初めて許可を貰えた外出。悪路のせいか、波打つ馬車に揺られながら二人静かに外を見る。流れる緑。
『…………』
馬車は幌のついた小さなもの。大きくはない、狭い席。
向かい合う形で座ったままなのにどちらからも、一言も発されない。朝の一件がまだ尾を引いている。シャイスさんも押し黙ったままだ。
酔ったわけではないのに吐き気がする。夢は一度で終わったのに、脳裏では何度も何度も同じ光景が繰り返される。気を利かしてくれたシャイスさんには申し訳なかったが、気分は最悪のままだった。
とはいえ、このままずっと黙したままというのもいけないだろう。
『あの』
間が悪く、二人同時に話しかける。初心者同士のお見合いみたいだ。
またしても流れる沈黙。
「カ、カリン様。お、お先に」
「い、いえ。そっちから」
溜息が同時に漏れる。何をやっているんだ私達は。日本人特有の譲り合い精神をフル発揮してる私と同じく、似た精神の持ち主なのか同じ位に譲り合う。
「いいんですか。お仕事とか」
「いいんですよ。全然。どうせ買い出しですから」
ぼやきかけて、私の方を見て慌てて両腕を振る。
「っていや。カリン様がついでじゃなくてですね、フレイからちょっと譲って貰って」
がちーん、と低い天井に彼の腕がぶつかって悲鳴が上がった。
なんというか、改めて思うけどシャイスさんは損な性格の人だ。戦火に置くには、優しすぎる。自業自得だと言え、その上更に私なんかのお世話係なんだから。
はあー。なんか気を使わせてばっかりだな。苦笑が少しだけ漏れた。
「で。何処に行くんですか。買い物」
唇を開いて、シャイスさんを見る。私の気持ちが、少し緩んだのが分かったんだろう。彼は嬉しそうに笑って、手を合わせた。そして何か考えるように口元に掌を当て。
「えっと。道具屋というか、雑貨屋みたいな所です。それでですね、カリン様にお願いがあるんですけど」
「はい」
頷く私に、彼は平然と告げてきた。
「あなたは、お手伝いさんと言うことでどうでしょう」
その数秒後、彼の両頬が引き伸ばされたのは、言うまでもない。
広い路地に情けない謝罪が響く。
「ご免なさい。ほんとーにご免なさい! 機嫌直して下さいよ〜」
「知りませんよぅ。酷いです」
勿論シャイスさんの声、ではなく恥ずかしいけど私の台詞。
今の私は簡素な服に着替えて、ベールで口元を覆った姿。
彼が無神経に放った冗談のような一言は、なんのことはない。私を案じての言葉だったのだ。前、城下町に落っこちたとき思い知ったように、口の動きだけで別の世界の言葉を喋ってると分かってしまう。別の言語だと知れれば即座に正体がばれて今度はどうなるかが分からない。
それで致し方なく、私が彼の下につく人物だという『設定』の前勉強のつもりで言ったらしいのだが。
「ほっぺたビロビロなっちゃうじゃないですか」
誤解したとはいえ遠慮なしに力一杯頬を引っ張ったせいで、彼はご立腹中。
完全にコチラが悪いため、両手を合わせて謝り続けるしかない。
「ほんっとうに済みません。ご免なさいっ」
「知らないですよ!」
回り込んで顔を覗くと逆方向に顔をそらす。反対側に行くとまた逆に。
「で、ですから謝ってるじゃないですか。本当に本当に済みませんでした」
「知りませんって」
全然許してくれる気配がない。
「ご免なさい私が悪かったです」
ずかずかと一件の店に入り込む彼に、ぺこぺこと頭を下げて拝み続ける。
彼の機嫌を直すのが先決だ。看板を見る前に後に続く。
「どうしてあなたはそう手際が悪いんですか。その程度の謝罪で許せるわけ無いじゃないですか!?」
「は……」
いきなり声量を上げて怒鳴られた。空気すら震わせる声音に鼓膜がキィンと音を立てる。
「シャイス。あんた何時からそんな偉くなったんだい」
私が疑問の声を上げるまもなく。部屋、いや、店を揺るがすほどの笑い声が響いた。
「偉くなったんですよ。どうですか」
「アンタの何処が偉いツラだよ」
店を仕切るカウンターの向こうから、恰幅の良い、人の良さそうなおばさんが体を揺らして笑った。彼女の後ろには商品だろう袋や瓶、ツボが山と積まれている。
偉くないんですかシャイスさん。一応王城に仕えてるのに。
普段の彼を見ていれば知っていても忘れそうな気持ちも分からないではないけど。
「ふっふっふ。彼女が証拠です。私の元で手伝うことになったんですよ」
偉そうに胸を張り、不敵な含み笑いを漏らすシャイスさん。
そして彼女に気が付かれないように。彼が私に片目を瞑った。
成る程。今の怒鳴り声が演技の始まりの合図。なりきれとそう言うことらしい。
棒読み感がまるでなかったため、全く気が付かなかった。実はシャイスさん、演技力結構あるんじゃないんだろうか。
「名前はなんて言うんだい」
「あ、その。カリンです」
大柄な体、太い声。雰囲気に飲まれて姿勢を正し、私はこわばった言葉を吐き出した。
『カリン様ッ』
「ふうん。変わった名前だね」
耳元で微かに聞こえるシャイスさんの叱咤。そういえば、私の名前はこっちの人達には発音が難しすぎて上手く言えない位。かなり変な名前のハズだ。
まずい、と思ったときには遅かった。彼女が不審気な眼差しを向けている。
「りょ、両親の趣味なんです。不思議な響きが良い、って言うんですよ」
場を繕うために、嘘八百を並べ立てる私。
「そうかい。それもそうだ、変わった響きだもんねぇ」
恰幅の良い彼女は、見た目以上に器の広い人だった。
安心感でほーっ、と二人で胸をなで下ろす。
「ところで、上司の方はどうだい。頼りないだろ」
「あ、えっと」
なりきらなければ。彼の方が私より目上、という設定は素直に言うと有り難かった。
様でずっと呼ばれ続けるのも、割れ物みたいに扱われるのも疲れて困る。
へりくだる振りをしていた方が遙かにマシだ。されているシャイスさんには悪いけれど。
とにかく、頼りないかと聞かれてそのまま「そうですね」と言うわけにもいかない。
何とか彼を持ち上げなければ。楽とはいかないが、威張るよりは簡単な答え。
「いいえ。シャイス様には私のような未熟なものにも優しく接して頂いて。
本当に感謝しています。失敗も多いですし、しかられるのは自業自得なんです」
微笑んで返す。まあ、まるっきり嘘は言ってない。感謝はしてるんだから。
失敗したのはあちらとか、事実の逆の言葉もあるけど。
何か恍惚とした表情を彼が浮かべているのは気のせいか。
「ふうん。あんたも一応お偉いさんやってるんだね。しかし、よく躾けてあるねぇ」
笑顔をたたえたまま彼女を見る。カウンターの向こうから頭を撫で回された。
犬ですか私は。
「い、いえやあ。あははははは」
はっと私から視線を外し、彼が反り返った笑い声で頷いた。
本当に気のせいだったんだろうか。今の心底嬉しそうな顔。
「シ、シャイス様。えと……何を買うんでしたっけ」
反射的にいつもの調子で聞きかけて、慌てて言い換えた言葉が思いも掛けずおどおどとした声になった。本当に忘れっぽい部下みたいな。
「あなたはまた忘れちゃったんですか。言ったでしょう、ここで調味料を揃えるんだって。勿論持って貰いますからね」
「は、はい。済みません」
まなじりを吊り上げる彼。しおらしく頷いては見た物の、勿論今初めて聞いた。
成る程、ここで調味料を揃えるんだ。前振りから察するに、荷物持ちは私の仕事か。
確かに部下の荷物を全部持って、使われる側が身軽に歩いていたら変、というかある意味不気味でもある。
「幾ら減らしているとはいえ。そのカリンって嬢ちゃんに、持てるのかい」
そうか。シャイスさんが一人で持てる位には減量してるんだ。じゃあ答えは決まっている。
「大丈夫です。腕力なら自信ありますから」
彼が『どういう意味ですか』といった目線で睨んでくるが、そう言う意味だ。
「元気な娘さんだね」
耳に滑り込む快活な笑い声。カウンターから出された箱が足下に置かれ、重い音を立てる。小さく笑おうとした口元が引きつった。
空耳か。ドサァ、と聞こえたような気がする。見た目はミカン箱より小さめで、小脇に抱えられそうなほどの大きさなんだけど。
「あー。腰が痛い」
腰痛持ちなのか、腰にしきりに手を当てて、つらそうに呻く。
「大丈夫です?」
伺うと、彼女は笑いながら肩をすくめてパタパタと手を振った。大丈夫、らしい。
「年ですか」
「喧しいよ」
気の利かないシャイスさんに大きなゲンコツが入った。
まさに口は災いの元。口べたな私の上司らしい彼は、頭を押さえたまま呻き続けていた。
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