プロローグ/わたしの春

 

 

 

  

 紅色の図書室。独特の紙の臭い。本棚の前で瞳を閉じて呼吸を落ち着ける。
 繰り返しの毎日。ずっとずっと変わらないと思っていた。
 遠くで眺めているだけで幸せだった。でもここ数日で私の周りは全部。
 世界が一転した。ただ名前を覚えて貰えて、そして。
「音梨。良い本あった?」
 笑顔で尋ねられる。見ているだけで幸せだったの。
 だから、今は二倍。十倍の幸せ。
「まずまずの収穫です」
 だから笑顔で私は答えた。返せる物は持ってないから精一杯の笑顔がお返しだ。
「そっか。この図書館って思ったより奥が深いね」
「洒落ですかそれ」
 真顔の言葉に、思わず小さく吹き出す。
「面白くないかな」
「面白いです。奥にたまに本が落ちてますから」
「…………なるほど。本当だ」
 私の言葉に彼は本棚をのぞき込み、驚いたように声を上げた。
 そして、二人で少しだけ視線を合わせて、笑いあう。
 彼と知り合って四日。出会ってからは、二年以上。一言も喋られなかった自分が嘘みたいに、今は軽口が滑り出る。きっと、同学年だと言うことで安心したのもあるんだろう。
 マナには『ラブラブじゃん』とからかわれるけど、恋人になんて高望みはしない。今この瞬間が楽しければ私はただ、幸せ。 
「音梨。知ってるかな。この間新型の遊園地がオープンしたんだって」
「あ、それ。聞きました。何でもえっと、絶叫マシンが沢山出来て凄いとか」
切り出された言葉に何の気なしに相槌を打つ。
「そうそれ。実は大きな観覧車とかあるらしいよ」
 慣れとは怖い物で、話してよそを見ながらでも返却口が分かる。
 借りていた本をその中に落として、はぁ、と我ながらちょっと間の抜けた溜息をつく。
「わー。素敵ですね。やっぱりオールナイトとかなのかな。
 きっと町が全部見渡せちゃうんでしょうね」
「…………」
 先ほどまで貸し出し用のカードに自分の名前を記入していた彼の手が、何故か止まった。
 少し不思議に思いながらも、そう深く考えず言葉を続けた。
「コーヒーカップとかあるんだろうな。でも大型テーマパークって売り出していたから、しばらく予約チケットも満杯で、短くても三ヶ月待ちだそうですよ。流行に乗り遅れちゃったかな」
笑顔を向けてみた。そのまま止まる。
 なんでか彼は私を見ていた。それはもう痛いほどに。
 何処かせっぱ詰まったような、真剣な目に首が動かない。
 石膏で塗り固められたみたいに動けなくなった、四日前の、放課後の時のように。
「もの、は相談なんだけど。音梨」
 ブレザーのポケットから何か取り出そうとする。
「はい?」
 相手が動いて、視線を少しずれたことで緊張が僅かに和らいだのか、首が少し動かせるようになった。何か頼みごとがあるんだろうか。
「その、チケットが。二枚……あるんだけど」
「わ。凄い! で、彼女と行くんですか。良いなー。それとも、誰か誘うんですか?
 あ、私で呼びかけられる人が居るなら呼んできますよ」
 私が出来ることなら何でもお手伝いしよう。そう思っての答え。
「はぁぁぁぁ」
じっ、と彼は私を見た後何か考えて、深い、深ぁい溜息を吐き出す。
 何か落胆させてしまったらしい。
「は、はぇ……。あの、私、何か変なこと。言いました?」
「え、えぇっと。そう、そうだったよね。音梨。音梨は音梨だからね」
 あからさまにガッカリした様子に、理由は分からなかったけど、何だか少し傷ついた。
「え? どういう意味ですか。今ちょっとぐさって来ました」
「深く考えなくて良いから。良ければ次の休日」
 一拍おくように彼がこほん、と咳払い。
「はい」
 深刻そうな話なので真面目に頷いた。
「僕とここ行かない、かな。都合悪くなくて、イヤじゃなければ」
「ここ、って。このてーまぱーく、です?」
 チケットが焦げ付きそうなほど見つめる。何度見てもそれは現在入手が困難な、最新のアトラクション満載の……チケット。
「です」
「で、でも彼女とか居るんじゃ」
 コレを見たらきっと、きっと。誰を誘ったって二つ返事でOKする。
 女の人ならなおさら。無くても返事はイエスだ。
「全然。今まで彼女居ないから、ノー彼女」
「居ないんですか!?」
 衝撃。一人や二人や三人、は言い過ぎにしても居ても可笑しくないと勝手に思っていたのに。
「全然」
 ちょっと寂しそうに笑う。ああ、驚きすぎ私。確かに吃驚だけど吃驚だけど。
 彼女居なくて前歴無いのも驚きだけどそれ以上に驚きは。
「だだだだだけど。わ、私、私なんて誘っても。その……変ですよ!?
 知り合って四日位しかってないです!!」
 せっかくのチャンス。せっかくのチャンスだけど肩すかしが怖いから、自然と語尾が強くなる。恋人じゃなくても良いけど、遊ばれるのはイヤなんだ。
 ワガママ。見てるだけで良いって思ってたのに。
「名前、教えたのはね」
「教え……」
「知り合いなのはそれ以上前。大丈夫」
 ぱく。ぱく。ぱく。
 私の口が数度動く。だが、酸欠の魚みたいに言葉が出ない。
 知ってた。知られていた。私一人でずっと見ているワケじゃなかった。
 何度かは見返してくれていた。その事を知って、声が出なかった。
 そして、思い出す。
 ―――大丈夫。
 四日前。彼が去り際に、言った言葉。
 あの時は分からなかった。でも、彼は私の名前も。顔も知ってた。
 だから、大丈夫? 誘われてるのは冗談なんかじゃなくて本気なのかな。
 嫌われてないって、思って良いのかな。
 恋人でなくても、良い友達でいれる位に好意もたれてる、って思って良いの?
「それとも。音梨は、イヤ?」
「い、嫌……」
 ガッカリしたような顔になる。私、そこで止めたら駄目!! 言い切るの。これだけは誰に支配されてても言い切るの。もの凄い勘違いを与えて仕舞いかねない。
 嬉しい申し出。これ以上ない位。了承すればきっと僅かでも踏み出せる。
 だから誤解を受ける前に続きを言わなきゃ。
「いっ、いや……」
 どうしてこういう事になると私の口は動かない!? 動け。動け。う、ご、け!
「い、いい……嫌じゃないですッ!」
 言った。言い切った。頑張ったよ、私の唇。心の中で盛大な拍手で自分をねぎらう。
 ホッとしたように彼の表情が緩む。そして、
「じゃ、きらい?」
はう!? ど、どうしてこの人はこんなに私に意地悪するのだろう。
さっきの言葉だって頑張って頑張って勇気をかき集めて振り絞った言葉なのに。
 でも、コレを言い切っちゃえばご褒美が貰える。
 初恋の人と一緒に遊園地。ううう、魅惑的な響き。
 デート。お誘い。甘い文句。私の理性をグタグタに溶かして鎖を引きちぎるのには十分な前置き。
「なんて冗……」 
「きっ、きらいじゃないですっ。行く、行きます。行かせて下さい!」
彼が笑って片手を振る前に、私は思いっきり言い切っていた。
「は……」
相手がバタバタと本を落とす。外した。思いっきりタイミングを外した。
 いやーーーー。やっちゃったーーーーー。コクハク。思いっきりコクハクーーーー!?
 二人黙したまま押し黙る。気まずい。気まずすぎる。
 私はと言えば、さっき思いっきり吐き出したせいである程度熱が出てしまったらしい。
 無駄に冷静になってしまって、余計に恥ずかしい。ちら、と相手の顔を盗み見る。
 目が点、という言葉がピッタリ当てはまるほど大きく目を見開いていた。
 彼がさっきした告白も衝撃的だったが、私の告白には敵わない。
 そんな冷静な判断は要らない。要らないの。というか恥ずかしい。
 目を合わせるのも駄目。
 そんなときに限って目があった。間が、間が悪すぎる、私。
 凍ったかと思える辺りの沈黙。急激な変化が起こる。
 視線が絡み合うとぼっ、と彼の顔が朱に染まった。いっつも態度を変わらせない彼が。
 何事!? とも一瞬動揺してしまう私。でも、そ、そりゃあそう……彼だって年頃、いきなりこんなこといったら誰だって照れちゃう、ね。はい。 
 彼はふるふる、と数度首を振って落とした本をてきぱきと回収。
そして次に私の方を見たときには、いつもの顔だった。頬も赤くなかったし、小さな微笑みも浮かべている。
「じゃ、次の休日だね。約束」
「……ハイ」
 緊張がちがちの私の唇から出たのは機械音声顔負けの強張った台詞。
「音梨。ま、また。明日。
 それから休日、楽しみにしてる。バイバイ」
「は、い。ま、また……アシタ」
 相手の言葉に何とか反応。何だかあっちの台詞も強張っていた気がしたが、頭がぐらぐらしてマトモに考えることも出来なかった。
 その後、扉が閉まり、数刻程して。私の意識は僅かに覚醒した。







 その日の授業は全く頭に入らなかった。いつの間にか登校していてノートを開いていた。
 やっぱり習慣は恐ろしい。無意識で工程をこなしている。
 明日は土曜で休日。デートを告げられたのが昨日だ。
「マ、マナーーーーーー」
 お昼のチャイムが鳴ると同時、私は脇目もふらず親友に抱きついた。
「うわっぷ。ど、どーしたよカリンちゃん。今日はまた激しいスキンシップ〜
 って、男子共うらやましそーな目で見るな。しっしっ」
 何だかじろじろ見ている男子生徒を振り払う。
いつもはたじろぐところだが、今日は人目なんて気にしない。
「マナーーーマナーーーー会いたかったあぁぁぁぁぁ!!」
「ど、どうしたのよホント。キャラ壊れてるよカリン。いまちょっとゴハン」
 ひし、と昨夜から会いたかった気持ちをぶつける。
 友人が何か言ってるが私には、マナ専用の切り札がある。
「良いから来て。話、話があるの。話が!! お昼なら三日奢っても良いから!!」
「へ。ほんと? やたー。行く行く行きます友の為だもーん」
 必殺。私の財布は傷むけど言うことは聞いて貰える戦法。いつもなら躊躇う手段だが、今日は躊躇わない。頷くのを確認して力一杯マナの腕を掴み、
「ってカリンちょい待って。今日強引すぎ……うわわわわ」 
 何か言ってる言葉を聞き流して人気のない場所まで引っ張り出す事に成功した。


人気のない所、と言ったら裏庭と屋上。今の単純になった私の頭はこの二カ所しかはじき出せなかった。
「はぁぁ!? 名前知って四日なんだよね。
 デートって気が早いわなー。それ」
 澄み渡る空にマナの声が響く。思ったよりも辺りに響いてきょろ、と周囲を見回してみる。今の時間だとグラウンドで駆け回る生徒の声にかき消されてやっぱり辺りには余り聞こえないみたいだ。
「どうしよう」
 二人っきり。特にマナの前だと弱気な自分が顔を出す。
 頼り切っちゃってる。駄目駄目な、私。
「どうしようって了承でしょうそりゃやっぱり」
 マナは予想していたんだろう。用意していたらしい言葉を溜息ごと吐き出した。
 そして、予想してなかったのはたぶん、私の次の返答。
「し、しちゃった」
 数秒ほどの間。マシンガントークが売りのマナの唇が固まっていた。
 鳥が梢を揺らす音で硬直が解けた。考えるように空をしばらく眺め、
「あらまー。カリン頑張ったー」
動揺はまだ残ってるのか、マナの口調はまだ棒読み。
「う、うん。でも……」
 今までずっと心にわだかまっていた不安が零れた。
「私のこと、ずっと前から知ってるみたいだった」
 彼の言葉が本当なら、彼はずっと前から私を知っていて。
 ここ二年の間でも何度かは話す機会だってあったはずなのに、今までそれをしなかった。
 そ、それを言うなら私もだけど。彼も話しかけてこなかった。
 変。変、だとおもう。私みたいに人見知りが酷いのか、それとも……何かあるのかな。
 ぎゅ、と眉が寄って、考え込みすぎたせいで頭が痛い。
「ほほう。ふむふむ。おやまぁぁぁぁ」
悩む私をにんまり見て、マナが自分の指先を口元に当てた。
 うう。こんな状態の彼女は何か私を困らせるようなことをわざと言う。
 爛々と光る瞳。虐めモードに切り替わった目だ。 
「マ、マナ。何」
 怖い。怖いけれど私は口を開いて尋ねた。怯えが入ると上目遣いで見てしまうのは、私の悪い癖。
「もぉ。それって脈ありまくりじゃん!? しかも初デートが初恋の相手で新しいテーマパーク? うっわーロマンチックすぎて鳥肌立つ!!」
 きゃーきゃーと黄色い声を上げて、ブレザー越しのはずなのに脇腹が痛くなる位肘を押し込んでくる。痛い。痛いです。
 気のせいか、マナの腕には少し本気が入ってる。 
「やっれやっれーカリン。押せ押せやっちゃいなよ」
 どん、と私の背を押すと両腕を振り回し、応援団顔負けのエール。
「そ、そうかな。昨日、嫌いじゃないって言っても……そんなに反応、無かったよ」
 不安要素の一つ。彼が何を考えているのか分からない。私は何度もギリギリの体当たりを繰り返しているのに。のれんに腕押しってこういうのかな。
 雲を掴めたと思ったけど、掠めることがやっと。時々残滓を覗かせて、私は無駄な期待と奇跡を夢見てしまう。
「やっだー。カリン。不安がらないの! 聞く限りじゃカリンに負けず劣らずそのヒトはボケボケーな人らしいし。多分冗談で流されてるの。直球ストライク狙いでいきなさい!!
 GO-GOよ!」
 直球。そう言えば確かに直球はやったことがない。
 無理だった、と言うのも理由ではあるのだけれど、ここ数日に付いた勢いで、緩めの直球なら何とかなるかもしれない。
「う、うん。わた……わたし、頑張る。がんばって、みる」
 自分に言い聞かすように、私は頷いた。
 両手を頬に当てる。熱い。
 そう、私が『きらいじゃない』って言ったとき、彼は小さな小さな反応をくれた。
 ちょっとだけなら、ちょっとだけなら希望はある。
 それは意気地無しの私の背を押す。大きな風だ。
「ついに乗り気になってくれて嬉しいわあたし! で、日取りは日取り!!」
「お見合いを取り持つ仲人さんみたいだね。マナ」
 自分のことのようにはしゃぐ親友がちょっと可笑しくて、小さく笑った。
 そうだね。マナには心配かけてばっかりだから。私ももっと勇気を出さなきゃ。
「話そらさないで日取りぃ」
 う。マナの目が噂先取りモードになってる。マナはお喋りが大好きで、それが悪いとは言わないけれど。恋の話が特に好きみたいで……ううん。
「多分、日曜日」
 色々と考えてしまったので歯切れの悪い言葉になった。噂好き、というのはちょっと怖いが多分情報流出はしない、ハズ。
「来週?」
 もっともな疑問。日曜日はもう目前。普通はいきなり次の日に、なんて誘わない。
「明日、だとおもう」
 少し言い出しづらかったので、答えもぎこちなくなる。
「なんかもう、スピード結婚じみた早さね。椎名という男、乙女の準備期間をわきまえない辺り恋愛は慣れていない、とみたわ!」
 唇を僅かに曲げ、呆れたようにマナは半眼になる。
 鋭い。
 親友の私も恐れるマナの察知能力は衰えるどころか年々磨かれていっている。
 ……そのうち殺人事件まで察知したりしないよね。
 多分杞憂に終わるだろうけど、ちょっと心配になる。
「で。椎名。果林。とか呼び合っちゃう仲なんだよね。モチ」
 ケケケ。小悪魔の笑みを浮かべ、マナが私の方を見た。
 椎名、果林。椎名、果林。って呼び合う。
 呼び、ああ。呼び合えたら素敵だろうなぁ。
 月に浮かぶ浜辺で、なんて贅沢は言わない。彼がいつものように笑顔で『果林』って言ってくれるだけで私は嬉しさで死んじゃう。死んでは駄目だけど心臓が止まる。絶対。
 マナからの台詞で想像、というよりも妄想がかき立てられ、恥ずかしさの余りバシバシと近くのコンクリート壁を叩きたくなる衝動に襲われる。
 考えるだけでコレだから。今の私に出来るわけがない。
「えっ。そんな……上の名字で呼び合うのでいっぱいいっぱ……」
 口を曖昧に開いて指先を絡める私の仕草に親友は微かに顔をしかめていた。
 が、私の台詞の途中でマナの眉が、一気につり上がる。こ、怖い。
「なんですとーーー!? そ、そんな状態でデート決行とは。な、なかなか図太い根性の持ち主じゃない。賀上 椎名。深いわね」
 あ、ああ。怒ってたんじゃなかった。良かった。
 ちょっとホッとする私。怒ったマナの暴走は止めるのが大変で、思い出すだけで。
 ……思い出すのは止めよう。うん。
 前向きに。前向きに明日のことを考えなければ。
「あの、マナ。私、何すればいいのかな。どうすれば賀上君、喜ぶかな」
 恋多き、と言うことは私よりもベテラン。上級者って事になる。勿論恋愛の。
 愛や恋に上も下もない、と言われるかもしれないけど、順序の組み立てはきっと私よりもマナの方が上手いはず。
 実際の年は同じでも、こういう場面では私はマナより年下になってしまう。
「甘い。甘いわカリン。あんた根本的に間違ってるっ!」
「えっ」
 頼りない私の問いかけに、さっそく駄目出し。マナが腰に片手を当て、指先を私に突きつけてにまりと不敵な笑みを浮かべている。
 う、うう。確かに初心者だから勝手がよく分からないんだけれど。幾ら何でも指摘、早すぎない、かな。
「初デートなんでしょ。
 だから、初心者が無理に背伸びすると大ポカやらかしちゃうわよぉ」
「う……」
 反論するヒマもなく、ズバリと言い当てられて、言い返す言葉もない。せっかくのデートだから、少しだけ背伸びをしたかった。それすらもマナに言い当てられてしまってる。
 情けなさと、考えの足らない自分がちょっと嫌で、塩を掛けられた野菜みたいに項垂れる。ぽすぽす、肩が優しく叩かれた。
 俯いていた顔を上げる。マナの笑み。
 真夏のオレンジみたいな太陽を沢山受けた、とびきりの笑顔。何時も私に勇気を分けてくれる、笑顔が側にあった。
「カリンが一番だと思う服を着て、カリンが一番だと思う顔で、一番思い出に残るカリンらしいやり方で。アンタらしいやり方でたのしんでらっしゃい」
 笑い声と同時背中に衝撃。つんのめりかけて踏みとどまる。背を軽く叩かれたらしい。
「それで、いいの?」
 マナを伺い、火照る頬をぱちぱち叩いて出来るだけ普通に戻そうと努力する。
 苦労してる私を尻目に、マナはよっこらしょ、とその場に座り込んで薄く微笑む。
 同性の私でも時々どきりとする、大人びた顔。
「短期で付き合うなら化けるのも良いけど、すえながーく付き合いたいなら素の自分、出した方が得よ。多分カリンが背伸びしても違和感しか出ないしね〜?」
「マ、マナ酷い」
 にぱ、と返ってきた笑い顔は、私をからかういつもの意地悪なマナの顔。
 思いっきりお子様扱いされたことに少し、少しムッとしてしまう。
 ぷ、と頬に空気が溜まる。こういうところが子供っぽいって自分では分かってるけれど、条件反射みたいな物だ。
「そうよぉ。私は酷い女なのぉ。だってだって、カリンったらいいひとが居るのにワタシの響君とイチャイチャやってるんだもぉん。嫉妬心ボーボーでメラメラなのよぉ。しくしく」
 気のせいかわざとらしくそう言うと、口で悲しみを表現して手に持ったハンカチでぐぐ、と目元を拭う。
 親友の言葉に私は顎が外れた、みたいに口を開けっ放しだった。
 ――マナの衝撃告白。勘違い炸裂。びっくり、親友は二股で四角関係?
 新聞や雑誌の一面みたいなテロップが私の真っ白になりかけた脳裏をよぎる。
 いや、いやいやいやいや! 前半はともかく二股とか四角じゃないッ。
 自分の想像だか妄想に突っ込んで、友人を見る。
 阻止しなければ。その勘違いだけは払拭しなければ。私は終わりでどん底だ。
「え。や。そ、それ違うの。桂木君とはタダの知り合いで。帰り道に良く、そう……会うだけで。全然興味ないの!!」
 言い切った後、気が付く。冷静に考えるに酷いことを私は言っていた。
 響君ごめんなさい。でもやっぱりマナに誤解はされたくないの。
 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。取り敢えず心の中で二十回ほどゴメンナサイを繰り返しておく。
「ちょ。こらこら。カリン。アンタ、響ファンの女の子、全員敵に回す気」
 その台詞に慌てたのはマナだった。私の唇に人差し指を立てるように置く。
 数秒ほど口がきけなくてじたばたした後、
「そ、そんなつもりはっ。え、桂木君って……そんな人気ある、の」
 私は素直な感想を漏らした。大きな、大きな吐息が漏れる。
 た、確かに期待とかアイドルとかって聞いたけど。響君も良い後輩で良い子だと思うけど。ただ、それだけだよ、ね。弟にしたいなって、思ったことがあるのはあるけど。
 犬っぽくてころころしたしぐさが愛嬌があって可愛いとは思ってた、でも。
 そんなに人気者だとは、知らなかった。今度から、敬語の方が良いの……かな。
 でも、いきなりかえちゃうと失礼だよね。
「…………カリン。ああ、もう、いい。ちょっと位アレした自分が馬鹿だったー」
 グルグルする思考と格闘する私にじとりと視線を向けてくるマナ。
 昨日今日。私は呆れられてばっかりだ。
「な、なに」
 何か私はやっぱり変なこと言っちゃってるのかな。不安を視線に混ぜるように送る。
「カリンとあたしはおおばかものって事〜」
「何それ。酷いよマナ!!」
「んで。あたしのお話、三日分のご飯代のかわりになりそう?」
「う……うん! なる。なるよ。ありがとう、マナ」
 私は、そう答えて抱きついた。今度は、せっぱ詰まったのじゃなくて気持ちを込めた抱擁だった。座り込んだマナはされるがままだ。セットが大変だ、って漏らしていた髪が少し崩れても何も言わない。言葉代わりに私の頭を撫でてくる。
 その目は優しくて、髪の毛からはマナのように暖かい香りがした。
「あーもー。カリンちゃんはあたしの調子狂わせるの上手いんだからねー。
 しゃーないな。三日じゃなくて二日にしてあげるわ。友情割引で」
「マナ大好き!!」
 私の、割引が無くても本心の言葉。マナは困ったような顔で頬を掻いて、にっと笑った。
 マナ。今までで一番の、私の友達。
 私、頑張るよ。実らなくてもいっぱい出来る限り、頑張ってみるね。
心の中で、私は今までよりも強く強く、決意を固めた。
 優しい、彼女の笑顔に応えるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

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