五章/いつわりのキボウ

 

 

 

 

 大急ぎで帰路へ。との言葉に従い、御者の人は馬を飛ばす。狭い室内が大揺れしている。

 慌てて荷物詰め込んだ袋が転がる音も聞こえた。

「ああうう。確かに私が不甲斐なく捕まったのは悪いんですけど。こう、候補者としての自覚を持って」

「私、民間人です」

 低い天井にぶつかりそうなので、頭上を腕で押さえながら私は口を尖らせた。

「ですケド、女の人なんですから。見た目地味ですし、あんな派手なこと」

「偏見良くないですよ。むしろこうなったのは誰のせいですか」

「うう、でもですねぇ」

 グチグチグチ。抗議混じりの言葉を返したものの、シャイスさんの愚痴は続く。

 諦めの悪い人だ。それに地味なのは放っておいて欲しい。

 心の声に頷くみたいにガクン、と揺れる馬車内。大きな揺れに重力が無くなった。

 体が宙に放り出されている。刹那の浮遊感。 

「ひゃ!?」  

「ぐぎゃ!? カ、カリン様。重いです」

 重なる悲鳴。し、失礼な。重みがないとは言わないけど最近の超低カロリーな食事で前より大分軽くなってるのに。

 床に手を付く。潰れたカエルみたいな呻き。

 ぐに、とした手触り。何処をどうぶつかって落っこちたのか、私はシャイスさんのお腹の上に膝をついて座っていた。

「うわわ。ご免なさいすぐ退きます!?」

 これには驚いて、後ろに飛び退く。

「あ。カリン様後ろは」

 慌てたみたいな台詞。そう言えば馬車内で、私の後ろ。つまり席の横は壁で扉。

 鈍い衝撃を覚悟して、身を固くする。何かが弾ける軽い音と共に。視界の端に映る地面。真上に青い、空。 

 ――――比喩でも何でもなく。私は本当に外に投げ出された。

 一瞬飛ぶ意識。真っ暗になる思考。

 少し堅めの地面を転がって、くらくらする頭を振る。一ヶ月位前の私からは想像がつかないが、なんとか受け身は取っていたらしく、怪我はない。

「大丈夫ですか。鍵が壊れてたみたいですけど。というか凄い勢いで落ちましたね」

 のんきな間延びした声。確かに鎖を絡める程度の簡単な鍵だったけど。

 この程度で切れますか。というか彼の言う通り、私そんな重いですか。

「馬車が止まっていて良かったですよ。でも止まらなければこんなコトにはなってませんよね」

 真上で聞こえるぼんやりとした呻き。耳元にある車輪はぬかるみもないので土を被っているだけだ。

「汚れますよ。起きません?」

 もう泥だらけも慣れてしまっているので、ごろ、と半回転。

 広がる視界に、黒い色。車輪が何かにはまっている。

 「いきなりくぼみに落ちた」御者の人が言う台詞が、耳に聞こえる。

「むう。カリン様、ことごとく私達は不運ですね。雨で削れたんですかね」

 そのくぼみが、私の目に映ってる。深さは、結構あった。私の、膝丈位まで。

 落ち込んだ車輪が宙に浮いて車体を傾かせている。

 シャイスさんの言葉がうわごとみたいに耳を過ぎた。

 ふと。遊びみたいな訓練が脳裏を掠める。マインに投げつけられた泥。掘り返した泥をコチラに掛ける何度も何度も見た光景。一度なんて大きな落とし穴をつくって私を落っことそうとして、整地が大変だからやめろ。とプラチナが怒鳴り、それきりしなくなった。

 シャイスさんにはくぼみに見える。御者の人にもくぼみに見える。

 だけど、何度も見た光景が重なった私は、自然の穴でないことを直感した。

 逃げないと。

 反射的に感じた違和感と、不吉な予想に跳ね起きる。鼻先すれすれまで近づいた私の顔に驚いたのか、引き気味になった彼。

「早く馬車の体制を整えてここから逃げましょう」

「で、でも。ここまでは追って来れませんよ」

 何か過去のことを言っている。そう言えばそう言うこともあったけど、そんなの今はどうでも良い。

 警鐘が響いている。音は止まない。

 囲まれた時だって鳴らなかったのに。追いかけ回されても心臓は駆け足しなかったのに。

 嫌な鼓動の音が聞こえる。耳鳴りがする。

「良いから手伝って車体を! 雨も最近降ってないのに何で削れてるんです。何で馬車の行き交うこの場所が数日もほったらかしなんです。道だってぬかるんでないし、ここだけ削れてるなんて変じゃないですか!」

 まくし立て、私は思いきり車体を持ち上げる。僅かにしか浮かない。

「あ! はい。早くここから」

 言葉の意味に気が付いたか。彼は私を手伝うために同じように車体に手を掛けた。

三人が力を合わせ、ようやく車体が持ち上がる。

 急いで乗り込もうと、指示を出そうとする私達に不吉な合図が出た。

 鳴き声も上げていなかった馬が、雷にも似た声でいなないて。地団駄をするみたいに地面を削った。

 

 

 

 悪い予感は良く当たる。誰かがそう言っていた気がする。だから、良い予感を考えれば上手くいく。そうも言われた。顔も名前も覚えてないけど、多分教師の誰かだったか。

 そんなことを言った人は、今すぐ私の前に進み出て状況を肩代わりして貰いたい。

 揺れた茂みに目をやる。平和ボケしている私の脳みそだが、洒落になっていない状況に立たされていることに否応なしに気が付かされた。

「ホントにはやく逃げた方が良かった、です、ね」

 シャイスさんが呻く。見事に当たった私の予想。

 だけど抜き身の剣を、槍を。三つ叉になった桑みたいな品をコチラに突きつける沢山の人達に囲まれて、嬉しいはずもない。むしろ外れて『カリン様の予想ってアテになりませんね』とか呆れられる方が幸せだった。

「な、なにかご用ですか」

 頑張って尋ねるシャイスさん。

「金と荷をよこせ」

 お金は余り無いけれど、荷は一応ある。

「渡したら、見逃して貰えます?」

「お前の顔にも、見覚えがある。城の連中は嫌いだ。ここにいる連中も。

 なら、答えは分かるだろ」

 無情に応える相手側。了解OK承知しました。彼らが私とシャイスさんを見逃す気がさらさら無いって事を。事実上の死刑宣告。非道な台詞。彼らが魔物の姿をしてくれていたらどれだけ良かったんだろう。どんなにマシだったんだろう。

 現実は厳しいの言葉通り、彼らは人間だった。鱗も付いてないし、獣耳も生えていない。

 盗賊の姿をしている風でもなく。見た目は、普通の……街人。

「わ、私を殺す気ですか。知っていて!? 何考えて居るんですあなた方。

 城で何をしているか、どうして私がここにいるか。みんな知っているはずです。

 知らないなんて訳ないでしょう!?」

 背中に私を庇って、シャイスさんが喚いた。体は、小刻みに震えてる。

 私は、震えも起きない。むしろ震えたくなるのは心だった。

 答えが怖い。

「しってるからさ。お前らが偉くて、食べ物をたんまり積んで運ぶって。

 こうでもしないともう、暮らしていけないんだよ」

「盗賊のマネごとなんて恥とか無いんですか!?」

「無い。生きていくためなら、獣になる」

 悲痛なシャイスさんの声に、淡々とした言葉。

 この世界の現実は、何処までも厳しかった。

 彼らは飢えている。生きるためなら躊躇わない。それが同族でも。

「言いますけどね、ここで私を殺したら後大変ですよ、誰が呼び出すんですか勇者とか。

 今どれだけ切迫した状況か、なんて言うまでもなく分かるでしょう!」

 そうだ。シャイスさんが殺されたら、一時的にでも召還する人が消える。

 人材不足のこの国に、補充するアテがあるのかも分からない。そうなると、彼らだって困るのに。

「知らない。戦争なんて俺達には関係ないんだよ。お偉いさんの考えも、甘い甘い言葉も正義も知らんね。物価はどんどん上がるんだ、このままじゃ飢え死にだ」

「だからですね、私殺しても物価の上昇は止まりませんてば。戦争が原因の食糧難なんですよ! 一時しのぎにもマシにもなりませんよ!!」

 苛立ったみたいにシャイスさんが地面を踏みつける。土埃が舞い上がる。

 御者の人は、恐怖で固まって、動けないで居た。

 吐き出された次の言葉に、私は、シャイスさんは。絶句した。

「なる。お前達を殺れば、食料は手にはいるからな」 

 笑う。響く馬鹿笑い。

 この人、達。

 千切れ飛んだ鎖が足下に転がっている。

 地面の鎖を素早く取って確認する。長さは十分足りる。

「シャイスさん。何とか体勢の立て直しを」

 慣れはないし、上手くもないけど、そんなワガママ言ってる場合じゃない。

 振り向かないで私は前に飛び出した。不意をつかれてか、侮ってか。誰も私に斬りかかっては来なかった。

「えっ。でも、その」

 後ろで聞こえる慌てた呻き。

「時間稼ぎをします。扱いは悪くても、貴方は国の要人です。

 それに、前にした約束嘘ですか」

 吐き出した、私の言葉は冷静だった。刃物は怖くない、なんて嘘だけど。

 戦えない彼は吐き出した。命がけで言い切った。短期間でも修行をした私より、早く紡いだ。そして盾になった。

 刃物を持った相手だ。前みたいに素手で、二人だけじゃない。その勇気を無下に出来るほど、冷たくはなれなかった。

「前って」

「帰るんです。何が何でも帰るんです」

 尋ねる声。そうだ、私は馬鹿なんだ。大きな大きな馬鹿者だ。だから、あの時獣を前に断言した。

 忘れていない。あの恐怖。

 指先を動かして、鎖に反動を与える。ひゅ、鎖が微かな音を立てた。

「いえあの、帰るってこの状態で」

「私は私の場所に帰る、決めてます」

 ゆっくりと、回した鎖が甲高い音を紡ぎ始める。

覚えている。身を切る冷たさ。底の見えない恐怖。咆吼。血の色も。

 決めたんだ。でもそれを見ても決めた。

「カリン様」

「お前も勇者候補か!?」

 空を切る音。私を掠めて地面に石が落ちる。私とシャイスさんを除く全員が、青ざめていた。叫んで石を投げた人も、顔を引きつらせている。

 この人達にとっては勇者は尊敬の対象じゃない。恐れ、憎む、忌まわしい存在。

 勘違いに小さく微笑んだ。私の答えは決まっているんだ。

「違います。私はただの民間人です。でも、ここは通させて貰います。

 あなた達が退けないのなら、引かないのなら」

 私の覚悟が決まると同時に、警鐘は止まっていた。す、と息を吸い込む。

 にじり寄ってくる無数の相手。

「倒して退けます」

 あの時と同じ台詞を言葉を吐き出した。獣王も、人間だって関係ない。

 私は、進む道を邪魔する、命を脅かす存在をどんな手を使っても追い出すだけ。

 そう、決めた。この世界を認め、足を踏み出したときに。

 

 

 

 

 

 

 

 

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