十五章/私の精一杯

 

 

 

  

 ベッドのクッション部分に腰掛け、焦げ茶の壺を量るように両手に掲げ、唸る。
 そんな人物は端からどんな風に見えるんだろう。
 変な人? 好意的に眺めれば学者のような悩みに思いを馳せているように見えるのだろうか。
 三歩どころか千歩譲ってもそんな風に見えない事は、自分でも分かってはいるけれど。
 思わずむむ、とうめいてしまうのは仕方がない。
 誘拐事件から三日ほど経ち、落ち着いたのもあってナップザックを整理していたが片付けていくごとに露わになる惨状に泣きたくなる。
 両手に持っていた丸形の壺を睨み付けていたが、睨んでいても中身が変わるわけでもないので深い溜息をついてベッドの上に零れ落とす。
 割れないように気をつけてはいるが、やや乱暴に落としてしまうのは私の気持ちが荒んでいる証拠だ。
 大コウモリから逃走する際水中に没した鞄の中身は、涙無しでは語れない有様だ。
 基本一般人以下の攻撃力しかない私は、武器となる品を必要最低限は持ち歩く癖が付いている。あの日も例外なく戦いに使えそうな品を幾つか仕込んでいた。
 煙幕代わりになり、使いどころを選ばない粉爆弾。嗅覚や視覚があれば即座に防ぐ事の出来ないだろう胡椒爆弾。その他諸々。
 ここまで言えばお解りだろう。私の数少ない手数の幾つかは使う前に使用不能となった。
 密閉したと言っても、所詮素人が塞いだ壺。短時間とは言え完全に水中に沈んだ壺には致命的な量の水が入り込んでしまった。
 主に粉系統は最悪だ。小麦粉を使用している為に水が入り込んで粘土のようになっている。
 乾かしても粉には戻らない事は明白。
 いざ使おうとして不発では話にならない。断腸の思いだが、未使用の粉爆弾は全て廃棄せねばならないだろう。
 戦わずして消耗品が消えた。これは痛い。
 また作るのは良いけれど、材料も限られているから数もあまり増やせない。
 手持ち武器がかなり減ってしまった。仕方のない事とは言え憂鬱になる。
 撹乱用の道具が減るなんて勇者候補ならいざ知らず、一般人の私には致命的だ。
 暗澹たる気分で湿気ってしまった壺を取り出し、唇から息が零れる。
「大丈夫ですか。何かありましたか?」
 何度目とも知れない溜め息を聞きとがめ、部屋の端に設置してあるランプの油を何度も確認していたシャイスさんが不安そうにこちらを向く。
「いえ、平気です」
 目減りしたが、作り溜めはしていたので長々落ち込むものでもない。
 首を左右に振って残りの壺を再利用の文字が書かれた袋に詰め直す。中は駄目になっても、容器に傷はないので洗えばまだ使用可能だ。
「そう、ですか」
 ほっとしたような溜息に今度はこちらが口を開く。
「というかですね、私の事はどうでも良いんです。寝てましょうよ」
 アニスさんに反射的に殴られ記憶まで飛んだシャイスさんは、驚異的な回復力で既にベッドから起きあがり私の世話を焼いている。
 世話を焼いている、というか、心配の余りベッタリくっついているというか。
 ボロボロだったらしい白い法衣は、私が様子を見に行った時にはもう着替えさせられていた。 
 眠っていた時も、今もゆったりとした服の為、怪我の状態は判別できない。傷らしい傷は頬位で、大きめの怪我は服の中だろう。
 取り敢えず昨日貼ったばかりだというのに剥がされていたほっぺたの絆創膏は出会い頭に貼り直しておいた。
 直接傷口を見たわけではないので怪我の程度は知らないが二日寝込んだ時点でまだ絶対安静だと思う。
 意識取り戻して一日目辺りで仕事するとか正気の沙汰ではない。
 周囲に冷酷と評される上司は病み上がりに書類を押し付けるほど鬼ではなかったらしいが、空いた時間が幸いとばかりに私の側から離れなくて困る。
 何をするにも見られていて、気が散ってしかたがない。
「どうでも良くはありません。またあんな事があったら困りますし、私はカリン様のお側にいます」
 私の至極まっとうだと思える抗議に、大人しいシャイスさんには珍しく腰に手を当て怒ったような顔をする。
 気持ちはありがたいし、不安なのも分かるんだけど。ここは街中ではなく城の中だ。しかも私の部屋の中である。
 結界も張ってあるのにどうやれば攫われると言うのか。
「なんと言われても、ここにいますから」
 キッパリと言いながら、ランプの外側を取り外し、懐に仕舞っていた布で丹念に磨く。キュ、と鈍い音が数度響き。
 静かに被せられたランプは顔が映りこむほど磨かれていた。
 この姿を見る限り、お世話係というよりも家政婦さんかお母さんみたいだ。
「しかし、この部屋は油の減りが遅いんですよね。カリン様、結構遅くまで起きていますよね」
「そうですね。良いじゃないですか経済的で」
 理由に見当は付いていたが微笑んで誤魔化す。
 油が減らないのはもちろん、私が健康優良児な生活を送り始めたなんて理由ではない。
 まあ、召還当初は訓練のあまりのヘビーさに夜更かしなんて考える前に気絶してたんだけど。
 大分見慣れてきた壁に目線を這わす。
 昼間ではあるものの、薄くしか開かれていない窓のせいで辺りには薄ぼんやりとした光が零れるだけ。
 ゆらりと視界に白いものがよぎり、反射的に掌で受けたが確認してなんとなく脱力する。
 ホコリ。
 何の変哲もない綿埃。ほんの少し白いのは天井近くにあった為だろうか。
 瞬きも、掻き消えもしない埃を見つめ、小さく安堵の溜め息を吐き出す。
 輝虫の死骸じゃない、か。
 天井近くの、潜んで居るだろう場所に目線を巡らせるが、光りもしない。
 私が必要と感じて目を向ければふわふわ降りてくるクセして人目があれば意地でも現れない。
 全く、よく分からない生物だ。死骸らしいものが数日で掻き消える時点で生物かどうかも怪しいんだけれど。
 油の減りが遅いのは当たり前、ランプ自体使っていない。
 今まで廊下でチラホラ目撃していた輝虫は、洞窟の時のように袖や服の隙間に入り込んでくるらしく、私の部屋は輝虫の乱舞する妙に幻想的な空間となっている。
 私にくっついて移動するのは良いのだけれど、何故部屋に住み着くんだろう。
 集団で集まられると明るいを通り越して眩く感じる光だが、私の睡眠時には大人しく光を消してくれるので睡眠妨害にはなっていない。
 ランプを移動する手間が省けるので最近は輝虫を明かり代わりに使うエコな生活だ。
 人の気配をいち早く察知して掻き消えるのに慣れれば便利ではある。
 まだ慣れない現在、明かりを灯さない闇の中。壁に激突している姿に疑問を持たれるが。
 いい加減暗闇に慣れないと壁にヒビが入るかも知れない。 
 私の微笑みに首を捻るシャイスさんだが、常々高いと零す油の節約には文句はないらしく不思議そうにランプを眺めながらも追及はしてこなかった。
「そういえばカリン様」
 手に持っていた布をぎゅっと握り、シャイスさんが俯く。
「何ですか」
 ちらちらとこちらを伺う様子から、言いにくい事なのかと思ったが、沈黙を挟み、目線で促す。
 黙っていてもしょうがないと考えたか、彼が恐々と口を開く。
「アニス様が妙に優しくて不気味です」
 俯きがちな言葉にああ、と頷くと同時。不気味とまで言わなくてもと思う。
 確かにアニスさんからの扱いは基本雑で、ヒールで踏まれるシャイスさんはもはや風物詩になっているけど。
「ええと。その。私、何が原因で倒れたかは分からないんですけど」
 シャイスさんが難題を押し付けられた時のような渋面で眉を寄せ呻く。
 曖昧な表情にならないように笑みを作り、聞いてる素振りを装って頷いてみせる。
 不幸が重なり、悲しい事件が起きたが前後の記憶がないのは幸いだった。都合がよかったと言い換えても良い。
 詳細に話したところで傷口を抉るどころか廊下に出られなくなる事請け合いなので、気絶していたとまでしか教えていないし、加害者であるアニスさんにも口止めしている。
 記憶の残滓か、アニスさんの姿を視界に入れるたびビクビク震えるが、彼女を認めて逃走、等と言う事にはなっていない。
 とは言え。
 脅えられると加害者である分アニスさんもそれなりに良心が痛むらしい。 
「アニス様から「何かあれば力になるわ。勿論男女の関係になれは駄目よ」と微笑まれたんです。
 思わず「そんな恐ろしい事考えた事もありません」と正直に答えたんですけれど、殴られませんでした。
 拳を握って震えていましたが」
「何で一々喧嘩売るんですか」
 困ったような顔で首を傾けるシャイスさんに軽く突っ込む。
 話を聞く限り、殴られない、ではなく殴れなかったのだろうと予測は付く。
 また沈められても困るので、アニスさん耐えてくれてありがとう。
 殴られた記憶がないからなのか、元々の性格か。なんて命知らずな事を。
「いえ、アニス様は素敵だと思います。けれど。顔を合わせるたびに女性とは見られないというか」
 ボソボソ言う言葉が後半からかき消えるようなか細さになる。
 言いたい事は少しだけ、分かる。
 私も初め見た時は素敵な人だと思った。だが、地獄のスパルタ等を味合わされた後だと素敵な微笑みが悪魔の笑みにしか見えない。
 時と場合にも寄るが、今では彼女の柔らかそうな腕も獲物を締め上げるヘビの胴体に見えてくる。
 よくある記憶の塗り替えだ。古い記憶が新しい認識で上書きされたというヤツだ。
 物騒な方面に塗り替えられた現在、意識の片隅でアニスさんの名前の側には取扱注意の札が置かれている。
「でも気を取り直したように「そうね、私もシャイスと異性のお付き合いできないもの。でも何でも言いなさい」と述べて去っていかれたのですが。
 労りなのか、からかわれたのか。やっぱりからかわれただけですか。私、からかい甲斐があるって言われますし」
「心配してるんだと、思いますよ。多分」
 アニスさんなりの気遣いなんだろう。掛ける言葉の方向性がかなりずれているけど。
 不安そうに問われ、強張った笑みしか返せなかった。
「そうだと良いんですが」
 瞳を伏せ、俯く彼の姿が小さく見える。何か気がかりがあるのかと目線で問いかけると、切れ切れに言葉を紡ぎ。
「アニス様の事ですから、何か企んでいらっしゃらないかと。不安なんですよね。
 姿を見るだけで嫌な予感らしき悪寒まで感じるんです!」
 肺から息を吐き出すように一気に言い切り、自分の両肩を押さえ震えるシャイスさん。
 それはきっと嫌な予感ではなく、記憶の片隅に残った恐怖だと思います。
 恐怖する彼に掛ける言葉を探りながら、片手を軽く振って優しく微笑んでみた。
「疲れてるんですよ。ほら、あまり寝てないから。ええと、やっぱり」
 ――やっぱり縛っておくべきか。
 安堵させる為の答えに、朝方からずっと思っていた言葉が滑り込みそうになって噛み千切る。
 いけない。ついつい口に出すところだった。
 寝込むほどの傷も心配だし、アニスさんとの交流で何時記憶が戻るか冷や冷やする。
 いっそのことベッドに縛り付けておこうかとの誘惑が頭の片隅をちらつく。アニスさんじゃなくて私が恐怖の対象になりそうだからやらないけど。
 うん、やらないけど。シャイスさんが無茶したら躊躇わず縛ろう。
「カリン様! 今何言いかけたんですか。なんか怖い事言いそうになりませんでしたか!?」
「いえ。やっぱり寝てたほうが良いですよ、と思って」
 シャイスさんが聞いたら凍り付きそうな決定をし、素知らぬ顔で小首を傾げ言い繕う。
「そんな穏やかな感じではなかったですよ。目がなんか微妙に冷ややかだったんですが!?」
 冷や汗を流しながらの指摘に心で溜め息。やはり私は軍師には向かないらしい。
 僅かとはいえ悟られるなんて策を弄する人間としては致命的。
 それもちょっぴり鈍めなシャイスさんに気が付かれる辺りバレバレだと言う事だ。
「シャイスさんは病み上がりですし。身体に負担が掛かるような事は考えてませんよ」
「そ、そうですか。安心なような。逆に不安が増したような」
 素直に答えを返したら、不安げに私を見た後、シャイスさんが溜息をつく。
 深く考えるのは止めたのか諦めたように壁に寄せてある机に歩み寄り、表面を磨き始めた。
 疑惑の視線に少し言い返そうかと舌を動かす前に、ノックが部屋の冷たい空気を震わせた。
「あの、済みません。カリン様、宜しいですか」
 暫しの沈黙を挟み、小さな声が尋ねてくる。
 これがプラチナやアニスさんなら直ぐに扉を開くだろう。マインは扉を壊す勢いで突撃してくる。
 伺うような間を置いての問いかけに、声の主に見当が付く。
 様を付け私を呼ぶ人は多くない。シャイスさん、フレイさん。ルーイ。
 これは間違いなくルーイだ。まだ慣れていないから扉の前で縮こまっているのだろう。
 安心させようとベッドから腰を浮かし、扉に向かって答える前に。
「空いてますよ。どうぞ中に」
 木目をなぞるように拭うシャイスさんが扉を一瞥もせず、世間話の相槌のような気楽さで声を掛ける。
 ……えーっと。
 掛ける言葉を奪われ、中腰のまま止まる私。

 ここ、私の部屋なんですが。

 

 

 

 

 

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