章/世界と世界

 

 

 


 石壁に守られた部屋の中で、私は壊れた携帯を持ち、ベッドの上にそっと載せる。
 真横には腕時計。膝を折ってその二つを交互に見比べる。
 携帯を握り、親指で折り曲げられた携帯を素早く跳ね上げる。耳慣れた電子音。
 薄暗い部屋に蛍光緑の光が漏れる。狭いディスプレイに映し出されている文字は。
――SUN 10:55
 間髪入れずに視界に入れた腕時計の針は、もうすぐ十一時を指そうとしている。ほぼ携帯と同じ時刻。むぅ、と唸り掛けたところで扉が控えめにノックされる。
「カリン様。遅くなりましたけど宜しいんですか、こんな時間にお伺いしても」
「鍵空いてますから、入って下さい」
 異性をこんな時間に部屋に招くとは、一人っきりの時に不用心な、その他諸々。等という普段なら考えることを現在の私は放り出した。それより確かめたいことがあるから、彼を呼んだ。
「は、はい。しつれーします」
かなり緊張した彼の声。何にもないとはいえ、一応女の子の部屋だから妙に気恥ずかしいんだろう。かなりの躊躇いの後、開いた扉の向こうでシャイスさんはガッチガチに緊張したまま、部屋に入ってきた。まあ、この様子なら心配ないだろう。色々と。
「シャイスさん。今日お呼びしたのは他でもありません」
「え、ええ。なんでしょう」
 真剣な顔を作って、私はゆっくりと用意していたものを彼に渡した。
「何時もお世話になっていますから、その。お礼です」
「これは」
 掌に抱え込まされたその重みに視線を落とし、彼が不思議そうな顔になる。
 一瞬、見慣れない包みに手を引きそうになりながらも彼が何とか受け取ったのを確認して。
「お弁当なんですけど、一つしかないので内緒ですよ」
 私は人差し指を立てて片目を瞑る。渡したのは手を付けられていない残りのお弁当。
 正真正銘最後の一個。嘘は言ってない。ただし、日にちは伏せているけど。
 お腹は、きっと壊さないと思う。
 マインも食べていたしあの調子だったら平気。根拠はその一点のみ。後は彼の胃の丈夫さを信じるだけ。
 どの辺りが日ごろの感謝だ、とかそう言うことは気にしない。
 不気味マスクで召還された恨みは忘れていない、とか昼間色々な人にいじめ抜かれた憂さ晴らしとか言う八つ当たりに近いものが混じっていたことも否定もしない。
「は、はあ。良いんですか」
 傍目で見れば上機嫌に見えるだろう笑みを浮かべ、頷く。
 何故か彼は少し期待はずれみたいな顔をしているが、不快というわけではないようだ。
「小さいですけど、せめてもの『感謝の』気持ちですから。食べて下さい」
 出来る限り自然な素振りで強調する。気分は毒を盛る暗殺者。
 全く疑いもせず、彼は包みを解くとフォークを口に運ぶ。
 色合いとか匂いが香辛料を使っているせいで、コチラの世界のものとは違う。
 本来なら口に合うかな、と気にするところだが、マインは食べられたからそう私の世界の人々と嗜好が違うとも思わない。
 鮮やかなおかずにシャイスさんは一瞬、不安げに私を見たが、『まだ食べないのかな』と期待混じりにじーっと眺めると思い切ってくわえ、咀嚼。
 よし、食べた。心の中でガッツポーズしてしまうすっかり悪人の私。
 味を確かめるようにしばらく停止していた彼だが、ゆっくりと口を動かし飲み込んで。
「美味しいですねぇ。でも変わった料理で」
「私の世界の料理なんですよ」
 感心したような素振りに、私は微笑んで見せた。さっきから無意味に笑みを浮かべっぱなし。マナが私を見たらさぞかし気持ち悪がってしばらく警戒して近寄らないに違いない。怪しさ満点の笑顔だが彼は気が付かず、もう一口、二口、とおかずを制覇していく。 
「はあ。カリン様の。よくこんな材料が手には入って―――」
 半分ほど平らげたところで、材料の出所をマインと同じように尋ねてから。シャイスさんの動きが止まる。にこにこと笑みを絶やさず彼を見つめる私。
「あの。カリンサマ。これ、もしかして。お持ち込みになった品の中に入っていたとか」
「入ってましたよ」
 不気味な想像を否定したいのか引きつった顔で中を指す彼。残念ながらそれは現実なので素直に答える。びくうっと彼の体が痙攣した。
「あのでしたら、私のキオクに間違いがなければ優に二週間は経過していたかと」
 不吉な予感と、私の笑顔が結びつかないのか、恐る恐る首を傾ける。
「二十日は越えますよね。でもお腹とか、平気みたいですね」
 彼の淡い希望や期待を打ち砕くべく言葉を紡いだ。
「……がふ!? 本気で食べさせますかそう言う料理」
 吹き出して、口元を拭う。にこにこと笑顔を保つ私を信じられない、といった目で見ている。飲み物を口に含んでいたのなら、天井から滴が垂れているところだ。
「何言ってるんですか。痛んでないのは口で確認しましたよね」
「は、はぁ。まー確かに痛んでも腐ってもデロデロになっても。いませんね」
 脅えるようにフォークでおかずをつつき、匂いをひと嗅ぎ。今まで全く気が付かなかったんだから腐臭がするはずもない。困ったみたいな顔になる。
「やっぱりそうなんですね」
 マインと言いシャイスさんと言い。全然気が付かない。
 これはもう一人の舌が、鼻が悪い。なんて言えないだろう。まさか二人が二人とも胃が丈夫でねまった品に気が付かないわけない。とは断定できないが、痛んでない可能性が高い。
「カリン様。それを確認するためだけに私をお呼びに」
「はい。お呼びしました」
 頷くと、寂しげに瞳が潤む。雨の中捨てられ、裏切られた犬みたいな目。
「ヒドイじゃないですか。なんてコトするんですかお腹壊したらどうするつもりです」
 かく言う私はと言うと、抗議の視線なんて何のその。そんなのは涼しい風。
「私を偶然間違って召還するより、腐ってるかも知れないお弁当を食べさせる方が罪は軽いと思ったりします」
 方便に近い台詞だが、僅かにでも思っていることは確か。
「それ、言われると反論の言葉すら浮かばないですけど」
 私の人生を変える位の大失敗した手前、喚き散らすことも出来ないのか。それともあんまり食べられない味にひかれたのか、ぶつぶつ言いつつ全部完食。
「前壊れたと思ってたものが壊れてないんですよね。狂ってる可能性もあるんですけど」
「どおいおこふぉでふ」
 フォークをくわえてキョトンとなるシャイスさん。幾ら何でも食器にまで味は付いてませんから。
「時間を計る品があるんですけど、両方とも止まっているように見えて一日ごとに、僅かずつ進んでるんですよ」
「もしかして、三分ですか」
 しばらくもごもごと口の中でフォークを転がした後、諦めたように吐き出してシャイスさんは指を三本折る。一応召還に携わるだけあって、普段の行動は鈍くても頭の回転はそんなに悪くないみたいだ。
「そうなります」
「ふうーむ」
 答える私の顔と、周りの景色。そしてお弁当を眺め、彼は興味深げに何度か縦を縦に振った後、頷く。
「原因、分かります? 分かりたくない気もするようなしないようなそんな心境なんですが」
 止まっているように見える時計と、壊れているように見える携帯。二つを見比べて溜息を吐き出す。現実逃避をはかろうとする私の思考とは対照的に、彼の回答は簡潔だった。
「そりゃあやっぱりアレでしょう。カリン様の周りだけ時間のすすみが違うんじゃないですか。周りの品にも影響出てるみたいですね」
「そう言う筋の通るような通らないようなトンデモ理屈かましますか」
 とはいえ、そのトンデモ理論で私はここに居るんだけど。現に。
「だって事実じゃないですか。召還の時にくわえた幾つかが影響しているんですよ。
 側にいると長生きできそうですね」
 どこか羨ましそうな、ピントのずれた返答。くわえた幾つか、って何をくわえたのか気にならないワケじゃないが、怖いので聞かない。
「じゃあ食べ物とかもその対象内、て事ですか」
「ですね。持ち込んだ品は影響を受けやすいんでしょ。でも良いじゃないですか」
 だから時計や携帯、肌身離さず持っていたお弁当が腐らなかったのか。
 確かに一日も経っていないあちらの換算なら腐るはずもない。それに、シャイスさんの『一日は三分』なんて馬鹿げた台詞が真実だと判明した。
 それは嬉しくもあるのだが。
「どの辺がです」
 あっけらかんとしたヒジョーに他人事な脳天気声に私はムッとなって膨らませる。
 重々しい白い法衣の袖から指先を出し、ぽりぽりと自分の灰色の髪の毛を掻いた後。
「年取らなくて」
 平然とのたまう彼に、思わず絶句するお年頃の私。
 強制召還されて、既に二十日を過ぎ、日付が二十一に変わる間際の夜だった。

 

 

 

 

 

 

 

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