六章/切れないゆびきり

 

 

 

  

 落ち着いて城中を眺めるといつもの風景も違って見えて、目一杯マインと歩き回った。
「あら、カリンちゃん。まだやってたの?」
 廊下で声をかけられて振り返った。アニスさんが腕を組み、意味ありげにくすりと笑みを浮かべていた。
 気が付くと薄暗くなってしまっている。訓練サボっちゃった。
「あっ、ご免なさい。練習」
 鬼ならぬ恐怖の笑顔を思い出し、背筋が寒くなる。一度少しだけ、ちょこっとだけ弱音を吐いたら艶のある笑みで幻のオオカミとかを。
 思い出しただけでまた寒気が。反射的に鳥肌が立った両腕を軽く押さえる。
「良いのよ、今日くらいは」
 私の表情を見てから、コロコロとアニスさんが笑う。なにか、反応を楽しまれている気もする。
「そうそう良いよ今日くらい」
「マインちゃんはそう言っても居られないわよぉ? 修行ほったらかして一人だけカリンちゃん連れ回して。酷いわ」
「早い者勝ちだよ。朝一で訪ねたの僕だもん。それに、昨日はいつもの倍頑張ったから問題ないし」
 得意げに言って、腕にじゃれついてくる。倍頑張ったって、私より多いと思われる練習量をこの日の為にわざわざ。
 凄いと感心するのと感動が入り交じり、ジーンとなる。無邪気に走り回ってるけど頑張ってくれたんだなあ。撫でたい、凄く頭をグリグリしたい。
 けど嫌がられるのが明白だから我慢する。
「ずっるい。夜中に張っておけば良かったわ」
 冗談とも本気ともつかない声でアニスさんが微笑む。
 柔らかな曲線を描く金の髪に、白い肌。紅から藍色へと変貌していく廊下で見た彼女は、一枚の絵画のようだった。
「そろそろ夜ですね」
 見惚れそうになる気持ちを振り払うため、適当な会話へとすり替える。ときめいてはダメ、アニスさんは同性。綺麗だけど同性! ドキドキしてはダメ。うん。
「そうね」
「ねえアニス。カリン今日まで居たらダメ?」
 小さく頷く彼女の肩をマインが背伸びをして指先でつつく。アニスさんはふうと小さく息をつき、困ったように眉を寄せた。
「難しいんじゃないかしら。珍しいわね、マインちゃんが駄々こねるなんて。
 任務では絶対何も言わずに聞き分けるじゃない」
「これは、任務じゃないから、いいの!」
 言い聞かせるみたいな声に反発するように、小さく頬を膨らませる。
「カリン、星が見たいって言ってたから今日見せてあげたかったのに」
 腰に両手を当てぶすっと呟くマインの台詞に冷や汗が背を伝う。
「マ、マイン」
 わー。それヒミツ。秘密なのに!!
「あらロマンチック。言ってくれれば見せてあげたのに」
「えっ、禁止じゃ」
「一人歩きじゃなければ少しくらいは大丈夫よ。もう、カリンちゃんはマジメなのね」
 驚きを得隠せない私の声にアニスさんはプラチナにはナイショね、と魅力的に微笑んで楽しそうに首を傾ける。
 どうも、私の杞憂だったらしい。うーん、こっそり相談してみれば良かったな。
「約束してくれれば絶対連れて行ったのに。勇者候補だけど僕は約束くらい守るよ?」
「あら、私もちゃあんと守っちゃうわよ」
「うっそだぁ。お酒飲んで忘れてそう」
 含み笑う彼女にマインが唇を尖らせる。そう言えば夜中ってあんまりアニスさんと出会わなかったっけ。
「……マインちゃんもう少し口当たりが良さそうな言い方してくれると嬉しいわ」
 強く反論しない辺り、結構な頻度で夜の町に繰り出していたらしい。
「えー。だって絶対忘れそうだよ?」
 疑いを露わに容赦ない追撃。
「マインちゃんの意地悪。あ、カリンちゃんへ伝言を頼まれたんだったわ」
 僅かに肩をすくめてアニスさんがぽん、と手を打った。
 伝言? 何だろう。
「え、はい。何でしょう」
「フレイから『そろそろ時間なので、来訪時の服へ着替えて来て下さい』だって」
 そうか、もうそんな時間なんだ。
「…………」
 マインがじっと大きな瞳で私の方を見たかと思うと、眉間に微かに皺を寄せ、俯く。
「あ、はい。来たときの服ですね」
 何だろう。彼の態度を不思議に思いつつ頷く。
「マインちゃん。目に見えて不機嫌にならないの」
「だって、つまんない」
 今度は私にも分かるくらいに大きく唇を尖らせて、肩を怒らせる。
 不機嫌だったんだ。今の服が好きなのかな。
「同じ年くらいだったらナジュちゃんが居るじゃない」
「ナジュは候補者だもん。カリンじゃないとつまらない、から」
 何時もならハッキリと告げる彼にしては珍しく、呟きながら絨毯を爪先で軽く蹴って拗ねている。
 候補者じゃない利点。……投げやすい? 
 人間お手玉がそんなに好きなんだろうか。パッと浮かんだ答えは我が考えながら少しだけ不穏だ。
「あらどうして」
 もの凄く楽しい玩具でも見つけたような表情でアニスさんがひとさし指を左右に動かす。
「うー。いいよもう、カリン着替えに行こう!」
 マインは少しだけ怒ったようにまなじりを釣り上げて、がっしと私の腕を掴んだ。
「あ、はい。いえあの腕がもげるもげますからもう少し穏便に」
 ちょっと痛い。掴まれたせいではなくすぐに移動へと切りかわった為に、肩への負担が大きい。
「マインちゃんそんなにふて腐れないでよ〜」
「ふて腐れてないですー。行こカリン」
 言葉とは違い完璧にふて腐れた口調でマインは言って、加速する。
 うわ、腕がギリギリ言ってる!
「行きます、行きますからゆっくり」
 ぐきぐきと悲鳴を漏らす肩の代わりに、私は悲鳴を上げながら空いた手を振り回した。
 
 

 

 

 

 

 

 

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