九章/足手まといは要らない

 

 

 

  
 何時から立っていたのか、静寂と冷たさが同居するロビーにぼんやりと佇んでいた。
 絶望、後悔、それらが山のように押し寄せてきてもおかしくないのに、私の頭の中は雲のように白く、浮いていた。
 色々ありすぎて、脳が一旦リセットしてしまったみたい。小さく息を吐く。
 仕方がない。
 本当に、どうしたら良いか分からない。
 なのにもう私の未来は決まってしまった。ここに、この世界に。居ないといけない。
 審判の時が来るまでは。
 誰でもない私が頷いてしまったことなんだから。
 ふ、と冷たい空気を熱くなった息でかき乱す。つい先程あったばかりの会話が脳裏をよぎった。 
 



 緊張が解け、ずきずきと脇腹が疼く。押さえようとした腕が重くて持ち上がらない。
 その場を重い空気が満たしていた。
「さてシャイス、分かっているな」
 静かなプラチナの声が普段より余計響いて聞こえる。
 俯いていた顔を上げると、薄く微笑むシャイスさんの顔が見えた。
「はい。覚悟は、とうに」
 ゆっくりと手を広げ、両腕を差し出す。
 ……何、してるんだろう。
「カリンに勝負を受けるなと言った、間違いないか」
「……はい」
 彼は手を下ろさず頷く。プラチナが大きく息を吐いた。
「お前がこのような事をするとは思わなかった。どのような処罰かも分かっているのだろうに」
「私も、そう思います。でももう、自分に嘘はつけません」
 プラチナが懐から縄を取り出しそれを彼の腕に巻き付けようとする。
「ちょっ、プラチナそこまでしなくて」
「なに、やってるんですか」
 抗議しようとしたらしいアニスさんの声を、震える私の呻きがかき消した。
「大丈夫。これは私の独断です。カリン様にはお咎め無しですから」
 安心させるような声音が、私の苛立ちと不安を募らせる。
「そんな事聞いてません。何でシャイスさん捕まりそうになって居るんですか。これじゃあまるで」
 罪人だ。言いかけた言葉を飲み込む。
「カリン様は間違ってません。私は罪人です」
「何でですか。私に警告したからですか? 私、守らなかったじゃないですか!」
 奥歯を噛み締めた自分の呻き声は唸り声に聞こえた。
「守る守らないの問題ではない。これはルールだ。秩序を守る為の法だ」
「法を、侵した人はどうなるんですか」
 ああ、もう薄々分かるけど。確認しなくてはいけない。目も耳も塞いで何もなかったことにもしたくなる。
 でも現実は受け入れなくてはいけない。
「塔に幽閉か、あるいは……首を切る」
「もうカリン様にも会えませんね」
 そう言って、彼が力なく笑う。
 悲しい現実を見るように、遠い目をしていた。
「首を切るって」
「死刑、て事ね。他の勇者候補ならともかくアベルを倒したカリンちゃんに事実であれ、言ってはならないことを吹き込んだのなら死罪の線が濃いわ」
「や、止めて下さい。なんでそんなことするんですか。シャイスさんも何で分かってて忠告したんですか!?」
「これは、決まりだ」
「カリン様とお約束しました。還すと。もう泣かしたくないって」
 静かに答えるプラチナに、彼は頷く。
「シャイスさん、違います。
 確かに私、帰りたいです。でも、そのせいで誰かが死ぬのも嫌なんです!」
 家に、世界に戻りたい。けど、身近な人が死ぬのは嫌だ。我が侭だって甘いと言われてもそう思う。
「そんなことしたら、後悔して。元の世界でも私はずっと悪夢にうなされます」
 人に優しいとかじゃない。ただ、私が嫌なだけ。
 悪夢はもう見たくはない。
「どうすれば厳罰や処刑を免れられますか。私が出来ることありますか」
「――元々お前は勇者候補ではなかった。確かにシャイスの言うことも一理ある。
 カリン、お前が勇者候補の責務を果たすのなら、厳罰は取りやめる」
 薄く笑うプラチナに寒気を覚える。
「責務、ってどういうものですか」
「民間人だと出さずにおいたが、次はお前も何らかの任について貰う。勿論元の世界への行き来は止めない。
 香辛料が手にはいるのは助かる」
 サラリと告げられた言葉に目眩を覚える。けど、断ることは出来ない。
 シャイスさんの命が、掛かってる。
「分かりました。此処にしばらく留まって、プラチナの言葉を待ちます」
「カリン様でも、それでは」
「……もう、良いんです。既に私は、プラチナから帰さないと言われました。これ以上の犠牲は欲しくないです」
 帰れないのも悲しいのに、更にシャイスさんまで極刑を受けるなんて事になったら私は立ち直れない。
 せめて知り合いは居なくならないで欲しい。
 だから私は、まだこの世界で戦いを続けよう。自分と、そして……次は魔物とでも。


 

 

 

 

 

 

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