十五章/私の精一杯

 

 

 

  


 安心させようとしたのに呆然と硬直する私たちを見てルーイが慌てる。
「もう良いです。深く考えたら負けです」
「そうですね」
 シャイスさんと二人、頭を垂れ呻く。これまで使用人の人達と顔を合わせるのは気が重かったが、今度は違う意味で顔を合わせるのがおっくうだ。
 すれ違いやすい夕刻に刹那思いを馳せ、憂鬱な気分を重い息ごと飲み下す。ルーイに告げられた事実で胸中は複雑だが、言い訳の一つにでもなることだと素直に喜ぶことにする。
 戦いの多いこの異世界、浚われたのもあって日常的な会話も貴重ではあるが、聞きたいことは別にある。
 どう尋ねるかと考えたが、曖昧に濁せばいらない問答を重ねる可能性が高いので率直に尋ねることにした。
「今のうちに確認しておきたいんですが。私はその、どの程度おとなしくしていないといけないんでしょうか」
 今聞きたいことは、私の処遇。
 真剣さを表すべく、姿勢を僅かに正し、ルーイの瞳をまっすぐ見つめる。
「え、どういう意味でしょう」
 一瞬なにをいわれたのかわからない、といった視線を向けて瞳を瞬き、首を傾げる。
「いつ頃外にでられるかな、と」
 軽い混乱におそわれているらしい少年に、言葉を区切りながら再度尋ねた。黙考するように顎に手を当てていたルーイが微かに瞳を細め、訝しげに口を開く。
「カリン様。正気ですか」
 私は大まじめですよ。
 彼の唇から発された一言に、微笑もうとした口元がひきつるのが自覚できる。
 酷く不安げなか細い声だったが、聞こえた。
 正気かと。「本気ですか」でもなく「冗談ですか」ですらなく、正気を問われ、作りかけた笑顔が崩れる。
「本気の本気ですよ。何ですか正気って、意識は確かですよ」
 上手く笑顔を作ることはあきらめて半眼で睨んでおいた。
「い、いえ。あれからまだそんなに日も経ってませんし」
 彼の言うことはもっともで、帰還してから一週間も経ってはいない。
「そうですよカリン様! 帰ってきてからまだ数日じゃないですか、なのに城下に出歩くなんて危険なこと、いけません!」
 普段はおとなしく成り行きを見守るシャイスさんもルーイの言葉尻にのっかりかみついてくる。二人の言葉には一理も二理もあるが、ここで勢いに飲まれておとなしくしているわけにはいかない。
「なにも今すぐ出るとは言ってません。罰や謹慎は甘んじて受けます。だけど、期間位は知っておかないと身動きがとりにくくなりますからなにをするにも困ります」
 一週間の謹慎で済めば嬉しいが、そうもいかないだろう。とはいえ何ヶ月も外に出られなくなるのも困る。
 出られる日取りが分かれば訓練や買い物の日程も決められるというものだ。
「それは、そう。ですね」
 私の言葉にルーイが不承不承と言った様子で頷いた。
 まだ少し、納得いっていないようだ。
 シャイスさんと言いルーイと言い、どうして私の周りには心配性が集まるのか。
 気にかけて貰えるのは嬉しいけれど、過保護もすぎれば毒や鎖になる。
「シャイスさんは心配していますけど、こんなことが起こってあのプラチナが傍観するわけもないでしょうから、治安もだいぶ違うと思います。それに、マインが派手に暴れたみたいですから、多少は影響もあるでしょうし」
 説得力がでるようにできる限りの真顔を作り、ルーイを見つめる。彼は少し考えるような素振りを見せ、ため息一つ。
「ええ。マイン様が誘拐を生業とする集団のすみかと間違えて、いくつかの反乱分子の頭までつぶしましたから随分と安全になっていると思います」
「そうなんですか」
 神妙な顔で頷くルーイに相づちを打つ。
 そうか、マインは反乱分子の頭を。
「はい」
 静かな肯定に一瞬思考が停止する。
 頭をつぶした!? しかも複数!
「え。そうなんですか!?」
「そうですよ。プラチナ様から聞いていませんか?」
 前のめりになって尋ねれば、さも意外そうな顔で返された。全くもって聞いていない。
「ここ数日は静かにしておけとしか言われてませんよ。冷静なのは良いことですけど、そうサラっと言われるのも複雑な気分です」
 先程から淡々と答えるルーイの姿を見ると一足跳びに成長してしまった子供を見てしまったような、そんな切ない気持ちが胸によぎる。
 悲しさを交えてルーイに目線を送ると、曖昧に笑い口を開く。
「結果的に言えば治安もよくなりましたから、良いことですよ。確かに、少し派手にやりすぎているみたいですけれど」
 言葉を切って、微かにもらした息に憂鬱そうな色が混じる。勇者候補は強い分手加減がない。付近の住宅でも壊したのだろうか。
「あ、これはこちらの話ですね。それでカリン様の外出の件ですけど」
 状況の変化に対応できるように切り替えろとは言ったけれど、ここまでさっぱりと切り替えてはなされると寂しさを感じる。ルーイ、成長しましたね。
 でも、成長してほしくなかったような、複雑な気持ち。
「カリン様が帰還した日にプラチナ様に一応ですが、期間のことは尋ねておきました」
「なんだ。正気ですか、とか言う割に聞いててくれているんですね」
 こちらが頼む前に終わらせている手回しの良さに感心する。
「それはそれです。プラチナ様に聞いたところ。……続けて聞きますかカリン様」
「何か不都合でもありましたか。まさかとは思いますけど、もう金輪際外に出るなとか言いませんよね」
 澄まし顔で続けていた言葉を不意に飲み、気遣わしげな表情となったルーイの姿に嫌な予感が沸き上がる。
 プラチナは私の事を妙に買っている節がある。
 指令のプラチナがオトナシ・カリンを重要視していた場合、謹慎を飛び越えて軟禁ならぬ監禁を命じる可能性もある。
 そんな未来は心の底からお断りしたいので恐る恐る尋ねると、ルーイが静かに首を縦に振った。
「プラチナ様はそうお考えのようでした」
 冗談ですよね、そんな気持ちを込めて微笑んでみる。真顔のままでルーイは瞠目し、首を横に振った。
 背筋に冷や汗が一筋流れた。シャイスさんが私達の話を聞いて戸惑いの表情を浮かべているが、それどころではない。
「プラチナの言いたいこともわかりますけど、さすがにそれは困ります!」
 仮が付いた勇者候補の名前だけでも持て余しているのに、この上監禁までされるって何!? 悪質な冗談ですよね。冗談と言って欲しい。 
 謹慎は仕方がないけれど、深窓の令嬢じゃあるまいし一般人を厳重保護しすぎだと思う。
 内心半泣きになっている私を見やり、ルーイが顎に手を添えて小さく息を吐き出した。
「ええ。僕もそう思っています。ですから妥協案を探ってきました。付き添いがあれば外出は可能とのことです」
 彼の一言で地獄の縁に立たされ掛けた心が掬い上げられる。
 た、助かった! 一人で外出出来なくなるのは窮屈だけど、この際しょうがない。監禁生活よりマシだ。
 あ、でも。 
「付き添い。シャイスさんじゃだめですよね」
 攫われた時の状況を思えば、あの時も一人ではなかった。再発を防ぐ為なら、シャイスさんを伴って出かければあまりいい顔はされないだろう。
「いえ、想像以上に治安が改善されていますから大丈夫とは思いますが。プラチナ様はシャイス様と共にいかれる場合は、最低でももう一人、と仰られていました」
 私の懸念を一蹴し、ルーイが言葉を続ける。安全になったのは良いのだけれど、一夜でそこまで劇的な治安の改善をされると、裏で何が起こったのか聞くのが怖い。
 プラチナの注文を考えると、やっぱり、シャイスさんと二人だけでは信用が薄いようだ。
 シャイスさんは荒事には不向きな人材なので彼女の心配も分からなくもない。
「危うく幽閉状態になるところでした。ルーイのフォローがなかったらと思うとぞっとします」
 永遠の外出禁止令を回避できたことに胸をなで下ろし、青銅色の瞳を見つめて礼を告げる。
 彼の機転がなければ私の知らぬうちに監禁計画が進んでいた可能性が高い。
「そんな大したことはしていません。気になったので聞いただけですから」
 救世主の自覚がないルーイは首をすくめると、恥ずかしそうに目線をずらし千切れんばかりに首を左右に振った。
 礼を述べただけで恐縮しきりの様子だが、言葉で済ますのも味気ない気がする。
「じゃあ、今度出るときはルーイも一緒に行きましょう」
 お礼と気分転換をかねてお出かけも良いだろうと、微笑みながら誘いを掛ける。
 攫われる前にアタリを付けた店も元々ルーイと眺めに行こうかと考えていた訳だから、それが謝礼混じりになっただけで方向性は変わらない。
 私としてはごく自然な流れだと思ったが、彼にとってはそうではなかったらしく座ったまま後退ったのかガタリと椅子を軋ませ、大きな瞳を更に見開く。
「え。良いんですか? その、僕、そんなに強くないですよ」
 上擦った声で言うと、両手の平を合わせながら焦ったように視線を彷徨わせた。
 軽い気持ちで誘ったのにまるで一大行事の一切を任されたかのような緊張ぶりだ。
 彼は自分の力量の無さを心配しているようだけど、私は気にしない。断言しても良いが、勇者候補の強さを基準にすると全ての人類は脆弱になる。
 護衛と言っても私の側に付き添うのは予防線を張る意味合いの方が強い。例え戦闘能力が欠片もなくても、三人で行動すれば人攫いも手を出しにくいだろう。
「良いんですよ。ルーイはこの頃頑張ってますし、息抜きも必要ですから。暇になったら教えてくださいね」
 迷うように視線を揺らす彼の不安を払拭するべく、出来る限り柔らかい微笑みを向ける。
 数拍の沈黙を挟み、
「ええと。はい。時間を絶対に作りますね」
 ルーイが胸元に両手を当て、ぱあっと周囲が明るく見えるほどに晴れやかな笑みを浮かべた。
 頬を薄紅色に染めて嬉しげに潤んだ瞳が細められる。全開の笑顔を視界に入れ内心たじろぐ。
 そ、そこまで喜ばれるとは思わなかった。
 気分転換のつもりなので無理をして時間を作らなくても良い、なんて満面の笑みを見た後では口が裂けても言えない。
「治安の問題もありますから、シャイスさんも一緒に、ですけど」
「ついで扱いですかカリン様!? 最近私への扱いが雑になってませんか!」
 思い出して付け加えると目尻にうっすら涙を浮かべたシャイスさんが非難というより、悲鳴じみた声を上げた。
 確かにアニスさんやプラチナだけではなく最近私もシャイスさんに対して遠慮はなくなっている気もして、彼の指摘に言葉を窮する。
 この気安さは良い意味でも悪い意味でも親密になってきた証だと思う。
「親愛の情です。きっと」
 たぶん。
「そこ濁さないでいただけると嬉しいです」
 そっと目を逸らした私に、シャイスさんが恨みがましそうな顔で呟いた。


 格子の付いた分厚い窓の隙間から零れた光に目をやったルーイが、慌てたように立ち上がった。
「ああ、もうこんな時間。少し書類をため込んでしまったので片づけないと。この辺で失礼しますね」
 口早にそう告げて、頭を下げる。
 私も倣って窓を見たが、光の加減を眺めただけではよく分からない。
 時計もなく影の位置ですぐに時刻を判別出来るらしいルーイを羨ましく思うと同時に尊敬する。
「それなら私も手伝いますよ。複雑なものは無理ですけど」
「いえ、僕が集中していなくて溜めてしまったものですから。カリン様はゆっくり休んでください」
 簡単な雑用ならと申し出たが、やんわりと断られる。集中出来なかった理由は恐らく私にあると思うので手伝わせて欲しかった。
「……分かりました。ルーイ、前にも言いましたけれど様はつけないで良いです」
 断固として譲りそうにない気配を察し、手伝う事は諦めて別方面に注文を付ける。
 何度も呼び捨てで良いと言っているのに直る気配がない。
「う。は、はい。善処します」
 軽い指摘でぴんと背筋を伸ばす姿を見る限り、様付けは暫く継続しそうだ。
 同じ位の年なんだから、もうちょっと砕けた言葉遣いになって欲しいんだけど、高望みなのかと溜息をつきたくなる。
「あ、そう言えば変な話が耳に入ったんですけど」
 扉に向かい掛けたルーイが足を止め、思い出したように振り向いた。
「はい」
 黙したまま続きを促すと、彼は辺りを憚るように声量を落とす。
 そんなに人に聞かれたら不味い話なのかと耳をすませ、
「城下の方で縄で逆さ吊りにされた男の人達が見つかったそうですよ。背中に「吸血鬼参上」と書かれていたらしいんですけど」
 別の意味で人に聞かれたら不味そうな話に硬直する。話しているルーイも半信半疑らしく、あり得ないと言いたげな表情だ。
「……暇人のいたずらでしょうか。妙なこともありますね、カリン様」
 ルーイの話に絶句したシャイスさんが、「信じられない」とばかりに眉をひそめて私を見た。
 普段城で暮らしていれば荒唐無稽な噂話の域を出ないが、思い当たる節のあった私は声が震えないよう全力を傾ける。
「え、ええ。面白い、事件ですね」
 ニーノさん達だ。絶対そうに違いない。
 目を泳がせないように苦心しながら私はぎこちなく頷いた。




 

 

 

 

 

 

inserted by FC2 system