佇んでいたのは何時からだろう。辺りは、闇だ。
深い深い。広大な漆黒が広がっている。
けれど私の指先は奇妙に白かった。まるで光を真正面から浴びて同化しかけているみたいに。
ここ、何処。
呟いた言葉は声にならずに辺りは沈黙を保っている。声が、出ない。
『会いたかった』
そばで懐かしい、声が聞こえた。振り向こうとして不安になる。
違う人だったら、振り向けなかったら、と。
その心配は杞憂だった。気が付くと両肩が誰かに押さえられていた。
暖かい。包まれたみたいに体がほんのりと熱を帯びる。だれかに、抱きしめられていた。
誰か。なんて見なくても分かった。何でだろう、声のせい? ドキドキする。
でもなんの脈絡もない。抱きしめられる理由は? 都合が良すぎる。
だけど優しい瞳で見つめられると、そんなことはどうでも良くなって、脳みそから溶け出してしまう。賀上 椎名。私の大好きな、大好きな人が、そこにいて、笑っていた。
顔が緩んで自然に微笑み返す。彼が目を閉じた。
え? 何で。
更に顔が近寄ってくる。待って私。夢だとしても少し大胆な夢ではない!?
いつもはこの辺りで止まるだろう衝撃的な展開。そして朝になって『あー夢だった恥ずかしい』と騒ぐの、だけ、ど。
彼の姿は滲まない。何。何だ。もしかして現実!? いやでもちょっと待って。
私に時間を。考える時間を!
『愛してる』
また私の思考を砕く一言。普段ならよろめくところだ。というか理性はとっくにつまずいてしまっている。成り行きに任せて瞳を閉じ、られない。
私の体の自由がきかない。
それどころか私の体は意思に反して行動した。彼の体を両腕で押しのけて、勢いよく振り払う。よろめく彼。
そこまでなら、理解できた。突然すぎる事柄に勝手に体が動いたんだと。
だけれど次の私の行動は、理解の範疇を超えていた。どこからか取り出した剣を片手にぶら下げ、すっと真正面に持って行く。狙いを定めるように。
なに、してるの。私の、体。
間違いなく、私の体。私の剣は、彼を狙っていた。
『何で』
彼が戸惑いの表情を浮かべる。わ、わからない。わからない。
パニック寸前の私の思考とは裏腹に、体は攻撃態勢を整えていた。重心を動かし、片手で剣を構えてそれを支える空いた片手。
止めて。止めてよ。ちょっと待って。
何でこんな事になってるんだろう。私はどうして大好きな彼に武器を向けている?
『音梨。君は、僕を殺すのか』
残酷なことを聞く。そんな事聞かないで。私だってこんな事したくない。
剣の切っ先を向ける自分の腕を切り落としたい。なのに。
「ええ」
唇から言葉が漏れた。無論、私が口を動かしたワケじゃない。
声は、間違いなく私のもの。
ただ、自分のものだと信じられないくらい冷淡で平坦な声音。
「あなたは、許しません」
告げた言葉が終わるか否か。鈍い手応えが、返ってきた。
視界が染まる。漆黒ではなく、朱に。
まさか、そんな。止めて。
『なんで、こんな……』
傾く彼の体。私は冷酷に切っ先についた滴を振り落とした。
彼の胸に風穴が空いている。地面が赤く染まっていく。
なんで、こんな。こんな……事。
止めて、止めて。夢でもこんなのあんまりだ。
声は出ない。喉が壊れるばかりに叫んでいるはずなのに。引き裂くぐらい自分の腕に爪を立てたいのに。涙も、流れて止まらないはずなのに。清んだ、視界。
動かない、あの人。殺した。私が、ころし……たの?
体が揺れる。悪夢を振り払いたくて私は大きく腕を動かした。
「止めてえっ!」
「ぎゃ!?」
酷い音がした。気が付くと体の自由は効いていて、私はベッドの上で上半身を起こしていた。
夢、か。ひどい、ユメ。
「あたたた。カリン様酷いですよぉ」
そうだ。私は酷い事を。声が聞こえた辺りに視線を向けて。
「わ!? シャイスさんどうしましたそのほっぺた」
そこにいた彼は何故か右頬を赤くしていた。驚く私に恨めしげな目線を送ってくる。
「そんなこと言って――――あの、悪い夢でも見ましたか」
「え。ああ、ちょっと。ヒドイ夢でした。悪い、夢です」
眠気を堪えるような素振りをしようとして。自分の目元が濡れているのに気が付いた。
「あの、カリン様」
よっぽどヒドイ顔をしていたんだろう。シャイスさんは私の方を気遣うように見ると。
「気分転換に、今日は外に出かけませんか」
微笑んで、そう言ってくれた。
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