八章/選択肢というもの

 

 

 

  

 
 もう慣れてしまった広場に進み、小柄な人影を発見する。声を上げる間もなく。
「カリーン。師匠だよーお帰りーッ! ずっとずっと待ってたんだよ!!」
 はしゃいだ台詞と容赦ない締め付けが歓迎した。
 ギブ、ギブギブギブ。死ぬ、死にます。許してご免なさい。なんかめきボキ言ってます!
 息が詰まって言葉にならない。心の中で悲鳴を上げる。
「ちか、ら。ゆるめ……て。し、死ぬ」
 それだけ言って力尽きそうになる。
「ああっ。ご、ごめん。嬉しくてつい」
 力が緩む。私も、つい、で毎回死ねそうになる場所だったことを忘れていた。
「本当なら当日に会いたかったんだよ!? でも、召還の日にち知ってたけどプラチナが追い出すし、勇者候補だから魔物倒さなくちゃ行けないのは分かるけど。カリン見つけたらすぐ挨拶しようと思ってたから」
 それで、思わず力のこもったタックルを入れたと。反射的にやってしまったこととはいえ、マインに多少理性が残っていてくれて助かった。彼が力一杯突っ込んできたら絶対全身の骨が砕ける。
 私の寒気を余所にアニスさんは自分の唇に指を当て、クスクスと笑い声を転がした。
「あらあらマインちゃんったら嬉しそうね。そうよねぇ、カリンちゃんが来るまでずーっと落ち込んでたものねぇ」
「ち、違うよ。そうだけどそうじゃないからっ。弟子居なくなって寂しかっただけだよ!!」
 と言うことは総合すると、つまり。
「寂しかったんですね」
「ぶっ、ちが、わないけど〜。もうっ、カリンもアニスみたいに僕をからかって〜〜っ」
 なんか私は聞いてはいけない核心に触れてしまったらしい。
「か、からかってませんよ!? えと、久しぶりですからマイン師匠稽古。稽古しましょう!」
 口早にそう告げると少しだけ彼の表情が曇る。あれ、何か変なこと言った?
「やっぱり呼び捨てがいい」
 あらあら、とアニスさんが声を上げて笑ってる。マインは俯いたままだ。拗ねてる? 絶対何かこれは機嫌を損ねているよね。
 私何かしましたか!?
「え、ええっと。マイン……稽古」
「そう、それが良い! カリン大好き〜っ」
 毎度のノリでボディアタック。連鎖的に抱擁ならぬ締め付け。先程よりマシとはいえ、こたえる。
「ぐ、ぇ。まい……マイン。いえ、お師匠様。止めて」
 名前を呼んだら締め付けが強くなったので師匠に変える。ぴた、と彼が動きを止めた。
 効果有り? と喜んだのもつかの間、天使の笑顔で『まーた師匠って言ったぁ』と今までの比ではない強烈な抱擁を始める。
 死ぬ、死ぬというか千切れるッ。ていうかマイン、師匠が良いって前言ってたのに!
 その後もアニスさんの注意でマインが気が付かなければ私は二つになってただろう。何であんなに機嫌が悪くなったのかは不明である。




 過酷な訓練の後は言語の勉強。この国の言葉もそこそこに、別の勉強を始める。
 魔物の言葉は難しい。全部同じに聞こえるのに、翻訳用の本を見ると、交流する程の台詞は種族ごとに違う。
 ただひとつだけ救いがあるとすれば私の居た世界と同じで意思疎通が滑らかになるよう、大抵の地区では言語を統一する習慣が出来ているらしい。
 さあこれだ、と単語の群れを眺める。分からないものは分かりません。
 泣きたい。泣くもんか。ふとランプが揺らぐ。
 いつの間にか側に佇んでいた白い法衣。シャイスさんか。
 そっとランプの油を足して、
「あまり根を詰めないようにお願いします」
 静かに頭を垂らし、居なくなる。
 明るさの増したランプを見つめ、溜息。なんだか釈然としない。居心地の悪さが肌を覆う。なんというか、そうだ。他人行儀だ。
 近頃私に対して負い目があるせいかシャイスさんの言葉遣いや態度が丁寧で丁寧で気味が悪い。
 何処かのお姫様ではないんだからそこまでしなくてもとも思う。取り敢えず無言でお茶菓子を置いたり飲みものを置いたり佇んだまま待っているのは止めて欲しい。
 お茶は嬉しいけれど、待って貰うのはまあありがたいのだけど。暗かったので危なく失神するところだった。
 前から控えめな人だったが、最近その控えめっぷりがエスカレートしているフシがある。
 はあー。と溜息を隠さず吐き出してドアノブを握る。
 私が開こうとする前に、扉が開いた。壁際に佇むホテルの従業員か執事のようなシャイスさん。
 言ってはいけないが、怖い。そこまで寡黙を徹底されると親切心の嬉しさよりも恐怖が先立つ。
 今日は寝よう。俯いたまま何も言わない彼を見なかったことにして、ぱたんと扉を閉じた。
 やはり声はかけられなかった。
 どうしたものかこの人を。悶々とした意識の中、魔物言語の文字の洪水に埋もれつつ、私は目を閉じた。


 

 

 

 

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