目を開くと辺りは闇だった。何が何だかよく分からなくてしばらくぼーっと辺りを見回す。段々目が慣れてきて、辺りのものが判別できた。
右を見る。あの四角くて、丸い取っての付いたのは……白い色が気に入っている洋服ダンス。左を見る。アレは、本棚。お気に入りの本を選別して詰め込んである。
そうだ。ここは私の部屋だ。
窓際を見る。カーテン、は引かれている。
帰ってきてすぐカーテンを閉めて、疲れがどっと津波みたいに押し寄せてきて……そのままベッドへ倒れるように眠ってしまったんだった。
さらば片時の夢。
ユメ?
ああ、なんか幸せな夢を見ていた気がする。
ブチブチ、と電気を付けて溜息一つ。固い音を立て、辺りが明るくなった。起こされなかった辺りまだ誰も帰って来てないみたい。
「あーあー。それがほんとだったら幸せなのに。でも出来すぎてた。
ユメだもん。しょうがないか」
一人でそう呟いて鞄を机からベッドへ移動させる。よっ、と年寄りじみた声でベッドに腰掛け鞄を点検。
黒い鞄に付いた白い傷。ボールが当たったときに鞄を落としたときのだから……
「あれ……。桂木君にあったのはユメじゃなかったっけ」
ちょっと首を捻る。何だか記憶が曖昧だ。疲れていたせいかな。
「けど」
鞄を見つめて思わず頬が緩む。誰も見てないので相好は崩れっぱなしだ。
「あーんな幸せ気分が味わえるなら、疲れてるのも良いかな。むしろ……疲れっぱなしの方が」
止まらない笑みを浮かべたまま、鞄を開く。
カチ。鞄のかみ合わせ部分が外れる耳慣れた音。
伸縮性のある素材のためか、ゆっくりと自動的に開く鞄。そこで私の思考も止まる。
見慣れた鞄。見慣れた中身。そして見慣れた教科書の間に見慣れない本が三冊。
震える指先で本をそっとすくい上げる。
「ユメ。じゃなかった……」
夢ではなかった。全て現実だった。
「明日会おうって、夢じゃないんだ。本当なんだ」
突然舞い込んできた幸運。その噛み締め方が分からなくて、私は掴んだ本を頬に当て、そっと目を閉じた。
もうすぐ夏だというのに、朝の空気は氷みたいに肌を刺す。
ぶる、と小さく身震い。いつもよりかなり早い時間の登校だ。
なかなか眠れなかったのに、妙に意識が冴えている。
言葉で表すのなら……ずっと覚醒したような、そんな状態。
昨日までの私だったら、こんな時間の登校は欠伸をかみ殺して不平不満を呟き、ゆらゆら揺れていた。実はドキドキが昨夜から収まらない。短命な小動物は脈が速いという。
昨日今日で私、寿命が二十年位縮んでいる。きっと。
なんとかかんとか。馬鹿なことを考えて、俯き気味のまま小走りで門の前に近づき。
「ちょっと早く来すぎたから。校門空いてるか、なァ!?」
「やあ」
一人笑おうとして立ちすくむ。止まった反動で危うく鞄が道路に飛んでいくところだった。輝かんばかりの笑顔で先輩、じゃなくて賀上先輩が居た。
あ、あははははははははは。心の中で少しから笑いをして目を擦る。
まだ居る。いや。目の錯覚。錯覚ったら錯覚ッ。
もう一度ごしごし。やっぱり居た。
なんでいるの!?
愕然となる。
いや、その。あの。居るのは嬉しい。すっっっごく嬉しい。けど考えを纏めようと思って早く来たのに、そのチャンスは失われた。
「あ、えっと。お、おはようございます!!」
挨拶だけは大声になれる。恥ずかしさ余って勢いよくお辞儀。
前向きに考えてみると朝に彼と顔合わせをするのは初めてだ。
昨日今日で私は人生の運を全て使い切ったに違いない。元々慎重派だったが、今日から横断歩道で目をこらして左右を確認しよう。
私はそう決意を固めた。
「おはよう。音梨」
あれ? また、違和感。
「は、はい…………あの」
今日の違和感はすぐに分かった。名前だ。
「何?」
「私、名前。教えてました、っけ」
彼がちょっと考える素振りを見せる。
「あ、と。そう言えば教えてもらってない、かな」
疑問が更に膨らんでいく。そうだ。昨日の違和感はコレだった。
私は一度も自分の名前を発してないのに、彼は私の名前をカードに書き込んだ。
一字すら間違えず。教えて、ないのに。
「あ。怪しまないで」
「無理です」
幾ら憧れの先輩だろうと、夢見たヒトだろうと怪しいモノは怪しい。
不信感とかよりも、何で知ってるんですか。という疑問の方が強い。
「これ」
《りゅうとおひめさま》
答えの代わりに彼は一冊の本を取り出した。もの凄く見覚えのある、題名。
何度も何度も読んで。視線でページがすり切れるほど見続けて。横でマナが呆れて『好きねぇ』と茶化して来ても借り続けた一冊。
最近は借りてないけれど。飽きた、じゃなくて暗記してしまったから借りないだけで。
やっぱりそれは大好きな本だった。
「何度も何度も借りてたよね。見てたら借りたくなっちゃって……」
そりゃ、一ヶ月も間置きせずに私の名前が連続してたら。覚えられますね。はい。
ちょっと恥ずかしい。彼の持った本は小説、というより童話だった。
中身は子供だましだけれど。大好きな物語。
人間のお姫様に恋をしてしまった竜。それでも何度も何度もお姫様にプロポーズを続ける。竜のひたむきさにそう経たず、お姫様も引かれていく。
でも、種族間の問題は大きくて、二人の恋は認められない。二人の関係に業を煮やした王様達は竜のすみかを燃やしてしまう。悲しみに暮れたお姫様は自らもその身を炎へ投げ出し、消えていった。炎は辺りのモノを燃やし尽くし、燃え滓からは姫の遺体もドラゴンの鱗も見つからなかった。そこで物語は途切れてしまう。
物語は、俗に言うバッドエンド。悲恋もの。
童話としては少しもの悲しい。
けれど私はこの物語の続きを頭の中で書き足して、幸せな物語にしてしまう。
だから好きな物語。
竜とお姫様はきっと幸せに暮らして幸せに家庭を築くんだって。
そうじゃないと可哀想すぎる。
お姫様にだって、竜にだって恋をする権利位あるよね。
やっぱり、ちょっと変な読み方かもしれない……
「ハッピーエンド。だよね」
「えっ」
聞き間違いかと思ったが。そうじゃないらしい。
「しちゃうよね。幸せに」
「し、します。しちゃいます!! 竜もお姫様もきっと幸せで」
にこ、と微笑む彼に私は拳を握ってついつい力説してしまう。趣味とかが絡むと理性のたがが外れ気味だ。
「そ、それでそれで。年とか身分差とかクラスとか全然気になりませんよね。先輩!!」
はうっ。ま、また私は何を。
いっちゃ、いっちゃってるーー。
年とか関わらず先輩好きですよーっ。て言っちゃったも同然!?
どっどどどどどう。どうしよう。告白したいなとは思うことはあったけどこんな勢い任せで短絡的なのはちょっとっ。
「センパイ?」
動揺する私を余所に、賀上先輩はきょとん、と瞳を瞬かせた。
「え」
上っていたらしい血が引いたのか、熱い位だった体温が丁度良くなる。
彼は口元に掌を当て、何か昨日見たような気もする動作で小さく肩を震わせた。
「ふ、ふふ」
また笑われた。マナ曰く私はボケ気質らしいがやっぱりそうなの。
二日連続で笑われるなんて。
「ち、違う。違う違う。先輩じゃないよ」
彼は瞳の端に溜まった涙を指先で拭って、衝撃的なことを告げてきた。
「はい?」
喉の奥で声が少し反り返る。
「同学年」
「えっ。同い」
「そうそう。同い年」
親切に口からでなかった言葉をつぎ足してくれる。
「…………」
恥! よりによってよりによって好きな人の年を間違えるなんて。恥過ぎる。
何だか昨日も似たようなこと言っていた気もするけど、恥ずかしいモノは恥ずかしい。
「あ、引き留めて御免ね。そろそろ行かないと人が来る」
その一言に私の恥ずかしさが湯気みたいに抜けていった。
「え。あ、もうそんな時間」
慌てて袖をずりあげ、腕時計を見る。銀色の時計の針が登校時間間際を差していた。
「じゃあ、放課後図書室で。待ってるよ」
ごく自然な動作で手を挙げ、去っていく。
「あ、はっ、はい。放課後図書室で」
何となく空気に飲まれて振り返す私。
あはは。待ってるって何だかデートの約束みたい。
待って……………
「待ってる!?」
何。それはどういう事。言葉通りだとすればそれは、待ち合わせ!?
放課後に、図書室で、待ち合わせ? わ、わた……私と?
「う、うそ」
降ってわいた幸運。でもそれは流星群のように私にまだまだ降り注ぐ気らしい。
教室に向かいながら考える。
私、明日死んだりしないよね?
そう願うばかりだ。
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