九章/足手まといは要らない

 

 

 

  

 思い返しても暗くなる。
 陰鬱な溜息を吐き出して、拳を握る。強張った指先が肌に食い込んだ。
 そこで気が付く。痛くない。
 ケープを羽織ってもなお寒い石造りのホール。随分長くいたのか指先の感覚がない。
 傷ついているはずの脇腹も違和感のみでそれ以上の痛みを感じなかった。完全に痛覚が麻痺している。
 異世界で凍えて立ちつくすなんて、酷く滑稽で、無性に情けなくて、泣きたい気分になるけれど涙は出ない。
 初めて来たときと、帰れないと分かったとき。もう随分泣いて、涙も出し尽くしてしまった。
 魂が抜けたみたいにただ、ぼんやりと天井だけ眺める。
 かちん。石が跳ねるような音がしてゆっくり振り向く。視線を持ち上げるのも億劫だった。
「…………」
 誰か居るんだろうか、人影が視界の端で確認できた。
 少しだけ吐息が聞こえた気がしてハッとなる。軽い既視感。
 間合いを詰められたときの光景が蘇る。霞がかりそうだった意識が晴れる。
 耳障りな音がして、何かが通り過ぎた。
 通過したものが何かと聞かれても分からない。多分見えない……空気みたいな代物だったから。
 かわせた。
「なに、か。ご用ですか。もう勝負、つきましたよ」
 内心寒気を感じつつ声を絞り出す。
「ついていない」
 銀髪のせいか薄暗いこの場所でも輝いて見える、相手の姿。
 丸腰だった先程と違って抜き身の剣を下げている。大きさは私が想像したのと同じでやや細身の長剣。
 何故武器をと問うのは危ない気がしてその言葉を飲み込む。 
「そうですね。結果的には、私の負けです。本気のあなたには勝てませんでした」
 遊びでなければ絶対に勝てていなかった勝負。
 今なら分かる。アニスさんとマインが必死で止めた理由。万に一にも勝てる訳がない。
 偶然が味方につかなければ。
 ぴく、とアベルが肩を震わせた。
「……ロケット」
 ろけっと?
 続く言葉が予想できず思わず固まる。
「とったのか」
 とったって。取ったとか、もしかして盗ったとか勘違いされてる、とか。
 そう言えば勝負が終わった後にそんな呟きが聞こえて、色々あって何も弁解していないような。
「と、ととと盗ってません!!」
 慌てたせいでしどろもどろになり余計怪しい人物になった気もする。
「お、落ちてたのを拾ってそれで返そうと思って」
「どうして、分かった」
「え」
 なにがだろう。
「俺のモノだと」
 身体が大きく震えたのが自覚できた。確かに、落ちているロケットが誰のものかなんてすぐには分からない。
 現在関係が崖っぷちな感じのアベルに、夜中覗き見していたんです。なんて言えるわけも無く。
「何となく」
 真っ直ぐ相手を見ずに答える。
「中を見たか」
 う、来たこの質問。
「汚れてたのを拭いてたら、ちょっとだけ、見えました」
 誤魔化そうか迷って、素直に白状する。これは何時かばれる気もする。
 覗き見も既に気が付かれて居そうだったが、もう此処までシラを切ってしまったのなら嘘を通す。
「それで、囮に使ったのか」
 このロケットを使えば。戦いの最中何度かそう考えた。それは否定しない。
「考えなかったと言えば嘘になりますけど、使わないつもりでした。あれはたまたまです」
 本当にあのタイミングで落ちたのは偶然の産物。
「偶然」
 噛み締めるようにアベルがその言葉を呟いた。
「そう、偶然。負けた。勇者候補ではないお前に」
 不穏な色の混じった呻きに、反射的に後退る。切れ目の入った石造りの床が目に入る。
 今の今まで考える事を放棄していた現実。彼がどうして武器を携えているのか。
 振り下ろした先がどうして、自分なのか。
 勝負の結果に彼は納得していないのだろう。気持ちは分かるけれど、いきなり抜き身の剣で斬りつけるというのはどうだろう。
 丸腰でも凄まじい威力だったのに、武器が加わるとどんな破壊力になるのか想像したくない。
「……悪運だったんです。次は確実に負けます。再戦したところで、結果は見えてます」
「悪運でも偶然でも、お前は俺に二撃入れた。その事実は許されない」
 許されなくても事実は事実。薄暗いこの場に映える銀光に開こうとした口が固まる。
 斬られる。
 悲鳴を上げようにも喉が締め付けられたようになって息苦しい。
 足はすくんで動かない。たとえ動けたとしても逃げ場所は無かった。
 奥歯を噛んで震える身体を押さえつける。無意味だと思っていても身体を丸めてしまう。
 耳奥をつんざかれるような不快な金属音。空気が震えて肌を打つ。
 衝撃が床全体に伝わっているのか目が回りそう。目の前が暗い。
「何のつもりだ」
 ――そっちこそ。
 言おうと思った言葉は枯れた喉で留まった。
 ちょっと待った。
 反射的に声を出そうとして気が付いた。苦しいが息は出来る。声も聞こえる。斬られたような傷もない。
 私……いきてる?
 妙に歪な影が私を覆っている。力が抜けてへたり込んだまま恐る恐る顔を上げる。
 大きな柱のようなモノが石作りの床にめりこみ、私の盾のように佇んでいた。
「何のつもりって、何となく?」
 天辺から聞き慣れた声が聞こえた。
 イスにでも腰掛けるように私の頭上にあるその場所で座り込んでいた人物が、だらんと後方……私の方に身体を傾けた。
「だいじょぶ? カリン」
 不安定なその場所に鉄棒にぶら下がるが如く足を引っかけて逆さ吊りのまま見つめてくる。
「だ、だだ大丈夫です」
 大きな瞳に笑いかけられて思わずどもる。マインはよっ、と声を上げ、また座り直し、足を揺らした。
「良かった。カリン怪我無くて」
 にこにこ笑ってるらしいマインにアベルが不機嫌そうな声を漏らした。
「どういうつもりで水を差す」
「だからー。何となく。勝負は終わりなんだから、闇打ちは格好悪いよアベル兄」
 ぶらぶらさせていた足を止め、静かに地面に降り立った。
 落ち着いた思考と視界で、ようやく自分を守った柱の正体に気が付く。
「不意打ちは良くないよね。仮にも勇者候補でしょ」
 自分の身の丈より大きなブーメランに寄りかかり、マインは悪戯っぽく笑った。

 

 

 

 

 

 

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