十五章/私の精一杯

 

 

 

  

「失礼します」
 キイ、と僅かに甲高い音がして扉が開かれ、暗い部屋に薄い筋を落とす。
 おずおずとした声と共に少年は顔を覗かせ、左肩からそっと隙間から滑り込んだ。
 立ち上がり損ねた中腰のまま彼の様子を観察する。
 恐縮しきりの姿だが、見上げるように見つめてくる目に疑惑や困惑はなく。
 部屋の主より先に返答した人に質問をぶつける素振りも見せない。
 そこは突っ込んで欲しかったところです。ルーイ。
 年頃の乙女の部屋に(恐らく)成人男性と二人きりで居るのに、爪先ほども心配されていないってどうなんだろう。
 私なら反撃できると思っているのか、もしくはシャイスさんは異性と分類されていない?
 前者はともかく後者は幾ら何でも無い、と言う事にしたいのだけれど、アニスさんにプラチナと、女性陣のさっぱりした対応を思うと否定できないのが怖い。
 城で貴重と言えるシャイスさんへの待遇も恐ろしいが。現状、何が恐ろしいかと問われれば、一月も経っていないのに城に染まり掛けている気がするルーイの将来が心配だ。
「ルーイが来たという事は、会議のご予定ですか? カリン様」
 音が立たないように扉をそっと閉じるルーイに目をやり、熱心に机の研磨率を上げていたシャイスさんが手を一旦止めて首を傾ける。
 頭の中の予定表をザッとさらってみたが、思い当たる節がない。
「いえ、その予定はなか、ったか……と、う、あわ」 
 答えようと唇を動かそうとしたが、かぶりを振ろうとした途端、がくりと身体が傾いて上擦った悲鳴が漏れた。
 正面に見えていた景色が一気に残像になり、天井に代わる。
 背中に軽い痛みが走って眉をしかめる。背中に当たった感触は硬いが石のような冷たさはない。
 両手で探るが、考えずともこの手触りは身近なものだ。
 ベッドの上に後ろ向きで倒れ込んだらしいが、理由は言わずもがなだ。
 言葉を探る間も止まったままだったので、長時間不自然な格好を貫いていたふくらはぎが限界に達したらしい。
 倒れた場所が場所なので怪我はないが、我ながら少し間抜けだ。心の中で少し涙する。
「いたた。いえ、そんな予定はなかったと思います。そんなのあったらここで道具整理なんてしませんよ」
 慌てて駆け寄ってこようとする二人を片手で制し、よいしょと半身を起こして手の届く範囲で身体の埃を払い落とす。
 道具整理には時間が掛かる為、細かな仕事や会議の合間にとはいかない。特に頭を使う作戦会議前なんてもってのほかだ。
 変に小物を触ろうとすればどうしても雑念が混ざり込んで上手く考えが纏まらなくなってしまう。
 それが気分転換になる人もいるかも知れないが、小市民思考の私は元の世界の品物を手に取るたび余計な事まで思い出してホームシックになりかける。
 はあ、と心中で息を吐き。左隣に纏めていた袋を引き寄せて、脇で僅かに散らばる小振りな壺をかき集めて袋に突っ込んだ。
 開いた口を太めの紐でクルクルと縛り、右手で鷲掴んで持ち上げる。
 片手で持つには少し厳しい重みに眉をしかめながらも、そっとベッドの隙間に置いた。
 袋の中の陶器が擦れ合う鈍い音が冷たい室内に反響する。
 片付けた事で多少ゆとりが出来たベッドの上に浅く腰掛け直す。高級とは言えない木の骨組みが軋み、ギシ、と鈍い音が響いた。
「そこの椅子に掛けて下さい。もしかして、私が忘れている用事とかですか」
 強張った右腕を左の指先で揉みほぐしながらルーイを見、首を揺らして机の椅子を示す。
 元から手入れはしているが、シャイスさんの努力によって古ぼけた椅子は漆器のように光っている。
「あ、では失礼します」
 ぺこりと礼儀正しいお辞儀をして彼がおそるおそる椅子に腰掛ける。
 珍しく腕に何も抱えていない為こざっぱりした印象だ。
 何時もの重みがないと本人も居心地が悪いのか胸元に手を当てたり放したりと落ち着かない。
 話し合いがあれば書類はなくても本の一冊二冊は持ち歩く彼の事だから、会議とかの話ではないだろう。
 投げたのは簡単な質問だが、即答はせず俯くルーイ。
 不安と恐縮を混ぜた彼の表情と、縮こまる姿にシャイスさんを重ねて眺めれば理由が何となく想像付く。
「用事は、無いんですけれど。気になって」
「うん。いえ、ええ。多少予測はしてました」
 相槌を打ちながら、はーと溜息をつきたくなったが飲み込んでベッドの上に深く座り込む。
 仮勇者候補というなんとも微妙な立場の私だが、ありがたい事に側には心配してくれる人が数名いる。
 シャイスさんを筆頭に、アニスさん、マイン、ルーイと続く。
 暴走したら危ないメンバーとも呼べそうな気もする顔ぶれだ。
 城内部や城下へ漏れると不味いと判断された誘拐騒ぎはプラチナの手によって闇に葬られ、表向き、私は買い物に行ってうっかり遭難した手間の掛かる小間使いといった認識だ。
 警戒心が足らなかった私の自業自得だから超方向音痴で定着するのは良いんだけれど、上司のシャイスさんが半狂乱になったという噂はどうやってぬぐい去ったものか。
 噂は噂で塗り替えるのが手っ取り早い。
 ここは一つ派手な事件でも起こして、と考えたが事態が悪化する上に目立つし、謹慎中の身ではあんまり大きな事は出来ない。
 四六時中貼り付いているシャイスさんを見ていると過保護な上司で良いかな、とも思えてくる。シャイスさんが私の世話を続ける限りどんな噂も効果がない気がする。
「朝、顔を合わせるだけですし。心配で」
 憂鬱さで半眼になる私を不安そうに覗き、城の中での過保護者トップスリーに名を連ねそうなルーイが呟く。
「この通り至って健康体です。むしろシャイスさんを見張ってて欲しいです」
 城に帰ってきてから何度となく気遣われたが、怪我は吸血鬼宅で治して貰って傷の一つもない為、部屋に籠もらなくても良いほどだ。
「カリン様が動かれないので私も動いてません。安静にしてますよ」
 じっくり言外の意味を含めて告げたら、今一番の重傷者がしれっと曰う。
 見た目はほとんど傷のないシャイスさんと私を交互に眺めて、ルーイが困ったような顔をする。
 追及するのも疲れたので予備に置いている椅子を指したが、シャイスさんはいつものように座る気はないらしく首を左右に振る。
 両腕で身体をずらして僅かに脇により、ぽんぽんとベッドを示したら少し迷うような素振りを見せた後、首を振った。
 ベッドと椅子の座り心地の微妙な差違は分からないが、座るならベッドの方が良いらしい。
「カリン様の部屋は、あまり来ないですけど綺麗ですね」
 ちらちら部屋に視線を巡らせていたルーイがほっと息をつく。
 そう言えば話は何度かしたけれど部屋の訪問は出会った時くらいか。
 言われて自分の割り当てられた部屋をじっくり観察する。
 備え付けられたベッドに小さい机と椅子。本棚と棚が合わさった物が一つ。
 簡易的な家具が一通りあるが、全ての部屋が似たような作りだったから、私の部屋が特別というわけでもない。
 棚には持参の湯呑みやカップ、急須が一揃い置いてある。全て百円で揃う世の中ありがとう。
 お財布の中身的に高い物が買えないのもあるけれど、何時部屋ごと潰されるか分からないので高価な品が置けないというのが大方の理由だ。
 大事な品は大抵肌身離さず持つように気をつけている。元の世界では絶対に無いだろう物騒な理由に沈み掛けるがこの程度の事を気にしてはきりがない。
 机の上に数冊の本が絶妙のバランスで積み上がっている。そう言えば昨夜眠気に負けて途中で読むの止めたままだった。
 数刻前と角度や位置が変わっていないところを見ると、シャイスさんは掃除の際書類や本には触れないよう細心の注意を払っているらしい。
 余裕があるなら年頃の女の子らしくベッドのカバーを取り替えたりカーテンを付けたりしたいけれど、そんなゆとりも時間もない為、出来ないで居る。
 持ち込んできた小物を全て取り去れば殺風景で味気ないただの小部屋だ。使いやすいように整えてはいるが、綺麗と言われるほど片付けてはいない。
「私は武器を置きませんから他の人達よりは手狭に感じないだけだと思います。てことは誰かの部屋でも見たんですかルーイ」
 この手の質問は比較対象が無いと出ない物だ。何故か和んでいるらしい彼を見る。
 尋ねた瞬間、ルーイの表情が一瞬強張る。
「ええ、アニス様のご用事に付き合ってマイン様のお部屋を少し」
 切れ切れな台詞に納得がいって同意の頷きを返した。確かについ先日通されたマインの部屋は綺麗とは違っていた。
 小物が多いだけではなく、狭いというか。普通と違う大きさの物がやたら眼にはいるというか。
「マインはですね、あれはあれで普通ではないと思いますよ。武器が違いますから」
 修理が終わったのは良いんだけれど、部屋の半分ほど占めるブーメランはどうにかしたほうが良いと思う。
 マインにとっては重くも何ともないのだろうが、一般人の視点からすると部屋に入ってすぐの場所で大きな木材が無造作に立てかけられているような物だ。
 何時倒れてくるか冷や冷やして長話も出来ない。
「ああ、それはプラチナ様も仰っていましたよ。ですから、部屋を替えましょうかと何度かお尋ねしたんですけれど、ここが良いの一点張りなんですよね」
「慣れた部屋に愛着がわいたんですよ。きっと」
 言っておいて何ではあるが説得力がない。マインの事だから抜け出しやすい位置が近いとかそんな理由の気がする。
 シャイスさんは「そうですね」となんでか納得している。この調子で夜中の抜け出しとか見逃してしまっているのだろう。
「ええっと、それで。あの」
 更に視線を彷徨わせた後、俯いて唸るルーイ。話題を探しているのもあるのだろうが、冷や汗の理由はそれだけではないだろう。
 気持ちは分かるので口を開いた。
「気を使わなくて良いですよ。狭いなら狭いって言って平気ですから」
 人口密度が著しく上昇した自分の部屋を見る。軽く視線を這わせるだけで他人の顔がすぐ隣に映る。
 ここに来たばかりの頃、一般人の私に割り当てられたのは他の勇者候補と近く、同じタイプの部屋。
 今思えばかなりの好待遇だ。
 先程の呟きは愚痴のようにも聞こえただろうが、現在の部屋に不満はない。
 部屋自体が狭いわけではなく、目を背けたくなる程の悪環境でもない。
 基本的に一人で過ごす事を好む勇者候補を前提とした部屋は、二人を過ぎると窮屈さを感じる。
 ただただ単純に狭い。
 なんだか息苦しいし、室温も上昇した気がする。
「いえ、一人部屋としては充分な広さだと思います!」
「そうですね。カリン様だけなら快適な……はっ、カリン様。私の事をお邪魔だと思ってますか!?」
 ルーイが胸の前で両の拳を握りしめ、力強く断言し。四六時中共にいるお世話係のシャイスさんが悲しそうな顔になる。
「そうじゃなくて、私の部屋ってなんだか人の出入りが多いんですよね。だから余計狭く感じるんですよ」
 勘違いに軽く片手を振り、朝早くから扉を壊しかねない勢いで開いた勇者候補や、その後に書類を両手に抱えて来た上司とかを思い返す。
 前者は挨拶だけで帰ったが、後者の書類攻めからはそろそろ逃れたいところだ。ああいう書類は私ではなくルーイに渡して欲しいと何度も言っているのだが抱えてくる。ごねる上司に押され少しだけならと頷いてしまう私も悪いのだろうけど。
「そう言えばこのお部屋は人が良く尋ねてきますね。アニス様とマイン様が多いですが、プラチナ様も足を運ばれていますし」
 本日来襲してきた面々を思い出すように、指折り数えるシャイスさん。
「このままだと直ぐにでも使用人うんぬんの噂が怪しい物となりそうですよね」
 今まで気にしないようにはしていたが、考えれば考えるほど私の部屋って怪しい気がする。
 勇者候補の半分以上が来る使用人の寝室ってどうなんだろう。よっぽど優秀か、個人的に親しくしてないとあり得ない状況じゃないだろうか。
 私の言葉に耳を傾けていたルーイがぽんと手を打って、にこやかに微笑んだ。
 一点の曇りもない青空のような晴れやかな清々しい笑みだ。
 何か名案でもあるのかと期待を寄せながら彼を見る。
「その点に関しては大丈夫ですよ。ついこの間聞かれたんですけれど。この部屋は倉庫と間違われているみたいなんです。
 書類や本が大量に運ばれるせいでしょうけれど」
 紡がれた言葉が頭の中で反響する。
 そう、こ?
 部屋に帰るたびお疲れ様ですと使用人さんに言われて、仮勇者候補だと気が付かれているのかと肝を冷やしてはいたが、まさか。
 倉庫整理お疲れ様ですって意味なのでは。
 夜中に部屋の前で他の使用人の人に目を合わせて貰えないのは私が不気味に見えるからじゃなくて、夜遅くまで倉庫に残る私への同情と労りから声を掛けないでおこうという事だったんじゃ。
 思いも寄らぬ衝撃の真実に私とシャイスさんは沈黙した。
 

 

 

 

 

 

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