九章/足手まといは要らない

 

 

 

  

 がた、ごと、舗装のされていない悪路に車体が揺れる。
「今日も空が青いなぁ。ねーカリン! そう言えばみんなで行くのって珍しいよね」
 カリンと出かけるのは初めてだし、と大きく伸びをしてマインが微笑む。
「うー…」
 こちらは景色を楽しむどころではない。今から、と言うよりも、もうすぐついてしまう。
 現地に。そんなに激戦地ではないらしいが間違いなく戦場だ。
 軽くでも暗記でもしていないとやっていられない。
 冷気を集め刃を形成――氷の攻撃呪文らしき呪を必死で呟く。
 間違っては居ない。居ないはずなのだが。
 空気が僅かに揺れただけで形成以前に冷気が集まらなかった。
 次! 次の術!
 諦めてたまるか。出発の前に積んでいたので、まだまだ本は山程ある。
 悪あがきだろうが何だろうが諦めない。絶対に。
「風の……」
 呟くと、肌がざわめく感触。いけるかもしれない。
「荘厳たる」
 次の言葉を紡ぎ出すと、ぷしゅ、とでも音を立てそうな程簡単に形成され掛かった空気の固まりが散った。
 何時もこうだ。出来る、と思う次の瞬間に形にならない。引っ張っていた糸を途中で切られたような呆気なさで、壊れてしまう。
「ほら、カリン。もう何回目だよそれ〜。もうすぐついちゃうんだから観念しないと。
 息抜きにお話ししようよ」
「嫌です! ちょっとは出来るかも知れないじゃないですか!?」
 マインの誘いは嬉しいけれど、戦いを目前に呑気なことは言っていられない。
 元々私は非戦闘員。元の世界では普通の、一般的な、女子中学生だ。
 何が悲しくて戦場に出なければいけないのだろう。
「かも、か」
 悲しみに暮れる私の鼓膜にせせら笑いの混じった呟きが聞こえた。
「笑わないで下さい、私は真剣なんです!」
 揺れる馬車の中、必死に膝に積んだ本のバランスを取りつつ睨む。
 アベルから見たら一夜漬けは変だろうけど、命が掛かってるので本当に真剣なのだ。
 今まで見つからなかった何かが、今、見つかる可能性はゼロではない。そう信じたい。
「でもカリン様、もう本当に到着してしまいます。諦めた方が宜しいのでは」
 隅の方で大人しく座り込んでいたシャイスさんがだだっ子をなだめるように手を軽く振った。
「う、うううう」
 随分時間を消費してしまって、到着はもう間もなくだろう。もっともなシャイスさんの言葉に反論の台詞も出ない。
「それで、本当に盗ってないのか」
「違います。もうその質問五回目ですよ」
 先程の挑発的な笑みを思い出し少々ムッとしつつ答える。いい加減答えるのも面倒くさくなってきた。
「アベル兄疑い深い。カリン嘘つく訳無いよ。
 大体、そんな大切そうなの盗ろうとした瞬間にカリンの指先無くなってるでしょ」
 信じて貰えた喜びを打ち消すような物騒な台詞に肌が粟立つ。
 瞬時に自分の指先があの見えない太刀筋で斬り飛ばされる様を想像できた。
「……それは、そうだな」
 た、確かにそうなったらやりかねないですが。そこは否定して欲しかったです。
「カリン様。もうすぐつきますよ。もう本当に諦めた方が」
「後一つ、後一つためさせてください!」
 往生際が悪いと分かっている。だけど試さずには居られない。
 マナがテスト前に『後三分、三十秒、五秒で良いからテスト待って!!』と言いながら暗記していた気分が今になって分かった。
 こちらは命が掛かってるのでテストの比ではないかも知れないけど。
「氷の指先、触れゆる全て」
 後一つ、と言った手前唱えては見たけど、途中で呪文が砕け散っていくのが分かる。脱力感。
 ああ、もうっ! 髪をかき乱したい衝動に駆られながら奥歯を噛む。
 どうしてこう上手く行かないんだろ。私の苛立ちを冷たい呟きが刹那かき消す。
「――氷の指先、触れゆる全て久遠なる棺に眠らせたまえ」
 正面の席にいたアベルが口元を微かに釣り上げ、右手の人差し指に青白い光を灯す。苦戦していた私を嘲笑うかのように。
「と、これか。随分古めかしい術を選ぶな」
 ぱく、ぱく、ぱく。噛み付くことも出来ずに硬直する私に構わず彼が面白そうに本を見て、首を軽く傾けた。
 銀髪が揺れる。
「ふ、古いので悪かったですね!? この世界の術、他のはもうほとんど全滅なんですっ」
 古いのも今、希望が潰えたけれど。
「風の荘厳たる吐息よ」
 更に私に追い打ちを掛けるように右手の親指に緑色の光。
「ア、アベルは……魔法出来るんですね」
「ああ」
 こともなげに頷かれもの凄くカチンと来る。
「まだ世界はたくさんあります。別の世界の方覚えますから良いです」
「無駄だ」
「アベルが知らない魔法を覚えますから良いんです!! 無駄とか言わないで下さい。この本全部読めるならまだしも」
 暇そうに私達の会話を見つめていたマインが困ったように眉を寄せる。
「カリンー。アベル兄、読めるよ」
 よ、読めるって。ここにある本電話帳くらいの厚さがある奴もあるし、それに軽く十は超えてるんだけど。
「よ、よめ……るだけですよね」
 この上まだ使える必殺技があるというならば、私は彼を人間とは認めない。
「使えるが」
 決定。もう人外だ。
「この本のですか!?」
「大方使えるが」
 サラッと答えるアベルに思わず立ち上がりかける。
「どんだけ超人ですか!? 一つや二つならともかく全部って」
 私はこんなにも一つを覚えるために苦労しているのに。欠片でも良いから分けて下さい、その溢れすぎている才能を。
 涙ながらに訴えたい気持ちを飲み込んで、膝に載せていた本を下ろす。
 大体、イヤミだ。こんな、こんな苦労して覚えようとしてる人間を目の前にあっさりその術を使ってみせるなんて。
 自分が凄く無能に感じる。きっと、彼は私にわざと見せつけている。お前は何も出来ない足手まといだと言いたげに。
「っと、そろそろ。着くんじゃないかな」
 少し腰を浮かせ、マインが呟いた。
 気を抜けば滲みそうになっていた視界を頭を振ることで誤魔化しておく。

 ――キ―…ィィ。

 緊張を保っていたおかげか、微かなその音を鼓膜が捉えた。
 微かなブレーキにも、汽笛のような。どことなく警戒心を覚える音。
「……マイン。今何か、笛みたいな音がしませんでした?」
 ぴしりと自分の片頬を軽く叩いて気を締める。耳奥にこびり付いた音は剥がれない。
「そう? 魔物が集まるから余り使わないはずだけど」
 マインは不思議そうに首を傾げ、茶色い瞳を瞬いた。
「気のせいって言いたいけどもうすぐ現地だし、一応確認しておくよ」
 余程緊張した顔でもしていたのか、ちょっとだけ考える素振りを見せてから馬車の幌の部分。天井に指を当て掴み、一気に引き下ろした。
 ビリィッと爆竹のような激しい音を立てて天井がぽっかりと口を開けた。
 青空が見えるその穴の幅は私の身体よりも余裕がある。
「マ、マイン!? なにしてるんですか!」
 いきなりの破壊行動に慌てる私。
「両脇の窓じゃ見えにくいでしょ、上に昇った方が早いよ」
 いつもの微笑みを浮かべ、今まで座っていた座席にぶら下げていた布切れを放り投げた。
「だからって破かなくても」
「大丈夫。元々破けてて軽く縫ってあるだけだから」
 えへへーと笑うマイン。そ、そうか。良かった、今破いたんじゃないのか。
 よく考えたら綺麗な穴が空いてるし。ふと思い出したようにアベルが空を見つめた。
 突如開いた穴から吹き込む風を楽しむように瞳を細める。
「確かお前が武器抱えたまま屋根に乗ったせいだったな」
「うっ、アベル兄。覚えて無くて良いことを」
 って、やっぱりマインが破いたんですか。一言言おうとしたが、彼は器用に幌の壁を掴み、木製の骨組みに足を引っかけてあっと言う間に外に出た。
 揺れる馬車の上、命綱も付けず。
「プラチナ達の馬車はっけーん。あれ」
 呑気な台詞に彼の危ない行動を見逃しそうになる。
「どうしました?」
 妙に楽しげな台詞に、危ないと言うことは後回しにして尋ねた。
「ここってこんなに静かだったかな。草、もっと茂ってたと思うんだけど」
 不思議そうな声に胃が絞られるのを感じた。既視感。
 暗い、既視感。あの時も馬車に乗っていた。あの時も感じた背筋と脳髄をはいずり回るピリピリとした嫌な感触。
「……うぅ」
 嫌な予感がする。凄く嫌な予感、既に確信に変わり始めた不安がもやもやと集まり始める。
「カリン様。もしや嫌な」
「言わないで下さい。言葉は力です。たぶん」
 白い法衣のシャイスさんが言いかけた言葉を途中で止める。この状況の安定剤があるとすれば、何時も見ているシャイスさんのおっとりとした仕草が同じ事ぐらい。
 こちらに構わず、天井から感嘆の溜息でもつきそうなマインの声が響いた。
「うっわ、魔物が僕達の馬車囲んでる!」
 言葉は力だ。現に今、私の希望が削られた。
 今、この状況が試練なら。難関を何個クリアすれば合格なんだろう。
 神様女神様が居るとするならば、本気でそう尋ねたかった。    



 

 

 

 

 

 

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