章/世界と世界

 

 

 

  
「いやあああぁっ!」
 和んだ気持ちというものは、早々長く続くわけでもないが、こう気分が反回転するというのも珍しいんじゃ無かろうか。私は喉が枯れんばかりに叫びながら猛ダッシュを続ける。
 後ろから聞こえる不吉な足音の群れ。追いつかれまいと必死で駆ける私の耳に平和な声が触れる。
「おー早い早い。凄い成長だな」
「でっしょー。僕も少し自慢なんだよ」
「相変わらず過激だな。やり方が」
皆さん見てないでこの人止めて下さい!
「おほほほほほほ。カリンちゃん逃げて逃げて逃げまくりなさい! 捕まっちゃったらビリリッと来るわよ。ビリリッと」
 何だか楽しそうに響くアニスさんの声。
 私を導いた誘い。それは罠……巧妙なトラップ。
 マインと一緒にいたのは『死のスパルタ』講師、アニス先生。
 隣でマインが小さく舌を出して「へへ、ごめん」と謝ったけど、怒る気にもなれなかった。いきなり何故かオオカミっぽいものの群れに追われることになってしまったが、幻影か調教か。獣たちは私以外には見向きもしない。
 端にもうけられた安全ゾーンまで逃げ抜ければ成功らしいが、その安全ゾーン、普通に行くだけでは駄目らしい。三周回ってから入れと無茶な言葉。
 彼女の言う通り、捕まればそれなりの罰がある。あれはもうビリリなんて可愛いものではなかった気もするけど。始めは死なないと安心したせいかあっさり捕まり、気絶。
 何でそこで気絶するんだとも聞かれそうだが、捕まったとたん流れる電流が強烈で笑えない。何度も受ければ心臓停止が何時かはおこると言うレベル。
 捕まったら殺される。その一心で捕まること計五回。
 六回目の今は何とか二周をクリアしたところだ。なんか目は涙が浮かんでるけど風が瞳にはいるからだ。そうだ。そうに決まってる。

 結局。私はギリギリ十三回目のリトライで合格した。
 
ひょっこり私をのぞき見る栗色の大きな瞳。
「生きてる。カリン」
「死にます。死んだように眠らせて下さい」
 動けない。疲れじゃなくて電撃のせいで体がちょっと麻痺してる。
「…………」
 マインはしばらく心配そうに私を眺め。
「こしょこしょこしょ」
 脇をくすぐってきた。むずがゆさにも似たくすぐったさに体が跳ねる。
 ぎゃー。なんつーことするんですかこのヒトは!
 私は体をねじらせながら勢いよく起きあがった。 
「な、な、なわにす」
「起きた起きた。立たないとーこそこそこそ」
 呂律の回らない抗議に、間髪入れずそう告げて。わきわきとせわしなく動く両手。
「ひゃう!? おき、おき、起きますから!!」
また触れた指先が私の神経を撫でるみたいに過敏な反応を引き出す。わ、笑い死にする!
「偉い偉い。いいこいいこ」
 ぐりぐりと頭を撫でられる。年下だと思う彼に頭をかいぐりかいぐりされるのは屈辱に近いが、続けられる過酷な訓練に文句を言う気力なんて残ってない。 
 さっきのくすぐりで残っていた叫ぶ気力も使い果たした。
「んじゃあカリン。僕とあそぼうか」
 あくまでもお遊び気分が抜けないマイン。彼の『遊び』がどの程度ハードか知っている私は頷く気力があるはずもなかった。


  今の私に空を飛ぶような、と言うたとえは意味をなさない。
 何故なら本当に飛んでいるからだ。 
「ぎゃー」
 すぽーんと景気よく放り出される私。
「わやう」
 二度目、三度目。人間お手玉は天井近くまで放られる。地面に叩きつけられれば即アウト、だけど。
「あははは」
 無駄に熟練したお手玉名人は私の両手を掴まえるとグルグル楽しそうに回る。
 花畑でもあれば幸せそうな風景。だが私はそれどころではない。
 目は回るわ怖いわ気持ち悪いわ吐きそうだわで一刻も早く倒れたい。
「カリン。もっとあそぼう。ほらほら」
「も、もう勘弁して下さい」
 本気の涙の混じった私の声。ほんとーにもう駄目です。
「カリン弱くなった?」
 彼の言葉の通り、私は始めの頃みたいに力一杯放り出されているわけだが。
「なワケ無いじゃないですか! なんかまた更に強くなってません!?」
「ん。こんなの遊びじゃん。前のだって爪先で弾く位の軽いオママゴトだよ」
 くらり。目眩がした。そうか。この人は力一杯手加減してるのか。
 本当に遊んでるんだこの動きは。
 だけどだけど、もう限界。私は下ろされたのを切っ掛けにぱた、と地面に突っ伏した。
 世界が回る。洒落でなく高速回転してる。三半規管がどうにかなってそうだ。
「あちゃ。あー、ホントにばたんした。カリン、頑張って手を抜くから起きてよ」
「ム、ムリです」
 床に伏す病人みたいな呻きが漏れた。だってしゃがんで私を見下ろしているだろうマインの顔すら歪んで見えるし。
「ふうー。やっぱカリンは術師向きなのかな」
 ていうか私は一般人並みの肉体しか持ってないだけかと思われます。
 吐き気がして反論も出来ない。
「……嬉しかったんだけどな」
視界が回るのは止まらない。声はちゃんと私に届いた。
「同じ位の候補者、他にいないから」
 それは独り言なのか。私に語りかけているのかは分からない。
「でももうすぐいなくなっちゃうのか。遊び相手いなくなるとつまんないよ」
「…………」
 顔は歪んでよく見えないけど、彼の声は少しだけ寂しそうだった。
 そうか、私は、あと少しでこの世界とはお別れなんだ。
「シャイスは逃げるから遊ばれてくれるの、最近カリン位だし」
「人を玩具代わりにするのは止めて下さい!」
 聞き捨てならない台詞に、がばあっと跳ね起きる。
「あー起きた起きた。続き続き」
 ニコニコ笑う彼の口元が悪戯っぽく歪んでいる。は、はめられた!!
「いやです。もういやです断固としていやですッ」
「えぇぇ。訓練サボる気ぃ。センセーの言葉が聞けないのぉ」
 先生と言う懐かしい台詞に一瞬体が強張る。
「無理です。もう無理。今日は無理っ」
 だが体の限界はとっくに超えている。奇妙な文字の詰め込み、シヌほどハードなダッシュ十三本。そして今の大振り高い高い。過労死していないのが不思議だ。
 彼の小さな唇から、漏れる吐息。
「つまんないなぁ」
 言いながら首に手を回して人の背中に、寄りかかるのは止めて下さいって何度も言ってるのに。下手に逆らったら次の瞬間は記憶がおとされそうでそれはそれで怖い。
 ぐ、と体重が少し掛けられて、私の体が逸れる。逆さまになったマインの顔は少しだけ真剣だった。
「カリンさ。こっちに残らないの?」
 考えたことはあった気持ちを、彼が言葉に形作る。
「残り、ません。私の世界は、やっぱり私の世界ですから」
 でも無理だから、私は笑った。異界に来てから思い知った、故郷の土が踏みたいと。
 それに、約束したままほったらかしに出来ない。謝りに行きたい。
「そっ、か。言ってみただけだよ、そうだよね。ここは危ないからね」
 残念そうに微笑んで、元気いっぱいもう一度笑う。
「訓練、は」
「んー。今日はオシマイ。カリンもぐたぐただし、無理しないことにする」
 考え込んでから、出たお許し。そして私はさっきから言いたかった事を口に出した。
「はは。助かります。この体勢きついんですが」
 ずっと頭が地面に向かっているため、脳の血管が破裂しそうだ。 
「おあ。ゴメン」
 彼が慌てて腕を引く。ってちょっといきなり……と文句を言うまもなく。
 私は後頭部から真後ろにすっころんだ。衝撃で真っ暗になる視界。
「うっわ。大丈夫。カリン、ごめん支えてたの忘れてた」
 忘れてたって。何ですか。
 クラクラ揺れる意識のせいで抗議することもままならない。
「痛い。痛い? 誰か呼んでこよっか?」
 当たった患部をさすりながら、心配そうに尋ねてくるマイン。
「いたいはいたいですけど。この位平気です」
 人を平気な顔で吹っ飛ばしたり天井高くまで放り投げるのに、彼が行った無意識で出た怪我なんかは大げさな位心配する。
「そ、そう。よかった」
 現に今も後ろに転んだだけなのに、大怪我が治ったみたいに胸をなで下ろしている。
「カリン。変かな、僕」
「変です」
 尋ねてくる彼に、私は遠慮無く答えた。無駄に気を使えばますます過剰反応になって彼は無意識で自分が触れただけで騒ぐとかそういう可能性もある。
「やっぱり。あのね、僕。カリンみたいなの初めてなんだ」
「はあ」
 意味がよく分からず、曖昧な相槌を打つ。
「全然運動できなくて。戦闘も出来なくて。弱くて力もなくて受け身もろくに取れない人」
 真っ直ぐに見つめる大きな瞳。喧嘩売られてるのか素なのか判断が付けづらいところだ。
「傷つくところですかその辺りは」
「あ、いやあの。悪口じゃなくて、それが普通なんだよ。多分」
 尋ねると彼は慌てたようにバタバタ手を振り回した。
「間違いなくそれが普通でした。私の世界では。まあ、やや運動ベタでしたけど」
 後半で深々頷かれると傷つくんですが。
「訓練では死なない程度に加減してるんだけど、知らない間に骨とか折ったらどうしようとか。後ろから飛びついたときに即死させたら、とか」
 空恐ろしい台詞だが、彼の顔はとてもとても真面目だ。自分が呆れたように口を開けたのが分かる。
「そんなに力一杯行動するんですかあなたは」
 溜息混じりにそう言って、痛むこめかみに手を当てた。
「え」
 反応が予想外だったのか、彼がキョトンと首を傾ける。
「無意識にスプーンとかフォークとか。握るときに、マインはパキパキ折り曲げたりしちゃうんですか? 違いますよね。私との接し方もそれと同じで良いんです」
「スプーンやフォークのように扱えば良いとか!!」
 一瞬。めるへんならぬ童話チックな怖い考えがよぎった。片手で彼にスープへ突っ込まれる私、お芋に頭を押し付けられる私が思い描かれ、ぶんぶんとかぶりを振ってその想像を追い出す。
「じゃなくて、普通に他の人と同じように。周り……えーと。
 他の勇者候補の人よりはやさしめに肩とか叩いて頂ければ大丈夫ですので。ヒビの入ったガラスじゃないんですから」
 全く同じは本を読んでいるときに感じた衝撃を思い出すと流石に殺されかねないと考え直し、付け加えた。
「う、うーん。そういうもんか。ベンキョーになりました」
 いつから私が勉強を教えるようになったのかは分からないが、彼は行儀良く座り、こちらの話を食い入るように聞いていた。まあ、ついでと言うことで。
「それより、訓練で人を天井まで放り投げるのは控えて下さい」
 心底思っている事を吐き出す。 
「何で。体にはそんなに響かないように気をつけるよ」
 姿勢は崩さず悪気のない答え。さっきのやり取りで分かる。彼は単に物事の加減を知らないだけだ。子供みたいじゃなくて、感覚が子供に近い。
 優しく掴もうとした蝶々を潰して、泣く子供みたいに。
「心臓が止まっちゃう可能性考えないんですか」
「あ。そうか」
深い溜息と共に呟かれた私の呻きに。ぽんと手を打ってマインが合点したように頷いたのが見えた。
 はあー。とまた溜息が漏れた。言わなかったら次の訓練はどんなことになっていたのか恐ろしい。
「カリン。溜息ばっかりつかないつかない」
 この状態でつかないでいられるのは難しいと思います。
 また背中に体重が掛かる。もういい加減にしてくれと言いかけて。
「あ、く。あはひゃ、や、はははは」
 私は仰け反った。悪夢襲来。
「うん、笑う笑う」
「ってこれ、笑わせる、といあははははは」
 抗議の声を漏らそうとするも、襲い来るくすぐったさに陥落する。
 止め、止めて。体力の限界の上にこの拷問。シヌ。ほんとーに死ぬから。
 笑いすぎたせいで涙でにじむ視界。蠢く指先が脇から、脇腹へ緩慢な動作で移行していくのにハッとなる。
「ちょっ脇腹は」
 気が付いたときにはそう口走っていて。失言と気が付いたときにはもう遅く。
「ははあん。脇腹決行ー!」
 片腕で私を羽交い締めにしたまま、不気味に笑う。
「ごめんなさいごめんなさい。よく分からないけど謝るからもう許して下さいっ」
 訳も分からず謝り続けた私に。
「くすぐりの刑続行ー」
 相変わらずの輝かんばかりの笑顔で、マインは私に死刑宣告を下した。 

 

 

 

 

 

inserted by FC2 system