台所から奥の方で忘れ去られた安めの緑茶をこっそり頂戴し、大きなナップザックに詰めていく。
塩、胡椒、砂糖。乾パン、着替え一式に油に唐辛子諸々。
夜逃げと言うよりも無人島への旅立ちかという荷物を詰めて一息つく。
手近にあった使っていない卵形の目覚ましを取り、パンパンになりつつある袋に詰める。
動くかどうかは分からないけど、取り敢えず入れよう。
同じ品はまだあったので使っていなかったモノだし、壊れたとしても構わない。
「はあ、はあ。砂糖と塩が、重い」
総重量優に二十キロは越えただろう調味料を睨む。ほとんどのスペースはこれらが陣取ってしまって、かさばるハーブ達は紙袋に入れて上に載せてしまっている。
シャイスさんから聞いた話に寄れば、人より少し大きめの高さ……二メートルくらいまでの荷物なら側にあれば一緒に召還してしまえるという。
ふ、と自分の机に視線が向いた。
机の上にある中学の入学式の写真が写真立てに収まっている。笑顔のマナと恥ずかしかったから俯き気味の私。
そして現像してきたばかりの写真を見る。真ん中にいる笑顔の私と左側にいるマナと、右側で少し戸惑い気味に笑う賀上君。それを少しだけ胸に当て、昔の写真を一番上にして今の写真を下に潜り込ませる。
何時か堂々とこれを眺めることが出来るんだろうかと考えて、机の中に一枚。多めに現像してきた写真を荷物に忍ばせた。
「今日で丁度一週間」
出来るだけ夜中のこの時間帯に頼むと言っておいたので、ずれ込まなければそろそろだ。
ナップザックを背負――うのはやめた。今一瞬潰されかけた。
腕を通してピッタリと身体を密着させる。
まだかな。
まだかな。
昨日も同じ体勢で待っていたけど来なかった。いい加減そろそろなはずなんだけど。
疑問と、そして期待が一滴。
…………あれ全部夢じゃないよね。
膝の上に静かに置かれた本を撫でて、両手で持つ。厚い革張りの、この世界の空気とは違うモノ。
違う、夢じゃない。本は、そう告げているようだった。
「……アレが全て夢だったら。私は、どうするんだろう」
横合いから吹雪いた寒気に本を開こうとした指が止まる。今一瞬背筋を何かが撫でた気がした。
何。今の。
この間感じた殺気とは違う、何か違和感のようなもの。空気が軋んで世界がずれるのを感じる。
どうなってるの。
声は出ない。ただ、分かったのは、始まったことだけだ。
あの時と同じ。
爪先が床にめり込む。辺りの景色が薄くなり、色あせて音が全て消えていく。
そしてあの時とは違う。漆黒よりもなおくらい闇が地面からわき出して壁をはい回る。
気持ち悪い。思い思いにうねりくねる闇。
黒々としたそれらが、私へと向かってくる。「ひっ」と喉奥から掠れた悲鳴が漏れるだけで、それ以上の抵抗は出来ない。
足下の影が切り刻まれて天井へ伸び、私を包む錯覚に陥る。暗くなりかける視界には、私の影がハッキリと見えていた。
水音。呼吸が詰まる。
落ちる。
無意識にそう感じた。
ごぷ、と空気が頂上を目指す。開いた目には闇と浮かび上がる空気の球しか見えない。
やがてそれも消えてゆく。
冷たくも無い暗い水の中、息を詰めたまま私は静かに底へと沈んでいった。
足元を何かに触れられ、包まれるのを感じながら。
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