インスタント日常番外編「瞳の向こう」






 息を潜め、並んだ棚の隙間に身を寄せて辺りを伺う。
 誰からも気がつかれることもない。気配は完全に断っている。
 室内は明かりが小さいのか薄闇が辺りを覆っている。
 ほかの店は酷くまぶしいところが多かったが、この店の暗さは落ち着けるな、と少し肩の力を抜く。
 先ほど自分を驚かせた頭上の金色の固まりは、もう鳴いてはいないようだった。
 黒い髪の……たぶん女らしき人間が不思議そうに首を傾げながらカウンターと呼ばれている場所に戻っていく。
 人間の一挙一動に目を凝らしながら影は考えた。
 ――傷薬はどうやって買うのだろう。と。

 



「おかしいなぁ。ベル、鳴ったと思ったんだけど」
 少女は腕組みをして唸る。扉に取り付けてある来客用のベルの音で顔をのぞかせてみたところ、無人だった。
 すでに店内に入り込んだかと見回しても人影一つ無かった。あれは空耳だったのだろうか。
 むう。
 唇をとがらせてもうひと唸り。
 澄んだ音を立ててまたベルが鳴った。

 

 




 金色の固まりが揺れて音がたち、人間の女。恐らく少女が慌てたように扉に近寄っていった。
 どうやらあれは店に入ってくる客を知らせる物らしい。
 気配を殺している自分に対しての警戒の威嚇なのか、先程から異様な唸りをあげていた少女は息を吸い込み、満面の笑みを客に向けた。
「いらっしゃいませ」
 外で使われている人間たちと同じ言葉を喋り、その客を眺めて思い直すようにもう一度口を開く。
「――――」
 表情は変わっていないし、友好的なのは見て取れるが何をいっているか分からない。もう少し近寄ろうかとも考えたが、これ以上身を乗り出せば身体が棚の外に飛び出してしまう。好奇心はあるが、危険を冒すことはしたくない。
 しぶしぶあきらめ、彼女の応対している客に視線を向けた。
 店の入り口から入り込んできた客を見て、全身の毛が逆立つ。獣王族の群を見たときのようなおののきが頭から爪先までを貫いた。少女がつれてきたのは、大きな蜂のような生き物だった。
 闇をにらむように眺めても、光景はかすれはしない。店に招き入れられた昆虫は年の離れた親戚から聞かされた恐ろしい化け物とそっくりだった。
 木の実にも似た大きな瞳にも見える赤い眼球は、いくつもの瞳が集まり、そのため並の生物の数十倍の視界を持つ。鋭い尾から吹き出される猛毒は愚かにも立ち向かってきた獲物の血肉どころか骨をも溶かし尽くす。自慢げに告げられた話と全く同じ生き物だ。
 あんな化け物のそばに寄れば、きっと自分なんて痕跡も残らず蒸発させられる。
 自分の体がぶるぶると震えるのを感じながら棚の端に爪を立て、息を詰める。
 恐慌状態と戦う自分を尻目に、娘は至って暢気な様子だった。
 世間話をするように時折口を動かし、商品棚の一つから紫色の液体が詰まった瓶と黒い粒で満たされた瓶を取り出して袋に包んで渡す。
 異様な光景に息をするのも忘れて見入ってしまう。
 町でもいろいろと見てきたが、魔物と正常な取り引きをする人間が居るわけがない。特にあんな化け物なら魔物うちでも一線を引かれているだろう。
 自分はもしかしたら雑貨屋ではなく不法な裏市にでも来てしまったのだろうか。
 無力に見える人間の娘も何かが化けているのか。
 思いを巡らせるうち、代金を受け取ったらしき少女が深々と頭を下げるのが見えた。
 その瞬間、鋭い尾が翻り、針が光る。
 とうとう本性を現したかと物陰で硬直する。
 だが、娘の体に毒液がかかることもなく、緩く左右に尾を振るだけに留まった。まるで挨拶でもするように。
 からから、と扉から音が鳴り。
 酷く和やかに凶悪な怪物は店を後にした。

 



「ありがとうございました。またよろしくお願いします」
 派手な色彩の昆虫に向かって頭を下げて、少女はほっと安堵の息を吐き出す。魔物言語の中でも特殊な言葉は発音に少し手間取る。
「あの人も大変だなぁ」
 この店は雑貨屋の側面が強いが、訪れる客の悩みに乗ることも多い。傷や頭痛程度なら薬を処方できたが、難度の高い悩みには対処できない。
 客から出された難しい課題にうんうんとうなる。
 無理難題は断ればよかったのだが、光沢のある眼差しで、真剣に尋ねられれば嫌とはいえなかった。
 極彩色の黄ばみがかったからだと、甲高い羽音に並の人間であれば悲鳴を上げただろうが、言語を理解する少女に向けられたのはか細い懇願だったのだ。光沢のある客の身体には細かなかすり傷がついていた。
「どうやれば丸くなるか、か。ああ、また来るだろうなぁ」 
 傷に効く薬と気分を落ち着ける錠剤の詰まった薬瓶を渡したが、一時しのぎにしかならないだろう。
 涙がにじんでいそうな客の瞳を思い出す。
 来るとしたら明日かな。
 確信に似た思いを抱きながら店の棚を眺めた。
 常連客が何人かと新顔がいくらかは思い思いに商品棚をためすがしつ眺めていた。
 太らせる、のは問題解決にならないか。と少女は栄養価の高そうな木の実を手に小さくため息を吐き出した。





 黒髪の少女は怪物を見送った後木の実を片手にのせ真剣に眺めていたが、やがてため息を吐き出して何かをあきらめたようだった。
 力ない足取りで元の場所に戻ると、カウンターにまた肘をつき、こちらに向けてと思われる威嚇の呻きを再開させた。
 背筋に冷たい物が上る。
 もしかしたら自分はとんでもないところに忍び込んでしまったのか。半分興味本位で入り込んだが、実は罠で自分は剥製にされて店に陳列されてしまうのだろうか。
 よぎった暗い未来予想図に総毛立つ。
 またちりん、と金色の固まりが揺れた。継いで濡れたような音が聞こえた。薄暗い室内に光をすこしだけ差し込んでいる曇ったガラスを見つめる。
 雨の気配は感じない。
 少女は今度は動かず頬杖を付いたままだ。眉を寄せた険しい顔をして威嚇を続行している。掠めるように扉に目を向け、
「……いらっしゃいませ」
 おざなりな挨拶を投げた。
 今までは扉に向かっていた娘とは思えない素っ気ない対応に興味を引かれ、入り口に視線を注ぐ。
 なにもいない。
 が、布を引きずるような奇妙な音で、居ないのではなく予想していたより客が小さいことを悟る。
 日の光を通し、異形がたたずむ。骨のない体をくねらせ、濡れた音を立てて店内に進入する。
 色のない水のような生物だ。体の中心に拳程度の宝石が沈んでいる。
 透明の体を揺らして地面を這い、棚の前を横切り、脅えたような客のそばを通り過ぎながら錠剤の詰まった瓶を器用に頭上にもちあげてカウンターに迫る。
 透明な沼地にもぐり込んだ瓶をみて、うつ伏せるように頬杖を付いていた少女が僅かに眉を跳ね上げたのが見えた。
 得体の知れない水のような生き物の接近に、動揺した様子も見せずいたずらをした猫を眺めるような空気だ。
 あのよくわからない生き物はたぶんスライムと呼ばれる物だろう。強いとも弱いとも聞いたことはないが、相手をするなら気をつけろと母親に言われたことがある。
 スライムには種類があって舐めてかかるととんでもないしっぺ返しを食らうらしい。
 特に攻撃を加える様子もないのか、いくつかの容器を高々と掲げ、スライムが銀の固まりをカウンターにおいた。
 少女が手を伸ばし。
 透明な体液にためらいなく腕をつっこむと、半ばまで体内に沈んでいた瓶と体内にしまい込まれた瓶を引き抜いた。
「ダメです」
 冬の湖のような目だと思った。
 冷たい声音で告げられて透明な体が波打つ。種族差別に憤りを露わにした客にも、冷淡な声は揺るがない。
「ダメったらダメです。薬に頼りすぎたらダメなんです。
 大体おなか壊すのって自業自得じゃないですか」
 いいじゃないか、とでも言うようにそろりとのばされたツタにも似た透明な触手がさっと手のひらではたき落とされた。更に性懲りもなく数本の透明な糸状の手が瓶に伸ばされる。
 深いため息を少女は吐き出して近くにあった花瓶をスライムの頭の上で逆さまにした。小さな水音を立てて花瓶の水は客と床をぬらしていく。
 透明な体に水がしみこんではいかず、白い煙がスライムの全身から立ち上る。
 白煙をあげる体を見つめ、スライムの中には水を弱点とする物がいたことを思い出した。その名の通り弱点で、水をかぶせられれば体が溶け落ちてしまうときく。
「痛いですよね。懲りましたか」
 少女が酷く冷たい眼差しで客を見つめている。
 毒もない、牙もない脆弱な少女に、今日一番の恐怖を感じた。折檻にしては酷く手荒い方法だが、爪の先程の罪悪感も感じていない様子だ。
 だいぶ衰弱したスライムが懲りたとでも言いたげに触手を動かす。そして、切れ目のない口を開いた。
「今日もエラクキゲンガワルイ」
 話すことができたのかと驚くが、少女は微塵の動揺も見せずこめかみに手を当てる。
「そうですね。自分の行いに胸に手を――いえ。核に触手を当てて考えましょうか」
 考えるようにスライムは体を波立たせ、思いついたような声を上げて滴をとばした。
「イヤ。人間のムスメが怒るときはリユウガアッタハズ。
 そうか、失恋カ!」
 一瞬。獣王族が娘の背後に見えた気がして慌てて目をこする。
 数度口を開いていたが、耐えることにしたのか唇を閉ざす。表情を読むことに長けては居ないが、かなり怒りを飲み込んだ顔だと思った。巣穴の前の蛇に顔を寄せる動物のようだ。自分より表情を読みとることが苦手なのか、空気を読まずスライムが続ける。今度こそ当たりだろうとでも言いたげに。
「なるほど、太ったのカ。確かに少々マルイキガスルナ」
 話がすべて終わる前に少女はカウンターの下に潜り込み、盥を頭上に抱えあげると流れるような動作で躊躇なく中身を下にいるお喋りな軟体生物にぶちまけた。
 大きな水音と、激しい断末魔。ぞっとするような何かが焼けただれる音がして白い煙が辺りに広がる。
 しばらく誰も口を開かなかった。客の数名は蒼白な顔でカウンターを見つめている。
 棚に身を潜め震える腕をわしづかむ。人間は恐ろしいと聞いてはいたが、ここまでの残虐性があるとは思いもしなかった。すこし神経を逆撫でされたからといって、殺すなんて。
 濡れた床に黄色い宝石のような玉が転がっていた。
 先程談笑していた相手を殺したとは思えない顔で少女はカウンターから出、地面に落ちた宝石を取り上げる。
 しばらく眺めた後、興味をなくしたように元の場所においてカウンターの裏の棚から瓶を取り出し、中の粉を振りかけた。転がった玉から水が染み出し、広がっていく。
 液体は人一人分の幅で留まり、球体を形作った。
 元の棚に瓶をしまいながら心底うんざりしたように少女は未だにうごめき続ける液体へ言葉を投げた。
「全く。核が残ってるならいくらでも再生できるんですから大仰な悲鳴上げないでください」
「…………つまらんなぁ。はじめの頃の初々しい反応はどこに消えたのだろうなぁ」
 先程と同じ姿を取り戻したスライムは、何処かつまらなそうな文句を漏らす。先程のようなたどたどしさはぬけ、流暢な人の言葉だった。
「流石に十回越えれば慣れます。初顔のお客様を脅かすのも止めてください。趣味悪いんですから」
 先程と同じようにカウンターに肘をついての呆れ含みの答えで周囲の様子に気がつく。
 騒然としていたのは数名で、ほかの客は何事もないように商品を手にとっている。どうやら普段から見慣れている光景らしい。
「つまらんなぁ。ああ、つまらんなぁ。
 じゃあ瓶をおくれ」
「ダメです」
 薬の瓶に絡みつこうとする透明な二本の触手を素早く振り払い、両腕で自分のそばにかき集める。
「客の要望をかなえるのが店のつとめではないのかね。その薬がなければ……明日をもしれぬというのに。
 この酷く脆弱な生物のささやかな希望すら踏み砕こうというのか。人間とはなんと冷たいのだ!」
 彼が人間でここが劇場であれば人々を魅了しそうなほどに酷く堂に入った深みのある声と台詞だった。深い嘆きにも少女の眼差しは冷ややかなままだ。
「獣王族に切り刻まれても無事なあなたの何処が脆弱なんですか」
「む。いや、それは違う。
 いくら私とて核を刻まれれは死んでしまう」
 ほら、儚いだろうと言いたげな身振りと波立つ動きに少女の瞳の冷ややかさが増す。
「へー。ふぅん。襲いかかった獣王族を、異常な再生能力で復活したあなたが飲み込んで瀕死に追い込んだという逸話を耳にしましたが」
「うむ。それは情報伝達途中で起こる行き違いが生んだ悲しい誤解であろう。まあ何にせよ、相互理解とは難しい物だと思うのだ。君と私のように」
 小難しい顔をした学者のような口振りで体をふるわせる。表情のない液体から出されたのは酷く難しい問題だ。
 種族的相互理解か個人的相互理解かで意見が分かれるところだが、二人の間に漂うしらけた空気からすると後者だろう。
「…………雰囲気で私が流されると思いますか?」
「代金は払うぞ」
 泣き落としも説得も通じないとようやく悟ったらしいスライムがカウンターの上に先程落とした銀の固まりを転がす。
 深い輝きを放つ銀。
 人間にも値打ちがある品物のはずだ。少女は一瞥すらせずに腕を組む。
「毎回言ってますけど、お金じゃありません。
 私は心配してるんです。そんな食生活だと本当に死んじゃいますからね」
「いや、生命力には自信があるぞ。数千の槍で貫かれても死なない自負がある。それに今の食生活は私を確立するための基盤なのだ、そうおいそれと変えられる物ではないのだよ」
 自らの再生能力を自慢すると同時にふんぞり返るスライムをみて、少女が肺から息を絞り出す。
 魂の底からのため息にもみえた。
「毎食のデザートが毒草なんて、悪食にもほどがあります。解毒器官を備えているならなにも言いませんけど、毒が回って何時ものたうち回ってるじゃないですか。
 傷と違って毒は直らず蓄積されますから、後から一気に来るはずですよ。
 いまだって調子悪そうじゃないですか。体震えてますよ」
 気まずげな呻きが彼から漏れた。波打つような移動の仕方をするのではなく、痛みに耐えて躰が震えていただけらしい。
「うむ。しかし弱った消化器官は君の冷たい攻撃で毎回新たに生まれ変わるからな。この食生活を続けても生き残れるとおもうのだよ」
 彼の言葉の通りなら、先程の水責めは治療という側面もあったらしい。弱点には違いないのだから、激痛のあるツボ治療のようなものか。とんだ荒療治だ。
 渋々と、本当に嫌々ながらだと言わんばかりに少女が体を起こし、カウンターの後ろにある棚に腕を伸ばした。
「…………全く。仕方ないですね、いつものように解毒の薬ですね。私が居ないときは自分で湖にでも浸かってくださいよ」
「む。そこまでは出来ても傷薬を核に振りかけることが難しいのが悩みの種だな」
「面倒見切れません。店に来る悪趣味なお客様のおかげで私には冷酷非情の悪評がつきまといそうですし」
 袋に薬の瓶を詰めながら少女が唇をとがらせる。
「いいや。君が非情など誰が思うものか。君は優しい娘さんだよ」
「へぇぇ。そうなんですか。どのあたりがでしょう」
 悪態をつきながらも悪い気はしないらしく、声の中に僅かな興味が現れた。黒い瞳を向けて彼の言葉を待つ。
「何しろ私に初めて水をかけた時の絶望的な顔は忘れられないからね。私を殺してしまったと涙を流して嘆いた君に冷たさなんてあるはずがない」
「ええ。その涙を今はとてももったいなかったとしみじみ思っているところです」
 期待を見事に裏切られて渋い顔をする少女にすこし同意をし。
 透明な触手に不意に肩をたたかれて体が跳ねる。
「棚の陰で見つめている君もそう思うだろう。なに、私も彼女も――君を取ってくいはしないよ」
 驚いたように少女がこちらを見つめていた。
 口の中が乾いて声が上げられない。
 奥歯をかみしめ、姿勢を低くする。相手に弱くみられないよう精一杯体を持ち上げ、低い唸りをあげた。
 目と目を合わせる。どんな言葉よりも視線は雄弁だ。
 侮蔑や狡猾な光が宿ったのなら、少女の喉笛を悔いちぎろうと唇をまくり爪を伸ばす。
 獲物を追いつめる獰猛な瞳を真正面から受け、
「あ、いらっしゃいませ。何かご入り用の物はございますか?」
 少女は不思議そうに目を瞬いた後にっこりと。今まで通り微笑んだ。
 流石に毒気を抜かれて唸りが止まる。
「言葉、違ったりしますか」
 言葉はわかる。
「何か必要なんですよね」
「傷、ナオス。ホシイ」
 慣れない言葉を紡ぐと少女はうれしそうににこりと笑い、
「はい、傷薬ですね。少々お待ちください」
 いそいそと薬の瓶を取り出し、差し出してくる。
 攻撃をしてこないのが当たり前だというような態度だ。
 伸ばしていた爪を戻し、冷たい瓶をこわごわ受け取る。
 視線を向けたら、まだにこにこと笑っている。
 緊張感がない。
 人間は狡猾で恐ろしい生き物らしいが、この少女は酷くお人好しそうだと思った。


 




「おお、痛い。痛い。なんとむごい事をするのだ。
 私がなにをしたと言うんだ、最近の若者はすぐに暴力に訴える。ああ、そこの店員よ、この暴虐をどう思うかね」
「いらっしゃいませ。ミヤさん、今日はなにが必要ですか」
 爪を研がれていたスライムの悲鳴を軽やかに無視し、瓶を入れていた袋を脇に寄せ、問いかける。興味深そうに手応えなく爪が潜り込む液体をつついていた獣人は小刻みに耳をふるわせ、すこし脅えたように少女を伺った。
 スライムにじゃれているこの獣人は、数日前から店に顔を出すようになった新しい顧客である。
 たどたどしくミヤと名乗った獣人は物語にでてくるような厳つい体格ではなく、しなやかな動物の体を持った異人だった。
 全身が毛に覆われ、顔も人間より動物に近く表情がわかりにくい。今のところ分かることと言えば皮鎧が必要なほど危険な場所に出入りしているという事と、野生動物のように警戒心が強いこと。たどたどしいながらも人の言葉が使えると言うことだった。
「何とも冷たい反応であるな。客が切り刻まれるという店の風評にも関わる一大事であるというのに」
「見慣れない生き物に興味がわいてつついてるだけですよ。たぶん飽きたらもうされないでしょうし」
 常連の一人であるスライムに何時ものように冷たく返してそばの棚から瓶を一つ二つと掴みとり、無造作に放り投げる。
「なんと! 私のことを子供の玩具扱いする気なのか」
 顔を覆うような悲痛な叫びを漏らすスライムの体から延びた透明な数本の触手は花のように広がり落下する瓶を優しく受け止めた。上客ではあるが、芝居がかった仕草とやりとりが好きな困った客だ。
 目立った実害はないが、たまにウンザリさせられる。
 雑な扱いだと嘆く割には少女が居ない日はなにも買わずに退散すると雇い主である雑貨屋の女主人から聞いている。
 どさ。と音を立てて何かがカウンターにおかれた。
「きのみ」
 首を向けると、植物で編まれた袋を差し出して、ミヤが言葉少なに金色の瞳で見つめてくる。両手で抱えるほどにの袋はちきれんばかりになにかが詰められている。
 この雑貨屋では品物を売ることが多いが、買い取ることもしている。交易をほとんどしていないこの町では珍しくないやりとりだ。
「はい、売るんですね」
 頷く頭を撫でたい衝動に襲われながらも、少女は微塵も表に出さずに微笑んだ。と、ぐいっとミヤの体を脇に寄せ、スライムが体をカウンターに乗り上げた。
 彼にしては珍しく強引だ。
 放置がよほど寂しかったらしい。
 しかし今は交渉が先である。うねうね動く軟体よりも、つぶらな瞳が優先だ。
「むむ、さらに私を無視する」
 いい募ろうとするスライムに少女が接客の邪魔だと注意する前に、毛に覆われた手のひらが彼の体をないだ。
 滴が飛び散り、言葉が途切れる。
 ボールをぶつけられたゼリーのように上部を吹き飛ばされたスライムは床に崩れた。カウンターから滴のように破片が滑り落ちる。
 唐突な攻撃にすこし驚きはしたものの、店の客の中では再生能力だけは群を抜いているので散らばった滴は放っておき、少女は続きを喋る事にした。
「今日も何かと交換しますか」
「たべもの」
 薄く開いた唇が何かいいたそうに開閉された。
「わかりました。たしか甘い物がお好きですよね。
 ちょうど手頃な物が入ってますから」
「うん」 
 うれしそうに尻尾をゆっくりと揺らす獣人に小さな笑みがこぼれる。
「うむ、少々度肝を抜かれたな」
 頭部あたりを木っ端微塵に砕かれたと思われた肝のない軟体生物は大きく息を吐くようなそぶりで体をカウンターまで持ち上げて、恨めしげな声を漏らした。溶けた飴のように変形する生物に視線を注ぎ、獣人は自分のひげを手櫛で整えた。
 考えごとをするように頬を掻き、講釈を垂れる顔のない生物を興味深そうに眺める。
「しかし先程から言いたいのだが、ミヤ殿といったか。私に対する態度が些か攻撃的ではないかね。核に触手を伸ばして考えてはみたが、礼節を廃した行動をとった覚えは」
 無言のままスライムをじっと見つめていた獣人の指から鋭い爪が伸びた。あっと思う間もなく肉食獣が獲物に飛びかかる素早さで腕を振り抜く。
 透明な魔物の半身が鋭く三つに切りさかれ、空中でちぎれた身体は大粒の雨のように降り注ぐ。
 対話していた少女は、体の半分以上を抉られたスライムをひきつった顔で見つめた。
 見通しのよくなったカウンターにミヤは満足したようにうなずき、伸ばしていた爪をしまい込む。
 今まで邪険にしていた少女ですら叩き込んだこともないためらいのない攻撃だ。流石に心配になったか、カウンターの向こうにあるスライムの身体をのぞき込む。爪に切り取られた断面が痙攣するように震えていた。ひどい有様だが、核はかろうじて攻撃を避けられたらしい。
 胸をなで下ろし接客を続ける事にした。

 


 やかましい隣の客を黙らせるとすこしだけ驚いたような黒い瞳がこちらを見つめていた。
 伸ばした自分の爪を鼻先まで近づけて眺める。
 手入れの行き届いた立派な獲物だ。おそらく少女は自分の攻撃の鋭さに賞賛の眼差しを送っているのだろう。
 そう納得してミヤは伸ばしていた爪を元に戻した。
 隣の客に対しては手加減はあまりしなかったが先ほどから何度ちぎられても元に戻っている。切り刻んで黙らせたがおそらく直ぐに元に戻るだろう。気に病むこともない。
「え、ええと。甘い果物がありますから、それと交換しますね」
 尋ねる言葉におびえがわずかに混じっていたが、先ほどの攻撃に対する自分への敬意からくる畏怖なのだろうと獣人は結論づけた。
「うん」
 柔らかい眼差しにミヤはすこしだけ戸惑った。
 深いではないが、甘さすらかんじる声にいたたまれない気分になる。その理由を探ってみたがもやがかっているようで思い浮かばない。
「……またきてくださいね」
「うん」
 優しくほほえむ少女をみて、獣人は居心地の悪さの理由にようやく気がついた。
 彼女が浮かべる表情は、小さな生き物に餌をやる人間とよく似ていた。
 怒るかたしなめるか考えて、結局ミヤはなにも言わないことにした。この少女の躊躇いがちに伸ばされる指先や、無意識の行動をごまかす動きはみていて飽きなかった。
 同時に、頭くらいなら撫でられても良いだろうと許容してもいた。
 普通であれば許可などしないが、観察している分では少女は何の力もなさそうな生き物に見える。何処を触れられても致命的なことにはならない。
 数日様子を見たところ、魔物に対して嫌悪感がある様子も見えない事でもある。
 撫でられたらかわりに彼女の黒い毛並みをいじらせてもらおう。あの長い毛がどんな感触なのか興味がある。
 そこまで考えて、ここに来る客が少女へ攻撃を仕掛けない理由に思い至った。人間に対して猜疑心のある客も多い中、彼女は今のところ暴力を振るわれた様子も見えない。
 なるほど、みんな自分と同じなのか。
 元から驚異にならない少女は敵と見なされていないのだと、納得する。

 しかし、とも思う。
 触られることを許容はしてもやはり愛玩動物扱いはすこしだけ抵抗があった。

 



 抱えるほどの量の果物を受け取り上機嫌だが、何処か複雑そうな顔をした獣人を送り出し、少女はカウンターの向こうにある崩れかけのゼリーの山に声をかけた。
「生きてますかー」
 沈黙。
 視線を落とし、返事を待つ。
 反応はない。
 カウンターの後ろにしまってある瓶を取り出して、残りの粉末をガラスの残骸にも見える常連客の身体に振りかける。指先で丁寧に底に固まった薬をこそぎ、粉っぽくなった指先をすりあわせて残りをはたき落とした。
 空になった瓶をカウンタの上に置き、薬を振りかけたスライムの身体をみる。
 いつもであれば直ぐに理屈っぽい演劇口調の言葉が戻ってくるが、静寂が辺りを支配していた。カウンターの向かいをのぞき込むのにも飽き、少女は散らばっていた破片を片づけ始めた。
 答えが帰ってきたのは空になった薬瓶を木栓で閉め、カウンターの汚れをすべて拭き取り終わった頃だった。
 昼下がりのけだるい午後。
 客足が途絶え、眠たそうに少女は頬杖をついていた。
「今のは流石に死ぬかと思ったぞ! すこし核に掠めたのだが。何なのだあの新顔は」
 言葉のはしに僅かに混じる恐怖から察するに核は無事だったようだが、水をかけられた時よりも深刻な傷を負ったらしい。
「うるさかったのかな」
「そんな理由で殺されてたまるか」
 ぽつりと漏らした独り言に近い呟きに彼が過敏に反応する。いつもより声が真剣だ。再生能力が高くとも、核に傷を付けられそうになってすこし危機感を持ったようだ。
「しななそうだから手加減されなかったんじゃないですか」
「…………むう。再生がほぼ無限のこの体も善し悪しというわけか」
 少女の指摘に難しそうに考え込むスライムは、深刻そうにうめいた後。いつものように身体をふるわせて身をねじる。
 知らない人間がみれば気味の悪い動き。好意を持ってみたところで、自分を大きく見せるように威嚇していると思われるだろう。
「…………」
 頬杖をつく少女に、なにか言いたそうに透明の身体がうねっている。
 普段はうるさいくらいに雄弁な癖して、彼は肝心なことは口にしないひねくれものだ。
「やれやれですね」
 少女が肩をすくめカウンターの端に寄せていた袋から瓶を取り出し、蓋を開く。濃い薬草の香りが辺りに充満するとうれしそうに彼の身体が袋のように広がる。
 
 本当に困った常連様だ。
 
 眉尻を下げ、少女は見えないように苦笑し。
 再生は無限でも解毒能力の乏しい懲りない常連に、思いきり中身をたたきつけた。


【終】





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