掌を握りしめる。
「……それに何よこの文章。まるで」
 ――――まるで、私の事この人に勧めてるみたいじゃないっ!
 唇を噛みしめ、言葉を飲み込む。
「……ってことは、君は同居人?」
 直斗は顔を上げ、春菜を見つめる。
「……はぁ、もういいわ! 私ここで雇ってもらえなかったら本当に路頭に迷っちゃうし……って言うより、これ、お母さんの脅しよね? まんまとはめられちゃったなぁ」
 顔を上げ、頬に手を当て、溜め息を付く。
「私、ここで住み込みで働きます。良いですね?」
 春菜は、直斗の眼を見つめ、キッパリと言い切った。
 春菜は大人しい少女だが、逆境に強かった。
「え、ホントに同居する気なんですか?」
 直斗の方が驚いたように呟く。
「だって、私ここ以外知り合いいないんです! お金もそんなに持ってないし」
 春菜は潤んだ瞳で、彼の目を見つめる。
「まあ、いいですよ? そちらがいいんでしたら。それに、二時間以上歩いてきてお疲れでしょう?」
 彼は微笑み、頷いて快く了承する。
「あの? 何で私が歩いてきたって知ってるんです?」
 驚いたように直斗を見つめ、春菜は言う。彼は微笑み、
「簡単な推理ですよ。まず、あなたの靴」
 そう言って、彼は春菜の革靴を指さす。
「あちこちに、泥が飛び跳ねて乾いています。ここらには、そんな水たまりなんか出来てません。三日続いての快晴ですし。
 あなたの格好からするに、好んで山道を歩くようにも見えません。どちらかというと不向きな格好です」
 確かに、山道を歩いているとき、とても歩き辛かった。
 草に足を取られるし、切り傷は出来るし。散々だった。
「とすると、事故か何かで乗っていた乗り物から降り、歩かざるをえなくなった。
 ここら辺には列車か車ぐらいしかありません。車を運転するには若すぎますから列車で来ていたが、
 故障か何かによって歩かないといけなくなった。
 で、ここら辺で水のある場所といったら……ここから二時間ほど先にある、ため池の側しかない。
 …………間違っていますか?」
 彼の言葉が一つ終わるたびに、春菜から笑みがこぼれる。
「いいえ! 当たってます。すごいわ。……でもあそこ、ため池だったんですね」
 そう言いながら、ため池というより、底なし沼のようだった緑色のため池を思い浮かべる。
(でも、頼りになる、はともかくとして。頭が切れるのは間違いないみたい。良かった)
 彼女は頭のの中でそう思いながら、彼の腕を取り上下に揺らす。
「え、いや、あはははは。」
 僅かに頬を染め、直斗は照れくさそうに微笑む。
「あ……ご、ごめんなさい。ちょっと嬉しくって」
 春菜は慌てて手を離し、頬を真っ赤に染める。
「い、いえ、いいですよ別に。じゃあ、あなたの部屋に案内します」
 直斗はぎこちなく笑い、春菜を部屋に案内する。
「ここです」
「こ、ここですか? あの……いいんですか? こんなに広い部屋を使っちゃって」
 春菜は辺りを見渡し、驚きの声を上げる。
 柔らかな日が射し込み、埃っぽい部屋を明るく照らす。
 一人部屋にしてはかなり広く、五、六人が部屋に入り込んでも狭くは感じられない。
 窓際の方に、大きなベットが備え付けられてある。
 部屋の中は白で統一されていて、埃さえ取り除けば快適な空間だった。
「大丈夫ですよ。遊ばせて置くよりは使ってもらった方が部屋も喜ぶでしょうし」
「えっと、じゃあ遠慮なく使わせてもらいますね?」
 春菜は、はにかみながら辺りを見渡す。
「ええ、どうぞ。僕一人だけだと寂しかったからちょうど良いです」
「……でも。掃除しないといけないですね。この部屋も」
 春菜は荷物をベットに起き、窓を開ける。
「も?」
 彼は首を傾げ、春菜のいった言葉を繰り返す。
「ええ、この部屋も。いえ、この屋敷中。たぶん全部こんな感じなんでしょう?」
 春菜の溜め息混じりの言葉に、彼はポンッと手を打ち、
「ああ、そのことですか。ええ、亡くなったお爺様は掃除が苦手だったみたいで、僕が来たときはもうこんな有様だったんです」
 頭を掻いて苦笑い。
「それに、僕も掃除が苦手だったもんですからそのままにしてあるんです」
「はあ、そんなことだろうと思いました。分かりました。私がお掃除します。お世話にもなることですし」
 春菜はそう言って、腕まくりをし、微笑む。
「え、でも。悪いです」
 春菜は、直斗をジロリと睨み、頬を膨らませ、
「あなたはよくっても、私は部屋中こんなに汚くしておくのは我慢できないんです!
 これは、私の希望でもあるんですから!」
「は、はい! お、お願いします。春菜さん」
 勢いに押されるように彼はこくこく頷く。
「はい、よろしい。頑張りますね」
 満足そうに微笑み、頷く。
「はは、ええ、よろしくお願いします」
 直斗は楽しそうにクスリと笑い、頷いた。
「あ、ここの探偵事務所ってどんな依頼なんかを引き受けるんですか?」
「基本的に何でも、この間は捜索だったかな?」
「へぇー凄いですね。誰を見つけたんですか?」
 春菜は身を乗り出しながら聞く。
「暁美さんと、木柱さんですね」
「わぁ。すごいですね」
「人間じゃないですけど」
 彼のその一言で、部屋の空気が止まった。たぶん気のせいだったのだろうが彼女は確かにそう感じた。
「え?」
「鶏と、牛さんです」
 直斗は何の感慨もなくそう告げる。
「……そ、そうですか。見付かったんですよね」
「はい。牛の方は、野原で草を食べていたところを発見され、鶏は近所の子供達に暴行を受けているのを発見され、保護しました」
「そうですか」
「まあ、ここを開いて半年も経たないんですししょうがないですね」
 直斗は首を振り微笑む。
「は、半年っ?」
「ええ、ついこの間開いたばかりなんですよ……そのせいかあまり流行っていなくって」
 ……お給料。出るのかしら。
「じつは、生活していくのも苦しい状況でして。あまりお給料は出せないですけど」
 彼女の考えを読みとったように、彼はすまなそうに微笑む。
(それより先に、ここで生活できるのかな?)
 かなり現実的な危機感に彼女は頭を痛ませた。下手をすると今の時代に餓死してしまう。
 春菜は埃だらけの部屋を見つめ、深い溜め息を付いた。
 どちらにしろ、彼女の掃除三昧の日々が始まったのだった。




「たあっ!」
 かけ声と共に、本棚に本が詰め込まれる。
「んっしょ、ふう」
 春菜は額の汗を拭い、溜め息を付く。
「はあ、よし。こんなものかしら! ン、なかなか綺麗になったわ」
 春菜は満足そうに頷き、腰に手を当てて眺める。
 広々としたろ廊下、きちんと磨かれた床に、テーブル。
 そして、きちんと配置された家具。
 ここが一週間前まで本の山だった事は想像できないぐらい綺麗に片づいている。
 というより、もはや別の場所になっていた。
 彼女が一週間死にものぐるいで掃除した成果が現れていた。
 外壁もきちんとツタを払ってあり、重々しい雰囲気はもう無い。
 ドロドロになったエプロンを畳み、洗面所にある洗濯機に放り込む。
「もうこんな時間……直斗さんまだ書斎にこもってるのかなぁ」
 春菜は午後四時をさす柱時計を眺め、書斎のドアを眺める。せっかく綺麗にしても、見てくれる人が居ないと寂しい。
「……もう一週間ぐらい閉じこもってるけど。……そう言えば食事ってどうしてるのかな」
 彼女は、はたっと気づき、考え込む。
 ここにきてから、彼と顔を合わせて食事をとったことは一度としてない。
 厨房も、本で山積みになっていたため、料理が作れないので食堂に行き食事をしていたのだが、彼は後で食べると言って、ついてこなかった。
 しかし、彼の性格……ここ一週間ほどで見た限り、進んで料理を作るタイプに見えない。それよりもめんどくさがって食事を抜きそうな気がする。
「…………」
 彼に聞こうと思い、扉をゆっくりとノックする。返事はない。
 ノブを回すと、扉が開いた。
「あのー。直斗さーん?」
 声を上げ、部屋にはいる。下を見ると、彼が横たわっていた。
「な、直斗さんっ! 大丈夫ですか?」
「んー」
 彼は呻くと、寝返りを打ち、寝息をたてる。
「……ね、寝てる。心配して損したわ」
 春菜は呆れたように溜め息を付き、彼の体を軽く揺すった。
「直斗さんーっ。起きてくださーい。こんなとこで寝たら風邪ひきますよーっ?」
「ん……ふぁぁぁっ、おはよぉ」
 彼は半身をゆっくりと起こし、眠たげに目を擦って呟く。
「おはようって……もう夕方なんですけど」
 春菜は半眼で彼を眺め、
「ところで聞きたいことがあるんですけど、いつも食事どうしてるんです?」
「あふ……食事? んーと、一日一回食べてるよ」
 目を擦りながらあくびを噛み殺す。
「い、一回」
 ―――でも、栄養のあるものを取っていれば問題ないと思う……たぶん。
 春菜は自分に言い聞かせ、
「な、何を食べてるんです?」
「パンを一切れくらいかな?」
 撃沈。
 彼女は一瞬真っ白になった頭を振り、
「お願いですから、もうちょっと栄養のあるものを食べてくださいよ」
「卵とか?」
 あくびをしながら言う直斗を見つめ、彼女は悟った。
 彼に何を言ったところで自分で作ることはないと。
 卵だけじゃダメだといったら、ベーコンもつけるから、とか言い出すに違いない。
「はぅ……もういいです。寝てて良いですよ」
 春菜はよたよたとした足取りで、部屋の外に出ていく。
「あ、卵だけじゃダメだったら。ベーコンも――――」
「いいですっ! 聞いた私が馬鹿でしたっ!」
 みなまで言わせず、彼女はドアを乱暴に閉める。
「何で怒ったのかな?」
 直斗は閉じたドアを見つめ、不思議そうに呟いた。



「はぁぁっ、困ったなぁ。私、あんまりお金持ってないのに」
 ベットの上に、家から持ってきた全財産――の財布の中身を並べ、にらめっこをしながら憂鬱に呟く。
「でも放っておいたら、栄養失調になるし。えーい、もぅ。しょうがないなぁ」
 溜め息を付き、微笑んで財布に詰め込み、屋敷から出ていく。
 それからしばらくして帰ってきた彼女の手に握られていたのは、二人分の夕食の材料だった。
「ふんふーん♪」
 広い厨房に、少女の鼻歌が響き渡る。
 たんたんたんたん!
 軽やかな音と共に、野菜が次々と綺麗に切り刻まれていく。
「ふふふっ。この厨房凄く使いやすいわ。包丁に、食器一通りそろってるし」
 そう、一週間前までは埃だらけだったが、食器に、包丁、鍋等々一流シェフも驚きの調理道具がそろっていた。
 何故こんなにそろっているかは疑問だが、気にしないで使っている。
「るるるー」
 鍋の中の具をかき混ぜながら、春菜は楽しそうに鼻歌を歌う。もともと家事は好きなのだ。
 屋敷の中に、味噌のいい匂いが漂う。小皿に少しつぎ、口を付け、
「ん、おいしい。上出来ね」
 火を止め、買ってきていた魚を網に乗せ、焼く。
「……直斗さん美味しいって言ってくれるかな?」
 呟き、少し高鳴る胸を押さえる。一応、男の子に手料理を食べさせるのは生まれて初めてなのだ。父親は除く。
 少し、緊張する。
「……うー。考えても始まらないよね……そろそろ頃合いかな? 早く冷めないうちに呼んでこなくっちゃ」
 コンロの火を止め、慌てて書斎に向かう。
「直斗さん! 開けますよっ!」
 数回ドアを叩き、返事が来る前に扉を開ける。
「ど、どうしたんですか? そんなに慌てて」
 起きていたらしいく、本でも読んでいたのか辺りに本が散らばっていた。
(……ここも、掃除しないと)
「緊急事態です! 緊急事態」
「緊急事態?」
 春菜の言葉に慌てて立ち上がり、直斗は部屋から飛び出す。
「こっちですこっち!」
 急いで彼の手を引き、食堂のテーブルに座らせる。
「…………ここドコです? 緊急事態は?」
「ここは食堂ですよっ! 片付けたんです。早く持ってきますね」
「緊急事態の割には、なんか楽しそうな……なんかいい匂いがする」
 首を傾げ、辺りを見渡す。
「はい、お待ちどう様」
 春菜はトレイに料理を乗せて、運んできた。
「……もしかして、緊急事態ってこれのこと?」
 驚いたように春菜を見つめ、湯気の立つ料理を見つめる。
「そう! 料理が冷めたら大変です。不味くなっちゃいますから」
 言いながら、料理を手早く並べ始める。そう経たないうちに、テーブルの上に、美味しそうな夕食が二膳並べられた。
 川魚の塩焼きに、白ご飯、山菜のお浸しに、みそ汁、そしてたくあんと緑茶。
 完璧な日本食の数々だ。
「あの……これは一体?」
「いいから食べてください。冷めちゃいますよ」
 春菜は彼の向かいに座り、箸を取る。
 それに習っておずおずと、直斗も箸を取って、みそ汁に口を付ける。
 春菜は箸を置いて、期待と不安の入り混じった瞳で直斗をじっと見つめる。
「…………」
 彼は無言でみそ汁を置き、他の品にも箸をつける。
「どう、ですか?」
 最後の品を口にし終えたとき、春菜は不安そうに聞く。
「すっごく、美味しいです。春菜さん」
 直斗は満面の笑みを浮かべ、また箸をつける。
「よかったぁ……」
 春菜は胸をなで下ろし、自分も料理に箸をつけ始めた。
「……料理上手なんですね」
「そんなこと無いです」
 春菜は恥ずかしそうに頬を赤らめ、俯いてボソボソと呟く。
「謙遜しなくても良いですよ。本当。良い奥さんになれますね」
「え、あ、その」
 彼の言葉に驚き、箸を取り落とし掛けて、慌てて宙で箸を掴む。
 緊張と恥ずかしさで頭の中が真っ白になる。自分の頭から湯気が出ているかも知れない。
「?」
 春菜が真っ赤になって押し黙ったのを彼は不思議そうに眺め、
「どうしました? 風邪ですか?」
 心配そうに問いかける。
「いえ、だいじょーぶです」
 手を振り、ぎこちなく微笑む。
(……鈍い)
 彼の言葉になんとなく冷めた気持ちで、みそ汁をすする。
 直斗は嬉しそうに料理を頬張っている。
 やっぱり美味しく食べてもらえるのは嬉しい。
「……えっと、直斗さん」
 春菜の言葉に、彼は箸を止める。
「はい?」
「私は、仕事中はあなたの言うとおりにするって約束しましたけど……条件があります」
「条件?」
 直斗は驚いたように春菜を見つめた。
「はい。毎日きちんと三食。ご飯を私と食べること!」
「……え? 僕……です、か?」
 彼はぼけーっと天井を眺め、慌てて自分を指さす。
 春菜は溜め息を付き、
「他に誰がいるんですか……」
「えーと、猫とか、蜘蛛とか」
「何で私が、猫や蜘蛛なんかと一緒に食事をしないといけないんですかっ!」
 力一杯テーブルを叩き、春菜は叫ぶ。
「じ、冗談です、じょーだん」
 直斗は、春菜の剣幕に驚き、引きつった顔で慌てて宥める。
「……まあ、いいですけど。一緒に食事をしてくれますね?」
「は、はいっ」
 身を乗り出して聞く彼女の言葉に直斗は慌てて頷いた。
 春菜はにっこりと微笑み、
「よし、じゃあ調べものがあって手が放せなかったら言ってください。
 夜食や、昼食をつくって持っていきますから。まかせてください!」
 そう言って、ドンッと自分の胸を叩く。
「もしかして……僕のこと心配してくれてるんですか?」
 直斗は自分の栗色の髪の毛を掻きながら、彼女を見上げる。
「当たり前です」
 春菜はそれを半眼で眺め、溜め息を付く。
「あはは、すみません。何から何まで」
「いいんです。ホントに放っておいたら餓死しそうですから」
 彼女の言葉に彼はぱたぱた手を振り、
「いや、餓死はいくら何でも」
「しますっ! 栄養失調ぐらいはっ!」
 春菜の噛み付くような一言に、直斗は沈黙し、みそ汁をすする。
「……はぁ」
 春菜は溜め息を付き、食器を片付け始める。
 直斗は母性本能をくすぐるとか言う以前に放っておいたら大変なことになる。
 頭は切れるようだが、先活力が皆無のようだ。
(うぅ。もぅ……ここから離れられなくなっちゃったわ……私が料理作らないと栄養失調になりそうだし)
「直斗さん、洗い物は厨房に置いておいてくださいね? 私が洗っておきますから」
「え、あ、はい。ありがとうございます」
「あ、お代わりします? だったらついできましようか?」
「えっと、じゃあ……おみそ汁を」
 彼の差し出すお椀を受け取り、春菜は微笑んで、
「じゃあ、すぐについできますね」
 ぱたぱたとあわただしく厨房に向かっていく。
「手紙に書いてあったとおり、いい娘みたいだけど……」
 直斗は彼女の後ろ姿を見ながら呟く。
 そのすぐ後に、彼女の悲鳴と、食器類が倒れる音が響く。
「……ちょっと、ドジなのが玉にきずかなぁ」
 溜め息を付き、頬を掻く。
 そのしばらく後、春菜はへろへろになりながら、みそ汁を持ってきた。
「は、はい。どおぞ」
 春菜の差し出すお椀を受け取りながら、
「……食器でも倒したんでしょう? 大丈夫ですか?」
「ええ、ごめんなさい……お皿割っちゃいました」
 本当にすまなそうに春菜は俯く。直斗は慌てて、
「いや、良いですよお皿ぐらい。それより怪我はないんですか?」
「は、はい。大丈夫ですっ、ホラ」
 春菜は微笑み、手を大きく振って無事なのをアピールする。
「じ、じゃあ。私洗い物をしてきます」
 誤魔化すようにそう言って、厨房の方に走っていく。
「ふぅ」
 それを見送り、軽く溜め息を付く。
 料理の味は文句なし。でもさっきから何故か心がざわついている。
「うーん。女の子と同居生活かぁ」
 何気なく自分でいった言葉を直斗は口の中で反芻する。
「二人っきり―――」
 そこまで言って、頬を赤らめる。
「うぅ、成り行きで引き受けたけど……参ったなぁ、二人っきりかぁ」
 一週間も経って、女の子と一緒に暮らしているのを再確認したらしい。
「確かに可愛いし、料理もうまいんだけど……二人で暮らすって言うのはまずいような……」
 今頃気がついても後の祭り。もう了承した後である。
「まあ、いいか……食事とか作ってくれるって言うし。由利香さんの言うとおり、儲けものだと思えばいいかな」
 そう言いながら、無理矢理自分を納得させる。
「うん、あんまり深く考えないようにしよう」
 頭を振って、直斗は呟く。
 とにかく、新しい助手は来たのだ。予定とはかなり違ったが。
「明日のご飯は何だろーなぁ」
 割り切って考えると、結構気持ちが楽になり、直斗はのんびりとまた食事を取り始めた。

  

 

 

 表紙  TOP  Next



Kamihara detective office

 

 

 

 

 

 

 

 

inserted by FC2 system