九章/足手まといは要らない

 

 

 

  


 どうしようか悩みすぎて頭痛がする。吐き気までしてきた。
「むぎゃ」
 小石にでも引っかかったのか、大きく馬車が傾いて落下してきたモノに潰され、我ながら情けない悲鳴が漏れた。
「いたたた」
 上に落下してきた彼が呻く。重装備のダズウィンさんだと眼が当てられない状況にもなりそうだが、華奢なシャイスさんが落ちたくらいでは気絶にまでは至らない。
 しかし、成人男性(だと思う)一人が上に乗れば重い。
「どいて、ください」
「あ、うう。どうかしたんですか何かぶにゅっとしてるんですけど」
 気が付いていないとはいえ、人のことを脂肪分の固まりのような事を言う。
 失礼な。ぶにゅっとしていて悪かったですね。背中に多少脂肪とかあるかも知れませんけど!
「ど、い、て、く、だ、さ、い!」
「どちらかというとふにっと」
 灰色の髪を掻き、首を傾ける。私の不機嫌の理由は説明の仕方が悪かったからだと思ったらしい。
 感触の説明は良いので本当に退いて欲しい。
「重いです! のってるんです!」
「……え」
 頭の血管が切れそうな気分で叫ぶ。数拍の沈黙。
 身体を反らし、顔を向ける。灰色の瞳がこちらを見つめている。眼があった。
 不思議そうに瞳を瞬き。時間が経つにつれ肌の色を失っていく。
「すみ、すみ、済みません! カカカカカ、カリン様の上だとは露知らずッ」
 飛び退いて、ひれ伏さんばかりに頭を下げる。
 当たり前です。知っててやっていたら拳で往復ビンタだ。
「ごめんなさい。お、怒ってますか? 怒ってますよね?」
 びくびく震える彼の言葉を取り敢えず端に追いやり、微笑んでみせる。
「……シャイスさんをどうこうするのは一旦保留として、先のことを考えましょう」
「やっぱり怒ってる!!」
 当然。
 頬に手を当てて絵画で良く見る叫びの表情でシャイスさんが蒼くなる。
 そんな顔が出来るのは感心ですが、顔の骨格が変わるくらい脅えて見せても許しません。
 危険度や、こちらの世界の事情を知らさなかったこと+先程の暴言。後で覚悟してて貰おう。
「御者さん! 今どこに向かってるんですか!?」
「…………あ、あぁ。何処かな」
「目的地無しですか!?」
 どうやら先程の襲撃で呆然としていたのは私達だけではなかったらしい。
 余りのショックに御者のおじさんも手綱を弛めて――
 がくんっ、と車体が大きく軋んだ。また石か、悪路か。いや、徐々に室内も斜めに……
 そこではっとなる。御者の人操縦してないから車輪が変な方向に曲がってるんだ。
「体勢立て直して下さいーーーー!」
 心の中で大絶叫を上げつつ懇願する。
「ずれるずれるずれてますーーー」
 ずり落ちてきた荷物やソファを必死に元に戻そうとするシャイスさん。
「お、おうっ! 御免よ」
 ぴしりと鞭の鋭い音が空を切る。
 お礼は良いので、謝罪も結構なので。この状況を、何とかして下さい。
「アベル。あなたも」
 先程から斜めになろうと揺らされようと動きもしない勇者候補(半端なく強い)をギッと睨み付けた。
「あぁ」
「多少動揺して下さい!」
 私の台詞にアベルがかくっと斜めにずれる。おお、動いた。
「……冷静になれとかではなくか」
 何か疲れた口調で彼が溜息を漏らした。
「冷静すぎです! 冷静ならせめて何か手伝って下さい」
 あんまり冷静すぎると腹が立つのは何故だろう。しかも手も貸さないのは人間としてどうなのか。
「そうです、アベル様。アニス様も手伝ってと仰ってました。取り敢えずこれ持ち上げるの手伝って下さい」
 あ、シャイスさんの腕がプルプルしてる。すまし顔でアベルは口を開いた。
「そうだが。嫌だ≠ニ言っただろう」
 鈍い音がしてシャイスさんが文字通り打ちのめされた。ソファに。
 言いましたが、この非常事態でもそう言いやがりますか。
 良し、よーっく分かりました。そちらがその気なら私にも考えがあることを教えてあげます。
 ええ、もうじっくりと。もしマナが横にいれば私の口元に浮かんだ笑みにただならぬ悪寒を感じただろう。
 付き合いの浅い彼らが見抜けるはずもない。既に手段は選んでいない。
 更にやり方をどうしようと、それは誰も責められないはずだ。
 指導者は必要だたとえアベルは要らなくても地図にコンパスはつきものである。
「御者さん進路変更!」
「あ、あぁ。何処にだ」
「プラチナ達を追います。全力で宜しくお願いできますか!」
「駄目だ。最初の目的地に行け。そう言われただろう」
「プラチナに何かあったら困るんですよ。あなただってそうでしょう!?」
「別に。居なくなったところで支障はない。いつものようにまた別の奴がつくだけだ」
「そんな言い…ムガッ」
 肩を怒らせ珍しく怒声を上げかけた彼の唇を掌で塞ぐ。
 アベルがそう言う気はしていた。今までの態度、口ぶり、あの城に好きでいる訳ではないことも薄々気が付いている。
 だから、私は怒りはしない。それではアベルは動かないから。
「私。香辛料。持ってきたんです、沢山」
「ああ。それで随分味は良くなった。もしかしてそれで恩を作ったつもりか」
「作りません。そんなコトしなくてもあなたは絶対プラチナを助けます。嫌でも」
 恩なんて着せなくて良い。絶対の自信があふれ出る。
 そう。嫌でもアベルは行くだろう。
 これからの言葉を聞けば。
「トマトって知ってます。赤い酸味のある野菜です」
「ああ」
 無関心な相づち。運が良い、こっちの世界にもあるんだトマト。
 でも出されたことはない、と言うことは貴重品か。育てられない状況か。
 どちらにしろ風は私の方に吹いている。アベル。この勝負、私の勝ちで決まりだ。
「そのトマトの缶詰。持ってきて居るんです」
「それがどうした」
 開いた扉から風が吹き込み、銀髪を乱す。
「アレがあれば豆のスープも味が格段に上がります。思わずフランスパンも抱えてきてしまったのでそれも今夜振る舞われます」
 保存食と共に、隙間にねじ込んでおいた食料がこんな風に使えるとは思わなかった。
 パンも知っているのか、アベルの表情が苦々しいモノに変わる。
「それが、どうした」
 よし、動揺してきた。
「その缶詰。プラチナが持ってるんです」
 ここで致命的な台詞を抉り込む。
「く……」
 冷静だったアベルの眉が跳ねる。
 この世界で暮らして不自由なことは多かった。寒さ、言葉。
 そんなモノは比較にならない程の不自由。それは食事。
 マインも言っていた通り毎日毎日イモイモイモイモ。自分が草食動物だと思うしかないレパートリー。
 大いに不自由な食卓。その世界で、美味しい物が食べられなくなると言われた時の喪失感はどんな物だろう。
「食べたくないですか。プラチナに万一のことがあれば食事どころじゃないですよ。食べられませんよ。助けないんですか」
 短い鎖に繋がれた犬の目の前に肉をぶら下げる飼い主のような台詞を吐いてみる。言葉でジリジリと痛めつける。
 意外と楽しい。……へんな感覚に芽生えそうだ。
「この」
 刺激しすぎたのか翡翠の瞳が怒りで輝いている。近くにあったナップザックを抱きしめ、出来る限りふてぶてしく笑ってやる。
「私も香辛料多少抱えているので攻撃すると勿体ないですよ。調味料」
 振りかざされかけた腕が止まった。
 最強と(うた)われる勇者候補が悔しそうに奥歯を噛み締めた。
 弱点、発見。
「先に行く。雑魚は始末するから来ればいい」
 勝利。
 反射的に歓喜の拳を握りそうになったが、我慢する。
「え。先にってどうやっ」
 アベルが猛スピードで走る馬車の外に、出た。
 えっ、ちょっ。死ぬ。死にますよーー!?
 言葉にならない悲鳴が喉の奥で呻きに変わる。
 ズ、轟音が(ほろ)を震わせた。
 な、になにっ。何事ですか!? 急いで車体から身を乗り出すと、あり得ない光景が広がっていた。
「走ってる」
「走ってますね」
 同じく顔を出したらしいシャイスさんが魂の抜けた声を発した。
 跳ね飛びながら走っている。そうとしか言えない。
 地面に叩きつけられていたはずのアベルが走っている、しかも馬車顔負けの速度で。
 もう追い越されそうだ。私達の乗っている二頭分の馬車より速いのでは無かろうか。時折響く凄まじい音は何だろう。
 ふと、見た遙か遠くに点々と続く。穴?
 彼が飛んだ後、地面が大きく抉れている。
 穴、轟音、走る、飛ぶ。バラバラの言葉をつなぎ合わせる。
 もしかして魔法で地面に叩きつけてその反動で走ってるんじゃ。
 ドゥ、と真横で起きた音と、離れているはずなのに感じる衝撃に確信した。
 かなり無茶苦茶だけど、やってる。絶対そうだ! 吹っ飛びながら走ってる。
 いろんな意味で信じられない。信じたくない。
「シャイスさん。やっぱりアベルは化け物と呼んで構いませんよね」
「良くないです」 
 思わず零した台詞はシャイスさんにキッパリと両断された。
 しかし、彼の瞳は明らかに異端を見る目だ。
「全力でプラチナの元に! シャイスさん迎撃準備ッ」
 打った身体が多少痛むが、ふらつきつつ武器を探しナップザックを漁る。
「迎撃? 何をですか」
「魔物です」
 未だに現在の状況を分かっていないらしい彼にとびきりの微笑みを向けた。
「何でですか」
「だってここ、勇者候補ゼロですから」
「…………」
 シャイスさんの血の気が引く。ローブと同じく髪まで白くなりそうな勢いだ。
「さぁ、死なないように見張りましょう。出来れば出てこない方がすっごく良いんですけど」
「何で行かせるんですかーーー!?」
「じゃあ見捨てるんですか。過ぎたことは振り返らない、さあプラチナの元にレッツゴーです」
 過去は振り返らない主義だ。そう言うことにしておく。
「魔物が来たらどうするんですかっ」
「その時は…………頑張りましょう」
 カリン様何も考えてませんでしたね!? とかいうノイズは聞き流し、扉から見えた光に目を向けた。
 どの世界でも。空は何時も一緒だ。泣き声も笑い声も、(わだち)の音も。全て吸い込んでいく。
 次に吸い込まれるのは、どうか笑い声でありますように。
 絶望はもう聞き飽きた。明日と皆の笑顔を少し見たいから、私は初めに笑う。
 誰よりも一番最初に。絶望に負けないように。屈しないように。
 笑ってみせると、シャイスさんがむっとした顔をする。そして、『分かりましたよ、仕方ないです』と観念した。
 どんな状況でも諦めない。  
 窮地にこそ笑ってやる。
 泣くと力が出ないから。きっと笑顔が力に変わる。
 

 

 

 

 

 

 

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