五章/いつわりのキボウ |
まりつきみたいに跳ねる果物は、そう経たずに大人しくなる。 仕方がないので私は、遠くに行ってしまった食べ物に足を向ける。 沈黙。シャイスさんがぱくぱく口を動かして手を振っていたりするが、気にせずしゃがむ。 がちん。伸ばした指先を掠めて大振りの一撃は、また果物をはじき飛ばした。 いそいそとまた果物に向かう。座り込んで取ろうした果物が再度蹴られた。 少しムッとなったけれど、諦めずもう一度。 「無視するか普通!?」 いい加減に頭に来たんだろう相手が怒鳴った隙に拾い上げる。 「これで全部ですね。さ、帰りましょう」 普通なので聞こえない。いや、聞こえてないふりをする。 そう、普通は怒るけど、普通は怒鳴るけれど。 一般庶民が大柄な人達に怒鳴れるはずもない。見なかったふりをして立ち去るのが最上の選択。にっこり微笑んで、何事もなかったように帰るのが良い。 「あ、ええ。帰り……って良いんですか」 シャイスさんが引きつった笑顔で震えている。 「良いんですよ。ボール遊びに目くじら立ててもオトナ気ありませんし。 さあ、帰りましょう」 背を押して促す。ここまで来ると現実逃避。しかし思考が現実から逃避したと言っても目の前の彼らが大人しくなるはずもない。 「待て、お前。シャイスだな」 『は』 私と呼ばれた本人の声が重なる。どちらとも、疑問が混じった。 「隠しても無駄だ。調べはとっくについているんだ」 まだ隠しても公表しても居ないのだが、目の前のリーダー格っぽい人は、胸を張る。 調べ? えーと、うーん。ああ、思い出した! 「そう言えばお城に仕えてましたっけ。忘れかけてました」 「あの、どういう意味ですそれ」 「そう。召還に携わるお前は城の要」 「かなめ」 「疑わしそうに反すうしないで下さい」 棒読みな私の声に、落ち込む彼。 「言わば、戦争を担う中心人物」 「中心人物」 「だから、そう言う目で見ないで下さい」 そう言われましてもですね、毎度毎度のシャイスさんの扱いを見ていると、疑わしい気持ちが二桁単位で出てきても可笑しくないと思うのだが。 「そう言うわけだ」 「そういうワケらしいですよ」 頷いて。思考を整理した。成る程、シャイスさんは城の要人として狙われているらしい。 普段の扱いは果てしなく悪いけど。影の大ボス、魔王。とでも言いたげなこの人達は知らないんだろう。 「何だかもう、その目で私の評価が分かりますけど。 まあ取り敢えずですね。逃げましょう」 それには異論はないけれど、普通は声を潜めて言うと思う。 「逃げられるか」 仰りたいのも理解できます。何しろ真っ正面にいる戦闘向きそうじゃない彼から、堂々と逃げましょう。なんて言われたら普通は馬鹿にされたと感じるだろう。 強面の顔が引きつって更に怖くなっている。シャイスさんの迂闊な一言は、火に油じゃなくて爆弾の導火線を短く縮めた。 『どうするんですか』 緊迫しただけだった空気に殺気が混じって、流石に冷や汗が流れる。 『大丈夫。これでも私は召還が出来るんですよ。自分の身位何とか出来ます。 私が彼らの気を引きますから、あなたはその間に』 『……わかりました』 広大な草原並みに不安が残るが、真面目な彼の顔に私はゆっくり頷いた。 『合図を出しますから、逃げて助けを。 彼らの目的は私のようですし、深追いはしないと思います』 耳を掠める声。何度も頷くと怪しいので目配せして袋を抱えなおす。 「そうです。良く見つけましたね」 力強く断言するシャイスさんににじり寄る彼ら。こっそり身を引く私。 「城の要。中心人物だと良く気が付きました」 「ほう。言い切るとは良い度胸だ。やせっぽっちなアンタがなぁ」 十分距離を取ったところで坂を駆け上がる。流れていく景色。 怒号は聞こえたけど、シャイスさんが言っていた通り目的ではない私は見のがされる。 この坂を上って、すぐ側にあの雑貨屋がある。そしてあのおばさんに助けを。 警察でも呼んで貰えば。その辺りで私の思考が冷静さを取り戻した。 ――警察。ケイサツ、なんて居たっけ。 微かだが、見逃せない疑問が、ここが私の住んでいた場所ではないと思い出させる。 あちらの世界の常識を当てはめすぎていた。ケイサツなんて居るわけがない。 それに近い人が居たとして、常駐しているのか。この街にいるのか。 どの位で来れるのか。それより、そんな機関が滑らかに動くほどここの世界は豊かだったか? 王さまだってマトモにいないのに。 視界の隅に、浮かんだ樽が見えた。そして様々な品が積まれた荷台。 走馬燈みたいに私の記憶が過去の映像を映し出す。 『マホウ。そんな大げさなぁ。ちょっとした火を出すだけですよ。 ランプの火くらいしか灯せない小さな物です』 驚く私に苦笑するシャイスさんの声。彼は大きな魔法を使えない。 『力仕事に向いてると思うかい』 笑っていったおばさん。彼は力が弱い。 そして、一番初めに出会った。運動神経の低い、ドジな私が投げた石に、まともにぶつかって倒れ込む彼。運動神経だって、あるわけない。 私は気が付いた。思い出した。 彼がこの世界に向いていない、損な人だと。朝感じたばかりだった事を。 ああもう! 心の中で罵声とも呻きともつかない声を吐き出して、振り向く。 何とかする、なんて真っ赤な嘘。彼はオオウソツキだ。 「自分が何とかされ掛かってるじゃないですか」 頑張ったんだろうけど、彼は地面に倒されて、男の人達に囲まれている。 誰も助けない。見て見ぬふり。 注意を受けない彼らは、広場を塞ぐみたいにこっちに背を向けている。 助けは、期待できない。私が、なんとかしなきゃ。 でも、どうやって。 側にある荷台はものが勢いよく落っこちるほど斜めなのに、水平の角度を保ったまま止まっている。何か支えでも付けてあるんだろうか。 雑念にも似た思考。そこでひらめく。 私が考え込むまでもなく答えはすぐ側に転がっていた。 しゃがみ込んで地面をのぞき込む。大きな木の車輪が見えて、その間にT字の簡単な支え棒。下の方を確認。襲いかかろうとしているのか、連れて行こうとしてるのか、広がったまま一所に集まってる。シャイスさんにも彼らにも悪いけれど、私にとって好都合。 坂の形状、位置。共に申し分ない。平坦になっている脇道に荷物を置き。 支えになっている棒を素早く蹴りとばし、持ち手の部分をぐるんと勢いよく動かす。 車輪があったため、その作業は簡単だった。手を放すと、シーソーの原理で重たい荷物が勝手に転げ落ちた。ばたん、と傾く荷台。喧しい音を立てて先導する荷物に続き、荷車が猛スピードで突っ込んでいく。 元から鋭い直角型の坂。彼らが気が付いたときには手遅れだった。 周りの壁が補助になって、軌道は逸れない。 彼らを倒すのは一つに固まっているボーリングのピンよりも簡単。聞こえる悲鳴。 まあ一応は成功したみたい。シャイスさんは倒れていたから、きっと当たっては居ないだろう。何でも例外はあるので断言はしない。 よろよろと駆け上ってくる一つの人影。何とか私の側にたどり着き、涙目で怒鳴った。 「なんちゅーことをするんですかアナタは!?」 言葉遣いも崩れている。でも聞かずに私は置いてあった荷物を彼に渡し、次の作業にうつる。 「何してるんでしょう。また」 彼は怒鳴るのを忘れたみたいに呆然と口を開く。 「樽ですよ」 脇道を塞ぐ樽を引きずり出し、地面に置く。浮いているだけあって転がらない。 「いや樽って」 次々と並べられる樽を見て、呻いた。数は全部で六個。 「どうするんですよ。それ」 「こうするに決まってるじゃないですか」 素直に笑って私は横に倒した樽を半分蹴飛ばした。ガランゴロン、けたたましい音を立てて、復活し掛けた新たなピンをはじき飛ばす。残った三個ほどを次々に突き落とす。 予想通り樽は少し浮いているだけで、横にすると地面を転がるらしい。 やり方が正義かどうかは分からないけど、一応の時間稼ぎにはなる。 「なんてコトしますかあなた」 「捕虜にされるよりマシです。早く馬車に」 唖然とした表情の彼に目を向けて、坂の上を指す。時間稼ぎは時間稼ぎ、気絶しなかったら追いかけてくるのも時間の問題。文句は後で幾らでも聞く。 「おい。アンタ弁償」 窓から出たおじさんの、暗い声に、私の声が引きつった。 ああ、そう言えば荷物とか派手に台無しにした。そっちの文句は考えてなかったので思考が答えを探す。 「お金はですね、えーと」 とはいえお金は持って無いとも言えないし。 「この人にツケといて下さい!」 「分かった。シャイスにだな」 「えぇぇぇ!?」 私の台詞に、頷く荷台の主。悲鳴を上げる彼。だが。 「助かる代金だと思えば安いもんです」 きっぱりとした私の台詞に、捕まっていたシャイスさんが気の利いた反論を返せるはずもなかった。
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