五章/いつわりのキボウ

 

 

 



店の隅に置かれた椅子に座って、私は少し浮いた足を揺らす。足下に置かれた箱が寂しげに転がっていた。
「それとですね、後日取り寄せて頂きたいのは――」
 彼がもう少し待って、と言ってどれだけ経っただろう。雑貨屋に入って数時間。
 私は長い待ちぼうけを食らっていた。
「あいよ。なんかまた色々必要なんだね」
「最近よく壊されますからね。修繕費用も馬鹿にならないですよ」
「あー、こっちも品薄になってきてね。全くねぇ。商売もし辛いったらありゃしない」 
 愚痴の混じる雑談。二人とも色々と気はあうみたいで、延々この調子で喋りっぱなし。
 こちらはというと、井戸端会議の真横にいる子供みたいだ。
 ガ、と錆び付いた扉が開く。
 何気なくみて、唇から飛び出そうになった絶叫を飲み込む。
 手がにゅうっと床板を押している。
 もう一度見直して、口から心臓を吐き出しそうになった。
 手はカウンターの側に座ってる私の真横にある。姿が見えないだけでも普通の大きさで十分怖い。それが店を半分占拠するほどの大きさだったら。
 口から心臓じゃなくて魂が出ても多分怒られないと思う。
「あ、え。う、ううう」
 声が出ない。ばたばた、壁を。手を叩く。この状況でも全く気が付かず二人は話し続けてる。ようやく顔を上げて、おばさんが平然と私の隣を見た。
 馬鹿でっかい指先が、複雑に指を折り曲げている。手話みたい。
 器用さに感心する前に、私の腰は抜けてしまっている。ぽかーんと口を開けて硬直するだけ。 
「おや。何時ものかい。それなら裏に積んであるからね。建物潰すんじゃないよ」
ちょいちょいと、指先がカウンターに何かを軽く横たえ。来たときと同じく扉の音だけ立てて。絶対入らないだろう扉を傷一つ付けずに抜け。丁寧に閉めて出て行った。
「ううん。気前の良いこと。上客上客」
「な、なななな何です今の!? ゆび、ゆ、指がッ」
 勘定だろうか。袋に頬ずりするおばさんに私の緊張が解けて、どっと疑問があふれ出る。
 もう隠すとか演技とかそれどころではない。
「なんだ。知らないのかいこの娘」
「え、ええ。外に出すのは初めてでして、外界に触れたことがありませんから変な事言うかもしれませんけどお気になさらず」
 引きつったシャイスさんの声。一瞬にして私は箱入りの部下に仕立て上げられた。
「巨人族ってね。わたし達と姿はそっくりだけどちょっとだけデカイんだよ。
 気性は荒くなくて、小心者が多いから気にしなくて良いよ。
 骨とかも柔軟でね、自由に形を変えられるんだと」
「は、はあ」
 扉が壊れない理屈は分かったけど。ちょっと。アレがちょっとだけ!?
 剛胆にも程があるんじゃ無かろうかとも思うが、シャイスさんもあんまり驚いた様子を見せない。見たことがなかっただけで、この世界では、割と良く居るんだろうか。
 溜息を吐き出す。耳元で聞こえる甲高い挨拶。
「やあお嬢さん失礼」
「あ、はい。こんにちわ」
 隣にいた人が、片手を上げて窓の側にある青い小さな扉を閉め、にこと微笑む。釣られて挨拶。鮮やかな緑色の服に少しとんがった耳。ブラウンの髪の毛が二股になった同色の帽子の端から覗いてる。背中には体の半分位の大きさの茶色いナップザック。
 ちょこちょこと走り、大きな私の足下まで着くと靴を乗り越えて遠いカウンターに走り寄る。
 大きい私? 通行の邪魔になるほど大きかったか、私?
 疑問を浮かべる間にも、彼は壁に付けられた看板に飛びついて、近場にある他の品を踏み台にぽんぽんと軽やかに、カウンターの上に着地した。
「おや、いらっしゃい。ジャス」
「いい加減、専用の梯子付けてくれないかな。ここまで来るの大変だよ」
 笑顔の接客に、ナップザックを下ろし、愚痴る彼。
「そうだねぇ。考えておくよ」
 おばさんが答えて小さな人形用にしかみえない袋をカウンターに置いた。
「前向きに検討してくれると嬉しいよ」
大粒の宝石を中から取りだし、カウンターにのせて今度は受け取った品を詰め、よっこらせっと重そうに呻き、背負った。よたよたしながらも、窓の側にある扉にたどり着き。
「それでは失礼。お嬢さん」
 呆然と見つめる私に背筋を伸ばして、親指大の紳士は礼をした。
「そ、それでは」
 やっぱり雰囲気に飲まれて手を振る私。可愛い音を立てて扉が閉まった。
「あはは。ジャスは女の子に弱いからね」
 響く笑い声。
「って、こびと。こびと!?」
 ようやく正気に戻って腕を振る。真横にはやっぱり青い扉があった。
「そりゃ小人ですからね」
シャイスさん普通に答えないで。何でもありか、この店は異空間なのか。
 城でも城下町でも見かけなかった種族がわき出してくるびっくり空間か。
 ぱくぱく口を開閉する私を、二人は不思議そうに見ていた。
 ふと掠める疑問が一つ。何故事情知ってるシャイスさんまで。
 私だけじゃなくて、彼まで場の空気に釣られていると気がつくのは、その数瞬後。


 おおびとこびと、それを皮切りにしてその先はそりゃあもう色々大放出だった。獣の耳が着いているヒト。鳥の羽が生えているのに下半身が鱗に覆われているヒトとか、どうやって来たんだかしらない人魚とか。異形の方々が来店する。
 色とりどり様々、世界の本から飛び出てきたみたいな展覧会の有様。
 いい加減ネタ切れとかしても良さそうなものだが、戦争続きで景気が悪い世の中の割に、店に客足が途絶えることはなかった。
 シャイスさんと雑貨屋のおばさんは、と言うと。全く顔色一つ変えない。
 また扉が開いた。も、もう何が来たって驚かない! と固い決意を心に誓う。
 そして。「ぎゃ!?」とうとう今まで堪えていた短い悲鳴を漏らしてしまった。
「あ、いらっしゃいませ」
 変わらぬおばさんの対応。今度のヒトはヒトですらなかったのに。
 お客様は何かキシャアとかギギ、と軋んだ呻きを上げてズルリと床を這い、骨も何もない軟体を揺らしながら私の脇を進んでカウンターに向かう。
 お客様、なんだろうか。どう見たって……魔物なんだけど。
 襲撃、の割におばさんはにこやか。
「うあ!?」また私は悲鳴を上げた。
 かわいげがないのは自覚してるけど、出たものはしょうがない。
 おばさんは普通に接客していた。ヒトならざる言語で。何言ってるのかさっぱりだが、意思疎通は出来てるのか、商品を取り出しまたカウンターへ。
 それを崩れたゼリーみたいな魔物が飲み込んで、何かが口から吐き出された。
 半透明なのに中に何が入ってるのか分からない。
 ごと、とカウンターに落ちた固まりは、銀色をしていた。
 ナメクジみたいにまたゆっくり彼、彼女、性別もよく分からないそのヒトは扉から出て行った。聞こえる羽音みたいなおばさんの声。多分、毎度有り難うございますだろうけど。
「あ、あああああああああ」
 問いつめたかったが、動揺しすぎて「あ」しか出ない。 
 また彼女が唇から先ほどとは違った声を吐き出した。次はシャゲェとか聞こえる。
 隣で聞こえるギャオウな返答。もうイヤだ見たくない。でも私の好奇心は底なしだった。
 すぐ側にいたのは、ワニを巨大化させたような生き物だった。
 群青色の大きな体。鱗はなくてツルツルの表面は平坦ではなく、誰かに受けただろう傷が見える。口から代金を吐き出し、傷薬を口の中に入れて貰い長い尻尾を引きずりながら出口へ向かう。またおばさんがシャガーと聞こえるお礼を言った。丁寧に帰ってきた「どうも」的なギャーという咆吼。器用に尻尾が隙間から振られ、扉が閉じる。
 色々と泣きたくなった。
 大発見なのか、それともこれが普通なのか。私の感性がずれているのか。
 にこやかに微笑んで一部始終を見守っているシャイスさんの腕を力一杯引き寄せて、耳元に唇を寄せる。
『なんですか今の! この世界のお店のヒトみんな魔物と喋れるんですか!?』
 何とか潜めたけど半分涙声になったのは隠せない。
『そんなワケありませんよ。彼女は特殊な例です。世界広しとは言え魔物相手に商売する人間はこの人くらいです。まあ複数の魔物の言語を使えるわけですよ』
 頭どころか神経を殴打する非常に衝撃的な返答。何変なこと言ってるんですか、とシャイスさんの目が言ってる。
「魔物と喋れる!?」
「ああ。そっか、初めて見たんだね。よく驚かれるんだよ。この非常時にって」
 私の叫びにおばさんが深々と頷いて苦笑した。
 そりゃあ驚かれるでしょう。いろんな所で。でも、一つ気になる点が。
「襲われたりしないんですか」
 交渉していたけど、普通略奪とかになる気もする。
「人間も同じみたいに全部の魔物が戦ってるワケじゃないからね。
 あれは戦えないやつらさ。ただ、普通は見分けつかないから怪我とかする。
 で、あっちには傷薬とか作れる奴もあんまり居ない。
 話が出来る雑貨屋なんてないからねぇ。色々と便利なわたしを攻撃しても旨みはないんだろ。ま、お客様増えるんで覚えたんだけど、ここまで広まるとはね」
 需要と供給、と言うことか。確かにここを潰してしまえば供給は止まる。
 代わりの店もない、という事だから重宝がられているのか。
 それより。私は彼女の顔を見た。
「覚え、られるんですか」
 会話が可能になる。それは、凄い事だった。凄い発見だ。
「ああ。通訳本とかね。誰も買わないから在庫は余ってるんだよ」
 私の言葉に、返答は、あっさりしていた。
 目から鱗、寝耳に水。飛んで火にいる夏の虫な彼女の台詞に私の心は決まった。一部使いどころを間違えた気もするけどそんなこと知ったことではない。
 シャイスさんを振り向く。まだ私に掴まれたままなので、彼は斜めに傾いている。
『シャイスさん。頼みがあります』
 空気摩擦でも起こしそうなほど瞳に力を込め、唇を開く。
 勿論、声を潜めることは忘れなかった。
『はい?』
 きょとん。灰色の瞳が瞬く。
『買って下さい』
 断固たる口調で私は言い切った。頼むんじゃなくて言い切った。
『は?』
『その本買って下さい』
 瞬きを止め、瞳が呆然とコチラを見る。私の言葉は変わらない。
『いやあの、私お給料減らされて危機迫る状況』
『私もうすぐ帰るので、おみやげ下さい。おみやげ。その本持って帰ります』
 その事は重々承知している。けど、こんな大発見を前にすれば知ったことかということで、鬼のような台詞が口をつく。
『は、う。でもそのカリン様の所はどうだか知りませんけどこっちでは紙とかって高価』
 おろおろと辺りを見るが助け船はない。後ろには商売のためなら魔物すら相手にする店主。前にはねだりだだをこね続ける私。まさしく前門の虎、後門の狼。
『元凶ですし』
 もう一押し、と睨んで軽い一突きならぬ一刺し。
『う。うう』
『この位で許してあげられそうなんですから、やすいもんです』
 トドメに剣山。許す、とは完全に言い切らない。
『はあ。もお、分かりましたよ』
 だけど、彼は折れたらしい。まあこれだけつつけばそうなるだろうけど。
 目元に涙が浮かんでるのは気のせいだろう。私から離れると、カウンターに向かって重そうな口を開いた。
「あの、ですね。その翻訳本頂けます?」
「あいよ。何に使うんだい。今更魔物の研究でもするのかね」
 軽く頷くと、おばさんは近くの棚に転がっていた分厚い本を取り出した。
「いえ。超個人的な理由です」
 私の。とか色々言いたいことでもあるんだろう。何か言いたげな視線をこちらに向け、数度口を開こうとして。
「はあ、そうかい。代金は」
「趣味のですから、自腹で」
 振り向いて、苦渋の混じった返答。ええ、私の趣味です。
 おばさんから聞いた総額に一瞬彼の肩が震え。脅えるみたいに懐から出されたお金。
 良く聞こえなかったけど、安くないことは分かる。
「変わってるね。ま、お代が出るなら文句ないけどね、わたしゃ」
 受け取った代金をしまい。
「何でアンタ泣きそうなんだい」
 まばらになったおつりを袋に詰めている彼の顔を見て、不思議そうに眉を寄せる。
「いえ。何でも、無いです」
彼女の問いに、ちょっとだけ落涙しながらシャイスさんは首を静かに振っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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