十四章/居場所

 

 

 

  

 腕を掴まれたまま引きずられるように歩き、見慣れた道に心の底から安堵した。
 自由の利く右手を手持ちぶさたに振り回してみる。
 問答無用の微笑みと共に腕を捉えられたが、口元と正反対の頑強さで抵抗も無駄そうだ。
 保護かも知れないけど、手錠を掛けられた気分になる。
 何処に行くとも告げず何をしていたとも聞かない彼を見ると、あながち間違ってもいないか。
 視線を動かして辺りを見回すが、正道より外れた場所にいる為か、日が昇った時刻にかかわらずひと気はない。
 ゆっくりとしたフレイさんの靴音と、引きずられる私の靴裏の音が響いている。
 歪に間隔を開き、連なる家々のくすんだ壁が堅牢な城塞の外壁にも見えた。
 ひゅ、と風が吹いて前髪がかき乱され、ぼんやりとした思考が途切れる。
 小柄な人影が一瞬で眼前を通り過ぎ、突き当たりになった正面にある樽に手を付く。
 随分走り回っていたのか、ぜえぜえと苦しげな息を吐き出し、座り込んだ。
「ちょっと、休憩してからもう一度探して。あ、ふれ……い」
 相手は柔らかそうな髪に小枝や葉を付けたまま、佇む人物を認め言葉を吐き出す。
 丁度フレイさんが影になっていて端の方しか相手が見えない。
 声に聞き覚えは、ある。
「お疲れ様です。まだ動けるなんて体力ありますね」
 丁寧に会釈して彼が微笑む。正直な感想のようだが、落ち着いた仕草も加わってからかっているようにも見える。
「そりゃ。あれ、後ろに誰か」
 憤慨したように跳ね上がった声が、背に隠れた状態の私に気が付き疑問に変わる。
 こちらを認めて刹那の沈黙。
 そして。
「カリンーー!!」
 涙混じりの叫びと共に見知った姿が飛び込んでくる。髪も身に纏ったマントも汚れていたが、間違いなく師匠でもある少年だ。
 反射的に名前を呼ぼうとして腕が解放されていたのに気付く。
 離された腕。勢い良く向かってくる少年。
 正面から向かってくる彼を抵抗無く受け入れようとして、思考を巡らせ。
 肌を刺す危機感に、数歩横にずれた。
 細い身体に見合わず、岩でも落ちたかのような凄まじい音を立て道に落下する。
 落下というか衝突の場面を間近で見て更に一歩退く。
「何するんだよカリン。痛いよっ」
 感動の再会シーンが壊され、目尻に涙を溜め頬を膨らませる。
 その表情は子供みたいで愛らしい。が、無言のまま視線で彼の落下地点を示す。
「下。下がなに。あ」
 自分が座り込んでいた地面の惨状に気が付いたか、拗ねた顔が気まずげなものに変わる。
 マインは見た目は無害だが万力を繰り出す腕力を持つ。小さくとも勇者候補は勇者候補だ。
 避けた私の代わりに粉々になった地面を見て冷や汗が流れた。
 危うく再会直後に永遠の別れになるところだった。
 私の注意で力加減に気をつけてくれてはいるが、我を忘れるとタガが外れるらしい。
 迂闊に手も握れないのでもう少し改善して欲しいところだ。
「もしかして私を捜してたんですか」
 砕けた足下から視線を逸らし、口を開くと、マインがふて腐れたように唇をとがらせ半眼になる。
「もしかしても、それ以外無いよ」
 間も置かずキッパリとした返答。断言され思わずたじろぐ。
 気持ちはありがたいけれど、答える目が怖い。
 飢餓状態で獲物を見つけた狼を思わせる、一種危険とも言える真剣な眼差し。
「昨日も今日もずうっっっと探し回ってたんだよ」
 肩を怒らせ頬を膨らませる姿は可愛いけれど、纏う空気には可愛さの欠片もない。
 私を見つけたというのにまだ安心できていないのか、指を差し出せば切れるような緊迫感が漂っている。
 それ程まで必死に探して貰えて嬉しいような、その勢いのまま顔を寄せられて胃が痛いような。
 首を伸ばされるだけなのに後退りたくなる。立ち上がって詰め寄られては居ないので唾を飲み込む事で自分を落ち着けた。
「なんだか汚れてますね。何処まで行ってたんですか」
 私が姿を消して、既に半日を優に超えている。捜索が広範囲にわたっていたのは分かる。
 でも、髪に付いた枝葉は何だろう。聞くのが怖いが無視も出来ず、問いかける。
 肩が凝ったのか首を伸ばすのを止め、マインが腕組みをして口を開いた。
「誘拐やってそうな所に全部当たってきたから少し汚れたかな。カリン以外の人達は助けられたんだけど」
 疲れたように溜息をつく姿を見直せば、枝の他に鋭利な刃物が掠めたような傷もある。
 足下には泥が跳ねた跡も見えた。服に幾つかこびり付いた赤黒い染みは汚れだと自分に言い聞かせる。
「治安はよくなったとは思うけど」
 言いながら立ち上がる声は重い。殆ど寝てないんじゃないだろうか。
 自分が原因でもあるので気の利いた労りの言葉が思い浮かばず、動かない唇の代わりに指先で絡まった小枝を取り除く。
 立ち止まった事で静寂が支配していた場に固い足音が響き。とても聞き覚えるある甲高い声が耳朶を打つ。
「きゃー。カリンちゃーん」
 黄色い悲鳴に次にくる衝撃に身をすくめる。
 風の唸りのような音がした。
 抱きしめられる温もりも、柔らかな肌に飲み込まれる窒息もない。
 喉元が少しだけ、ほんの少し苦しい。
「ちょっとー、邪魔しないでよ」
 通り過ぎて私の後ろにいたはずのアニスさんが、目線の先で柳眉をつり上げ立腹している。
「僕もかわされたもん。アニスだけ抱きつけるのはずるい」
 くるんと体が反転し、先ほどの視界に戻る。アニスさんの姿も見えなくなった。
 どうやらマインに子猫みたいに襟首を掴まれ、動かされているらしい。心に空虚な風が吹き、なんだか、無性に泣きたくなった。
 ふふ、懐かしいなあ。この間まで天井近くまで投げられたっけ。懐古的な気分に陥りながら遠くを見つめてみる。
 アニスさんが抱き付く気配を見せないと分かって、ゆっくり地面に降ろされた。仔猫のような扱いに目で少しの抗議をした後、
「ご心配をおかけして済みません」
 折り曲げられる限界まで身体を曲げ、頭を出来る限り下げて三人を見回す。
 喜び方が体当たり式だが大分心配させてしまったのは間違いない。
「それはいいのよ。事故みたいなものだもの、どうやって帰ってきたの?」
 頬に手を当て微笑むアニスさんに言葉を口の中で選り分けながら吐き出す。
「何とか逃げ出した所を親切な方に助けてもらいまして。場所も遠かったので一晩お世話になったんです」
 攫われた人達からではなく、大コウモリから逃げたりはしたが大筋は間違っては居ない。
 勇者候補が気にくわない、等という理由で私を生贄にしようとした彼らには制裁を加えたいけれど、笑ってないニーノさんの目を思い出すと、彼らが五体満足なのかはなはだ疑問だ。
「そうなんだ。親切な人もいるんだね」
 素直に感心するマイン。猫のように瞳を細め、アニスさんは唇に人差し指を当てる。
「ふぅん。カリンちゃんがお世話になったの、ならお姉さんとしてお礼を言うべきね。その人の名前と特徴、家族構成に住まいを教えて」
 そんな事細かに!?
 突っ込み掛けたが何とか飲み込んで笑顔を向ける。
 基本的には事実を伝える気だが、幾ら何でも全て包み隠さず教えるわけにはいかない。
 元々は嘘八百を並べるつもりだった。言い訳として色々用意はしたのだが、やっぱり何処かで粗が出てしまう。
 森に住んだ狩人に助けられた事にしてしまう、なんて案もあったけれど。勇者候補が危険と言う森で狩人一人が住むなんて不審どころか異常だ。
 プラチナが聞けば勇者候補に是非欲しい人材だ、と真顔で言いかねない。
 多少無理があったとしてもここは素直に、種族は隠したまま教えるべきだと思い至った。
「お世話になったと言っても一晩ですし細かいことは」
 住んでる場所を教えるわけにはいかないので曖昧に誤魔化す。嘘でもないし。
 霧深い森の何処にあったかなんて覚えていない。更に言うなら何処の森かも分からない。
 今度遊びに行くとは言ったけれど、どうやっていこう。
「そうなんだ。つまらないわね」
 密かに悩む私を見て、ふうとアニスさんが息を吐き出す。
「見た感じは三人兄弟みたいでしたけど。綺麗なお姉さんもいました」
 つまらないって何ですか、と問いつめるのは止めにして覚えている限りの情報を渡す。
 我ながら軽々と話してはいるが、考え無しの発言ではない。
 城下の様子に興味を引かれていたニーノさんの姿を考えると、そう経たず町に降りてくるだろう。
 吸血鬼なのに太陽が平気だと言っていたし、他の障害も案外あっさり乗り越えて白昼堂々買い物とかしていそうだ。
 偶然出会った時、名前を呼ばれたら「知りません」で通るわけもない。だったらいっそ、彼の存在を臭わせていたほうが良い。
「お姉さん!?」
 私の言葉に青ざめショックを露わにするアニスさん。お泊まりの件には全く触れられない。
「反応するのそこなんですか」
「はっ、違った。男と一晩!?」
 半眼で突っ込んだら言い直してきたが、後付で言われるとどうでも良く聞こえる。
 吸血鬼に助けられたあげく一泊した事には気が付かれていないが、アニスさんの蒼い瞳が輝いている。
「えー、男と一晩」
 何故かむくれるマイン。吸血鬼とお茶会を開こうとも、人様に顔向け出来ないようなことは誓ってやっていない。
「一応言っておきますが何も無いですから。心ときめかせたところで無いものは無いんです」
 瞳を潤ませ、期待か想像に胸を膨らませているらしいアニスさんに釘を刺しておく。彼女一人だけでとどまる誤解だけならともかく、城で身に覚えのない噂に翻弄されたくはない。プラチナから頼まれ続ける仕事にも私生活にも多大な悪影響がでる。
「ちぇー。でもそうよね、カリンちゃんだもの」
「ところでシャイスさんはどうしてるんですか。
 心配性なのできっと大変なことになってるとは思うんですが」
 妙な納得は追求せず、気になっていたことを訪ねた。
 慌てたシャイスさんが無茶をやっていないか不安で仕方がない。
「えっ、あー。シャイスね、シャイス」
 視線を斜めにずらし、アニスさんが引きつった顔で頬を掻く。
 彼女にしては珍しく焦ったような仕草に視線が吸い寄せられる。
 むくれていたマインも頭の後ろで腕を組み、鼻歌なんかを歌い始めた。フレイさんを見ると微笑みだけが返ってくる。

 何ですかこの反応は。何でみなさん目を合わせてくれないんですか。

 分かりやすく目線をそらせているアニスさんの視界に無理矢理割り込む。
「何かあったんですね」
 予感ではなく確定された未来に昏い声を吐き出す。
「特別おおごとでもないのよ。ちょっとした不幸というか、そう、手違いなのよ!」
「なにやらかしましたか」
 この口振りから察するにアニスさんが主犯であろう事は容易に想像がついたので尋ねる。
『…………』
 緊張の混じった、重い空気が漂った。

 だから何故そこで全員黙るんですか。

 嫌な予感しかしない。
「カリンちゃんの言うとおりシャイスは心配性なのよね。
 カリンちゃんを襲った車に()ねとばされても知らせに来ただけで見上げた根性だって言うのに」
「撥ねられてたんですか!?」
 深々と嘆息して告げられたのは寒気を催す事実。降り注ぐ日差しが冷たい雨に感じる。
 攫われた時、私を呼ぶ悲鳴は届いていたが、ハッキリした声だったので交通事故になっているとは思わなかった。
 一般人並みかそれ以下な身体能力のシャイスさんが撥ねられるって、大丈夫なんだろうか。
 曖昧な三人の言葉を考え、どんどん不安が押し寄せる。
「車体が掠めただけみたいだから見た目よりは酷くないわ。傷だらけではあるけれど」
 最悪の想像を巡らせて青ざめる私に、アニスさんが優しく微笑みかけてくる。
「まあ、お姉さんも多少は見直したのよ? けどあんなふらふらな状態で何度止めても捜索するとか意固地な事言うから、つい」
「つ、つい?」
 軽傷で済んだ事にホッとするが、眉間に皺を寄せ言葉を濁す彼女の様子に嫌な予感が肌を焼く。
「走り出したシャイスを思わず加減しないで殴っちゃったのよねぇ」
 苦笑混じりにぱたぱた右手を振るアニスさん。気軽な台詞に血の気が引く。
「それで今は寝込んでるって訳、ちょっと強く殴りすぎたかしら」
 顎に手を当て困り顔だが洒落になっていない。
 勇者候補のアニスさんの強めの一撃。
 一召還者であるシャイスさんがそんなものを喰らった事実だけで気が遠くなる。
 数度アニスさんの本気の一撃なる物を見たが、唸った鞭が練習場の硬い壁を縦に浅く裂き、弾け飛んだ石を粉々に砕いた。
 マインやアベルと比べれば見劣りする一撃だが、並の人間の攻撃ではない。
 私、それ受けて生きてる自信ないですよ!? 
 本当に寝込んでるだけで済んでるんですか! 臓器大丈夫ですよね!? 
 涙混じりに詰め寄りそうになった所で遠い目になったマインがぽつりと漏らす。
「まだ起きてないしね」
 軋む首を無理矢理彼に向ける。蒼白な私の顔を見られないのか、気まずそうに視線をそらされた。
「カリンさん、シャイスの様子見に行きますか」
 同僚が生死の境のような状態だというのにフレイさんは相変わらず穏やかな顔だ。
「勿論いきます」
 断る理由は無論無くて、私は力一杯頷いた。


 結局、その後二日間シャイスさんが目覚めることはなかった。
 意識を取り戻した彼の記憶が殴られた前後、綺麗さっぱり消滅していたのは良い事なのか悪い事なのか。
 アニスさんを見るなり脅えてベッドの端に縋りついていたから微かな記憶は残って居るんだろうけど、ほんとに、どんな力で殴ったんですか。
 シャイスさんが死ななくてよかった。
 


 

 

 

 

 

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