二章/習うのか慣れるのか

 

 

 

 
「カリン様カリン様。ご、ご機嫌直して下さいよ」
 あーもーしつこい! 声は逃げても逃げても追いかけてくる。それだけ必死なんだろうけど、配慮してあげる気なんてこれっぽっちもない。爪先ほども砂糖の一粒も砂鉄の一粒だって! 
 しばらく放っておいて貰いたい。でも怒りつつも道案内されながらつかず離れずの距離を保つという私達の図は、端から見れば珍妙に映るだろう。
 道案内して貰わないと着替える場所も分からない我が身が憎い。何だか馬鹿らしくもなってきたので足を止める。ようやく追いついてきたシャイスさんは重たい法衣のためか、運動不足か。どちらともか、ぜえはあと息を切らして肩を揺らす。
「き、きげん直して下さいよぉ」
 耳に入る情けない声。私は腕を軽く組んで、彼をチラ、と見る。
「変なこと考えるからです」
 頬が膨れるのが自分でも分かるけれど、そればっかりはしょうがない。
「か、考えてませんよ、本当ですって」
 疑惑を視線にのせて送ってみる。わたわたとシャイスさんが慌てる。
「ここですか?」
 馬鹿らしくなったのもあったけど、行き止まりだったのも足を止めた原因。
 長い一本の廊下には鉄色の扉が一つだけ存在している。
「はい」
 彼が頷くのを確認し、そっとノブに手を掛ける。鍵は掛かっていない。
 引くと重い手応え。錆びかけたゼンマイを巻くような鈍い音を響かせ扉が開く。
「あ、本当に本当に変なこと考えてませんよ」
 中に入る間も謝罪は続いてくる。いい加減許して上げた方が良いんだろうか。
「だっ、大体ですね」
 続く言葉で私の良心や慈悲の気持ちが吹っ飛んだ。
「カリン様みたいなお年の人を見たがるわけ無いじゃないですか。
 私はもう少し年上の方が」
 言いながら私の躰を上から下まで観察した後、溜息。
 もう一度見て、嘆息。その重い溜息の理由はよく分かった。
 確かに私は、アニスさんみたいにスタイルとか良くないけれど。
 こう、女の子の心としては今かなり傷ついた。グサグサと抉られた。
 あーーー前言撤回っ。許さない!!
 重い鉄製の扉をすい、と前に押し出す。
 勿論その向こうにはシャイスさんが佇んでいるのは言うまでもない。
 がん。と震える手応え。鼻でも打ったのか『ぶば』って聞こえたけど知らない。
「しばらくその辺りで反省していて下さい。見ないで下さいよね!」
 言い放った後、力一杯扉を閉めて頬に溜めた息を吐き出した。
 全く、なんて失礼なんだろ。ドジで慌てやすいのはまだ良いけど、アレは許せない。
 酷い暴言だ。セクハラだ。
「かふぁ……かりん様ぁー。カリン様ー」
「来ないで下さい! 来たら、今度は扉で挟みますッ。
 扉が駄目なら本当に殴っちゃいますからね」
「うう。カリン様が怒った」
 当然。アレで怒らない人が居たらかなり心が広いと思う。 
ふう。大きく息を吐いて辺りを見回す。
 部屋にある窓の半分もない明かり取り用の窓が、私が背伸びをしても届かない位置にある。薄暗いが陰に入った程度の暗さ。よく使われているせいか埃は余り無い。
 壁を軽く指の腹で叩く。すべすべと固い手触り。
 綺麗に磨かれた暗緑色の石が積まれている。床も同色だが、昨夜の部屋と違って石畳のような感触がある。材質に建物の石質を吟味しても仕方がないのでもう一度辺りを見回す。
 薄闇に佇む全身鎧は、ここが着替え用の部屋だと知らされなければ人が佇んでいると勘違いしていただろう。
「うーん。鎧ってたくさんあるんだ」
 平和な現代日本生まれの私。西洋風の鎧を生で見たのは初めてだ。
 革製に木製の鎧もある。好奇心が働いて爪先で弾いてみるが、私の指が痛くなっただけだった。
 次に頭をもたげる疑問。どの位重いのか。
 手近にあるんだから持つしかない。他に選択肢はあるハズなんだけど、好奇心の悪魔には逆らえなかった。一番無難そうな革製の鎧。そっと両手に抱えて。 
「重……っ」
 抱えようとしたけど無理だった。持てない。とてもじゃないけど持てない。
 いったい何キロあるんだろうコレ。
 腕が痛くなったのでもとの場所に慎重に戻して、と。
 しかし、ここは着替え専用部屋と言うより防具部屋では。良く見ると盾もある。
 大きく息をつく。背後に不吉な予感。
 何か今、グラとかギシとか嫌な音が聞こえた。逃げよう、と思うまもなく掛かる重み。
 マトモに背中から何かに押しつぶされた。
「うぎゃ」
 肺から空気がでて、可愛くない悲鳴が漏れる。
 じゃなくて、今それどころじゃない。重い、もの凄く重い。潰される!
 視界の端に見えたのは、さっきの鎧。重すぎたせいで上手く置けてなかったんだ。
「カリン様。まだ怒ってるんですか? なにか怖い声と音が」
 外側から恐る恐ると声。まさに天の助け。
「シャ……」
 シャイスさん。怒ってません。怒ってませんけど潰されました!
 言おうとした言葉が上手く出てこない。背中の重みで上手く言葉を吐き出せない。
「わかりました。そこまでお怒りになった以上、私。しばらく席を外します」
「ちょっ……と」
 外さないで! いらない気遣いしないで下さいッ。
 マナ直伝の突っ込みすら滑り出てこない。いけない、ホントにこのままでは圧死する。
「お着替えがお済みになりましたら、お呼び出し下さい。緊急時には駆けつけます」
 塩を掛けられた野菜みたいにしおれた声。
「い、まっ」
「ええ。今すぐに去ります」
 だからっ。今、まさに、そのキンキュウジなんですっ。
 去らないで、去らないで下さい。
 無情にも足音が遠ざかる。
 今まで言わなかったが力一杯言おう。
 シャイスさんの役立たずーーーーッ。

 

 

 

 

 

 

 

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