十五章/私の精一杯

 

 

 

  


 薄い紅の光が差し込む食堂の角に陣取ったプラチナが、首を傾けて色の付いたピンを染められていない地図の上に刺し込む。さわりと細長い三つ編みが彼女のしなやかな背を撫でる。
 プラチナからみて左側の席に着席したルーイは、テーブルに用意されたカップを左手で持ち上げ、お茶を口に含む前に紙面を一瞥してさくりと手元のピンを無造作に置いた。
 迷いのない彼の動きにプラチナの指先が微かに震える。
 城の力関係を知っている人間が見れば国の首脳が食堂の片隅で、一堂に会する姿に何事だと目を剥くだろう。
 真剣なプラチナの眼差しと、広げられた地図を合わせれば敵を陥れる陣形の案を練っていると納得されてもおかしくはない。
 だけどこれは次の作戦を考案しているわけでも、敵を地獄に突き落とす為の奇策を探っているわけでもない。
 薄灰青の瞳に急かされて、ルーイと対面状に座り込んだ私は、溜息を飲んで適当なところにピンをねじ込む。黙していたプラチナの唇から小さな呻きが漏れる。
 悔しげな彼女の唸りから察せられるだろうが、私達三人は陣取りゲームの最中だ。
 元々ルーイと地図を広げて戦略や策を練っていただけだったのだが、それでは詰まらないと二人で結論を出して実践的なゲームを作る事になった。
 明るくない戦況と実戦を考えれば詰まらないも何もないのだが、大量の書籍を詰め込んだ私達の脳は、あの時恐らくまともな活動を止めていたに違いない。
 書類攻めで煮立って斜めに跳んだ思考のまま興に乗ってしまった私達を止める人間は勿論居なかった。折角なのでこの世界の地図を使ったゲームにして、なんだか手近にあったので(後で考えれば当たり前だったが)地図に差し込むピンは、作戦考案で使うモノを流用する事にした。
 駒の役割も通常の軍と簡略化はしても変わらないようにしておくのも忘れない。
 興奮が冷めると、気が付いたら無駄に本格的なゲームが出来ていた。
 倉庫の肥やしにするのも勿体ないという事で、食堂でルーイと二人暇な時遊んでいたのだが、たまたま通りかかったプラチナが興味を示したのでそのまま三人でゲームをしてみた。
 初めはこの世界の地図を使っている事にいい顔をしていなかったプラチナも、実戦さながらのゲームの戦況に徐々に熱が入っていった。
 元々猪突猛進な所のあるプラチナは見事な敗北を喫し。それからというもの、週に二、三度の割合でプラチナに勝負の続きを挑まれ、気が付けば自然と食堂で勝負する流れが出来上がってしまっていた。
 呆気ない敗北が余程口惜しかったのか、プラチナも割合と執念深い。
 それともルーイと組んだ時に加減が上手く行かなかったのが原因だろうか。いや、それとも逆の二対一の状況でルーイに負けたせいだろうか。
 このゲーム、かなり自由に作ってあるのでやろうと思えば何処までも変則的なルールを組み込める。
 不利を承知でタッグを組んだ相手に孤軍奮闘で挑む事も出来るのだ。
 手を弛めても実戦と同じで気にせず罠へ突っ込むプラチナに配慮し、ルーイ一人に対しプラチナと私で組み挑んだのだが。相手が悪かった。
 幾ら磨きかけの原石だとは言え、ルーイは軍師(仮)なのである。
 綿密に張り巡らされた罠を掛けられて、兵站から何から削られジワジワと追いつめられるという盤上なのに嫌なリアリティを感じさせる負けを味あう事となった。
 一対一ならそれ程過激な手を使わないルーイも、二対一となると逆に容赦の欠片もない。
 意外に思われるだろうが、普通の勝負では私とルーイの勝利に差はあまりない。
 始めから細かな罠を張り巡らせる彼に対し、その場その場の隙間に布石を押し込む私の対処法は相性が悪いのか酷くやりにくそうだった。
ルーイが口を付けたカップを受け皿に戻すついでの気軽さでピンを刺し、プラチナの側にあるキング代わりの指令を摘み上げた。
 チェックメイト。
「いつのまに……」
 指令に手を掛けられて漸く背後を攻め込まれていた事に気が付いたのか、彼女が戦きの声を上げる。
 普段であれば最後の一人になるまで続けるが、時間も時間だし、今日はこの辺でお開きだろう。
 …………。
 そうじゃなくて、私はプラチナに聞きたい事があったんだった。
 プラチナに出会い頭で捕まって、何故か当然のようにゲームを囲まされていた私ははっと気が付いた。
「あの、プラチナ」
 攫われてから二週間が経過しようとしている。そろそろ外出をしても良いんじゃないだろうか。
 訓練や読書で気が紛れはしても、城下だけではなく城外の外出まで止められてしまっている為、息苦しい。
 謹慎は充分したと思う。ほんの少しくらい、中庭に出る程度は許されるはずだ。
「駄目だ」
 思いの丈を吐き出す前に否定された。
「まだ何もいってませんっ」
「言いたいことくらいは分かる。却下だ」
 不機嫌さを隠さず声を張り上げたら、霜が降りそうな程冷え込んだ声が返ってきた。
「う。……ルーイ」
 氷柱にも負けない上司の冷たい眼差しに、縋るようにルーイを見る。
 彼は少しだけ考え込むように小首を傾げ、
「いけません」
 優しい微笑みを添えて一蹴される。
「うううう。シャイスさーん」
「申し訳ありませんカリン様、こればかりは」
 頼みの綱とばかりに半泣きでシャイスさんに目を向けたら、沈痛な表情で首を横に振られる。
 シャイスさんも駄目なのか! 私の味方が誰一人としていなくて泣きたくなった。
 彼らの心配は分かっていても、ここ数日積もりに積もったストレスで、ふつふつと怒りが沸き上がる。
「い、いいじゃないですか! ちょっとくらい外出したって。雑貨屋位行かせてくださいよ」
 頬を膨らませて、ぶんぶん腕を振り回す。子供っぽいを通り越して完全に駄々っ子になった私に驚いたようにルーイが瞳を瞬かせた。
「城下の方でそれらしい変質者は捕まったが、吸血鬼の噂自体は引いていない。せめてあと数日は城で大人しくしていた方が良いだろう」
 プラチナの静かな言葉、ではなく「変質者」の単語に腕を止める。
 現状「変質者」と指し示されるのは、哀れにも半裸で逆さ吊りにされた二人組だ。
 城の人間が尋問を行う前に脅え錯乱していた瀕死の彼らは、私の誘拐をあっさりと認めた。
 釣り下げた誰かに手ひどく痛めつけられたのも原因のようだったが、逆さに釣り下げられ喚く彼らの口ぶりで、先の戦の立役者(わたし)に危害を加えたと知った城下の民達の怒りようは想像を絶するものがあったらしい。
 石や泥が投げつけられ、城の人間が止めに入らなければ彼らはそのまま私刑にされていただろうと聞いている。
 今の所、死人を出さずに戦いを収めた「立役者」は好意的に思われているようだが、何か一つでも間違えてしまったなら、その好意が何時か反転する時が来るのではないかと恐ろしくもある。 
「雑貨屋の方には私が話を付けていますから、カリン様はゆっくりと療養して下さい」
 空になった私のカップにお茶を注ぐシャイスさんの襟元を、座ったまま容赦なく鷲掴む。
 「カ、カリン様。放して下さい」や「危ない! お茶、お茶がっ」との非難の声が聞こえた気もするが、受け流して彼の瞳を見据える。
「なら、せめて。せめてバルコニーに出させて下さい!」
 徐々に指を引き寄せつつ、目線に力を込めて出来る限りの悲痛な眼差しで懇願する。
 私の必死の訴えに、斜めになったシャイスさんは涙目で身体のバランスを取りながらも、首を左右に振り続けた。
 駄目か。頑なな拒絶と半泣きの様子に手を解く。
「幾らカリン様でも、それは聞き届けられない頼みです。まだ内部の洗い出しが済んでいませんから、あんな的になりそうな場所には立たないで下さい」
 突然解放され、後ろ向きに転び掛けるシャイスさんを横目で眺める私に、ルーイが静かな言葉を投げた。
 そんな正論を言われてしまったら、折れるしかない。
「うう、あと何日位で済みそうですか」
 情けない声を上げる私を余所に少年はマイペースな動きで自分の頬に人差し指を当て、考えながら答えた。
「後、三日は必要だと思います」
「それ終わったら出ます、絶対出ます、止められても絶対出てやります」
 城下は無理だとしても外の空気を吸ってやる。決意を胸に唸ると、困り顔でルーイが苦笑する。
 話が途切れたのを見計らったかのように、軽い音を立てて食堂の扉が開く。
 緩んだ空気をかき乱しながら、分厚い本を二冊ほど左腕に抱えたアベルが姿を現す。
 予想だにしない突然の闖入者に室内の雰囲気が一瞬硬化する。
 彼は突き刺さる視線に構わず、少し離れた席に座ると机上に無造作に本を積んで息を漏らした。
 何でここに、と思うものの別に食堂は貸し切りではない為、彼が来る事に何の問題もない。
 防音の結界が掛けられている為この場に集う事は多いが食堂は勇者候補全員に開放された施設だ。
 彼が現れたって不思議でも何ともないが、やはりどうしてという思いは拭えない。
 夕刻のこの時間帯、私達が集まる可能性が高い事は、アベルだって知っているはずだ。
 普段であれば絶対に近寄らない場所なのに、どんな心変わりがあったんだろう。
 こ、ここは一つ険悪な彼との関係を軟化させる行動を取るべきであろう。
 理由は分からないけれど、気が乗らなさそうにしていても攫われた私の捜索をしていてくれたようだし。
 テーブルに左手をつき、話しかけようとアベルを見据え。
 よ、よし。ええっと…………どうしよう話しかける切っ掛けすら見つからない。
 会話の糸口すら見つけられず、頭を抱える。
 唐突に探してくれてありがとうというのもおかしいし、この間まで険悪だったのにいきなり馴れ馴れしく話しかけるのもあからさまに怪しい。
 集中するあまり、睨み付けてしまっていたのか、視線に気が付いたらしいアベルが表情を変えぬまま目線を私の方に持ち上げた。
『…………』
 翡翠色の瞳と暫し見つめ合う。無言のまま視線を絡み合わせていたが、幾ら今まで会う度に皮肉を言い合っていたといっても、整った顔立ちの少年に長々と見つめられるという拷問には耐えきれず俯く事で強引に視線を切断する。
「え、ええと。お、お茶! その、お茶でも……飲みますか?」
 頬に熱が集まるのを感じつつ、勢いよく自分に振る舞われたカップの持ち手を握る。
 仲良くなる良案も思い浮かばず、上手く話そうとすればするほど舌がもつれていく。
「それを?」
 ようやく口を開いた彼の目が私の手元に注がれ、無表情が微かに訝しげなものに変わった。
 尋ねる声に不審、ではなく呆れすら含まれている。
 あ、あれ。私、何か変な事言ったかな。
 隣に佇むシャイスさんが焦ったように私のカップを指し示し、言葉は発しないまま口を開閉する。ジェスチャーで教えてくれようとしているらしいが、全く意味が読み取れない。
 首を傾げる私の耳に、小さくとも妙に通るアベルの声が響いた。
「……飲みかけ」
 ぎこちない動きで自分の手元にあるカップを見る。
 自分の発した台詞を口内で反芻して。一気に血液が顔に上り、思考が白く染まる。
 あろうことか、私は飲みかけのカップを突きだして「お茶どうですか!?」と尋ねていた。
 そのまま受け取れば、このカップで一口どうぞとも聞こえる。
 違う、私が言いたかったのはそうじゃなくて。新しい茶器での話で、飲みかけを渡そうなんてそんなつもりは毛頭無かった。
 極度に体温が上昇して、視界が揺れる。頭の中で言葉が渦になってグルグル回る。
 混乱と羞恥で目尻に涙まで浮かんできた。
「ち……っ、違います。こ、これじゃなくて。シャイスさんお茶! お茶ーーー!!」
 半ばパニック状態になり、ぐらぐら煮立つ思考のまま、叫ぶ。
「わ、分かりましたからカリン様落ち着いて!」
 残ったお茶も気にせず、カップを振り回し掛けた私の腕をシャイスさんが強引に押さえ込む。
 幾らシャイスさんが細腕だと言っても男の人。反射的に振り解こうとしても彼の身体はぴくりとも動かない。
 騒がしい食堂に、普段なら柳眉を潜めて踵を返すアベルは、左手で本を一冊掴み上げ。
「そうか。なら、もらう」
無関心そうに告げて、表紙を開く。予想外の返答に全員が思わずアベルの顔を凝視する。
 ぽかんと口を開いていたプラチナが探るような視線を向け。ルーイがアベルと表情の変わった彼女を物珍しそうに交互に見回す。
 周囲の困惑の視線も意に介さず、アベルは白い指先で淡々と頁を捲り、硬直していたシャイスさんへ「早くしろ」とでも言いたげに顎をしゃくる。
「す、すぐにお持ち致しますっ!」
 目線に込められた苛立ちに素早く気が付いたシャイスさんは、跳ね跳ぶように身を引いて脱兎の勢いで部屋から退出した。



 

 

 ←back

 TOP

 表紙

 next →

 

 

 

 

inserted by FC2 system