二章/習うのか慣れるのか

 

 

 

  

 どれだけ鎧に押し倒されていたんだろう。意識が白濁し始めたその時、押しても体を動かしてもビクともしなかった重みがスッと引く。
「もう。シャイスに任せっきりにしないで良かったわ。カリンちゃん大丈夫?」
「う、うぅ。アニスさん……た、助かりました」
 誰かは顔を見なくても分かった。痛む体を撫で、揺れる頭を押さえる。
 私が悪戦苦闘した鎧をいとも容易く持ち上げると、彼女は簡単に元の場所に戻す。
「ご免なさいね、ここ重たい物が多くて。注意するのすっかり忘れてたけど、むやみにいじったら転がるから気をつけてね。けどおかしいわね、安定が悪かったのかしら」
 もう既にむやみにいじった後です。とはとても言えない。 
「肝心な説明を忘れていたのよ。気に入るのがあってもサイズの問題もあるでしょ」
「ああ。それもそうですね、その前に洋服って、何処でしょう」
 私の間の抜けた質問に、彼女は暫し沈黙し。
「……そうね。それを先に教えないと駄目よね。ご免なさい、プラチナと私、二人してちょっと気が焦ったみたい」
 暗いこの場所が酒場に見えるほどの艶やかな笑みをたたえ、悪戯っぽく舌を小さく出した。
 
 アニスさんに案内された場所は一番奥まったところだった。異世界感丸出しの、非常にファンタジックな衣装。コッチでは普通の洋服として扱われているらしい服やなにやらがずらりと陳列されている。
「あなたに合う大きさの洋服はコッチよ。靴もその辺にあるのは合うはずだから好きなのを使って頂戴。衣類は消耗品だから多めに用意してあるわ」
 サイズごとに服や靴が分けられているのか。見かけに反しこの室内はかなり広大らしい。
 彼女の示した所には沢山の服や靴。帽子、手袋。目移りしてしまう。
 ……の前に。頷いて、私は深々と頭を垂れた。
「はい。分かりました、あの。ご足労おかけします」
「いいのよこれくらい。カリンちゃんは鎧はしばらく無理だからあの一帯には近寄らない方が良いわ。今は布で我慢してね」
 う。触ったのはやっぱりお見通し。彼女は笑みを浮かべたままそう告げる。
「いえ。別に着用するつもりは!」
「うふふ。珍しいんでしょ、でも金属製の品は革製の鎧の比じゃないから打ち所が悪いと本当に死んじゃうわよ」
 うう。それもお見通し。バレバレですか。
「き、気をつけます。というより、もうこりごりです」
 コレは本心。確かに好奇心はあったんだけど、言われるまでもなく押しつぶされ掛けた鎧の側でウロチョロしようとは思わない。
「あはは。それもそうね。じゃああの役立たずを連れて扉の前に立たせておくから、ゆっくり選んで頂戴」
 口元に手を当て、笑う彼女。ふと、疑問。
「あの、アニスさんはここにいないんですか?」
「え。だってカリンちゃんの訓練しなくちゃいけないもの」
 訳の分からないことを言う。でも彼女は不思議そうに私を見つめて。
「いえ。あの、行くところは一緒ですし一緒に」
 私の方が変? と言いたくなるのを押さえて言葉を紡ぎ出す。
 アニスさんはしばらく棚に目をやり、自分の頬を軽く撫でて。
「あー、効率的に行くとそうなんだけどね。でもそこは勇者候補よ。
 非効率的でも雰囲気を重視しなくちゃ。先生は先にいる、師匠は先に待っている。
 なんか雰囲気でるでしょう」
 大きな胸を張る。大きすぎて胸を張るというか突き出す形になってる。
「出ますけど。意味、あるんですか?」
「無いけど、そこが良いのよ。醍醐味なのっ。カリンちゃんの意地悪」
 率直に尋ねると、彼女はちょっと瞳を潤ませ、首を振る。
 意地悪は良いんですが、私の頬つつきながら言うのは止めて下さい。   
「アニスさんがそうしたいなら、止めませんけど。個人の自由ですから」
 深い溜息が漏れる。
「そうね。個人の自由よ。と言うわけで私は待ってるからシャイスに連れてきて貰ってね、カリンちゃん!」
 ぱっと嬉しそうに手を打ち合わせたと思ったら、子供みたいにはしゃいで大きく手を振る彼女。
「は、はい」
「じゃあ、しばらく経ったら会いましょう」
 弾む足取りで軽やかに消える彼女の後ろ姿。
「はあ……」
 それを見ながらまた溜息が漏れる。
 何故か、少し疲弊した。私の精神が今のやり取りでちょっと摩耗したようだ。
「着替え、よ。うん」
 色々不安が増したが、私は気を取り直して始めの目的である着替えを始めた。
 




 呼ばれてシャイスさんが恐ろしいほどの早さで駆けつけてきた。それはすぐに分かった。
 何しろ。
「カリン様カリン様。平気ですかお怪我はお体は。ああ、私が気が付かないばかりに」
私が着替えている間中。ずーーーっとこの調子だ。とても着替えづらい。
 とっくに着替えは終わっていたが、彼が心配してくれているのは分かるのでイライラしている自分を落ち着けて、外に出た。
「あああああ。ご無事で。カリン様骨とかご無事ですか。体へこみませんでしたか?
 アザとか出来てません!?」
 一瞬。へこみの部分で口論の原因を思い出しむかっとなる。が、我慢我慢。
「出来てません」
 少しだけ頬を膨らませて答える。
「…………」
 口を『お』の字で固まらせるシャイスさん。
「なんですか」
「いえー。えーと」
 私のトゲっぽい口調にも構わず、じっと見つめてくる。
 何を見てるんだろう。って、あ、服か。着替えておきながら間の抜けた話だ。
 自分の格好が違うのを忘れていた。
「……そんなに変ですか?」
 呟いて服をつまむ。
 内側に薄い緑の服。外にフードのついたゆったりめなミルク色の上着。シャイスさんの法衣に似ていたけれど、少し違うのは丈の長さ。皺を伸ばしてもせいぜい太ももまでしか届かない。動き回ることを考慮して履いた紺色のキュロットスカート。
 私の居た世界とは季節が違うのか、この世界では薄着だと寒い。コート代わりにしている上着は袖口辺りに簡単な刺繍が施されている。
 こっちの形式に則り、革靴は靴下みたいな布を下に履いてから紐で縛る。その部分はシャイスさんに扉越しから教えて貰い、着用。非常に面倒くさい形だったが、私は嫌いではないので楽しかった。髪の毛もリボンはもう外して近くにあった革紐で蝶々結びにしてるだけ。全体としてみた感じでは、多分村娘風にはなったと勝手に思う。 
 変では、無いはず。
「いえいえいえ。そんなっ。とてもお似合いですよ」
 シャイスさんが慌てたように両手を振った。
「そ、そうですか」
 頑張った成果を褒められて思わず照れる。
「ええ。それは意外にも」
 恥じらいや嬉しさを打ち砕く失礼な言葉がまた聞こえた。
「シャイスさん」
「はい?」
「実は私のこと嫌いですか。喧嘩売ってますか」
「いえ、そんなことは」
 じりじりと後退る彼。もう、どうしてくれよう。
 いい加減温厚だと思う私も頭に来ている。
「じゃあ一言良いですか」
「え。ええ」
 何事かと、彼が私を見た。
「シャイスさん」
 出来る限り優しく微笑んで、静かに唇を動かす。
「はい」
 素直に返答する彼。私の言葉の続きはまだある。
「の、役立たず」
 今度はレンズが歪んだ写真みたいに顔を引きつらせて固まった。
「やめて、止めて下さい。カリン様、カリン様だけは言わないでくれると――」
 そんな希望とか期待なんか知りません。
「しゃいすさんのやくたたず」
 言葉の扱いが致命的に下手な人なのは理解できるが、感情は理解したくもないらしく口がストレスを発散した。 
 彼が次は真っ白になって燃え尽きる。
 あー、言えてすっきり。なんだか可哀想というのも考えなかった。
 きっとしばらくすれば……戻ってくる。よね。
 自分でやっておきながら、少しだけ心配になったのは。ちょっとした私の秘密。
 

 

 

 

 

 

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