七章/いつもの違う日常

 

 

 

  

 どうも夢ではないらしい。
 さっきはこっそり自分の耳たぶを引っ張ってみたり、その前は別の男子生徒から冷やかされた。
 それに何よりお昼休みの時間は着実に減っていって居る。このままだとお昼休み一杯は一緒にいることになるだろう。
 理論的にそう考えないと顔が赤くなったり気が遠くなったり、する。私は絶対するに違いない。
 ツルツルに磨き上げられた廊下に強張った自分の顔が見える。足下が不自然な角度を向いたのも見え――
 冷静な振りして考えても無駄だった! 出来るだけ衝撃が来ないように身体を丸める。
 ……あれ。痛くない。腕が少し痛いけど、何だか石とは違う。
 瞑った目をそっと開く。反射的だったのか、キョトンとした表情の賀上君と目があった。
 どうも、どうやら。庇われた、みたい。今まで出来るだけ正面から見ないようにしていたのにバッチリ目が合ってしまった。
 脳みそが沸騰しそうな程に顔が、頭が熱くなる。
 れ、れれれ冷静に。深呼吸深呼吸。
「あ、ありが……とう、御座います」
 体勢を立て直してぺこ、とお辞儀。「あ、うん」呆然としたまま賀上君は上の空のような返答を返した。
 何で私は何もないところで転ぶんだろう。ああ、呆れられてる。どうしよう。
 そんな人の気も知らずにちょいちょいとマナが賀上君の脇をつつく。
「あらん。賀上のダンナ。隅に置けませんわねぇ、このこの。若い者にお任せして、この場は年よりは退散した方が宜しいかしら〜」
「マ、マナ!!」
 少しだけ持ち上がっていた腕が落ちた。あ、放したんだ。ちょっと、残念……って何恥ずかしいこと考えてるの、私ッ。
 後ろから突き刺さるこの痛い感覚は。恐らく、女生徒の視線。あ、後のことは考えない。うん。
「つかぬ事を聞くけど日畑」
 からかわれたことで照れたのか、少しだけ赤くなった顔を誤魔化すように彼は咳払いをし、静かに問う。
「何でしょう。マナちゃんの『はあと』はカリンに奪われ済みだから品切れよ。
 別のモノならちょこっと位なら菓子パンで手を打つけど」
請求!? 親友の商魂逞しさは想像を超えていた。揉み手なんかをしながらうっすら目を細めて唇を吊り上げる。うう、マナ。どう見ても悪徳商売人だよ。
 賀上君はと言えば、そんなマナに引く様子も見せず。穏やかに微笑み。
 その笑顔にノックアウトされる通りすがりの女子数名。ほんわりとした眼差しにこもった熱は、夢見る少女のそれだ。更なるライバル発生。
 賀上君。あなたの笑顔は凶器です。お願い私の悩みを無意識のうち増やさないで。
「闇取引やってるってホント?」
 やんわと相好を崩したまま、これぞ直球と言わんばかりの質問。
「いぁッ!? ゲフンゴホン。あららぁ、なぁにを仰るオマエさん。もう、あっしはタダの女生徒ですぜ。質の悪いジョークなんてよしてくだせい。
 闇取引なんておっそろしいこと、知るわけないじゃなーい。ねえ? ほ、ほほほほ」
 尋ねられた衝撃で数歩ほど後ずさり、マナはのけぞり気味の姿勢になり。余程慌てたのか、『どちら様』と尋ねたくなるような人格の複合具合で引きつった笑いを漏らす。
「そのカメラで盗撮するの?」
「……ちっ、ちっがうわよ!? 濡れ衣っ」
サッと背後にインスタントカメラを隠すマナ。得意の愛想笑いも崩れ気味。スゴイ。
 すさまじい怒濤の反撃だ。
「果林。かりんちゃーん。ちょぉっと私とお話ししませんこと?」
 感心しすぎてフォローすら挟まなかった私に親友が笑みを貼り付けて顔を向けた。
「へっ。いや、あの。しません、現在時点では結構です」
 身の内に危なそうな空気を押さえ込んでいるマナにブンブン首を振ってみせる。
「ノンノンノン。しましょうね。マナお姉さんちょーっとお話ししたくなっちゃったの。賀上のダンナ、一分ほどお待ちになってね」
 両手を組み合わせ、微笑むが口元が微妙に引きつり、そして目が笑っていない。危険な合図!
 現に首もと辺りがピリピリと警告をもたらし、収まらぬ寒気が危機を告げている。だが賀上君の手前逃げるなんて出来ないし。
「うん? 仲良くね」
 もやもや考える私に死刑宣告。そんなあんまりな!
「ひえぇっ」
 廊下の角に引きずり込まれた私は、マナから大親友のあり方を延々とご教授賜ることになった。
 少しばかり憔悴した私は賀上君に心配されもしたが、機嫌の直ったマナの取り計らいもあり、次の昼食の約束を取り付けることが出来たのだった。
 次はマナのフォローもちゃんとしよう。心に固い決意を秘め、縮み上がった身体をほぐすために腕をさすった。



 

 

 

 

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