十四章/居場所

 

 

 

  

 濃霧と暗闇は少し似ている。
 進んでいるのか止まっているのか。それとも同じ場所を巡り続けているのか。
 延々と歩み続ける不安。初めて召還された日、歩いた廊下を思い出す。
 この道もきっと、何時か何処かにたどり着く。
「お前さ。ホントに勇者候補なのか」
 黙々と足を動かすだけだったカルロが躊躇いがちに尋ねてきた。顔は良く見えない。
 握られた手がほんの少し動いた気がした。
 吸血鬼は体温が低いらしく、ひんやりしていた掌は、私の体温で暖まってしまっている。
「違うと思いますよ。間違い召還ですから」
 似たような事を問われても答えは何時も一緒。
 違う。私は勇者になれない。軍師にもなれない。
 似た事が出来る、それだけ。中途半端なまま。
「でも勇者候補って言われるだろ」
「みんながそう思ってるだけです。努力じゃ才能の差は埋まらないんですよ」
 城では余り口に出来ない言葉は、国の情勢とは無関係である吸血鬼の少年の前ではすんなりと滑り出た。
 そう、努力しても追いつけない。別の方面でもマシになるだけで才能がある人材が出れば私は半端なだけ。
「根から駄目なら勇者候補って認められないんじゃないか」
「……生きるだけなら駄目でも良かったんですけどね」
 生きて還りたかった。原動力はたったそれだけ。
 そのためならやれる事をした、訓練、読書、術の練習。人を動かし、不利を有利に傾ける。
 人間、頑張れば何とかなるんだと思う。何とかなったけれど、思うようにはいかない。
 世の中上手くできている。それとも更なる神の試練か。神様なんて信じたくないけど。
「変なの。勇者候補ってさ、みんな憧れるだろ」
 淡々と答える私に不思議そうにカルロが瞳を瞬かせる。
 皆の憧れ。聞こえは良いが、私の場合裏方作業なので恩恵とかは無い。
 むしろ攫われるわ殺され掛けるわとマイナス方面に動いている。
「勇者候補も色々あるんです。私は別にみんなに憧れられたりはしてないと思いますよ」
 間違った尾ひれの付いた噂のせいで腕利きの軍師と思われている手前、忍ぶ身なので有名になっていても困るし。
「まあ、お前が魔物を一刀両断にする場面なんて考えつかないけどなー」
 本人が目の前に居るというのにからからと笑われた。
 ほっといてほしい。
 どうせ剣技も魔術も駄目駄目です。
 問いに答えると、次の問いが見つからなかったのか彼が口を噤む。
 再び辺りは静まって、下生えを踏みしだく音だけが続いていく。
 鞠つきにも似た定期的なリズムに、少しだけ眠たくなってくる。
「まだですか。城」
 眠気と欠伸を飲み込んで首を振る。
 びくっと握られた手が強張った。
「あ、ああ。うん、もう少し」
「…………迷ってたりしませんよね」
 挙動不審な反応に不安になる。
「今日は大丈夫だ! 怪我してないし」
 力一杯頷かれたみたいだけど、大仰な動作が余計不安を煽る。
 怪我したら方向感覚狂うんだろうか。普通は逆じゃないだろうか。
 じっとりと見つめてみるとぷい、と顔を背けられた。
 身体を傾けて更に見る。
「な、なんだよ。合ってるからこっち見んな」
 凄い勢いで上体を捻られ、掴まれた腕ごと回転する身体を踵で押しとどめる。
 危ない。顔面から地面に直撃だった。
 普段なら文句を言うところだけど、微かに見えたカルロの顔を思い出して苛立ちを引っ込める。
 なんか、赤かった。
 辺りが暑いわけでもない。肌寒いほどで上着を羽織っててもぶるりとしてしまう。
 しかも拗ねるように唇が尖っていた。
 ええと、これは。吸血鬼と比べればなけなしの経験をかき集めて口を動かす。
「照れてます?」
 静かに尋ねたら彼の肩が面白い位跳ねた。
「ち、違う! 断じて。こ、この俺が小娘一人の手を握った程度でってってって……照れるなんて事はあり得ない!」
 霧があっても遠目で分かるほど赤面しててその台詞はどうなんだろう。
 思春期の少年並みかそれ以上の動揺ぶりを笑って流すべきか、真面目につつくべきか。
 グリゼリダさんやニーノさん辺りなら確実に後者なんだろうけど。
「でも成人はしてないんですよね」
「う。言うな……吸血してないからそうなんだけどさ」
 あまり虐めると非行に走りそうなので別角度から聞いてみる。やはり気にしている事なのか、彼の端正な顔が僅かに歪む。
 吸血は成人の儀とは少し違うのかも知れない。血を吸えないと影と現の狭間で佇んだままらしいから。
 分かっては居たけど大まかに考えて成長基準として使わせて貰った。吸血鬼の風習を知りたい好奇心もほんの少し。
 ふて腐れた顔をしているカルロからそんな事は聞き出せそうにもなかったけれど。
「だったら小娘じゃないですよ。同じ未成年同士です」
 箱入りのカルロと私なら、人生経験値はそんな変わらないと思う。
 空いている左手の人差し指を立てて言い切ると、彼が渋い顔をした。
「無理あると思うぞ。五十には見えないし」
「見えてたまりますか」
 思わず半眼になって唸る。
 精神年齢の事を言ってるのに何故実年齢を出してくるんだろう。
 実年齢で五十越えてたら人類なら間違いなく女の子じゃなくなっている。
 なにやら言いたげに唇を摺り合わせるカルロにふと気が付いて目を細めてしまった。
「な、なんだよ。変な顔して」
 弄って下さいと言わんばかりに眺めるだけで彼が動揺を加速させる。
 今の私はきっと凄く楽しそうで、そして意地悪そうな顔をしているに違いない。
 あの兄妹の気持ちがよく分かる。なんだか虐めたくなってくる反応だ。
「やっぱり照れてますね」
 にっこり微笑んでから再度尋ねてみた。
「ちがっ! 断じてそんな事はないぞ!?」
 説得力の全くない慌てぶりで否定するカルロ。
 へー、と軽い声を漏らしつつ聞き流してみる。
 ますます顔を朱に染める彼。全身から湯気が出てるかも知れない。
 ここまでからかい甲斐のある人も珍しい。
 怒っているのに掴んだ腕を振り解く事もない。紳士というのは嘘ではないのか。
 それともそこまで気が回らないほど動転しているのか。
 どっちかなぁ、と考えて。何となく上げた視線に入ったものに足を止めてしまった。
「あ、城」
「だから違うって! ん、城? お、着いたな」
 弁解を重ね掛けたカルロが私の視線を辿って気を取り直したように頷く。
 見知った場所、路地の場所も見覚えがある。
 掴まれた右腕を軽く掲げてみた。
「どした」
 不思議そうに首を捻られたので主張代わりに振ってみる。
「何だよ」
 腕を外して欲しいという思いは伝わらなかったらしい。
 小さく溜息を吐く。
「ここまで来れば大丈夫ですよ。この辺りは知ってますし、そろそろ日も高くなってくる頃だし」
 彼らの領域から離れたせいか霧が薄れていっている。いつもの通りなら、きっと朝日が差して少しの暖かみを感じられる事だろう。
 吸血鬼であるカルロには焼ける光だ。少し考えるように彼は首を傾け、何故か更に私の腕を掴み直しぎゅっと力を込める。
 ちょっとだけ痛い。
「…………もう少し街中まで送ってやる」
「え、でも。場所はちゃんと知ってますよ」
 予想外の返答に瞳を瞬いてしまう。これから先の時間帯は言うなれば火事の前触れだ。
 焦げるとか燃えるとか言っている人が付き添うのは無謀としか言いようがない。
「昨日攫われた人間をそのまま置いておけるか。
 俺から離れてすぐ攫われたら兄貴達に殺される」
 じとりとした眼で告げられてうっ、と呻く。た、確かに昨日の今日だし。
 でも、昨日来たから今日来るなんて危険は冒さないはず。けれども、犯人は同じ場所に現れるとも言うし。うう。
 それに万一攫われでもしたらニーノさん達ならカルロの言うように半殺しのお仕置きしそう。
「城の近くまで送ってやる。大人しく引っ張られろ」
「わ、分かりましたよ。ひ、引っ張らないで下さい! というか何で普通に手を繋ごうとしないんですか!?」
 ぐいっと勢いよく引かれ、肩が外れそうな感覚に反射的に抗議する。
 繋いでいた手はいつの間にか腕を鷲掴む形に変わっている。連行されている気分になってきた。
「手を、つな、ぐ」
 変な事を提案したつもりはなかったのだけれど、俯いて沈黙された。
 腕を掴む指にまた力が込められてとても痛い。アザが出来たらどうしよう。
 ずるずる引きずられながら何とか追いつこうと靴裏で地面を踏みしめ、駆け寄る。
 十歩足らずで私の奮闘は水泡に帰した。年が近い身体だとしても、男と女の差は埋められない。
 歩幅で負けて虚しく再度引きずられる。腕が本当に痛いです。せめてゆっくり歩いて下さい。
 


 

 

 

 

 

inserted by FC2 system