二章/習うのか慣れるのか

 

 

 


  連れてこられた先は食堂で。しばらく疑問で頭を捻るが、調べ物を広げるには確かにうってつけの広さの机があると納得する。
「この世界の状況。それから地図、勢力みたいな物が知りたいです」
 アニスさんの、『何が知りたいの』尋ねられた言葉に私は迷わずこたえていた。
「ふふ。カリンちゃん、後ろを見てみなさい」
 苦笑する彼女に背後を指される。うしろ?
 真後ろにあるのはいつも見ていた変な曲線の描かれた茶色い紙。
 待った。曲線? 書かれている文字は分からないが、街や大陸の名前みたいに見える気も。と言うことは。
「これ、もしかして地図、ですか」
 頬が火照る。真後ろにある地図が知りたいと真顔で告げた私はとてつもない間抜けだ。
 アニスさんが大笑いはしないまでも、肩を震わせている。
「この世界について知りたいか。私から言わせれば遅い位の質問だな」
「は、はあ。そうは思うんですけど今まで訓練でいっぱいいっぱいで」
 声の主を見ず、熱い頬を収めようとぱちぱちと両手の平で何度か叩く。
「さ。何が知りたい? 私が答えられる物なら答えてやる。せめてもの詫びだ」
 それは助かる。有り難い申し出。 
 えーと。何を聞こうかな。……ん?
「あの。プラチナ、いつ頃からコチラに」
 私の死角になっていた右側の席に、堂々と腕を組んで椅子に腰掛けるプラチナの姿。
 彼女は私の方を見、小さく肩をすくめる。
「何を言う、先にいたのは私の方だ。まあ、気が付かれていないのは分かっていたが」
 と、いうことはあの間抜けな言動を見られた。くら、と目眩がした。
 ずっと卒倒していたり頭痛を起こしても話は進まないので私は本題にはいることに決めた。
「え、ええと。じゃあこの世界の名前をまず聞かせて下さい」
「世界の名前?」
 説明は、自分よりもプラチナの方が的確だと思ったんだろう。アニスさんは黙ったまま。
 世界の名前。なんと説明すれば伝わるか。
「全部の海、大陸。この世界を全てひっくるめての総称です」
 頭の中のモーターをフル回転させてたらこんな台詞しか浮かばなかった。
 上手く伝わっただろうか。
「戦続きのこの世にそんな洒落たモノがあったか? アニス」
「うーん、私は聞き覚えはないわね」
 心配を余所に二人は顔を見合わせて、話し合う。なんとか伝わったらしい。
 彼女たちの台詞から察するに、この世界は名の無き地。全ての世界に名前が付いている訳じゃないだろうから覚悟はしていたんだけど、名称無しか。やっぱりこのまま異世界と言い続けるしかないか。
「そうだな。じゃあ、クラムと言うのはどうだ」
 悩む心に一筋の光明。洒落た名はないと言いつつ、プラチナは名前みたいな物を提示してきた。クラム、クラム。何だか可愛い感じで良いかもしれない。
「良いんじゃないですか。由来は何でしょう」
 ふと、好奇心が芽生えてそう尋ねる。プラチナはいつものように表情の見えない顔でコクリと頷き。
「戦の絶えないこの世界を見た何処かの候補者が、それを皮肉ってそいつの元の世界である言語。『不浄の地』と付けたのが由来だ」
 軽く言ってきた。不浄って。汚れた地って。
「あ、聞いたことある。それ。いいじゃない」
 諸手を挙げて賛成よりのアニスさん。
「い、良いんですか。それで。私、その名前で呼び続けちゃいますよ」
 馴染みの余り無い異世界とはいえ、世界全体を汚れた地の総称で呼ぶのも色々と気が引けるんですけれど。
「似合いの名だ。誰も文句はあるまい」
「そうね」
 二人の反応は、予想したとはいえ軽かった。
 自分たちの世界がその呼ばれ方で良いのか。良いんだろうな。住んでる本人達が言ってるんだから。
「あー、じゃあクラム。で良いんですね。この世界の状況を……
 地図も使用して、戦況とか教えて頂くととても嬉しいです」
 慎重にもう一度尋ねてみるが、頷かれた。クラム。これで世界は今日からクラムだ。  もし平和になったとして。『不浄の地』が総称で良いんだろうか。という疑問がまだあるが、もう気にしないことにする。 
「心配しなくて良い、専用の物がある」
 プラチナは側にある備え付けの棚から巻物状の紙を取り出した。
 大きさは私の背後にある地図と一緒。プラチナが慣れた手つきで巻き付けていた紐を解き、するすると紙を伸ばして広げていく。他にも幾つかあったが、それは古い物らしい。
 私の視界に飛び込んできたのは、二次元で繰り広げられる戦火。火の、海。
「この赤いの」
 曲線を空中で何度も何度もなぞる。そのたびに指先は赤い範囲へ入り込む。
 土地全てが赤に埋没している。蒼は岩礁みたいに時折覗くだけ。
「……う、海ですか」
 現実を認識したくなくて。この色が気のせいだと思いたくて苦し紛れの台詞。
 アニスさんは笑わなかった。
「言いたくなる気持ちも分かるけれどね。さあ、カリンちゃんどれだけが真っ赤な海に沈んでるかしら」
 言われて、もう一度数えてみる。沈んでいない部分は、僅か。
「海らしき所を除くと、数カ所。三割にも満たない量が残ってます、ね」
 劣勢。とんでもない誤解だった。
 これは、劣勢なんて生ぬるい話ではない。圧倒的不利、前プラチナが言った通りヒトが絶滅するかしないかの瀬戸際の範囲。 
「これが、我々の現実だ。見ない方が良かっただろう」
「ええ。確かに、洒落になりませんけど。見なくても、現実は変わりません」 
「そうだな」
 プラチナが頷く。そう、膝を丸めて頭を抱えても。獣の側で泣いても脅えても変わらなかった悪夢。それと同じようにこの地図の色も変わらない。
「今私達が居るのは、この大きな蒼の範囲ですね」
 一番大きな青を指す。大陸的にも大きいが、三分の一は赤い色に飲まれていた。
「ええ。候補者が固まってるから何とか、ね」
 しかし、この戦争どうなって居るのか。幾つか並べられた地図を今の物と見比べる。
 この浸食の度合い。魔物は、人間みたいに思考能力を宿してるんだろうか。
 拠点となりそうな砦や、村から先に潰し、街を狙う。
「……原因」
 ぽつ、と何が理由か口をついて出た言葉。
 でも、そうだ。原因だ。物事の始まり。発端が糸の先みたいにあるハズなんだ。
 役に立たなくても、この世界を知る良い手がかり。調べる価値はある。
「この戦争、理由や原因。あるんですか?」
 二人を見据え、口を開いた。
「そんな物。あるに決まっている。世が飲まれかけて」
感情の見えるプラチナの声。次の私の疑問に、彼女の熱は引いていった。
「違います。この戦争の発端。始まりは何ですか」
『…………』
 場が静かになる。耳が痛むほどの静寂。
「知らない」
「私も、分からないわ」
 二人は全く同じ言葉を返してきた。共通する感情は、戸惑いと、疑問。
 何故そんな当たり前のことを聞くのかという、異世界に住む私に対しての奇異の視線。
「何でです」
「長すぎるのよ、この戦は。私の父や母。祖母祖父母。遡ってもまだ止まらない」
 答えたアニスさんの言葉に言葉をつぐむ。
 彼女が生まれる前からの長い戦争。人、魔物。その双方の憎しみ、怒りが始まりから継続している?
 そんなはずはない。記憶は薄れ、曖昧になる物だ。
 一番怖い可能性は、元の理由を全て忘れて、終わらない、和解の成立しない争いを繰り返すこと。
「理由は知らないが。カリン」
「はい。何か……」
 プラチナがポツリと私に告げた言葉。それは私を終わらない迷路のスタートに立たせた。
「この世界の戦争は、この世界が出来ると同時に始まったと、伝え聞いたことはある」
世界の始まりが滅びの始まり。それは途方もなく大きな話だった。

 

 

 

 

 

 

 

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