届かない星を掴もうと藻掻くように、薄闇へ向け指先をさまよわせ、気が付く。
ソレには形がある。
薄い布のように見えるけれど、輪郭があって。
これ、なんだろう。
衝撃で狭まっていた視界が急速に広がっていく。
あ。そうか。
今まで見つめていた不思議な闇の正体に気が付き、一歩後ずさる。
これ、羽なんだ。真っ黒じゃないけど、薄い朝焼けみたいな。
瞳を閉じたカルロの目元を覆うように両の羽が広がっている。彼は彫像のように動かない。
他の人がどんな感想を持つのかは知らないけれど。私は、その黒が綺麗だと思った。
「オマエ」
見とれていたら寒気がするほど低い声が響く。
堅く閉じられていたはずの瞳がこちらを見据えていた。
変化する途中に眼の色、元に戻るんだ。
睨みつけられても見慣れた暗い赤にホッとする。
「見んな、つっただろうが。なに見てるんだよっ」
「ああああ、ごっ。ごめんなさい! 好奇心に勝てませんでしたっ」
言い繕うことはせず、平伏の勢いで謝っておく。
どう言い訳を重ねても約束は破ってしまったんだし。
間も置かない謝罪に鼻白んだか、見せつけるように口元を釣り上げてくる。
「反省の色が見られないな。噛むぞ」
薄闇でもよく分かる、白い牙。
「そ、それはやめてください」
背筋に嫌な汗が流れる。そういえばカルロは約束守ってくれているんだった。確かにそれを考えると酷い事したかもしれない。
だからと言って『吸って良いですよ』なんてとても言えないけど。
「でも隠さなくて良いじゃないですか」
「なっ、お前な。こ、この羽とか見てもそんなこと言えるのか!?」
この羽? どの羽だろう。
何となく目の前の羽を見つめる。灰に近い闇色だが何か問題があるんだろうか。
「どちらの羽に不都合が」
幾ら考えても分からないので聞いてみる。
「俺の羽に決まってるだろうが。馬鹿にしてんのか」
自分の羽を恨めしそうに見つめて呻かれた。そんな嫌そうに言わなくても。
「してませんよ。悪いところありますか?」
思ったよりスラリとした大きな羽だ。カルロの体に巻き付けても結構余りそう。
「強いて言うなら今はお前の目に問題ありそうだ」
深刻そうに頷かれ、むっとする。
「視力はそこまで落ちてませんよ」
「黒くない羽のドコが問題ないんだよ」
ああ。それが問題だったのか。なるほどー。
一応疑問が解消され、少し納得。更に疑問。
「別に良いじゃないですか赤でも白でも黄色でも」
「良くない!」
怒鳴られた。確かにカラフルすぎると闇に紛れにくいか。
それ以前の問題だと追加で怒られそうな気もする。
「多少毛色が違うだけです。大体コウモリの時から同じ色じゃないですか。
違和感ありませんから平気です」
「い、違和感無いのか」
慰めたつもりが落ち込ませてしまった。
面倒なお年頃だ。
「それも個性じゃないですか。私は結構好きですけど」
仕舞っておこうとした後半の台詞は悲しそうなカルロの表情を見てこぼれ出た。
「笑わないのか」
「先程も言いましたが、基準が分からないのでドコが笑う部分なのかも分からないですよ」
涙目で見据えられ、正直に答える。
カルロの髪がアフロになってるとかだったら笑うんだけど。羽の色がちょっと違う、でどの辺りを笑えばいいのだかさっぱりだ。
じーっと私を見つめた後、
「お前相手にそういうのを気にした自分が馬鹿だった」
カルロが拍子抜けしたような、何処か哀愁を交えた眼で長い息を吐き出す。
顔がほんの少し赤い気もする。
「何故そこで深い溜息付くんですか」
「他の台詞が――いい。もーいい。後ろ向いてろ」
どうも私の台詞がお気に召さなかったらしい。
でも、あの場合何を言えば。
「ひゃ」
羽でバサバサと追い立てられ慌てて顔を通路へ向ける。荒っぽいなぁ、もう。
苛立ちなんだか照れ隠しなのか分からないけど、羽の端に爪みたいなのが付いているから当たったら痛いじゃすまなさそうなのに、ぶんぶん振り回してくる。
運の良い事に樽を破壊するとか箱をなぎ倒すとか、破壊行為には及んでいない。
違う意味で羽が出ているときは近寄らない方が良い気がしてきた。
十秒程度だし、気を揉まなくてもそう経たずコウモリ姿の彼を拝めるだろう。
「おや、そこに居るのはもしかしてカリンちゃんじゃないかい!?」
ふう、と息を付いていると聞きなれた声が掛かる。
聞きなれた声。聞きなれた……ってそれは今はまずい!
足音が近寄ってくる前に肩に掛けていた荷物を放り投げ、近場にあった箱を思い切り持ち上げて後ろに置く。『ちょ、な』途中慌てたような呻きが聞こえたが黙殺する。
「なにやってるんだい」
「いいいい、いえちょっと」
声の主は見当が付いていたが、全力でもう一箱抱え上げ先ほどの場所に積み上げ、箱を背にする形でへばりつく。
「こんな朝早くから箱の整理は頼んでいなかったんだけどね」
首を傾げながら雑貨屋の店主であるおばさんは私を見た。不審ではなく不思議そうに見られているのがせめてもの救いか。
もう一つ心休まる事柄があるとすれば。カルロを覗き見しておいて本当に良かった。
あの姿を見ていなければ変化が間に合わなかった場合、『人間』として彼を紹介するつもりで居た。
ついさっきまで。
羽が思い切り出ている吸血鬼を紹介なんてしたら色んな意味で幕が下りるところではあったが、その危機は脱したようだ。
カタカタ動く木目を肘で押し、引きつった笑いを漏らす。次は後ろが大問題か。
「その、性分です。最近やってなかったからついつい手が勝手に動きまして」
言いながら更に箱のそばに物を置いてみる。あんまり動けないから大きいのは無理だけど。
「それは良いけど。カリンちゃん城に行かなくて良いのかい」
ぎくり。
反射的に跳ねそうになった体を押さえる。
じりじり後ずさりそうになりたい気持ちを首を振ることで吹き散らす。
し、城仕えって事になってるからおかしな質問ではない。落ち着こう、私。
「そ、うですね」
たかだか五文字が鉛みたいに重くて吐き出すのに苦労する。うう、胃にきそう。
「シャイスが昨日偉く慌てた様子でね、アンタを探し回ってたんだよ」
うううう。そりゃそうですよね。
アルバイト先に当たるのは人探しとしては間違ってはいない。拉致された人間がその日に向かうかは別として。
攫われたんだってね、と聞かれないあたりその辺は伏せられてたのか。それともシャイスさん慌てすぎてて直ぐに消えたとか。後者だろうな、きっと。
「ちょ、ちょっと遠出して迷っちゃいまして」
乾いた笑いで誤魔化しておく。どう言えばいいのだか皆目見当も付かない。
ちょっとどころの遠出ではなかったが。間違っては、いない、はず。
まさか拉致られて生け贄にされかかりましたとも言えないし言うつもりもない。
うまく丸く収まる言い訳ってなんだろう。
何度も考えたがどうやっても角が立つような気がする。前半はともかく後半からおかしい。吸血鬼と親睦深めていたとか洒落にもならない。
「その割には凄い形相だったねぇ。とうとうカリンちゃんから見捨てられでもしたのかと思ったよ」
何ですかその妙に具体的な心配の仕方は。
「私とシャイス様の関係をどう想像していたか聞きたい気もします」
「やだよ、言って良いのかい!」
「遠慮しときます」
頬を赤らめて肩を叩かれ、遠い目になる。きっと凄い誤解が生まれているに違いない。疲労感で訂正する気すら起きないが。溜息を飲み込んではっとなる。
そういえば今日はベール……付けて、なかった。
恐る恐る唇に指を這わす。感触がある。遮蔽物はない。
視線を上げ、相手の表情を見る。何時もと変わらない朗らかな笑顔がある。畏れや怒り、戸惑いも見受けられない。
私、もしかして。喋れてる?
片言だったこの世界の言葉。魔物言語の時のようにいつの間にか。
不自然なくらい自然に。
喋れなかったことが嘘のように。
「…………」
今までの努力が報われたと言えば聞こえが言い。けれど、腑に落ちない。それは確かに寝る間も惜しんで学習した。そうしなければ生きていけないと思ったから。
異世界の言語が短期習得が不可能とは言わないけど、違和感が拭えない。早すぎる気がする。
助かりはするんだけれど。まるで、誰かに操作されているような嫌な感じがした。
唇を指でなぞり、考え込んでいるとおばさんの顔が間近にあって後ろに倒れ込みそうになる。
あ、危ない。
「そういえば初めて顔を見るね。隠すことないじゃないか」
「そ、そうですか?」
カルロに言った台詞を投げられて肩をすくめる。なんだか恥ずかしい。
「シャイスのそばにいるのがおかしいくらいだ。そんな可愛いんだったらベールなんて外しときなよ」
「シャイス様は関係ないのでは。でも、そうですね。次からはそうします」
ベールは息苦しかったから素直に頷く。言語さえ違わないのであれば口元を隠す必要もない。
というか、とことん扱いの低いシャイスさんに涙がでてきそうになる。一応偉い人のはずなんだけどなぁ。
気取ったところや偉ぶったところがないからよく忘れそうになる。私が仮とは言え勇者候補でなければ今の様呼びが自然なくらいの立場なんだけど。
そこまで考えで太陽が顔を持ち上げた空を見る。
あれ。でもシャイスさんが様って呼ばれてるの……見たこと、ない。使用人が少ないせいだろうか。
むしろ彼が使用人に見えると思ってしまって頭を振る。
失礼だ。流石にそれは失礼と言うものだ。
近くにいるのが勇者候補ばかりというのが原因なのかも。一番の要因はシャイスさんが雑用で振り回されている姿ばかり見ているせいだろうし。
悩んでも解決しない気もしてきた。城で一緒にいることも多いし、今度それとなく観察しておこう。その方が早い。
「あ、開店の準備するんですよね。手伝いますよ」
「城は良いのかい」
良くはないんだけど上手い言い訳がまだ思いつかない。
見つかる気は全くしないんだけど。
はああ。どう誤魔化そう。
「気を紛らわしたくて。働いた方が落ち着くんです」
「そうかい。じゃあ手伝ってもらおうかな」
溜息を飲み込んで足下に視線を落とすと、ごそりと地面に落ちた荷物が揺れた。
先ほど放り投げたバッグにくすんだ色の毛玉がもそもそと潜り込んでいく。私の視線に気が付いたのか、『これで文句ないだろ』とでも言いたげに翼がゆっくりと覗き、引っ込んだ。
隠れ場所的には間違ってない、が。
うっかり城に連れて帰らないよう気を付けないと。
なおもモゾモゾと体を落ち着けているらしい灰色のコウモリの姿を思い浮かべ、口元が綻んだ。
|